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1.16.2010

朝の日課

先月の十年の節目の日より、
一日おきに
朝7時に起きてウォーキングをしています。

いきなり毎日やると続かなくなることもあるでしょうから、
一日おき。
まずはぼちぼちスタートで。

朝の冷気を首もとで感じると目が一気に開きます。
同時にその冷気は匂いのないミントのように
鼻をスッと通らせます。

寒いと感じるのも一瞬のこと。
次第に手足に温かい血液が回り、
外気と皮膚の間にバリアを作ります。

かなり薄着。

ん?おかしい・・・
今気づいたのですが、
朝の極寒でウォーキングするとき、
寒さに対する心持は強靭なバネのよう。

しかし仕事に向かう時、
何枚も着ているのに、
朝のウォーキングのときより寒く感じる・・・

寒さって結構気の持ちようかもしれない。
今更ながら気づきました。

ウォーキングの目的は、
・持久力をつける
・呼吸に合わせて身体のリズムを確認
・動きの一つ一つに注意を向けて身体の使い方を確認

などなど。
そもそもウォーキングは全身運動の基礎中の基礎。
将来的に激しい運動をする予定はないので、
これを続けていけばいいでしょう。

朝の腹筋、背筋、腕立て伏せ、
各種ストレッチは既に毎日の日課になっているので、
身体づくりは当分このセットでいい。

将来の動きがどんなものになるかは予測できませんが、
方向性は無駄を少なく、
大切な事柄にじっくりとゆっくりと取り組むこと。

だから僕の場合ガッツリ鍛える必要はない。
ボチボチ、コツコツと身体を鍛え、ある程度を保てればいい。

そこで重要となってくるのが、
気力。
自分の内にある気、つまり内気のことです。

気というのは力の根源。

例えば循環しているもの、
血液やリンパ液などを液体が全身に行き渡るよう、
推し進める作用があります。
これを気の推動作用といいます。
ただ機械的に心臓が送り出しているのではなく、
「流れよう!」という力が働いてこそ全身に行き渡るのです。

種子から芽が出るときの、
殻を破って「外に出よう!」という力、
そこにも推し進める気の力が働いています。

そう、身体はボチボチ鍛えればいいのですが、
内気は充実させたい。

方向性はじっくりゆっくりですが、
そこにかける情熱、没頭の仕方は納得のいくものにしたい。
そこは気力。

ここ7,8年気功に取り組んできて、
内気を充実させていたつもりですが、
最近まだまだ甘いなと感じ、
早起きした時間を使ってより深く鍛練しています。

自分なりの呼吸法
最近は丹田呼吸、内蔵マッサージ呼吸、
腹部全体呼吸など、
既存のものから自分が考案したものまで
いろいろ試しながら気功の中に取り入れ、
試行錯誤しています。

その後静かに瞑想に入り、
祈りを終えて朝の日課が終了となります。

そんな朝の一コマ。

身体(ウォーキング、ストレッチなど)
→心・身体(気功、呼吸法)
→魂(瞑想・祈り)
という流れでしょうか。

今後鍛練して、
これが一つに統一できればいいなと思います。
究極はシンプルに違いない!

相当先の話になりますが。
目指していきます。

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10.24.2009

スキン 一周年!

もう一年も経ちますか!
スキン・・・
早いものです。

しかし、生まれて初めてのことですよ。
一年間ヘアースタイルが一糸乱れないのはw

しかも毎朝、一発で決まる。
一発ですよ!
ちょっと気に入らないとか、
何か、はねてる部分があるとか、
一切ない。

羨ましいんじゃないですか?

毎朝カミソリで丁寧に剃っていくのですが、
それもだいぶ慣れてきました。

どこから剃るのか(ちなみにアゴ髭から)、
部分によっては生えている向きがあるから、
その向きと逆に刃を当てたりとか、
かなり分かってきています。

だいたい6,7分かかりますかね。

最近は平和を祈願しながら剃るのが習慣になっています。
理由は分かりません。思いつきです。

頭を剃るという行為は、
その日のヤル気をかもし出します。
それは最初に剃った時から色褪せません。
そのヤル気がそのまま平和祈願となっているので、
いい兆候です。

どこへ出かけるにせよ、
誰でも多少のビックリ感を持って僕の頭をチラ見します。
最初の頃はいちいちビックリした顔を見て
楽しんでいたのですが、
今となっては一ミリも気にしなくなってしまいました。

完全にモノにしたと言えますね。

しかも一夏超えたので、
青々しさが消え、すっかり肌の延長と化しました。

そろそろ寒さが身にしみてくる季節。
僕の場合、寒さが頭にしみる。
毛穴がギュッと締まる音が聞こえるよう。

それでもスキンは気持ちがいい。
当分スキンで行きます。



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6.13.2009

その筋の人?

