3.11.2008

現代修行 ~入門編~ 11

いい施術ができるように日々自分を磨きます。
さて、先月始めた一日五回の感性を高めるための訓練は、
http://neo-activism.blogspot.com/2008/02/blog-post_12.html

“観る”ことを鍛えるものです。
普段見過ごしてしまいそうなものに気付くこと。
それらと親密になり(アニミズム的に)
私を形作っていると感謝することです。

様々な空間でコツコツ実践しています。

だいぶ慣れてきたので、
内容を膨らませていきましょう。

次は耳、鼻に着目します。

聴く
ジーッと耳を澄まして、可能な限り音を拾ってみます。
冷蔵庫のモーターの音、上の住人の物音、
鳥の鳴き声、クラクションの音、
身の周りの音から遠くの音まで
普段たくさんの音に包まれているのが分かります。

何度かやってみましたが、
この場合、目を閉じた方が音を拾いやすいですね。

しかも聞こうと、能動的に耳を傾けることよりも、
じーっと鼓膜に集中し、
振動するさまを感じ取るのがいい。

嗅ぐ
聴くと違って、
一つの場所でたくさんの匂いを嗅ぎ分けるのは至難の業。
特に都会の匂いは混濁している。
鼻の奥、鼻腔のフィルターを通すようなイメージで
なるべく分類してみます。

しかし、この感覚器官は脳に一番近いだけあって、
ただ匂いを分別するだけのものではないと思っています。

郷愁感が呼び起こされたり、
人に引き付けられたり、
危険を回避したり…

多種多様なシチュエーションで
“鼻を利かす”
ことで動物的な直感を得られた経験が何度かありました。

これは私だけの感覚ではありませんよね?
ただ物理的に細かい匂いを嗅ぎ分けているのか、
それともDNAに刻まれた遠い記憶を呼び覚ますのか、
不思議な器官であることは確かです。

“観る”に“聴く”と“嗅ぐ”を追加して
訓練を身のあるものに形作っていきます。



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3.08.2008

マイノリティーはもう吠えない 12

本日は、田中マイコが書かせていただきます。
おととい見学した『晴れる屋』のレポートです。

自分達が住んでいる地域に「当たり前に生活」し、
「当たり前に存在する場所」それが私たちが目指す、
『晴れる屋』のかたちです。

ほまれさんの言葉です。
当たり前に存在しているのに、肩身の狭い思いをして
生活しているご本人、ご家族がたくさんいるのだろうと
胸が痛みます。
実際、晴れる屋のメンバーで散歩をしていたとき、
「汚いからやめて」と近所からクレームが来たこともあったと
ほまれさんは言っていました。
「健常者」ととりあえずくくられる人の言動。恐ろしいです。

でも、晴れる屋のメンバーとスタッフを見ていると、
自然な「当たり前」がそこにはあり、
本当にすがすがしいのです。

学生(小学校5年生から高校生)が通う
『パステル』も見学させてもらいました。
その日はたまたま1人だけしかいませんでした。
言葉で意思疎通することはできませんが、
駆け回ったりボール遊びをしたり
元気な小学校6年生の男の子(Hくん)です。

スタッフの女性との会話が印象的でした。
「Hくんは、この1年で成長したし、これからも
どんどん成長していく気がする」という彼女の言葉に、
成長って、できることが増えていくってことですか?
と尋ねました。彼女の応えはこうでした。

「そういうことより、Hくんが思っていることを
行動で表現できるようになったり、周りの人との関係を
築く力がついていったりすることですね。
それが大切だし、それを近くで見ることがとても嬉しい」

彼女がHくんから与えられるもの。
Hくんが彼女から与えられるもの。

優劣や上下が先行するのではなく、
皆がいるから成り立っている。
障がい者と呼ばれる方達どうしも
足りないところを補い合い、支えあい、
そしてそれが本人の糧にもなっている。

ほまれさんも言います。
「障がいを持っている彼らには、技術とかより、
この人たちに手を差し伸べたいと思ってもらえるような
人間の魅力をつけてあげたい。
助けてくれる人がいれば、社会に出やすくなる」

スタッフの方達の言葉だけではなく、
「当たり前に存在」ということが、
晴れる屋ではかなっています。
それを肌で感じました。

さて、「健常者」ととりあえずくくられる者に、
何ができるのか?
私にとっても大きな課題です。
まずは、これを読んでくださった方に、
見学大歓迎!!の晴れる屋に
足を運んでもらえれば幸いです。

皆さんの掛け値なしの笑顔に出会い、
自分の中の意識していなかった感情に向き合う
きっかけになると思います。


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マイノリティーはもう吠えない 11

去年、友人の紹介で知り合った誉(ホマレ)さんの運営する
障がい者通所事業所  「晴れる屋」に行って来ました。
http://www.hareru-ya.jp/index.html
(代表メッセージをお読みください)

