3.30.2008

燃費改良とダイエット 16

一日三食しっかり摂り、
さらに玄米を主食にして4ヶ月経ちました。
http://neo-activism.blogspot.com/2007/11/blog-post_27.html

一日三食にしてから、体の調子がさらに良いです。
朝は新聞や本を読んでいることが多いのですが、
身が入ります。
これは続けていきましょう。

しかし玄米三食は変えようと思います。
私はもともと胃腸が強い方ではありません。
便の方は良い調子なのですが、
三食玄米にすると、胃がもたれてしまうのです。

よく噛んでいるのですが、
玄米は分解が良くないので、相当量の胃液、
クラッシュが必要になり、もたれるようになるのでしょう。

途中から三食玄米をあきらめ、
麺を三食のどれかに入れていました。
大概は昼になりますね。

今後、玄米の三分づきにしてみます。
自分に合うかどうかこれも四ヵ月やってみましょう。

体重は71~71.5Kgを小幅変動。
お腹周りは腹筋の成果か85cmになり、
見かけは余計な脂肪が減ったのですが、
体重は全然減りません。

おそらく脂肪は減ったのですが、筋肉が増えたようです。
体脂肪率を計ってみないとどうにも言えませんが、
それが事実だとしたら、良い傾向です。
健康な減量、ここを目指しているので。
今後、体重は筋肉を付けながら、ジワジワと落としていきます。

ちなみに、たまにたい焼き食べてます。
どうしてもやめられませんw

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3.28.2008

日本発! 和(ワ)のススメ 3

和する

昨日の日記でこの言葉を復活させることにしました。
この言葉が今までの思考回路では解決できない、
日本、世界でのさまざまな問題を
解決するように思えてならないのです。

どう使っていくか…
色々考えてみましたが、一つ良いことを思いつきました。

まずは、小さな第一歩として
「ボランティア」
この言葉を変えてみましょう。

ボランティア、何度か体験しましたが
この言葉の意味に腑に落ちないものを感じていました。

少し前の辞書では、義勇兵と載っていました。
最近では、社会事業や活動に無報酬で参加する人
となっています。

義勇兵?
なんですか、それ?
社会事業や活動に無報酬で参加する人…
分かりますが少し長い。

なぜこんな訳になっているか。
それはこの行為に相当する言葉が
日本になかったからなのでしょう。

では行為自体がなかったのか?
そうではありません。
しっかりとありました。
ごく自然な助け合いのようなもので、
あえて言葉にする必要はなかったのです。

それを最近言葉にするようになり
ボランティアと名付けたのです。

西欧では個を尊重する文化があります。
早くから自立の道を歩もうとします。
その結果、個人主義になりやすい。
そうならないように、全体への係わりを持たせるための
宗教的道徳にボランティアがあるのです。

日本では西欧の思考化が進み、
全体から個への道を歩んできました。
そろそろ個が確立するようになってきました。
この流れはこの先続きます。
全体主義に戻ることはありませんから。

しかし、我良しが増えて
さまざまなひずみを生んでいることも確かです。
そろそろ個を尊重しつつ、
全体への係わりを持っていくような、
ゆり戻しの時期に来ているのだと思うのです。
元には戻りません。
スパイラル、螺旋階段を上がっていくのです。

最近それに集団的に気付きつつあるので、
ボランティアという新しい言葉をもって、
全体への係わりを作ろうとしています。

しかし、それまであったものをわざわざ横文字にすると
分かりにくくなってしまうのではないでしょうか?
しかも、言葉になっていなかった行為なのですから、
大事に、見極めて言葉にする必要があるのです。

和する。
この際、ボランティアをこう呼びましょう。
もしくは、和を使った
ボランティアに相応する言葉を提案していただけるのなら、
それを使っていくのもいいでしょう。

バスや電車の中で困っている人からNPOの活動まで、
日々の生活の中で、堂々と和する。

これで行きましょ!

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3.27.2008

日本発! 和(ワ)のススメ 2

世の中では「和」はどういう理解なのでしょうか?

