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5.26.2010

情報ダイエット

一年ほど前に肥満と借金の相関関係が乗っていました。

負債がある人は相対的に肥満が多いとのこと。
(肥満をBMI25以上と設定していました。)

様々な理由が挙げられていましたが、
目先の欲求にせっかちになりやすい性格だったり、
減量を何かと理由付けて後回しにしてしまう性格は
そのまま借金返済にも当てはまってしまうとか・・・

平均的なデータですから皆に当てはまるわけではありません。

しかし、心理学の性格判断でも、
肥満型、やせ型、筋肉質型で
ざっと性格の傾向を分けることもあります。

体型と性格が結びつくところは非常に興味深いですね。

さて、話は変わりますが、
現代の情報量は12年前の637倍あるそうです。

637倍!
情報のTSUNAMIですね!

ここまでの変化を目の当たりにすることも
中々ないんじゃないでしょうか?

ただ、情報ってモノじゃないから実感が薄い。
情報って、
自分に向かってピュンピュン投げられるボールのようで、
軽く中身を見つつかわすことも、
バシッと捕えることもできる。

現代、そのピュンピュン投げられるボールの量が
半端なく増えた。

結局、多大な情報処理をパソコンが叶えたにもかかわらず、
増えた情報を取捨選択するのは人間だったりする。

いたちごっこ?

いや、確実に脳をフル回転させています。

その脳をフル回転するさせるためには、
良質な酸素と、ブドウ糖が必要になります。

脳細胞はせっせとエネルギー(ブドウ糖)を取り込み、
酸素を使って燃やすことで、
莫大な情報を処理するのです。

ブドウ糖はもちろん身体全体のエネルギーとして
必要とされるのですが、
とくに脳の活性化には重要で、唯一の栄養素なのです。

簡単に言いますと、
脳が活性化される→砂糖が必要になる
ってことなんです。

深夜にパソコンに向かっているあなた、
お菓子を習慣的に食べていませんか?

情報量が増えると、
ブドウ糖に分解されやすい食べ物、
砂糖がたっぷり入ったお菓子などが売れる・・・

これ、太ります。

現代のダイエット法は
糖分を減らすことより、
情報量を減らす方が近道かもしれない。

情報ダイエット。

時間の余裕が生まれるだろうし、
やってみると結構新鮮だったりね。

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5.15.2010

マンションというコミュニティから

本日は田中マイコが書きます。

今日住んでいるマンションの理事会がありました。
実は、副理事長なんです。名前だけ。
戸数が多くはないため
住んで3年目ですが、早々に役が回ってきました。
そして来期に大規模修繕が計画されていることもあり、
通常より頻繁に集まりがあります。

今日は管理会社の方、理事の皆さんと一緒に
マンションの屋上や外壁、
共用部分の不具合などを確認しました。
1階に住んでいるので今まで上階へあがる機会もなく、
今更ながら全体の設計や構造について発見がありました。

メンテナンスが必要な箇所の判断は素人には難しいですが、
明らかな劣化に対する修繕、
マンション全体の資産価値を維持するための補修、
それぞれの世帯から出た改善要望、
などをまとめ、予算と折り合いをつけながら計画を立てます。

管理会社さんの十分なお膳立ての上での話し合いとはいえ、
このマンションを所有しているのは私たち・・・

普段は挨拶くらいしか交わさない
ほとんど交流のない他人同士が、資産を共有している。
考えてみると、面白いです。

この地域に住んで丸3年が経ちましたが、
コミュニティ感が希薄です。
何かのグループに属しているわけではないし、
行きつけのお店でおばちゃんと会話をしながら買い物、
なんてシチュエーションもない。

同じマンションに住んでいても、お互いを知らない・・・
特に生活パターンが不規則な私たち。
絶対、職業不詳で怪しまれていると思うんですよねーw

だから今回、理事会役員になったことは
面倒なこともありつつ、案外わくわく感もあるのです。

皆さんより一回りくらい年下で
マンション管理の知識もなく、有益な発言もできない私は、
なるほどなるほどと頷いているだけなのですが、
住んでいる方の顔と名前が一致したり
人柄が垣間見れるだけでも、この機会は貴重だと思います。

挙げられた事項の中で、
庭のまわりの垣根から害虫が発生するという話がありました。
庭は専用庭、でも垣根はマンションが管理する共有の部分。
1階にはウチも含めて他の世帯もありますが、
おそらくマンション内でも、1戸のみの問題点。

これをマンション全体の修繕積立金で解決するか
その世帯の問題として、個人的に処理してもらうか?

こういう状況は、あちこちに転がっていると思います。
学校、会社、地域、国・・・いろんな単位で。
多勢を優先するか、弱者を守ると考えるか、
問題のどこに焦点にあてるかなど、
人によってアプローチの仕方も違うでしょう。

同じマンションに住んでいるという
たまたまのコミュニティの内で、
こういった問題が今後どう展開されていくかも興味深いです。

こころの月として
店→旅館→・・・・・・と展開していく(目標!)中で、
「コミュニティ」「地域に根差す」という視点は常に頭にあります。
そういえば2年前には「村づくり」を妄想していました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/06/blog-post_10.html
http://neo-activism.blogspot.com/2008/07/blog-post_9642.html

村づくり妄想委員会自体は、休止状態になってますが、
住んでいる地域を大切に考えたり
身近にいる人たちと助け合って暮らしていく姿勢は
絶対に必要なものだと思います。

村づくりという規模になったら、
本当に様々な議題が出てくるのでしょうね。

価値観の違いがありつつ、同じものを目指すという状況。
ちょっとしたところからも、勉強になります。

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4.25.2010

3D映像で頭痛することの考察

3D映像が主流となる日は
そんな遠いことではないようです。

映画で話題になったと思いきや、
すでに3Dテレビが売り出されました。
近年、製品化の速いこと!

液晶テレビが当たり前になったのは
つい昨日のことでしょ???