誉さんはハーレ乗りで
グレートフルデッドが好きな元バンドマン。
楽器を作り、直すこともやっている、
多彩な顔の持ち主。

そんな彼の運営する作業所は笑いと、
純真さに満ちていました。

昼ごはんを一緒に食べたのですが、
その時のやり取りは、とても見ごたえのあるものでした。

若いA君が年配のBさんの弁当箱から
「取替えっこしよう」と鶏のから揚げを取り、
変わりにポテトを二個入れて取引を成立させました。
どうにも不釣合いなトレード。
しかし年配のBさんはおっとりした人で「いいよ~」って
意にも介さない感じでした。

パンをちぎっては誰かにあげ、
あげた人のおかずをもらう。
こんな昔懐かしい光景が繰り広げられていました。

自閉症、ダウン症、知的障害…
分類で分けるといろいろとあるのでしょうが、
誉さんは、そもそも障害者というように分けるのが嫌いらしく、
人間として接しているようでした。

そんな誉さんの創るワールドで彼らは自由に
生を謳歌している。
そして、お互いのできること、できないことを感じ取り、助け合い、
決して個の領域を侵さない距離感を作っていました。
各々が役割を生きている。

ある女性は学校に行っていたとき、
一日に何度かグワー横になったり、
暴れることが多かったようです。
誉さんは学校の規制に無理があったのだろうと言います。
晴れる屋に来てからというもの、役割を見つけ、
今では、その人がいないと事が運ばないそうです。

この世界観は一言で言うと調和
心が和みます。

しかしこれを運営するという視点に立つと違うようです。
年々絞られる補助金は誉さんを苦しめます。
世の中の作業所、その他の施設、
これからどう運営していけばいいのか
困っている人が多いのが現状です。

誉さんは皆で物を作って、売り、
その売り上げで運営していきたいと考えているようです。
そうなれば社会での完全自立となりますね。

そうなってほしい。
彼らがさらに生きがいを持つことになり、
世の中に普通に存在するようになれば世界が変わる。

私の動きが少しづつ見えてきたような一日でした。


音楽会にも参加。音はさらに彼らを解放させる。
コスモス!


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3.05.2008

“仁” “人間” ホリスティック

“人”(ヒト)。
他の動植物との種の違いを言い表します。

ある説ではヒトが寄り添っている形を取って
“人”
という漢字が生まれた、と言います。
しかし私はこれはヒト、一人が立っている姿だと考えます。

なぜなら“仁”があるから。
十年以上前に井上靖「孔子」を読んだ時、
この言葉が私の心を鷲掴みにしました。

あるとき弟子が“仁”について孔子に意味を問うたところ、
孔子は「人が二人いるということだ」と答えました。
つまりこの世は、人という種は、一人では存在しえず、
少なくとも二人はいるということです。

他方で“人間”という言葉があります。
この言葉は、人と人の間という意味を持ち、
人が三人いることを示唆しているのではないかと
最近気付きました。
両隣の人にもそれぞれ三人。その隣の人にも三人。
これをくり返すと、いずれ人の環ができてしまいます。

なるほど、この二つの言葉の意味するところは、
種としての“人”は一人として存在することはなく、
二人以上の社会を形成して生きているということなのです。

昨日の日記の加藤秀樹さんも言っていましたが、
誰も一人では生きることができません。
しかし今、あまりにも我良しの人が増えてしまった。

現代に生きる私達が抱える問題の一つ。

きっと戦争の全体主義からの反省が
個人主義を造っていったのだと思います。
確かに自己実現(個を確保)するための自由は必要です。
ですから、歴史的にこの流れはあってしかるべきですが、
針が行き過ぎてしまった。

マズローの欲求五段階説など、心理学的には、
自己実現を達成すると自己超越がその次の目標となります。

例えば、私が若い頃愛読していた
「かもめのジョナサン」
ドッキーさんも言っていましたが、ジョナサンは群れを離れ、
ひたすら飛行術を学び、自己を確立しますが、
最後は再び群れに戻っていく…

個を確立して、その後、全体に溶け込む。
自己超越がここにあります。

進むべき路はスパイラル、螺旋階段を登っていきます。

今まさに“個”を確立しました。
次は“仁”“人間” 人間社会だけでなくホリスティック(全体)
に着目するべきではないでしょうか。

それは元に戻るのではなく、
大きな全体の一部だという視点に立ち返り、
全ての物、生き物との公約数が必ず存在していると認識し、
その役割に沿った行動をしていくのが次の進む路
つまり自己超越になるのだと思うのです。