現代修行・・・
いつどこで人に話しかけられてもいいように、
何気なく構えている訳です。

「さあ、何でも聞いておくれ」

最近は手前味噌ですが、
良い笑みがこぼれているようにも感じています。
毎朝鏡に向かってニンマリしていますからね。

近いうち来るな・・・

今日駅を降りて周辺を歩いていた時のこと。

夏を思わせるような日差しに
「暑い~」
と一人心の中でつぶやいていた。

すると自転車を押した、僕と同い年くらいの男が
「いや~、暑いね~」
と話しかけてきました。

きた。
唐突に沸いたコミュニケーション。
ここは乗っておくべき。

「暑いですね~」

「〇▽%〇×△▲・・・」

「はっ?」
何言ってんのか分からない・・・

「▽×●◎&%$#△・・・」

よく服装見ると普通の人でなさそうだ。
しかし一体何を言っているのだろうか?

すると男はジェスチャーを始めた。

人差し指を耳の下から顎の先まで滑らせ
「あっちの人?ねえ、あっちの人?」
と僕に聞いている。

「はぁ?」

彼は指をしきりに動かしている。

僕はすぐに悟りました。
彼は真っ向勝負、
僕にその筋の人なのかどうか聞いているのです!

何と!
そもそも僕の身なりはジーンズに
普通のストライプのシャツですよ。
そう見えるのは頭の光具合と顔つきだけ・・・

確かに昔は顔が怖いと言われたことも少なくなかった。
しかし最近は気を抜かずに無愛想な顔をしないように、
むしろ訓練の成果をいかんなく発揮するように
心がけていたはず。

なんだか怒りがこみ上げてきました。

訓練の成果が全く出ていないのか?

いや、この人おかしい。
もし僕が本当にその筋の人だったらどうするのだろうか?
僕がその筋の人だったら
「はい、そうです」
なんて答えないだろう。
「それがどうしたんじゃ?われ?」
でしょ。正解は。
目をギンギンに血走らせて。

「ねえ、どこ行くの?」
その筋の人かどうかわからないのに、
行き先まで聞こうといしている。

まさか行き先など言うつもりはない。

正味20秒くらいのコミュニケーション。
は道を曲がり彼は直進した。

その筋の人に見えるのか・・・

現代修行
まだまだ道のりは長いな~と感じさせられる一日でした。

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3.24.2009

ついに!

昨日電車に乗ったときのこと・・・

「それ、気持ちいいね」
50代半ばの短髪のオジサンがニコニコしながら
話しかけてきました。

「ありがとうございます」
瞬時に頭のことだと理解したのですが、
どんな展開か予想できなかったので、
次の言葉を待ちます。

「毎日やるの?でもホント、気持ちいいね。スカッとする!」

きた!
ここで、オジサンが僕の頭のことで
いい気持になっていると確信しました。

「毎朝やりますよ。髭から頭まで一緒に。
 7分くらいかかりますかね」

オジサン、超ニコニコ×10

席がちょうど埋まる程度の込み具合。
車中で会話をしているのはオジサンと僕。
話が盛り上がり、声のボリュームも上がっていく。
きっと、みんな聞き耳たてているに違いない。

だって、スキンにいきなり話しかける人、
かなり貴重でしょ。

 「うっ、このオジサンいきなりスキンに話しかけてる・・・」
 「大丈夫か?」
 「ん~?毎朝か。大体7分かかるのか・・・」

知らんそぶりして、スキンの貴重な情報を得ていたことでしょう。

それにしてもオジサンは満面の笑み。

「最近やる人増えたでしょ?」

「そうですかね~」
似て非なる人たちはたまに見かけるけど、
 増えてるとは思えないな~)

「いや~、ホントスカッとするね。毎朝だったら大変でしょ?」
まじまじと見つめています。

陽の気が周りを包んでいるのが感じられます。
僕はこんな時はいつも、
もっともっと気を増幅しようと全身を傾けます。

車中の単なる会話。
しかし、オジサンが純粋な気持ちを表現してくれたことで、
ただすれ違うだけの関係から、つながりが生まれました。
無から有へ。
場が命を吹き込まれます。

それが良いと感じられるのだったら、盛り上げるのが大切だ。
オジサン、僕、その周りで耳をたてている人たち。
その日一日が、弾んでいくに違いない。

「いや~毎朝気持ちが入るから、大変じゃないですよ!
 しかも、一度セットすれば、髪型崩れないですしねw」

「ハハハハハ~。そりゃ、そうだ!」

一駅区間の濃密な会話。

現代修行が一つ実を結んだと思いました。

「人に道を聞かれる」
ではないですが、
このように、普段見過ごしてしまいそうな場での
ゼロイチの繋がりをZookerさんは僕に求めていたのでしょう。

今後、より多く、開かれた場での繋がり、
陽気の増幅を努めていきます!

Zookerさん、それでいいでしょうか?