時代は変わる・・・
流れに乗るのか、乗らないのか、
選択は自由。
乗らないことで先回りすることもある。
だからしっかりと感じて、選択していこう。

さて、3Dで頭痛することがあると
最近よく聞きます。

一説によると、
3Dでは背景がぼやけていなく、
はっきりとしているので、
鑑賞者がどこに視点をおいていいのか分からなくなり、
認識に混乱を起こし、頭痛を引き起こすとのこと。

回避するには、
ストーリー展開を素直に追っていくことらしいです。

よそ見するなってことw

まあ、それだけではないと思うんです。

これまで動画は枠内に収まった2Dを観ていました。
枠の中、しかも平面なので、
静止画の延長でそれらを認識します。
アニメなどはまさに静止画をパラパラめくるという、
原初的な作業で動きを付けていきます。

原初的とはいえ、
最初それを見たときは驚いたことでしょう。
もしかしたら頭痛もあったかもしれません。

それまで培ってきた視覚の認識。
その空間把握に突如として、
動きのある、バーチャルな空間がもたらされたとしたら、
脳がパニックを起こすに違いない。

ましてやテレビが出たころの、
平面での空間認識ならば、
まだ客観的な距離感が存在する。

しかしそれが枠を超えて、
立体として空間に浮かびあがるならば、
客観的距離感がぐっと縮まり、
これまで捉えていたリアルな世界の視覚に、
擬似的な世界が加わることになります。

それがリアルな世界と同じように、
普通の動きをしているならまだしも、
超人的に飛んで跳ねて動きが超高速だったりすると、
必然的に脳がバグを起こす・・・

慣れるまでに時間がかかるでしょう。

ここまで来ると、薬がそうであるように、
十年後の副作用すら心配してしまいます。

バグを起こすと同時に
脳がその処理をするために
新たな回線を繋ごうとしゃかりきに働くわけです。

あまり良い覚醒ではありませんね。

少なくとも3D映像を見た後は
すぐに寝ることは不可能でしょう。

不眠の悩みが一つ増えてしまう・・・

視覚的バーチャルは既にリアルを捉えようとしています。
そこに他の五感が加わるのならば、
どんな世界が出現するのだろうか?

技術的にはできるのでしょう。
全ては脳への信号なのですから。
技術が紡ぎだす、
リアルとバーチャルのインターフェースは、
人間が今、取り戻そうと試みている、
自然環境と人間を紡ぐインターフェースよりはるかに速い!

夢と現実の境が溶けだすように、
リアルとバーチャルの境が混乱してしまうような病気が、
映画の中での出来事ではなくなる日が来るかもしれない。

技術の発展は、
倫理、健康をはるか後方に置き去りにします。

その時に大切なものは何か?

それは身体の声をしっかりと聞けていること。
身体はうそつきませんから。
今からしっかりと訓練していきましょ。

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2.24.2010

やさしい便り

本日は田中マイコが書きます。

もうすぐ3月。
寒さもありながらも、
植物や陽ざしに春の気配を感じます。

葉書が届きました。



大学時代の友人からです。

元気ですか?
春を先取りした葉書を見つけたので・・・

短い文章の中に、
私の体調を気遣ってくれるやさしさが伝わってきました。
春になったら会おうね、と前に約束していたので
そろそろ連絡取ろうかな、と思っていたところでした。

手紙って好きです。
メールでも用件は伝わるけれど、
やっぱりそこに温もりがある。

去年の12月末、高校時代の先輩から手紙をいただきました。
最後にお会いしたのは7年前くらいでしょうか、
当時先輩は旦那様の転勤で神戸にいて、
私が関西に一人で遊びに行ったとき街を案内してくれました。

封を開けるとかわいいクリスマスカード!
そして双子のお子さんの様子が書かれたメッセージ。

11月に喪中のお知らせを出していたので、
今年は年賀状のやり取りがないことを思っての
クリスマスカードでしょう。
先輩のその気持ちが本当に嬉しかったです。
今は北関東にお住まいで会う機会もなかなかないのですが、
離れていても
こうやってつながりが続いていることに感動を覚えます。

1月には仙台の友達から寒中見舞いをもらいました。
Kazooさんと共通の友人で、
母かほるさんの他界を知って、切々と心情を書いてくれました。
彼女のお母様も早くに亡くなっていて、
丁寧ないたわりの言葉が胸に染みました。

先日は、兵庫に住む友人から厚手の手紙が届きました。
彼女とはたまにメールをするし、なんで手紙~?と思い
わくわくして開けると、
宝塚市中山寺のお守りが!
わざわざ戌の日に安産のお守りをもらいに行ってくれたそう。
中山寺は安産祈願で有名で
2年前に彼女の家に遊びに行ったとき、案内してくれたお寺。
そして、ザ・関西人のボケツッコミ満載の手紙!
でも彼女の紡ぐ言葉は本当に愛情深いのです。

最近は、
私の妊娠を知った岐阜の友人(脱パンツクラブ会長)が
出産の本と新たなふんどし(草木染め!)と
温かいお手紙を送ってくれました。

たまにしか会えない方々とのつながり。
やさしいお便り。

連絡を取ろうと思うとき、どういうシチュエーションか。
自分が困ったときに連絡をしてくる人もいるし、
用事があるときだけ連絡し合う仲の人もいる。

でもそれは、
人間性というより関係性かなと思います。
人との出会いはたくさんあり、
ある程度親しくなる人もいれば
本当に密なお付き合いをする人もいる。
たまにしか会わなくても心が通う人もいる。

皆が色々で、関係も色々。

そんな中で、手紙に限らず、
日常の生活の中でふと思い出してくれて、
さりげないやさしさを
かたちにして届けてくれる方が
こんなにもたくさんいる・・・
ありがたいことです。

春のお手紙、誰かに書いてみませんか?