3.04.2008

マイノリティーはもう吠えない 10

先日の新聞のコラムで、構造日本代表
加藤秀樹氏の
「バリアフリーを見つめなおせ」が
載っていました。

どんなにいい設備、エレベーター、平らな路を作って、
「一人でできるようになったでしょ」と言っても、
どこかでつまづく人は必ずいます。
そのとき「大丈夫ですか?」
と声をかけ、助ける人がいるのが本質なのでは?
と加藤氏は言っています。

確かに。
世の中には掛け声ばかりのことが多いですよね。

環境問題にしても本質はボンヤリとした霧の中。
個々がしっかりと意識を持って行動すれば、
それ以上やることはないと思うのですが…
これは極端すぎますか。

いずれにしても、高齢化社会はすぐそばに迫っています。
私の親もそうですが、
将来は人の面倒になりたくないと言います。
しかし、それは身体の健康があってこそ。
様々なことが起こりうるなか、「一人で生きられるでしょ?」
なんて社会からの見えない圧迫があるとしたら
寂しいものがありますよね。

もっと遠い先のことですが、
私達も老人になります。
そんな時、
この個人主義的なコミュニケーション(つまり無関心)が
より発展していくのなら、未来は暗澹たる雲に包まれます。
あ~、寂しい

そんな憂いをする前に、
そんな未来を出現させないために、
今から行動して行きましょう。
日々の身の周りの乾きに気付き、じょうろで水を!

今から楽しい社会を創造し、老後もパッと明るく生きましょ。

3.02.2008

こころの月 キャンペーン

3月。春の息吹を感じます。
去年T氏にいただいて、庭に植えたあじさいから
芽が顔を出し始めました。
植物はすでに季節を先取りしています。すばらしい。

さて、ヒトもそろそろ活動的になり始めるとき。
2月にもお知らせしましたが、再度。

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別途特典ございますw

こころの月にて身体も心もケアして、
春に備えてエンジンを温めましょう!
キャンペーンは3月末までです。よろしくお願いします。

3.01.2008

現代修行 ~入門編~ 10

ウィ~ッス!
乾布摩擦を始めて二ヶ月が経ちました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/01/blog-post_03.html

始めた頃に比べれば、
外の気温も春に近づいて少し楽です。
お蔭様で施術するときの手は依然暖かい感触があります。

お伝えしていなかったことがあります。
実は最近完全に治ったのですが、
やり始めて三日後、アトピーが出てしまったのです。

小さい頃に発病していた、
眠れる獅子が目覚めてしまった!

それは乾布摩擦で一番勢いよく擦るところ、
つまり首の後ろと背中にグワーッと出てきました。

首は真っ先に症状が出表れました。
極寒の庭先に出て一番最初に長く擦るからです。
風呂場で体を洗う時のようにゴシゴシ、ゴシゴシ、
しかもその寒さを克服しようと気合全開。
「うりゃ~~~」声も出ます。

急激に熱くなったから発症したのでしょう。
アトピーは原因が特定できず、現代病の中でも治り難い。
精神的なものだったり、環境の変化だったり、
食べ物だったり、様々な要因でなる。
その幾序に「むやみやたらに擦る」
を追加してもいいかもしれません。

そんなわけで、一週間位して首(後面)、背中、ふくらはぎ
がアトピーに冒されてしまったので、
今日まで、体の前部だけを擦っていました。

一つ気付きました。

東洋医学では「陰・陽」で大まかなことを区別します。
体に関しては背部が「陽」、前部が「陰」として分けます。
おそらく人間が手を付いて
歩いていたことに起因するのでしょう。
普通ならお腹や胸などは前に向いているから、
「陽」と考えたいところですが、
四つ足動物を想像すれば、
背中や首の後ろは陽が当たりやすいので「陽」となります。

私は体の「陽」の部分をひた擦り、発症させました。
つまり、私はもともと体の特性として「陽」が強く、
強いところに、強い刺激を入れたので
コップが一杯になって溢れ出てしまったのだと考えたのです。

もしかしたら「陰」が弱いので
前部を鍛えるのがいいのかもしれない。
そう思い、今日まで順調にやってきました。

しかし、ここで納得しないのがこのブログの大事なところ。

体の前部を洗う時を思い浮かべましょう。
タオルを何回かたたんでゴシゴシやりますよね。
背部はタオルの端をつかんで勢いよくやるのに、
前部はやけに行儀がいい。
というよりは体の機能的にできにくいということです。

同じ条件でないのに「陰」が弱いなど判断できません。
アトピーもすっかり良くなったので、
明日から唯一タオルの端を持ってゴシゴシできる場所、
首の前部を、背部を擦ったようにやってみます。
どうなるでしょうかw