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1.07.2009

現代修行は今

修行は続いています。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/02/blog-post_12.html

9時、12時、15時、18時、21時

今の私を形作っている、
身の回りの物、環境、匂い、音に気づき、
「ありがたいな~」
とやるわけです。

まずはアニミズムを身につけたいと始めました。

最近、思考が変化しました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/11/blog-post_29.html

これまでは物を捉え、
その物自体に宿る神性に感謝をしていたのですが、
ちょっと違うかな、と思い始めたのです。

というのも、
そこに時の流れ、全体性が無視されていたからです。

個々を捉え、見つめた時点で
全体から引き離されてしまいます。
しかし、その他全体は常に変化しているのです。

私を取り巻く物、環境に感謝するのは当然のこととして、
それらをざっくり全体として見、
その時の起きている現象こそを
じっくりと観察し、
気づきを得るべきではないのかと思ったのです。

どういう流れでここにいて、
どこに向かおうとしているのか?

ある意味、永久の人間の命題でありますが、
これを常に意識していることが
自分自身の成長につながるのではないかと思うのです。

つまり、
9時、12時、15時、18時、21時ジャストに
その場にいる全体を把握し、
今している行動を見つめます。

どこからこの行動が生まれてきたのか?
この人間関係は?
そして、どこへ収斂していくのか?
それらの意味合いを探り
(完全な答えはそうあるとは思いませんが)、
今この進行する過程に神性を見出します。

だって、今この行動に至ったのは
私の意思がそうしたこともありますが、
それにもまして強烈な宿命のようなものが
介在しているからです。
気まぐれでは起こり得ないでしょう。

収斂していく先は見えにくいでしょうが、
きっと一だと思います。

これを当面の現代修行にしていきます。

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12.03.2008

ヘッドワット数、もしくはハッピーワット数

青味がだいぶ抜け、
光が一層増しています。

Zookerさんの提案で、
頭を素っ裸にする現代修行をしています
http://neo-activism.blogspot.com/2008/10/blog-post_25.html

およそ一カ月がたち、
街中に出るのも違和感がなくなってきました。
むしろ街中を照らしている、とも思えるようになりました。
この光の力を
HW数(Head Watt数 もしくはHappy Watt数)
と命名しました。勝手に。

世の中を頭で明るくします。

一ミリ残すのと、剃るのでは雲泥の差がありますね。
多くの人が振り向く。
ハードコアですから。

しかしここは現代修行。
人に道を聞かれるよう日々訓練を積んでいます。
気を抜けば一瞬にしてその道の人に変身します。

へらへら笑っているとさらに近付けないでしょう。

口元は緩め、
前頭葉の前、
つまり、目をつむって上目使いにすると現る黒いボードに
「いつでも、何でも聞いてくださいね~」
と書いている訳です。

精進が足りないのか、
いまだにお声はかかりませんね。

そういえば、一週間前に
おばあちゃんが落とした切符を拾いました。
それを渡したところ、
超大喜びで
「これを拾った人が使ったら、どうなるんでしょうね~」
と何度も何度も笑いながら言っていました。

五回くらい。
電車がちょうど来たので、
このリプレイの嵐は治まったのでが、
まあ、ホンワカとした時間でした。

スキンはまだまだ緒に就いたばかり。
これから、これから。


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10.27.2008

現代修行 スキンが行く! 1

歳を重ね、ゆるやかにハードコアになっていく・・・
http://neo-activism.blogspot.com/2008/10/blog-post_25.html
このまま、老境にて頂上を目指したい。

今、実感しているのは、
その傾斜が加速度的だということ。
この風になびかれて、いかに飛んでいくか。
ただそれだけです。

さてスキンは街を徘徊し、
「人に道を聞かれる」
この修行を始めたのでした。

しかし、うっかり考え事などをして気を緩ませると、
もともとごつい顔がゆえ、
どこぞの人と勘違いさせてしまいます。
気が抜けません。

口元をゆるめ、目を細め、まったりした顔。
しかしその眼の奥では獲物を探している・・・
誰か道に迷ってはいないか。
(本末転倒!)

自由が丘で乗り換えをした時のこと。

階段を上がり、
ちょうど入ってきた電車に乗った。
このホームならば快速だ。

私は反対側の手すりにつかまり。
ふと一息ついた。

すると、ホーム側から初老のおじさんが、
ドア付近にいる若い女性に
「この電車は学芸大学にとまりますか?」
と聞いた。

私と一緒だ。快速なら次でとまる。

女性は分からないのか、うつむきかげん。
分からないのなら「分からない」と言えばいいのに。
時間は迫る。

そうだ!
このシチュエーションに割って入ればいいのだ!

まずは初級編。
聞かれていないが積極的に関わろう。

私は腹の底から
「とまりますよ」
と言った。
切れのあるいい声だ。

しかし一瞬にして、不穏な空気感が漂ったのを感じた。

おかしい。

私はすぐに顔を出し、電光掲示板をのぞいた。
特急だ!
特急は学芸大学を飛ばして、中目黒まで一気に行ってしまう。

そして車内の背後から
「とまらないよ!」
と声が上がった。

私はおじさんを乗せず、
自分もぎりぎりで降りた。

ふ~~危ない

少し恥ずかしかった。
自信に満ち溢れた返事。
押し黙っていた何人かは心の中で違うと言っていただろう。

しかし今となればおじさんと二人、
恥じらうことも全くない。

そもそも、私が割って入ったことによって
私自身中目黒まで行かなくて済んだのだ!