まずは漢字字典から引用して眺めてみましょう。

意味:
   1:やわらぎ。丸くまとまった状態。
     「平和・調和」

   2:(ワス)いっしょに解け合ったさま。
     また、成分の異なるものをうまく配合する。
     また、その状態。
     「和薬→薬を和ス」

   3:(ワス)やわらぐ。なごむ。かどだたず、まるくおさまる。
     「和解・講和」

   4:なごやか。ゆったりとしてやわらいださま。
     「温和」

   5:声や調子を合わせる。
     「唱和」

   6:プラスする。加えた結果。
     「総和」  

いい言葉ですね。
こうやって眺めると、
概ね丸いイメージ、ゆったりとしたイメージ、
足すイメージがありますね。

特に2番の「(ワス)いっしょに解け合ったさま」
どの意味にも共通しているのではないでしょうか。

(ワス)
気になったので、次は国語辞典で調べます。

和す→和する
心がやわらぐ。親しむ。仲良くする。
まじる。調和する。唱和する。

和する
普段使わない言葉なのに、辞書にはしっかりと載っています。
ということは昔は使っていたということでしょう。
和をする。
いい動詞ではありませんか!

もったいないので、まずはこの言葉
「和する」
を復活させることにしましょう。


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3.25.2008

大相撲斜め読み 大阪場所 3

先ほどの補足です

細かい視点で次回の見所を二、三

白鵬
後半戦で目立ってきたのですが、
勝負がついたそのすぐ後、
ビートたけしのように首をカクッと捻ります。
それまでには観られなかった動き。
気になりますね。

新しい身体的なクセがでてくるということは、
精神的な要素が絡んでいることが多い。
本人は気付いていないかもしれない。
しかし何かあるような気がします。
来場所消えていれば問題ないのですが…

高見盛
恒例の時間いっぱい。
身体を叩き、肘を曲げコブシを付け合せて
気合の雄叫びと共にその腕に力を入れます。
客も同じようにその雄叫びを真似るので
その瞬間笑いが溢れます。

しかし今場所の高見盛はいつもと違いました。
その後、ロボットのように力が入った上半身のまま、
サイドステップをするのです。
リズムを取っているとのことです。
しかしその姿は少しぎこちない…
あのまま曲がかかってパラパラ踊りだしたら
まぁ、ビックリですね。

これで二ケタ白星をものにしたのですから、
来場所もリズムとってくるでしょう。
これも見もの。

貴乃花
異例の若さで審判長となり、
物言いでマイクを持ちます。
しかし、硬い。
いつか板につくんでしょうね。
相撲界の将来が貴にかかっています。

大事なものは残しつつ、新しいことやってほしい。
期待してます。

そろそろ朝稽古でも行って臨場感を報告しないと!

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3.24.2008

大相撲斜め読み 大阪場所 2

またもや息を呑むほどの大勝負。

しかし今回は一瞬にて勝敗が決まりました。

白鵬はいつもと違い、早めに勝負を決めたかったのでしょうか、
一気に前に出てきました。
しかし朝青龍は冷静。
その勢いを利用してすかさず小手投げ。
勝負はあっさり決まりました。

お見事!

いろいろありましたが、
勝負事は結果を残すことのみが問われます。
朝青龍はその重圧を撥ね退け、
堂々と祝杯を手にしました。
男ですね~
格好良かったです。

ますます相撲が面白くなってきました。
二ヵ月後にはお江戸、ホームでの戦い。
この二人の横綱対決は目が離せません。

琴奨菊は若手のホープ稀勢の里との対戦。
次世代の ライバル対決は琴奨菊に軍配が上がりました。
今後この対決も燃えますね。

今回目立ったのは把瑠都 (バルト)
巨漢を生かした大きな相撲はとてもダイナミックで、
魅力的です。
怪我さえなければいい所までいけるような気がします。
上位陣を脅かす存在になってほしい。

黒海も頑張りました。
高見盛も伸びましたね。
地力と言いましょうか、
底から湧き出でるようなパワーがあります。
10日目くらいのインタビューはぶっ飛んでましたね。

新幕内の境澤は熱い洗礼を受けました。
垣添との一戦、立会い思い切りでたところを、
カウンターで張り手を食らい、
そのまま気を失ってしまいました。
バッターがデッドボールを食らったときのように、
次の土俵でトラウマにならなければ良いのですが…

この熱が冷めないうちにまた
相撲の季節がやってくることでしょう。
今、相撲が熱い!