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11.06.2009

スポーツジムを発電所にw

何か腑に落ちないものを感じるんです。

たくさん食べて、
太ったからジムに行く・・・

プロテイン飲んで、
鎧のような体を作るためにジムに行く・・・

動いていないと気が済まないからジム行く・・・

要するに余剰にカロリーを摂取してしまい、
そのエネルギーをどこで燃やそうかと考えたときに、
スポーツジムなるものがあるのですよ。

もちろん何もしないよりも、したほうがまし。

だけれども、よく見てみると、
ちょっと・・・
と思うことがあるのです。

自分が取りすぎたカロリーを燃やすためにジムへ行き、
ジムでは温水プールや、機器類を用意し、
膨大なエネルギー量を消費する。

つまり摂取した余剰カロリーを
エネルギーを使って燃やしているのです!

なんて贅沢なんだろうか。

モノづくりの会社ならば、
環境問題が騒がれる今、
それだけの贅沢をすればコストに響き、
ましてやCO2を大量に吐き出して、
社会から反発を生んでしまうのは自明のこと。

人間自身はまだ大丈夫らしい・・・
でも、おかしくないか?

だからこそ新しいスポーツジムの形を提案します。

それは全ての機器類に発電機を付け、
余剰カロリーを摂取し、
燃やしたいとムンムンしている人たちに
ガンガン発電してもらうのです。

ランニングマシーン、バイクマシーンに始まり、
あらゆる機器類に発電機を取り付ければ、
余剰カロリーが電気に変わり、
その電気をジム内で還元するか、
余れば電力会社に売ることができる!

発電量が見えるようにすれば、
俄然やる気も出るし、
環境に配慮したという充実感も生まれるというもの。

どこかやってくれないかな~

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8.21.2009

こころのアカ

本日は田中マイコが書きます。

自分の意思や行動ではどうにもならないこと。
ここ最近、そんな状況の渦中にいます。
でも、そこから逃げ出すわけにもいかず
訪れる大きな波の度に船酔いしています。

自分のことであれば
なんらかのコントロールをして
気分や考え方を変えることもできるのでしょうが、
そうではないので、なかなか難しいです。

そんな中でも
笑顔や無邪気さ、温かい気持ちや言葉に触れるだけで
ふっと癒されることもあります。
でも、結局は根本的な部分は解決せず。

気分転換したい!と
向かったのは、とある温泉施設。

お目当てはアカスリです。

ここ数年、1年に3、4回アカスリをしてもらっています。
年末は必ず行きます。
それまでに溜まったアカを落として新年に臨む。
月並みですが・・・

3ヵ月ぶりのアカスリの前に
温泉の中でぼんやりしていると、
心の平穏が、今、きっと私の中にいる。
と思いました。

それは、たまに気分が癒されるときとは違う、
もっと強くて希望をまとったもの。

今抱えている問題を思い出しても、
明るく寛容に 向かうことができるような気さえしてくる
変化の兆し。

なんだかいい気分。

そう思いながらアカスリのスペースに行きました。
30分間、まな板の上の鯉の気分で擦られました。

内容は異なりますが、
普段は逆に、人の身体を触る立場なので
こういうひとときが贅沢に思えます。

ゴシゴシ ゴシゴシ

余談ですが、こちらのアカスリの内容は
30分とは思えない作業量なのです。

仰向け、横向き、うつ伏せ、仰向け
と体の向きを変えながら全身を何度も擦ってくれて、
しかも最後は髪も洗ってくれて顔にも美容液、
さらには要所要所ツボ押しもしてくれるのです。
私が施術する30分とは時間の流れ方が違う・・・
いつも感心します。 

どれだけのアカが落とされたでしょう。
「はい、終わりです~」
起き上がったときには
まさに一皮むけたような心地よさ。

満足満足。
そして冗談みたいですが、
こころに積っていたアカまで
こすってキレイに流してもらった気分になれたのです。

自分ではどうしようもない問題。
もちろん、100%そうではなく、
私も何かは関係しているし、
できることはあるだろうとはわかっていました。
ただ自分の想像を超えた問題もあり
まいってしまって立ち往生していたのだと思います。

なんだか平穏な気持ちを保ったまま
波に乗れるような気がしてきました。
逆らうのでもなく、飲まれるのでもなく。
私の思いが変われば
何かが変わるかもしれない。

我ながら単純ですが、
アカスリ効果がこころにまで通じたようで。
温泉のあたたかさも身体に染み渡りました。

これも心身一如と言えるでしょうか?

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8.13.2009

哲学しよう!

哲学・・・

聞くだけで、ちょっと遠慮したくなる。

「生きる」
という人間のもっとも大きな課題の
思考過程を言葉にするものだから、
言葉が難解になり、途中で訳分からなくなっていきます。

「あ~、メンドクセ!」
「そんなに難しく考えなくてもいいでしょ
いくつか著名な哲学者の本を読みましたが、
最後の方はあきらめモードになってしまいます。

しかし!

僕はこの哲学することを万人に勧めたい。

なぜならば、僕でも哲学することができるからです。

大胆に言ってしまえば、
哲学者が何を言いたいかは問題ではないのです。
哲学するとは、
その哲学の仕方を知れば誰でもできるし、
本来した方がいいものなのです。

哲学は懐が深いですよ。

なぜならば哲学者の言うことが全員違うから・・・

これが何を意味するかといいますと、
哲学に完全な答えなどなく、
自分の世界観、宇宙観を自由にのべることができるということ。

これだけでも誰にでもできるではありあせんか!