悪くない。

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10.25.2008

顔力

Zooker さんの助言により頭、裸にしました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/10/mrzooker.html

剃りたての頭は触り心地がフカフカとして気持ちいい。
なぜか熱の層を感じます。
気功をした時に手から出る、
ジワーっと炭酸がはじけているような感覚に近い。

すがすがしい。

Zooker さんは難しく言いましたが、
私の解釈は、
裸になって顔力を鍛えなさいということ。

目標は
「人に道を聞かれる」
にしました。

道を聞かれる人は、生涯で何度も聞かれているらしい。
きっといつでも誰でも受け入れる姿勢が
できているからだと思うのです。

誰かに道を聞きたい。
誰にしようか?

そう逡巡している人が目の前にいる多数から
一人を選ぶときの基準は、
「開かれている」ことなのだと思う。

この現代修行は、
いかつい顔したスキンヘッドの私が、
多数の中から選ばれて道を聞かれるという、
難易度のヒジョ~に高い技を目指すものとなりました。



ジョリジョリして青い!


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7.26.2008

現代修行 改定

和を実現するために
考えたことを勝手なまま書いてきました。
今の私が思考する発想の転換。

Neo-Activism では思考と実践がセットです。
闇雲に実践しても打率が二割だったら
ただの徒労に終わります。

20代までは、
経験することが全てとばかりに、
やたらめったら行動していました。
ただの無計画ですが、その打率の低かったこと!

とことんやりつくすと、その反省から得ることもあります。
思考をふるいにかけ、残ったエッセンスを磨き、
行動するよう心がけています。

さて、理想を掲げました。
まずは自分が体得します。

和を実現するための私なりのパラダイムシフト。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.html
http://neo-activism.blogspot.com/2008/07/blog-post_17.html

これを体で分かるように訓練していきます。

現代修行・入門編として、
私なりの感性を高める訓練を一日五回しているので、
http://neo-activism.blogspot.com/2008/02/blog-post_12.html
http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_11.html

これに継ぎ足していきます。

・相手を許容する余裕
・思いやる心
・人に求めすぎない
・心からの言葉で尽くす
・公約数探し
・霊性がまま、ありのまま
・和する

これらを心で唱えます。
そして最後に和を実現するための祈りを入れましょう!

真剣に、純粋に、世の中がもっと楽しくなるように。

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7.17.2008

和への一歩 4

喫緊にパラダイムシフト(発想の転換)
しなければならない一つに、
“孤立した個、細分化されたコミュニティーが
どう新しい形で全体と繋がるか”
があります。

さて、どうするか?

まずは最初に掲げた問題定義、
大きく同じなのに細部で異を唱える、
ここから見てみましょう。

周囲を否定することによって
自分の個性を浮き立たせると言いました。

しかし、すでに生まれた時点で個性(霊性のこと)
は備わっているので、
わざわざ声高にアイデンティティーの確立

などと叫ばなくてよいのです。

すでに違うから、それ以上違いを言う必要はありません。
むしろ視点を変えて、
「何が一緒なのか?」
を探すことで、
個から全体へ繋がる発想の転換が行われます。

これを私は公約数探しと呼びます。

例えば
音楽好きという単位では一緒。
明日の世界を憂うという単位では一緒。
日本人という単位では一緒。
アジア人、哺乳類、人間、 動物、生物、あるもの、
そして!
太陽所属!

まぁまぁ、大きく一緒じゃないですか~。
国、人種、宗教を超える大前提、
太陽所属は等しく同じです。

だからといって、違いを言うな、ということではありません。
次世代に残す、

よりよい世界を創造するための議論で異論は出るでしょう。
それは戦わせましょう。
相手を尊重すれば必ずいい結果が生まれます。
否定の個性とは質が異なります。


ここでは、霊性がまま、ありのまま生きる。
そして公約数探しが必要だと提案します。

霊性がまま、ありのまま生きる、
これをどう体得するかは、
今私が行っている晴れる屋を見学すれば
すぐに解が得られるはずです。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/06/blog-post_2180.html

今まで、彼らの存在が遠くに避けられていたのは、
“実は普通とされた社会が病んでいた”という、
この現状の問題を解決するために温存されていたかのよう。
ありのままに生きる姿を彼らに学びましょう。

これは便利がため分けすぎてしまったことを
元に戻す作業です。
直線的で融通の利かない時間の使い方を見直す
いい機会でもあります。

地域活動も大切な全体へ繋がる試み。
核家族という最小単位が問題を軽減させるには、
新しい地域活動のあり方が必要となります。

遠い親戚より近くの他人。
近い人同士で助け合いをしないと。!