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3.22.2008

日本発! 和(ワ)のススメ

ホリスティックの健康観は
「個」のみの側面からでは図れません。
私たちは「個」であると同時に、
宇宙全体の一部であるからです。

フルフォード博士の言葉を借りれば
「われわれ全てがひとつの存在であるという
 事実に気づくことにある」

これです。
健康とは心・体の調和がとれていると同時に
家族、コミュニティー、人種、宗教、国など、
全体の平和が保たれていてこそ
達成するのだということなのです!

Neo-Activism では施術の一環として、
全体の平和に力を注いでいきます。

壁は高いですが、
心の底から楽しめる世界を創っていきます。

最近のチベット、スーダン、ミャンマー、コソボ、
アフガニスタン、イラク、
パレスチナ・イスラエルの紛争
世界では様々な凄惨な出来事が起きています。

私たちの住む日本は地政学的に本当にラッキーなところ、
ファーイースト(極東)にあるので、
そういう紛争を肌に感じない場所で生きています。
そして島国。
内向きになりやすい環境がさらに海外での諸問題を
対岸の火事にしています。

いつまでも傍観者でいいのでしょうか?

Neo-Activismでは
それまでの慣例や常識を超えて
新しい時代を創生していこうと考えています。

日本発で平和をリードする!
この際、ドカーンと夢を打ち上げましょう!

極東とは西洋の地図でそうなっているだけで、
現在、覇権のしのぎを削っているのはアメリカと中国。
そのど真ん中に日本は位置しています。
これは与えられた使命のようなものではないのでしょうか?

到来する新しい時代は
分断されたモロモロ
(例えば、自然と人間、ココロとカラダ、科学と哲学、
 西洋と東洋、北と南、宗教、家族など)
をつないでいくことで進歩があるのだと感じています。 

実はその分断されたものを
一つにまとめる接着剤のような力のある言葉があります。

和(ワ)
日本のことではありません。
この言葉の持つ意味にあります。

この言葉を深く知り、実践することにより
全体に昇華するのだと感じています。

さあ、真の健康をもとめ、長い旅に出ます。

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3.21.2008

ルーティーン

Neo-Activism を始めて半年以上が経ちました。
早いものですね。ここまでお付き合いありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いします。

さて結局、日々一体何を訓練しているのか、まとめてみます。

8:00 起床
     顔を洗い、ついでに笑顔訓練が始まります      
  http://neo-activism.blogspot.com/2007/10/blog-post_12.html 

    続いてストレッチ&体操(腹筋、背筋、スクワット)
    そして燃費向上のための踏み台昇降
  http://neo-activism.blogspot.com/2008/02/1_17.html 

    外に出て、日の光を浴び、気功に入ります
  http://neo-activism.blogspot.com/2007/09/blog-post.html

    庭の植物たちを眺め、エロコンポストを攪拌します
  http://neo-activism.blogspot.com/2007/11/blog-post_14.html

    祈りで朝の行事が終わります。その後朝食。


9:00 12:00 15:00 18:00 21:00
    各時間に5分ほど感性を高める訓練をします
 http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_11.html

昼食後、最近加わった指先感知訓練をします。
 http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_18.html


今のところこんな感じです。
もう少し早起きしてストレッチ、
気功の時間を増やしていきたいと思っています。

ちなみに、乾布摩擦は前回のチャレンジで
  http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post.html