しかし当然ですが鉄則はあります。

完全な正解がないだけに、
常にバージョンアップする必要があるということ。

その時、「これだ!」と真理をつかんだ思っても
次の瞬間から色あせていき、
古ぼけていくからです。

これはパソコンの製品化と一緒ですね。
常にOSは完ぺきが無く、
時と共にバージョンアップが迫られます。

これだけを基礎に置いておけば、
あとはそんなに難しいことではありません。

外界から得る知識は日々増えていきます。
現実を見つめ、
経験的、科学的にそれを解釈して、
これまでの自分の真理に漬けこみます。

それは微々たるものかもしれませんが、
思考するアイテムが増えることによって、
これまでの自分の真理が変化するのも当然のこと。

一通り考えたあとは、
マンガのように頭の中で電球がピカリとつく、
つまり、直観が作用し、
自分の新しい真理が発見できるのです。

これが哲学するということ。

宗教と比較してみましょう。

哲学は真綿の真理がむき出しになり、
常に批判にさらされていて、
間違えていたらすぐにでも変える必要に迫られています。

しかし宗教は真綿の真理が鉄の壁に覆われ、
そこに小さな穴が一つだけ開いています。
そこから入れば真綿の真理を享受することができる。
しかし、ほとんどの場合、間違えていることを前提としません。

ん~、
良い宗教に巡り合えればいいですが、
それでも個々では宗教とは別に哲学した方がいいかな、
そう思います。

哲学者のようにならなくても、
各々が経験、知識をもとに哲学することは可能です。

むしろ哲学することこそ
健全な生きる姿勢なのだと思うのです。

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6.11.2009

平等再考

おととい電車に乗った時のこと。

夜十時。
多くの人は仕事を終えて帰路についているところ。
一日の疲れがどっと体にのしかかっている。
聞いた訳ではないけど、重い空気感が見てとれる。

偶然に違いないが、
同じように杖を持った初老の女性一人、
そして明らかに脚が悪い男性が一緒に乗ってきた。

さらには80歳をゆうに超えているだろう女性も乗ってきた。

車内は席が埋まっているが、立っている人はマバラ。
座っている誰もが乗ってきた人の状態を知ることができる。

電車は動き出した。
きっと幾人かはとっさに下を向いて狸寝入りしたに違いない。
僕は車中を見渡した。
誰一人席を譲ろうとしない・・・

オイオイ。

脚の悪い男性と、
80歳過ぎの女性は明らかに座ったほうが良い。
目の前には優先席。
座っている人達はどう見ても健常者・・・

しかし、先入観はいけない。
どこかが悪い場合もあるから。

それにしてもおかしい。
僕はやるせない気持ちと、怒りがないまぜになり、
現状の社会はやっぱり病んでるなと
改めて思うのでした。

次の駅に差し掛かったところで
男性が80歳過ぎの女性に席を譲ったのは、
あの場において救いでした。
もっと早く!
勇気を出して!!!

気持ちが落ち着いてきて、ゆっくりとこの状態を眺めていると、
「これ、ある意味平等じゃん」
と思うようになりました。

老若男女、身分を問わず誰もが平等に権利がある・・・

戦後の平等教育はしっかりと皆の精神に浸透し、
いつでもどこでも平等=あたりまえが出来上がったのだ。
スゴイ、成功じゃん!

ってわけない。

確かに明治時代以前のように、
出自で階級差ができ上がるのはおかしい。
戦前のように男だけが力を握っているのも不自然。

人として生まれたら、魂は平等です。
そもそも魂レベルでは誰が優劣をつけられるでしょうか。
とにかく魂は平等です。

僕の考える無条件な平等はここまで。

人間としての社会性、
コミュニティー間では「平等」の概念が変わります。

等しく平ら

押し並べて一緒ではありません。
各々のスペシャリティーが相補しあって
調和が取れるということです。

例えば電車の中で
平均より体が発達していて強い人が席を立ち、
脚の弱い老人に譲ったとします。

その体の強い人は万能ではありません。
できないこともあります。
そのできない穴を誰か、能力にたける人に補ってもらい、
その補ってくれた人も誰かの違う能力によって
不自由を穴埋めする・・・

自分の持っている能力を分け与える・・・
これを皆ができて、回っている状態こそが
人間社会の「平等」だと思うのです。

何でもかんでも同じって、そもそも限界あるでしょ。
違いを認め合ってこそ、その差を埋められる。

こんな平等が実現できたら、
今ある多くの無駄や憂いが消滅しますよ。
きっと。

平等再考
魂の平等、
人間社会の平等はそろそろ区別して考えるべきだと思うのです。

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6.07.2009

お宅訪問から思うこと。

本日は田中マイコが書きます。

先日、友人の実家が家の建替えをしたと聞き、
半ば強引にお宅訪問に行きました。

私が以前勤めていた住宅メーカーで建てたお家とのこと。
いろんな興味と感慨を持って、小雨降る中伺いました。
都会の住宅街の中、限られた敷地に建つ
薄いピンク色の三階建てのお家でした。

家を建てるという仕事。
私は営業でだったので、建てるというよりは、
注文住宅を建てる契約を取り付ける。
契約後のスケジュールやプランの管理をする。
ということが主な仕事でしょうか。
まとめるとそんな内容ですが、かなりハードな仕事でした。

一生の買い物と言われる住宅。
当然ですが、お客様は真剣そのもの。
激しい夫婦喧嘩を目の当たりにしたり、
怒られたことも、泣かれたこともあります。
でも、決して自分の家ではないのですが、
契約した方の家が無事できあがったとき
言い知れぬ感動と達成感があります。
お客様と共に喜べる、素敵な時間が最後には待っています。

昔の思いをよみがえらせながら
最近の仕様と狭小地ならではの工夫を探索している私に
友人のお母様がおっしゃったこと。
「狭い敷地だから、間取りはこれ以上どうしようもないけど
 営業の人のアドバイスが全然なかったから残念。
 もっとこうしたかったという部分はいっぱいある」

耳が痛かったです。
私も、きっと当時のお客様にそう思わせていただろうと。

20代前半の知識も経験もない自分が
何千万円とする住宅の契約をしていたということ自体、
メーカーの信頼性や上司達のサポートで成り立っていたこと。
お客様とは仲良くさせてもらっていましたが
頼れる存在では全然なかったはず。

でも、もっと余裕があれば、家の詳細を詰めていく際に
未熟なりにも「お客様の立場になって」
いろんなことを一緒に考えられたのだろうな、と思い返します。

注文住宅なので、いーーーーっぱい決めることがあります。
収納の寸法、コンセントの位置、各部屋の床壁の色etc・・・
でも一方で納期があります。猛スピードで
伺って、決めてもらって、確認して、再度確認して、では申請。
この繰り返し。
お客様だって、たいして記憶に残らないまま
決めてしまっているも事項もたくさんあるでしょう。
時間的にも精神的にも余裕がないから、
イレギュラーなお客様の要望は、なるべく制して事を運ぶ。