和する
http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_28.html
ボランティアとは言いません。
助け合いのようなものを「和する」としました。

強制は無理ですが、
積極的に参加できるシステムを作っていくのが大事でしょう。
今ここにシステムを作り上げる案はありません。
今後考えていきましょう。

そして、今日本が抱える社会保障費の問題も
このシステムを導入することにより解決の道が開けるはずです。

次回、和することがどうして社会保障費問題の
解決の道なのか続けてみます。


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7.15.2008

和への一歩 3

前回からの続き…

それを、「アイデンティティーの確立」
なんて意識すると、
人と違うことをしなければならない。
私は私、などとなり、
細部に於いて異を唱え、
自分の立ち位置を確立することになるのです。

これを否定の個性と言いましょうか。
自分の居心地いい場、コミュニティーを見つけると、
周囲をぐるりと否定し、

否定の海に浮かぶ小さな島を作ってしまいます。

現代社会に於いて我良しが増え、

様々な問題が起こっているのは
誤った個性の確立を目指してしまったことに

あるのだと思うのです。
同様に時代の要請として、

コミュニティーの最小化が起きていきます。

大家族が核家族へと縮小し、
細かくカテゴライズされた趣味的コミュニティーに

居場所を求めたりするようになっています。

個をはじめとして、これら最小単位が行き場を見失っている。

世の中は全てが網の目で繋がっていて
孤立した生物、存在はありえないのですが
現代科学が幅を利かせて自然と人間を分離し、
あたかも支配が可能だと錯覚したことが

さらに最小単位を孤立させてしまった。

科学とは分けることですから、
まさにコミュニティーが細分化されることを指します。

大病院行けばわかりますよね。
以前は内科、外科、整形外科など

大きく分類されていたものが最近は
腎臓科、肝臓科など最小単位の科にふるいわけされます。

「俺、全体を診てよ!」
こう叫びたくなるのは私だけではありませんよね?

最近の事件からも最小単位の限界が見られます。
家族(核家族)に居場所が見出せず、
ネットの小さなコミュニティーにも居場所がなくなる…
手持ちの逃げ場のカード(安心できるコミュニティー)

これしかないのなら、
八方ふさがりに陥るのは容易なことかもしれません。
昔は駆け込み寺などがあったのでしょうが、

現代、簡単には望めませんかね…

つまり、この最小単位は科学によって分けられ、
自分の立ち位置を確立するために細部で異を唱え、
孤立し、今まさに行き詰まりを感じています。
どう世界と繋がればいいのか分からなくなっている…
ここが問題。

喫緊にパラダイムシフト(発想の転換)

しなければならない一つに、
“孤立した個、細分化されたコミュニティーが

どう新しい形で全体と繋がるか”があります。

                           つづく
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7.13.2008

和への一歩 2

先日の和への一歩
http://neo-activism.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.html
の続きです。

第二の大きく同じことなのに細部で異を唱えること。
これを考えていきましょう。

過去日本では異を唱える時は集団によって行われていました。
あちらの国、こちらの国。
あちらの宗教、こちらの人種…
今でも諸問題は残っていますが、
そのように帰属している集団の中から、
輪の外に対しての排除、攻撃をし
優越感をもぎ取ろうとしていました。

戦争に負け、島国特有の全体性の牙を抜かれました。
当然の帰結でしょう。
若くして特攻隊で出陣し亡くなった方、
白兵戦でただ特攻を命じられ銃弾の壁となり亡くなった方…
いったいこの生は何だったのだろうか?
その問いすら許されなかった時代。
そんな無情な時代は変わります。

戦争は終わりましたが、
全体性は会社という単位で根強く残っていました。
終身雇用、年功序列がつい最近までありましたね。
会社という全体で世界に対峙し、有数の経済国となりました。
それによって私たちはいい暮らしができている。
そんな先人達に感謝。

十五年以上前にバブルが崩壊し、
その爆発したエネルギーは無数に散らばり、
個に矢となって飛んできました。

「そろそろ一本立ちしなさい」
時代の要請としてアイデンティティーの確立が叫ばれたのです。

個性を大切に!
皆それぞれ違っていい。

これがややこしかった。

そもそも個性とは何だろうか?

個性とは、その人の魂そのものの性格、
つまり霊性をさすのだと私は考えるのです。
だから大切にするのは当然だし、
そもそも最初から違っているのです。

それを、「アイデンティティーの確立」なんて意識すると、
人と違うことをしなければならない。
私は私、などとなり、
細部に於いて違いを際立たせ、
自分の立ち位置を確立することになるのです。


                        つづく
    
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7.08.2008

和への一歩 1

先月の出羽三山巡礼で
私は生まれ変わったのではなく、
もともと腹の底にあった生きる目標を
顕在させただけのことでした。


和を実現
http://neo-activism.blogspot.com/2008/06/blog-post.html

それでいいのです。
何も過去の自分が嫌だったわけでもありませんし、
私の人生は過去の上に成り立っていて、
それ抜きに未来を想像するなどできないのですから。

和を実現するとは並大抵の作業ではありません。
強く、ゆるぎない信念(和を実現させるという)を持って
コツコツと身の周りのことをこなしていくしか
方法はないのではないかと思っています。