やはり首の前部にアトピーが出てしまったので、
私には乾布摩擦が合わないことが判明しました。
初のお蔵入りです。

夜寝る前がぽっかり開いています。
今後何ができるか検討してみましょう。

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3.18.2008

現代修行 ~入門編~ 12

前出した尊敬する
ロバート・フルフォード博士が
日々している、指先の感知能力を高める訓練法を
倣ってみようと思います。

本文より~
紙の上に一本の髪の毛を置いて、その上にまた紙を重ねる。
紙に目印をつけることは許されない。
そして、上の紙にそっと指で触れ、
髪の毛がどこにあるかを感じ取る。
正しく触れていたならばもう一枚紙を重ねる。
それを分からなくなるまでやるのだ。
この方法は指の全ての神経を刺激し、鍛える訓練である。
いい施術をできるように毎日訓練します!
厚いメモ帳を用意し、端に番号をふります。
そっと触れ、髪を感じます。触っていると、
太い側と細い側があるのが分かります

こ、小指立ってます!


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3.16.2008

イベントのお知らせ 4月20日

“ホリスティックな生き方を探る vol3”
今回は趣向を変えて、より具体的なテーマを掲げて
講演会を行います。

古来、日本人は「米」を主食にしてきました。
私たちの身体は「米」がつくってきたと言っても
過言ではありません。
米のエネルギー、栄養素を摂り入れるという
表面的な意味もさることながら、
日本人と米の間には、密接な関係があります。
かつては「米」を育て、収穫する行程において、
自然(もしくは神)に祈り、感謝する祭りがありました。
今のレイブの原形はここにあります。

現在見落としがちな「米」にまつわる事象を学びなおし、
よりありがたく「米」をいただくきっかけにしたいと
思っています。

テーマ 「日本の霊性と稲作の結びつき」

講演していただくのは、おなじみ 言霊(コトタマ)の研究家
木戸寛孝(ドッキー)さんです。
http://www.shienjuku.com/cat/0701_waon/      

日時 4月20日(日曜日)16時スタート  
場所 福生ノース      
会費 2,000円(1ドリンク付き)
http://www.north-fussa.com/access.html  


以下ドッキーさんより

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

新嘗祭は、神道における一番大切な祭りです。
昔、宮中において天皇が今年の新穀を初めて

食される日であり、同時に初穂を神に捧げる日でした。
現在は、勤労感謝の日がこれにあたります。

また、大嘗祭というのは、天皇の宮中祭祀儀礼における
最高のランクに位置づけられるものです。
その儀式を通して天皇は人から神になります。

新嘗祭も大嘗祭も、ある意味、天と人を結ぶ構造に

なっています。
その媒体になるものは、実は稲なのです。

そのコスモロジーについて皆さんにお話しようと

思っています。
そしてGWには田植えをやりますので、

ぜひご参加ください

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

資料の準備がありますので、参加ご希望の方は
必ずご連絡ください。

kokoro-no-tsuki@road.ocn.ne.jp


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3.14.2008

ロバート・フルフォード博士

久しぶりにロバート・フルフォード博士の
「いのちの輝き」
を読み返しました。

ホリスティックの原点ですね。
素晴らしい本です。
読み物としてお勧めします。

フルフォード博士は
現在の代替療法、統合医療の先覚者、
アンドルー・ワイル博士が
師と仰ぐ人として紹介されています。

専門はオステオパシー
現代医学がアメリカでまだ本流とされていない頃、
オステオパシーは医療として十分に認められていました。

オステオパシーは現代医療と同じような治療もしますが、
手技を用い、人それぞれの持つ自然治癒力を引き出します。
ホリスティック(全体)的視点。
霊性、精神性、身体性をひとつの全体として捉え、
そのバランスを回復するのを手助けする療法です。

本から一文だけ抜粋してみましょう。

―健康であることの大切さは、ただ自分のためだけでない。
自分の健康はある意味で、
全ての生き物の健康と進化につながっているのだ。
われわれは共に、この世界を分かちあって生きている。
あらゆる生き物が平等に、宇宙の力に頼って生きている。
だから、地球に生きる目的のひとつは、
われわれ全てがひとつの存在であるという
事実に気づくことにある。―

痺れますね!
壮大な宇宙観。

私も見習いたい。

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3.13.2008

時事アレコレ 究極のダイエット法!