この繰り返しに自分自身がついていけずに
私は住宅営業を辞め、セラピストになりました。

全然違う仕事だと言われますが、
住宅も身体も「一生もの」
住宅は状況によっては数度買い(借り)替えますが
身体とはまさに一生のお付き合いです。
そのサポートをする、深い関わりをクライアントとしていくこと。
この意味で、私が今この職業を選んでいることは、
自分の意図した同じラインに乗っている、と思っています。

住宅営業のときは
「お客様の立場に」心底なることができなかったから、
今は、できる限りそうしたいです。
メーカーの冠や住宅の性能にあたるのが自分の技術。
そしてほとんど自分の責任で相対する環境。
より、人 対 人
で、お付き合いができる現在に対して
気が引き締まるし、とても感謝しています。

一方で、住宅営業をしていた3年間が
私を相当鍛えてくれたから、今の自分があるのだと感じます。

もっともっと勉強して
お客様のこころと身体の変化に応えられるようにならないと。
そして今ならゆっくりと向き合える。一緒に考えられる。

お宅訪問から、また決意を新たにした一日でした。

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5.29.2009

スッコ~ンと抜ける 2

自分という存在に喜びを感じながら、
全ての存在に溶け込んでいる、
そんな状態・・・

これ、かなり気持ちいいと思いますよ。
スッコ~ンと抜けるに違いない。
モノにしよう。

では、どうしたらいいのか?

全ての存在に溶け込む・・・

それは今、自分を取り囲む環境に向き合い、
受け入れることから始まると思うのです。

否定力ありきでは無いということです。

否定はかなり強力で、
自分を際立たせる麻薬のようなものです。
否定の増大は孤立を生みます。

身の回りの環境・・・

自分と気が合わないと思っている人、
自分と違う生活スタイル(食事の仕方から、趣味まで)
思考・哲学・宗教・国、
あるいは、身体の痛みやクセなどを

「知らない!」
と辺縁まで追いやっていないでしょうか?

僕には思い当るところがあります。
自分に都合の悪いこと、
嫌いなことをいかに否定してきたことか!

僕は旅をし、沢山のことを経験してきました。
その反面、社会から外れたという気持ちがあり、
マジョリティー(団体精神のようなもの)を否定して、
自分の存在意義のようなものを確立していました。
格好よく言えば反骨精神になり、
今となれば荒野で吠えていたようにも思えます。

20代の僕は成長するために、
相当の否定力で肉付けしてきたということなのです。
その分、孤立も味わいました。

その反動か、脚の事故のおかげか、
「そうじゃないだろ!」
と気づかされました。

  ~全ての存在は網の目のように繋がっている~

これは古来より当たり前のように言われてきた哲学であり、
現代で言えば量子物理学の行き着いた先でもあります。

ここに今一度立ち戻らないと!

それにはやはり
今ある環境に向き合い、
受け入れることから始めることだと思うのです。

全てのモノ、事象は自分が映し出した鏡なのだから。
自分が創り上げていると言ってもいい。

それが自分にとって合わないものならば、
どうすればより良くなるかを考える。
もしくは何かを知らせるサインなのかもしれない。
否定して無視することは簡単。

しかしこれは今の世の中を象徴すように、
問題は消滅せずに堆積していくのです!

一番身近な身体を見れば分かります。
少しの痛み、気分の落ち込みを無視することはできます。
ここで向き合って、受け入れていれば
問題は最小限に抑えられます。

しかし、そんなことないと否定し無視することによって、
問題は静かに増殖し、いつか爆発することになります。

身体や心の部分を否定して、
全体から追いやってしまう・・・


「向かい合い、受け入れる」
この先に全ての存在に溶け込んでいる状態がある。

さて、これこそ僕の今歳やるべきこと。
40歳に向けての意気込み。
大きな壁ですが、本気でいきますよ!

間違いなく気持ちいいはずだから。

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5.28.2009

スッコ~ン!と抜けるために 1

近年は一年に二回、
目標を新たにしています。

新年と誕生日。

何となく区別はあります。

新年の目標は
一年を通して大まかに自分を成長させるためのもので、
単年的であります。

今年は
「笑」
合格点にはまだ遠い・・・
後半取り戻さないと!

さて、誕生日の目標はというと、
将来を見据えて、今歳、何をすべきかというもので、
複数年的であります。

今、念頭にあるのは40歳という節目。

数年前、僕のマスターが
「人間は40歳からが勝負。
 それまでに何するか決めればいい」
と言っていました。

僕はその言葉が頭の中に残っていて、
40歳になったら脇目を振らずに走れるようにしようと、
節目を設けていました。

40歳になったら何をするのか?

骨格さえあればうまく肉付けされるはず。
まずは自分がどんな状態にあるのかを
イメージすることが大切だと思うんです。

僕は40歳になったら、
全身全霊、脳天から爪先まで
「スッコ~ン!」
と抜けていたいんですよ。

こう言ってしまうと、
ただぶっ飛んでいるだけの人になってしまいそう・・・
そうでもありますが、そうでもありません。

ただ、自分が一つでありたいのです。

脇目を振らないとは、
スマートでシンプルであるということです。
余計な物がそぎ落とされ、
分裂していたものが一つに帰していく・・・

こころとからだ
自我と霊性
僕と自然
あなたとわたし・・・

一つに帰して僕が消滅するわけではありません。

自分という存在に喜びを感じながら、
全ての存在に溶け込んでいる、
そんな状態。

先日37歳になりました。
スッコ~ン!まであと三年。
重要な歳になりそうです。

さて、どんな一年の目標なのか?