やります!
和を実現。
新しい未来を切り開くため、
人間がこれまでに陥っていた、二つのことに着目してみます

第一に意志・意見を暴力で訴えること。
第二に大きく同じことなのに細部で異を唱えることです。
 (逆もありえます)

まずは第一の
暴力が何の解決も導き出せないところは
すでに歴史が証明しています。

しかしながら、他の動物のような生存をかけた戦いまでもが
全て無くなるとも思いません。
動物ですもの。
私は現実主義者であります。
理想は求めますが、無理な発想はしません。

ただ、その戦いを最小限に抑える努力が必要だと考えます。

人間が動物であり、他の動物と違うところは、
思考し、客観的に物事を見ることでしょうか。
今、世の中が抱えている諸問題は、
この思考、客観性が欲に支配されてしまい、
我良しが増えたことに起因するのだと思うのです

ではどうすればいいだろう?

思考を捨てて、動物になりきるのも一つかもしれないw
そうすればサルのように共同意識が生まれ群れ、
ボスを選ぶ戦いや、いい嫁を選ぶ戦い、
群れを他の動物から守る戦いで済むのでしょう。

これは明らかに非現実的ですね。
やはり人間として与えられた知恵を生かす以外ないでしょう。
最低でもサルの共同体よりも賢いところまで到達したいですね。
現状、愚かな戦いばかりなのですから…

・まずは余裕がほしい。
 相手を許容し、違いがあって当然だというスタンス。
・客観的に考えるとは、相手の立場に立つことにもなります。
 すると思いやりが生まれるのではないでしょうか。
・人に求めすぎない…
 あれだこれだ人に言っているのは
 実は自分のことだったりします。
・言葉を尽くす。
 しゃべりすぎるのとイコールではありません。
 心からきちんとしゃべるのです。

あっ、コレ、自分に当てはまるではありませんか!
暴力は決して好きではありませんが、
よく見ると私自身ができているのか自信がありません。

ということで、
和を実現するための第一歩は
私自身がこれまでの人間の陥ったワナから抜けだすため、
上記を身につける実践をします。
先は長い!

第二は次回に。
 

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7.02.2008

今年も半年が経ちました。

早いものです。
今年も折り返しました。

最近、日々のルーティーンが惰性になってきたように感じます。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_21.html

そこでルーティーンの見直し、
日々における大切なことを洗いなおします。

プライオリティー(優先順位)の
第一はやはり施術ですね。

いい施術をしたい。
今日ここにきて良かったと思わせるような、
心の通った、身体が軽くなる施術。

勉強は当然のこととして、
それには自分の身体が調子がいいこと、
心が落ちついていること、
気の流れが整っていることが求められます。

これまでのルーティーンでは
8時に起きて、45分くらいで忙しくストレッチ、
体操、気功をビシバシ片付けていく感じでした。
余裕がない…

これでは理想の施術をするには至らない。
まずは不可視な都会時間に逆らい、
自分の呼吸に合わせたゆったりとした時間を作り出します。

朝七時起きにして、
八時半まで1時間半かけて、
呼吸に合わせた全身ストレッチ、
お腹のマッサージ、
腹筋、背筋、スクワット、
そして気功をたっぷりします。
ジンワリと手が温かくなるのを感じます。

その後草むしりをして、土に触れます。
気功と共に土に触れることにより、
気の流れを整えます。

一日のリズムを朝のこの時間に刻み込み、
一日を充実させたい。
何よりも納得のいく施術が今は大切です。

しばらくはこの生活を続けてみます。

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3.21.2008

ルーティーン

Neo-Activism を始めて半年以上が経ちました。
早いものですね。ここまでお付き合いありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いします。

さて結局、日々一体何を訓練しているのか、まとめてみます。

8:00 起床
     顔を洗い、ついでに笑顔訓練が始まります      
  http://neo-activism.blogspot.com/2007/10/blog-post_12.html 

    続いてストレッチ&体操(腹筋、背筋、スクワット)
    そして燃費向上のための踏み台昇降
  http://neo-activism.blogspot.com/2008/02/1_17.html 

    外に出て、日の光を浴び、気功に入ります
  http://neo-activism.blogspot.com/2007/09/blog-post.html

    庭の植物たちを眺め、エロコンポストを攪拌します
  http://neo-activism.blogspot.com/2007/11/blog-post_14.html

    祈りで朝の行事が終わります。その後朝食。


9:00 12:00 15:00 18:00 21:00
    各時間に5分ほど感性を高める訓練をします
 http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_11.html

昼食後、最近加わった指先感知訓練をします。
 http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_18.html


今のところこんな感じです。
もう少し早起きしてストレッチ、
気功の時間を増やしていきたいと思っています。

ちなみに、乾布摩擦は前回のチャレンジで
  http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post.html