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080304/tnr0803040900005-n1.htm

何かの病気だったら失礼なので
KONISHIKIさんのことについては申し上げませんが、
ガストリックバイパス、
アメリカでジワジワと広がっています。

いわばV8エンジンの7つのプラグを抜き、
一気筒で重い車体を運転するような感じですかね。
当然ガソリン使用量が減るので、
多くを支払わないで済む…

アメリカ人の体つきと、アメ車は相関関係があります。
燃費をよくしようという発想はほんの最近のこと。
つい3年ほど前までピックアップトラックが売れていた。
重量級

日本は資源が少ないから、
車体の重量を落として燃費向上に努めます。
アメリカはでっかいのがかっこいい。
でかい車体には、でかいエンジン。
それがよかった時代もありました。

それも臨界点に達したのでしょう。
今後、環境問題にも配慮せずにはいられず、
当然、ざまざまな無駄を削ぎ落としていくことになります。

人間、一度楽な生活に甘んじてしまうと、
すすんで動くことを拒んでしまう傾向にあるようです。
無駄を削るのも根気の要る作業。

だからといって、
胃を切り落としてしまうのは簡単すぎはしないでしょうか。
かなりアクロバティックで、
昔のギャグ漫画のような発想。

世界は広い。
私の目指すホリスティックと対極だなと思うのでした。




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3.11.2008

現代修行 ~入門編~ 11

いい施術ができるように日々自分を磨きます。
さて、先月始めた一日五回の感性を高めるための訓練は、
http://neo-activism.blogspot.com/2008/02/blog-post_12.html

“観る”ことを鍛えるものです。
普段見過ごしてしまいそうなものに気付くこと。
それらと親密になり(アニミズム的に)
私を形作っていると感謝することです。

様々な空間でコツコツ実践しています。

だいぶ慣れてきたので、
内容を膨らませていきましょう。

次は耳、鼻に着目します。

聴く
ジーッと耳を澄まして、可能な限り音を拾ってみます。
冷蔵庫のモーターの音、上の住人の物音、
鳥の鳴き声、クラクションの音、
身の周りの音から遠くの音まで
普段たくさんの音に包まれているのが分かります。

何度かやってみましたが、
この場合、目を閉じた方が音を拾いやすいですね。

しかも聞こうと、能動的に耳を傾けることよりも、
じーっと鼓膜に集中し、
振動するさまを感じ取るのがいい。

嗅ぐ
聴くと違って、
一つの場所でたくさんの匂いを嗅ぎ分けるのは至難の業。
特に都会の匂いは混濁している。
鼻の奥、鼻腔のフィルターを通すようなイメージで
なるべく分類してみます。

しかし、この感覚器官は脳に一番近いだけあって、
ただ匂いを分別するだけのものではないと思っています。

郷愁感が呼び起こされたり、
人に引き付けられたり、
危険を回避したり…

多種多様なシチュエーションで
“鼻を利かす”
ことで動物的な直感を得られた経験が何度かありました。

これは私だけの感覚ではありませんよね?
ただ物理的に細かい匂いを嗅ぎ分けているのか、
それともDNAに刻まれた遠い記憶を呼び覚ますのか、
不思議な器官であることは確かです。

“観る”に“聴く”と“嗅ぐ”を追加して
訓練を身のあるものに形作っていきます。



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3.08.2008

マイノリティーはもう吠えない 12

本日は、田中マイコが書かせていただきます。
おととい見学した『晴れる屋』のレポートです。

自分達が住んでいる地域に「当たり前に生活」し、
「当たり前に存在する場所」それが私たちが目指す、
『晴れる屋』のかたちです。

ほまれさんの言葉です。
当たり前に存在しているのに、肩身の狭い思いをして
生活しているご本人、ご家族がたくさんいるのだろうと
胸が痛みます。
実際、晴れる屋のメンバーで散歩をしていたとき、
「汚いからやめて」と近所からクレームが来たこともあったと
ほまれさんは言っていました。
「健常者」ととりあえずくくられる人の言動。恐ろしいです。