明日書きますw

5.05.2009

関係図のススメ

本日は田中マイコが書きます。

「木を見て森を見ず」
細かい点に注意しすぎて大きく全体をつかまないこと。

ホリスティックな健康を目指していながらも、
ふと気づくと、この状態に陥ることが多いです。

整体師としての視点では
クライアントの一部の痛み(木)→身体のバランス(森)
ということも言えますし、
一部の痛み(木)→こころも含めた全体の健康(森)
延いては、→生活習慣、社会での位置づけ(森)
さらに、→生き方(森)
につながるとも言えます。

クライアントの身体の痛みに対し、
自分がどれだけのことができるのだろう。
と考えると、正直、迷路に入り込んだ思いです。

「木を見て森を見ず」
あるコミュニティで問題が発生したときも然り。
問題に関わる人たちが解決をしようと躍起になりますが、
その際もこの現象は起きやすいです。

身近で起きた問題に対し、
そんなことを感じながらも客観的に解決法を考えていました。
でもそんな中、突然気づきました。

自分と切り離して問題をとらえているという事実に。
見方を違えることで、何かが変わるのではないかと。

問題(木)の解決法を、全体(森)から考えると良いというのが
元々の意味ですが、ここで思ったのは、
自ら森の中に入ってそこから全体を見渡したとき
それはどう見えるのか・・・ということです。

どうしたら、そこに身を置くことが自然にできるのだろう?
直感で私がしたことは、自分と周囲の関係図を描くことでした。

私-Kazooさん(夫婦)の単位から
両家の両親、兄弟。仕事場、属しているコミュニティ、友人。
それぞれにおける私の立場、感じていること。
さらに、過去の私、未来の自分の展望。

これを表すことを何かが待っていたかのように
スラスラと書き上がりました。

自分って一人だけど、たくさんの自分がいるんだ。
幼稚な感想ですが、そう思いました。
色々なポジションで、様々なふるまい方をしている
という新鮮な発見がありました。
例えば、調整役だったり、助けられていたり、気軽だったり。

そして、全体が成り立つために自分がそこにいることが必要
という実感。
自分の存在に価値があるのか、なんて思うときもありますが、
もし欠けたら、全ての関係性が崩れてしまうとわかります。

ということは、直接関わっているつもりでなくても、
自分の何かが原因で問題が起こっている
とも言えるかもしれません。

そんなふうにとらえていくことは、
ホリスティックな生き方のヒントになるように感じました。

さらに、関係性の本音を明言化することで、
現状の自分をよく把握でき、
自分の方向性が見えてくるという副産物まで。

木を間近に感じるために森に入ったら、
自分も一本の木であり、森であると知りました。
関係図をつくってみること、おススメします。


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4.25.2009

Love&Peace

21歳の頃、僕はカリフォルニア・ベイエリアにいました。
1993、94年になります。

その頃はまだ70年代の名残があって、
バークレイやヘイトアシュベリーに行けば
多くのヒッピーたちがたむろしていて、
気軽に中に入ることができました。

グレートフルデッドやウッドストックを知り、
憧れていた世界だったので、
僕にとっては居心地のいい場となりました。

しかし、彼らの依拠するところの標語、
Love&peaceにはどうも馴染めなかった。

このシーンの成り立ちの一つに
ベトナム戦争反対という動機があります。

長引く戦争の閉塞感から心を解放し、
愛ある社会を実現しようと若者が立ちあがりました。
そのエネルギーをアートや身体で表現し、
シーンが生成されていったのです。
つまり、混沌から生まれた文化といえます。

そんな時代背景がある中で、
日本でヌクヌク80年代(この時代、結構好きですw)
青春を過ごした僕には、
どうしても実感がわいてこなかったのです。

当時、ヒネクレ坊主だった僕の、
ストーレトな感想はこんなものでした。

愛・・・そもそも口はばったい!
    恥ずかしくて言えない。

平和・・・戦争の対義語かな?
     戦争がなければそもそも存在しないんじゃないか?

そんなことで、僕はあのシーンにいながら
一度もこの言葉を口にしたことはありませんでした。
恥ずかしかったことが大きいと思います。


さて、あれから15年が経ち、心の変化を感じています。

この二語に集約される重みがジワジワと効いているのです。
明るい未来のために必要な、大切な言葉なのだと。
今後積極的に口にしていこう!
そう思うようにもなりました。

ただ、当時から15年がたったものの、
ヒネクレ具合はあまり変わっていないので、
僕なりの解釈がついてきます。

平和・・・そもそも「和」が平らって、
     そんな二次元的な発想は無い。
     だから「和」一文字でいい。
     これは最近、大切な心構えとして実践しています。

愛・・・感覚的にはつかんでいるのですが、
    これを言葉にするのは難しい。
    
    まずは漢字的解釈から。
    心で受け入れる→愛(少し強引ですけど・・・)     
    恋と愛の違い→恋は下心(下に心)愛は真ん中に心。
    
    マザーテレサの言葉
    「愛の対義語は憎しみではない。無関心です」
    →愛とは積極的関心を持つということ。

    子供に対する母親の無条件な愛・・・
    思いやり、大地、受けいるれること・・・

おおよそ感覚的ではあります。
しかし、実感としては確信めいたものが奥底にあります。

うわべの心では出てこない、確たるもの。

口で言っても自分ができていなかったら、
よくある、
「自分のことを棚に上げて~」人間になってしまうので、
まずは身体に落とし込むところから。

日々心がけ、実践していきます。

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4.23.2009

生きる目的?

なかなか見つけるのは難しいですよね。

何のために生きるのか?

アメリカのネイティブに
7世代先の子供達のことを考えて今を生きる、
というのがあります。

実に壮大な世界観、人生観ですね。

僕もその心持ちで今を生きたい。

楽観的に。

そう。楽観的に。

最近の混沌とした出来事から
将来を憂いている人も多いのではないでしょうか?

しかし、将来は憂いても始まりません。

見えないものを、あれこれ考えてみても空振りに終わるだけ。

ただ、僕が一つだけ確信していることは

“人は可能性に開かれている”
ってこと。

これを胸に、
ウキウキ、ワクワクすることが
良い将来を創っていくのだと思うのです。

7世代先が先過ぎるならば、
せめて次世代に感動を!そして夢を!