やはり首の前部にアトピーが出てしまったので、
私には乾布摩擦が合わないことが判明しました。
初のお蔵入りです。

夜寝る前がぽっかり開いています。
今後何ができるか検討してみましょう。

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3.18.2008

現代修行 ~入門編~ 12

前出した尊敬する
ロバート・フルフォード博士が
日々している、指先の感知能力を高める訓練法を
倣ってみようと思います。

本文より~
紙の上に一本の髪の毛を置いて、その上にまた紙を重ねる。
紙に目印をつけることは許されない。
そして、上の紙にそっと指で触れ、
髪の毛がどこにあるかを感じ取る。
正しく触れていたならばもう一枚紙を重ねる。
それを分からなくなるまでやるのだ。
この方法は指の全ての神経を刺激し、鍛える訓練である。
いい施術をできるように毎日訓練します!
厚いメモ帳を用意し、端に番号をふります。
そっと触れ、髪を感じます。触っていると、
太い側と細い側があるのが分かります

こ、小指立ってます!


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3.11.2008

現代修行 ~入門編~ 11

いい施術ができるように日々自分を磨きます。
さて、先月始めた一日五回の感性を高めるための訓練は、
http://neo-activism.blogspot.com/2008/02/blog-post_12.html

“観る”ことを鍛えるものです。
普段見過ごしてしまいそうなものに気付くこと。
それらと親密になり(アニミズム的に)
私を形作っていると感謝することです。

様々な空間でコツコツ実践しています。

だいぶ慣れてきたので、
内容を膨らませていきましょう。

次は耳、鼻に着目します。

聴く
ジーッと耳を澄まして、可能な限り音を拾ってみます。
冷蔵庫のモーターの音、上の住人の物音、
鳥の鳴き声、クラクションの音、
身の周りの音から遠くの音まで
普段たくさんの音に包まれているのが分かります。

何度かやってみましたが、
この場合、目を閉じた方が音を拾いやすいですね。

しかも聞こうと、能動的に耳を傾けることよりも、
じーっと鼓膜に集中し、
振動するさまを感じ取るのがいい。

嗅ぐ
聴くと違って、
一つの場所でたくさんの匂いを嗅ぎ分けるのは至難の業。
特に都会の匂いは混濁している。
鼻の奥、鼻腔のフィルターを通すようなイメージで
なるべく分類してみます。

しかし、この感覚器官は脳に一番近いだけあって、
ただ匂いを分別するだけのものではないと思っています。

郷愁感が呼び起こされたり、
人に引き付けられたり、
危険を回避したり…

多種多様なシチュエーションで
“鼻を利かす”
ことで動物的な直感を得られた経験が何度かありました。

これは私だけの感覚ではありませんよね?
ただ物理的に細かい匂いを嗅ぎ分けているのか、
それともDNAに刻まれた遠い記憶を呼び覚ますのか、
不思議な器官であることは確かです。

“観る”に“聴く”と“嗅ぐ”を追加して
訓練を身のあるものに形作っていきます。



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3.01.2008

現代修行 ~入門編~ 10

ウィ~ッス!
乾布摩擦を始めて二ヶ月が経ちました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/01/blog-post_03.html

始めた頃に比べれば、
外の気温も春に近づいて少し楽です。
お蔭様で施術するときの手は依然暖かい感触があります。

お伝えしていなかったことがあります。
実は最近完全に治ったのですが、
やり始めて三日後、アトピーが出てしまったのです。

小さい頃に発病していた、
眠れる獅子が目覚めてしまった!

それは乾布摩擦で一番勢いよく擦るところ、
つまり首の後ろと背中にグワーッと出てきました。

首は真っ先に症状が出表れました。
極寒の庭先に出て一番最初に長く擦るからです。
風呂場で体を洗う時のようにゴシゴシ、ゴシゴシ、
しかもその寒さを克服しようと気合全開。
「うりゃ~~~」声も出ます。

急激に熱くなったから発症したのでしょう。
アトピーは原因が特定できず、現代病の中でも治り難い。
精神的なものだったり、環境の変化だったり、
食べ物だったり、様々な要因でなる。
その幾序に「むやみやたらに擦る」
を追加してもいいかもしれません。

そんなわけで、一週間位して首(後面)、背中、ふくらはぎ
がアトピーに冒されてしまったので、
今日まで、体の前部だけを擦っていました。

一つ気付きました。

東洋医学では「陰・陽」で大まかなことを区別します。
体に関しては背部が「陽」、前部が「陰」として分けます。
おそらく人間が手を付いて
歩いていたことに起因するのでしょう。
普通ならお腹や胸などは前に向いているから、
「陽」と考えたいところですが、
四つ足動物を想像すれば、
背中や首の後ろは陽が当たりやすいので「陽」となります。

私は体の「陽」の部分をひた擦り、発症させました。
つまり、私はもともと体の特性として「陽」が強く、
強いところに、強い刺激を入れたので
コップが一杯になって溢れ出てしまったのだと考えたのです。