でも、晴れる屋のメンバーとスタッフを見ていると、
自然な「当たり前」がそこにはあり、
本当にすがすがしいのです。

学生(小学校5年生から高校生)が通う
『パステル』も見学させてもらいました。
その日はたまたま1人だけしかいませんでした。
言葉で意思疎通することはできませんが、
駆け回ったりボール遊びをしたり
元気な小学校6年生の男の子(Hくん)です。

スタッフの女性との会話が印象的でした。
「Hくんは、この1年で成長したし、これからも
どんどん成長していく気がする」という彼女の言葉に、
成長って、できることが増えていくってことですか?
と尋ねました。彼女の応えはこうでした。

「そういうことより、Hくんが思っていることを
行動で表現できるようになったり、周りの人との関係を
築く力がついていったりすることですね。
それが大切だし、それを近くで見ることがとても嬉しい」

彼女がHくんから与えられるもの。
Hくんが彼女から与えられるもの。

優劣や上下が先行するのではなく、
皆がいるから成り立っている。
障がい者と呼ばれる方達どうしも
足りないところを補い合い、支えあい、
そしてそれが本人の糧にもなっている。

ほまれさんも言います。
「障がいを持っている彼らには、技術とかより、
この人たちに手を差し伸べたいと思ってもらえるような
人間の魅力をつけてあげたい。
助けてくれる人がいれば、社会に出やすくなる」

スタッフの方達の言葉だけではなく、
「当たり前に存在」ということが、
晴れる屋ではかなっています。
それを肌で感じました。

さて、「健常者」ととりあえずくくられる者に、
何ができるのか?
私にとっても大きな課題です。
まずは、これを読んでくださった方に、
見学大歓迎!!の晴れる屋に
足を運んでもらえれば幸いです。

皆さんの掛け値なしの笑顔に出会い、
自分の中の意識していなかった感情に向き合う
きっかけになると思います。


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マイノリティーはもう吠えない 11

去年、友人の紹介で知り合った誉(ホマレ)さんの運営する
障がい者通所事業所  「晴れる屋」に行って来ました。
http://www.hareru-ya.jp/index.html
(代表メッセージをお読みください)

誉さんはハーレ乗りで
グレートフルデッドが好きな元バンドマン。
楽器を作り、直すこともやっている、
多彩な顔の持ち主。

そんな彼の運営する作業所は笑いと、
純真さに満ちていました。

昼ごはんを一緒に食べたのですが、
その時のやり取りは、とても見ごたえのあるものでした。

若いA君が年配のBさんの弁当箱から
「取替えっこしよう」と鶏のから揚げを取り、
変わりにポテトを二個入れて取引を成立させました。
どうにも不釣合いなトレード。
しかし年配のBさんはおっとりした人で「いいよ~」って
意にも介さない感じでした。

パンをちぎっては誰かにあげ、
あげた人のおかずをもらう。
こんな昔懐かしい光景が繰り広げられていました。

自閉症、ダウン症、知的障害…
分類で分けるといろいろとあるのでしょうが、
誉さんは、そもそも障害者というように分けるのが嫌いらしく、
人間として接しているようでした。

そんな誉さんの創るワールドで彼らは自由に
生を謳歌している。
そして、お互いのできること、できないことを感じ取り、助け合い、
決して個の領域を侵さない距離感を作っていました。
各々が役割を生きている。

ある女性は学校に行っていたとき、
一日に何度かグワー横になったり、
暴れることが多かったようです。
誉さんは学校の規制に無理があったのだろうと言います。
晴れる屋に来てからというもの、役割を見つけ、
今では、その人がいないと事が運ばないそうです。

この世界観は一言で言うと調和
心が和みます。

しかしこれを運営するという視点に立つと違うようです。
年々絞られる補助金は誉さんを苦しめます。
世の中の作業所、その他の施設、
これからどう運営していけばいいのか
困っている人が多いのが現状です。

誉さんは皆で物を作って、売り、
その売り上げで運営していきたいと考えているようです。
そうなれば社会での完全自立となりますね。

そうなってほしい。
彼らがさらに生きがいを持つことになり、
世の中に普通に存在するようになれば世界が変わる。

私の動きが少しづつ見えてきたような一日でした。


音楽会にも参加。音はさらに彼らを解放させる。
コスモス!