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4.21.2009

ありがとう

本日は田中マイコが書きます。

「ありがとう」
と言われることは、仕事がら多いと思います。
人に喜ばれる仕事をしたいとずっと思っていたので
こちらこそありがたいことです。

「ありがとう」は「有り難う」
→「有り難し」が語源と言われています。

「有り難し」=有ることが難しい
つまり、めったにない、貴重なこと。

誰かの親切に「ありがとう」と言うことは、
「私がこんなに親切にしてもらえることはめったにない、
 それほどの親切をあなたはしてくれました」
という意味をこめて、それが感謝を表す言葉になったようです。

人に対してだけでなく、
暖かい陽射しを背中に感じたとき
自然の恵み
美味しい料理
タイミングよく電車が来たとき
エカキに負けずに実をつけてくれるエンドウ
日常、いろんな場面で「ありがとう」を感じます。

その瞬間の数々は、
あたりまえのようでいて、有り難い偶然の出来事。

嫌なことがあった日でも、寝る前には
何かに「ありがとう」と感謝することが日課になっています。

この言葉にこだわりが強いのだと思いますが、
「ありがとう」を言われるはず
(と、こちらの価値観では思っている)の場面で
その言葉がないと、がっかりすることがあります。

相手にとっては「有り難い」ほどのことでは
なかったのかもしれない。
ありがとうと思っても口に出さなかっただけかもしれない。

でもそんなことを思う時点で、
その行為は相手のためではなくて
自己満足のためだったのかも、と反省します。

あと、口だけの「ありがとうございます」(店員さんとか)
も、気になってしまったり。
でも、人のふり見て我がふり直せ・・・ですね。
流れで言ってしまってはもったいない言葉。

心からの自然な「ありがとう」は
胸の奥にじわじわとあたたかく染み入り
気持ちを磨いてくれる。 栄養を与えてくれる。
そして、新しい力を生み出すような気がします。

想いがこもっているからこそ。

たいしたことはしていないのに、
今日はそんな「ありがとう」に出会えたので、こんな話題で。

全てが有り難いこと。
ありがとう。 大切にします。


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4.16.2009

時間の使い方

忙しい・・・

禁句だったはずのこの言葉が最近出てきている。

仕事、
やらなければならないこと、やりたいこと、
読みたい本、施術に関する勉強などを
一日に次から次へとこなしていく・・・

昔遊びすぎましたからね。
こんな時期もあるかと、しゃかりきになっています。
一生懸命は良いことだと思うのですが、
最近、焦っているのではないか?
と思うようになりました。

周囲とのコミュニケーションが
疎かになっているように感じたのです。
考え事が頭をしめ、視野が狭くなり、
架空の耳栓をしているような・・・

きっと時間がないから早くしてと、
顔が言っているに違いない。

気づいたので
立ち止まり、反省してみます。

・時間に焦っている。
・自己実現に偏って、全体性を疎かにしている。
・はたして実になっているのか
・優先順位はあっているのか・・・

一日の速さは歳をとることに加速する。

だから有効に使いたい。
しかし、その一日を使い切るがために焦ったとしたら、
良い結果は生まないでしょう。

上記の問題点から見えるのは、
心に余裕を持たせれば解決に向かうだろうということ。

容器がいつでも一杯の状態では、
少し何か足しただけで溢れてしまう。

まずは無駄を削ることから始めます。
欲張りですから、あれも、これもって、
かなり詰め込んでいます。余計なものもあるでしょう。

知行合一
思ったことはすぐに行動に移す。
これが無駄を省いていく近道だと思いました。

僕の癖なのですが、
やろうと思ったことを直ぐにやらずに貯めていくんですね。
そうすると、その事がずるずる後回しになって、
やるべきことがどんどん増えていき
「忙しい」と思い始めるのですよ。

夏休みの宿題、思い出すな~
あの頃は焦りもしなかったですけどね。

これを変えていきます。

昔は思ったことをすぐに行動に移すと
良くない結果に終わることもありました。
しかし、年齢を重ね、経験を積み、
すべきことに整合性が取れてきたので、
今は大きく外すことはありません。

思ったことは後回ししない。
知行合一、これを心がけます。
後回しにしたことは、スパッと忘れます。
必要なかったのだと。
もし大切なことなら、いつかまた思い出しますから。

時間の余裕が生まれます。
これで全体を眺める機会も増えることでしょう。

余裕、余裕。
忙しいの代わりに、この言葉を使います。

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2.16.2009

無意識に気付かされた日

本日は田中マイコが書きます。

意識と無意識
そして人に伝わること

今日、以前勤めていたサロンで知り合ったお客様を
こころの月・乃木坂店で施術したときに言われました。
「前のサロンのときと、タナカさん印象変わりました」

前のサロンの私は、今と比べると
きつい、テキパキした印象だったそう。

このブログを読んでくださっている友人の中には
その印象はまさに私っぽいと思う方が多いかも・・・?
ですが、とりあえずそのお客様から見ると
変化があったようです。

このお言葉はとても考えさせられました。

以前のサロンは、同じ時間帯にスタッフが3人いました。
私は施術をしながらでも
「このお客様が終わったら30分空きがあるからその間に
 洗濯して・・・隣で施術しているスタッフは仕度が遅いから
 フォローをして・・・あ、ホットタオルも補充しないと・・・」
自分がどう動いたらスムーズに事が運ぶか考えていました。

そして、同じタイプのスタッフと、そうでない(準備や片付けに
あまり気がまわらないタイプの)スタッフと働くと大変だねー
とたまに話してお互いをねぎらったりしていました。

そのときの私は、そういう自分に疑問のかけらも
持っていませんでした。
性格の要素は大きいので、タイプの違う人には
たまにカリカリしてしまうけど、まぁ仕方ないかな、と。

でも、施術中に過度に他のことを考えているということは、
今その施術をうけてもらっている方から離れてしまっている
ということ。

以前はそういう視点は持っていなかったです。
でも紛れもなく、裏側が存在していたのです。

こころの月・乃木坂店ではセラピストは私一人。
美容室SCICSカスタマーズサロンのお客様を
施術する機会が現在は多いです。
一部屋の中で、ゆっくりお客様と向き合えます。