もしかしたら「陰」が弱いので
前部を鍛えるのがいいのかもしれない。
そう思い、今日まで順調にやってきました。

しかし、ここで納得しないのがこのブログの大事なところ。

体の前部を洗う時を思い浮かべましょう。
タオルを何回かたたんでゴシゴシやりますよね。
背部はタオルの端をつかんで勢いよくやるのに、
前部はやけに行儀がいい。
というよりは体の機能的にできにくいということです。

同じ条件でないのに「陰」が弱いなど判断できません。
アトピーもすっかり良くなったので、
明日から唯一タオルの端を持ってゴシゴシできる場所、
首の前部を、背部を擦ったようにやってみます。
どうなるでしょうかw

2.13.2008

現代修行 ~入門編~ 9

アニミズムを辞書で引きますと

~自然界のあらゆる事物は、具体的な形象を持つと同時に、
それぞれ固有の霊魂や精霊などの霊的存在を有するとみなし、
諸現象はその意志やはたらきによるものとみなす信仰。~

太古の宗教観ですね。
森羅万象に霊的存在があり、
今ある私は、
それらの働きによって形作られていると言う事です。
木、石、山、川、それらに魂、ひいては神を見出しお祈りする。
これをアニミズム、大きく捉えると自然崇拝と言えますね。
日本の信仰にもアニミズムの宗教観が色濃く残っています。

汎神論(はんしんろん)と言って、一神教からすると、
神がぼやけてしまい、
しかも人間にも神性を認めてしまうので、
卑下する向きもあるようです。

確かにたまに神社行って、お賽銭投げて祈る姿は、
一神教のように神と契約を結んでいる人たちから見れば、
まるでお金さえ投げれば、人と神が
簡単につながるかのように捉えられてしまうでしょう。

私は山尾三省の本を読んでアニミズムを知ったのですが、
シャーマニズムと同じようにシンプルゆえ心に響きました。

そのような考えを生活に取り入れたい。
しかし、今私は人工物あふれる都会に住んでいます。
例え近くに公園があっても自然とは程遠いものです。

私は懐古趣味でも理想だけ夢見るものでもありません。
引っ越せばいいと言えばそれまでですが、
それも今の状況では現実的ではありません。

ではどうすればいいのか?
勝手にアニミズムの視点を広げればいい。
つまり、人工物にも魂を見出せばいいのです。

いや、実際、人工物にも魂は宿っています。
例えばムンク、ゴッホ、若冲の絵を見た後の
虚脱感は何でしょうか?
ついフェラーリが通り過ぎると見てしまう。
気に入った椅子、バッグ、時計…
物にもしっかりと魂が入っているとしか思えません。
それが良い物か悪い物かは別として…

世の中に必要でないものもたくさんある。例えば原爆。
しかしそれは今後なくしていけばいいし、
環境のことを考えなくてはならない時代では
無駄なものが減ることは間違いないでしょう。
買わなければいいし。
とにかくこの現状ではそれもひっくるめて
認めるのが大事なのではないかと思うのです。
自分がそこにいるのだから。

何だか難しくなってしまいましたが、
現代版アニミズムは自然界の森羅万象どころか、
今ある全てのものに敬意を払うということになります。

2.12.2008

現代修行 ~入門編~ 8

現代修行入門始めます。
初めての方はこちらから
http://neo-activism.blogspot.com/2008/01/blog-post_30.html

まずは空間の把握から。

空間を把握するとは、現代版アニミズム(次回説明します)
の体得を目指すことになります。
都会に住む我々、身近に心落ち着ける自然はそうないので、
アニミズムですら現代風に勝手に解釈し、進めてみます。

普段何気なく見過ごしている事、物に目を向ける訓練。
それを習慣付けにすることにより、
自然とそれらが視野に入り、確認し、
意味を求めるまでいかなくとも、
その瞬間、それらと繋がっているのだと
感じられるまで高めたい。

一日五回、9時、12時、15時、18時、21時
ぴったりに始めます。

まずは場所の認識。
今私はどこにいるのか?
この二本足で立っている場、地球のいったいどこなのか?

次にその空間を大きく見渡します。
天井、柱、梁、窓、蛍光灯、クーラーなどを
しっかり見つめます。
天井の色、柱の傷、窓の汚れ、
見るがまま、感じるがままに任せます。

そこから視点を身近にもっていきます。
対面している人、観葉植物、PC、ペン、
カレンダー、財布、スイッチ、画鋲、本…
あらゆる身の周りの存在に目を向け、確認します。
普段見落すに違いない存在をなるべく見つけ出し、
それも見るがまま、感じるがままに任せます。

十分にその空間を把握できたら、
最後に
「これらの存在があるからこそ私がいる」
と心に刻みます。
場に溶けるということでしょうか。

気付く力は、全ての物と繋がっていると、
頭だけでなく、体にまで理解させて初めて
得られるような気がするのです。

もちろんこれが大自然であれば言うことなしなのですが、
現代、都会に於いてそれは叶わぬことです。
入門編、一歩一歩やっていきます。