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3.05.2008

“仁” “人間” ホリスティック

“人”(ヒト)。
他の動植物との種の違いを言い表します。

ある説ではヒトが寄り添っている形を取って
“人”
という漢字が生まれた、と言います。
しかし私はこれはヒト、一人が立っている姿だと考えます。

なぜなら“仁”があるから。
十年以上前に井上靖「孔子」を読んだ時、
この言葉が私の心を鷲掴みにしました。

あるとき弟子が“仁”について孔子に意味を問うたところ、
孔子は「人が二人いるということだ」と答えました。
つまりこの世は、人という種は、一人では存在しえず、
少なくとも二人はいるということです。

他方で“人間”という言葉があります。
この言葉は、人と人の間という意味を持ち、
人が三人いることを示唆しているのではないかと
最近気付きました。
両隣の人にもそれぞれ三人。その隣の人にも三人。
これをくり返すと、いずれ人の環ができてしまいます。

なるほど、この二つの言葉の意味するところは、
種としての“人”は一人として存在することはなく、
二人以上の社会を形成して生きているということなのです。

昨日の日記の加藤秀樹さんも言っていましたが、
誰も一人では生きることができません。
しかし今、あまりにも我良しの人が増えてしまった。

現代に生きる私達が抱える問題の一つ。

きっと戦争の全体主義からの反省が
個人主義を造っていったのだと思います。
確かに自己実現(個を確保)するための自由は必要です。
ですから、歴史的にこの流れはあってしかるべきですが、
針が行き過ぎてしまった。

マズローの欲求五段階説など、心理学的には、
自己実現を達成すると自己超越がその次の目標となります。

例えば、私が若い頃愛読していた
「かもめのジョナサン」
ドッキーさんも言っていましたが、ジョナサンは群れを離れ、
ひたすら飛行術を学び、自己を確立しますが、
最後は再び群れに戻っていく…

個を確立して、その後、全体に溶け込む。
自己超越がここにあります。

進むべき路はスパイラル、螺旋階段を登っていきます。

今まさに“個”を確立しました。
次は“仁”“人間” 人間社会だけでなくホリスティック(全体)
に着目するべきではないでしょうか。

それは元に戻るのではなく、
大きな全体の一部だという視点に立ち返り、
全ての物、生き物との公約数が必ず存在していると認識し、
その役割に沿った行動をしていくのが次の進む路
つまり自己超越になるのだと思うのです。


3.04.2008

マイノリティーはもう吠えない 10

先日の新聞のコラムで、構造日本代表
加藤秀樹氏の
「バリアフリーを見つめなおせ」が
載っていました。

どんなにいい設備、エレベーター、平らな路を作って、
「一人でできるようになったでしょ」と言っても、
どこかでつまづく人は必ずいます。
そのとき「大丈夫ですか?」
と声をかけ、助ける人がいるのが本質なのでは?
と加藤氏は言っています。

確かに。
世の中には掛け声ばかりのことが多いですよね。

環境問題にしても本質はボンヤリとした霧の中。
個々がしっかりと意識を持って行動すれば、
それ以上やることはないと思うのですが…
これは極端すぎますか。

いずれにしても、高齢化社会はすぐそばに迫っています。
私の親もそうですが、
将来は人の面倒になりたくないと言います。
しかし、それは身体の健康があってこそ。
様々なことが起こりうるなか、「一人で生きられるでしょ?」
なんて社会からの見えない圧迫があるとしたら
寂しいものがありますよね。

もっと遠い先のことですが、
私達も老人になります。
そんな時、
この個人主義的なコミュニケーション(つまり無関心)が
より発展していくのなら、未来は暗澹たる雲に包まれます。
あ~、寂しい

そんな憂いをする前に、
そんな未来を出現させないために、
今から行動して行きましょう。
日々の身の周りの乾きに気付き、じょうろで水を!