これまでもいくつかのサロンで働いてきましたが、
現在の場では、満足される度合いが不思議と高いのです。
美容師・松宮さんの多大なお膳立てのおかげだと
思っていましたが、そしてその要素は確かに大きいのですが、

もしかしたら、私が前より施術に集中できている
という要素もあるように今日気付かされました。
私が変わったと言ったお客様への施術のフィーリングが
とても良かったことも気づきの一助。

その分、段取りが以前より悪いような気もしています。。。
一長一短、その辺は修行です。

施術を受けてくださるお客様への気持ちは同じはずでした。
それは意識。

その意識の奥に、環境や周囲の人からの影響によって
変化していた無意識がある。小さな波、大きな波。

それがまた私の言葉・動作となり、
生き物のように不規則に人をとらえる。

そしてそれがまたその人の無意識に潜り込んでいく。

意識の上では変わったつもりはなくても、
少し前を振り返ると、変化した意識が見える。

良い波をつくれるように。
そうしたら、和から和が生まれる。
そんな気がします。

そんな「集中した」パーソナルな施術を受けたい方は
乃木坂店へお立ち寄りください。
2月から、ほぼ常駐することになりました!(火曜日定休)

ご予約・お問い合わせkokoro@scics.jp
今日からフェイシャルマッサージの練習も開始しました!
モニター募集中です。ご希望の方はメールください。

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12.20.2008

雰囲気に流されない

雰囲気(ふんいき)
昔、ふいんきと読んでいました。
ど~でもいい話ですが。

「そして世界同時不況へ」

今朝、日経新聞は2ページを割いて
現在の金融崩壊について特集していました。
その見出しがこれです。

新聞、マスコミは本当に事後追随ーアオリ型だな~
と思いましたね。

この行き過ぎた金融原理主義
(少しの資本(証拠金)で50倍以上の取引を可能とした
デリバティブ)の虚構を見抜き、
警鐘を鳴らすような論調は少数でした。

むしろ、日本の金融は出遅れていて
欧米に引けを取っている、
というような雰囲気が占めていました。

そして崩壊。
こういう欲に支配された虚構を見抜くのが
新聞やマスコミであってほしかった。

むしろ今度は得体の知れない
大きな雨雲に占領され、
暗黒の世界に引きずり込まれるかのように恐怖を感じている。

やばい、世界同時不況だ!

GDP、失業率、
アメリカ、EUの各種経済指数、新興国の成長率・・・
さまざまな指数を吟味した上で判断しているのだろうけど、
言葉以上に響くこの悲壮感はいったい何なのか?

良い時もあれば悪い時もある。
波があって総体的に上向きであれば良い。
ってことですよね。
だいたいの合意的な人生観って。

だから少しくらい凹んだ時があったって、
次の上り坂がどんな凸か希望があるじゃないですか。

不況、不況と言いますが、
生活水準が下がりましたか?

ここに大きな矛盾、
マスコミのトリックを読み取らなきゃいけませんね。

確かに非正規雇用者はどんどん首を切られ、
就職氷河期が早くも再び来てしまった…
格差がより目に見えてくることでしょう。

先行き不安は少しは分かりますが、
50年前、100年前と比べてみましょうよ。
金はなく、将来の生活(年金など)については
全く想像もつかなかったことでしょう。
しかし希望は今よりもあったに違いありません。

ようは捉え方の問題ですよ。

ここまで楽チンな生活水準に達したのですから、
後は個としてのたくましさを取り戻し、希望に生きれば、
これまでの人間の歴史の中で
一番恵まれた時代に生きることになりますよ!

これから指数的に経済は下降するでしょうが、
そんなのに流されてはいけません!

捉え方の問題です。


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12.17.2008

必要とされること

ご無沙汰してます。
PCを新しいものに変えてもらい、本日家に届きました。

PCって、一生未完成なんでしょうね。
飛行機は乗客を安心に目的地に運べばよろしい。
エアコンは夏涼しくして、冬暖かくすればよろしい。
製品とは完成されたものが市場に出ることを言います。

PC…
いったいどこに到達しようとしているのでしょうか?
可能性はとても大きく感じますが、
何ものに成るのかさっぱり見当がつきません。

ロボット?

つまりこの製品は生まれる以前、
胎内にいる時に強引に世に送り出された
未完成品と言えるのではないでしょうか。

新調したPCは2ヶ月で不調を起こし、
メーカーは責任を販売店に押し付けようとし、
故障の原因も分からないまま、
新しいものと交換という有様でした。

まっ、時間を奪われたので一通りPCに当ってみましたw


その間、考えていたこと。

「もっと世の中に必要とされる人間にならんとな~」
と漠然と思っていました。

ある問題が起きた時、
まっさきに私の頭が思い出され、キラリと光るような…

人間力を磨かないと。

プロフェッショナルを目指して日々鍛錬するのみです。

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12.02.2008

結構分からないものだな~

世の中、大きく露出があっても小さくは分からないものです。

例えば、最近伸びているであろう女性専門の探偵会社。

近頃、区内から少し離れた郊外には、
必ずと言っていいほど
この会社の大きな看板に出くわします。

探偵会社のはずなのに
女性社員がずらりと並んだ大きな看板!

面割れないのか?
思わず疑ってしまいます。

もしくはサクラ?
ん~、適当な人写しても仕方ないよな。

つまり大胆に露出しても、
そうそうばれないとふんでいるのでしょう。
すごいな~。
需要ありそう。

ところで、昔分からなかったのが、
アイドルの年齢詐称。

アイドルもどこかに地元があり、
そこの小学校、中学校なりを卒業しているはず…

だから歳鯖読んだりしたら、
同級生が気づき、
瞬く間に詐称が広がるんじゃないかと思ったわけです。

しかしそうならない。

みんな押し黙っているのか、
しっかり情報が統制されているのか、
本当にそうなってしまったのか…

つまるところ分かりませんが、
大きな情報は煙に巻かれたように、
人々を視界不良にすることがあります。

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