今から楽しい社会を創造し、老後もパッと明るく生きましょ。

3.02.2008

こころの月 キャンペーン

3月。春の息吹を感じます。
去年T氏にいただいて、庭に植えたあじさいから
芽が顔を出し始めました。
植物はすでに季節を先取りしています。すばらしい。

さて、ヒトもそろそろ活動的になり始めるとき。
2月にもお知らせしましたが、再度。

・・・・・・こころの月キャンペーン中!・・・・・・
整体・足裏マッサージ・アロマテラピー
◎初めてご利用される方は1,000円割引
◎紹介キャンペーンとして、こころの月を紹介してくださった方・
  紹介を受けた方それぞれに15分サービス
詳しくはこちら↓
http://www.kokoro-no-tsuki.com/index.html
※尚、普段ご利用いただいている皆様にも
別途特典ございますw

こころの月にて身体も心もケアして、
春に備えてエンジンを温めましょう!
キャンペーンは3月末までです。よろしくお願いします。

3.01.2008

現代修行 ~入門編~ 10

ウィ~ッス!
乾布摩擦を始めて二ヶ月が経ちました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/01/blog-post_03.html

始めた頃に比べれば、
外の気温も春に近づいて少し楽です。
お蔭様で施術するときの手は依然暖かい感触があります。

お伝えしていなかったことがあります。
実は最近完全に治ったのですが、
やり始めて三日後、アトピーが出てしまったのです。

小さい頃に発病していた、
眠れる獅子が目覚めてしまった!

それは乾布摩擦で一番勢いよく擦るところ、
つまり首の後ろと背中にグワーッと出てきました。

首は真っ先に症状が出表れました。
極寒の庭先に出て一番最初に長く擦るからです。
風呂場で体を洗う時のようにゴシゴシ、ゴシゴシ、
しかもその寒さを克服しようと気合全開。
「うりゃ~~~」声も出ます。

急激に熱くなったから発症したのでしょう。
アトピーは原因が特定できず、現代病の中でも治り難い。
精神的なものだったり、環境の変化だったり、
食べ物だったり、様々な要因でなる。
その幾序に「むやみやたらに擦る」
を追加してもいいかもしれません。

そんなわけで、一週間位して首(後面)、背中、ふくらはぎ
がアトピーに冒されてしまったので、
今日まで、体の前部だけを擦っていました。

一つ気付きました。

東洋医学では「陰・陽」で大まかなことを区別します。
体に関しては背部が「陽」、前部が「陰」として分けます。
おそらく人間が手を付いて
歩いていたことに起因するのでしょう。
普通ならお腹や胸などは前に向いているから、
「陽」と考えたいところですが、
四つ足動物を想像すれば、
背中や首の後ろは陽が当たりやすいので「陽」となります。

私は体の「陽」の部分をひた擦り、発症させました。
つまり、私はもともと体の特性として「陽」が強く、
強いところに、強い刺激を入れたので
コップが一杯になって溢れ出てしまったのだと考えたのです。

もしかしたら「陰」が弱いので
前部を鍛えるのがいいのかもしれない。
そう思い、今日まで順調にやってきました。

しかし、ここで納得しないのがこのブログの大事なところ。

体の前部を洗う時を思い浮かべましょう。
タオルを何回かたたんでゴシゴシやりますよね。
背部はタオルの端をつかんで勢いよくやるのに、
前部はやけに行儀がいい。
というよりは体の機能的にできにくいということです。

同じ条件でないのに「陰」が弱いなど判断できません。
アトピーもすっかり良くなったので、
明日から唯一タオルの端を持ってゴシゴシできる場所、
首の前部を、背部を擦ったようにやってみます。
どうなるでしょうかw