入ってすぐの解説文が私の目を引きました。
「自身の感情を自然との対話を通じてろ過し、
純粋化してゆくような、いき方がうかがえる」
東山魁夷は心象風景画家と聞いていましたが、
その心象風景とは何だろうと思っていました。
この文で外郭はつかめました。
若い頃からの作品を順番に並べているので、
絵やその中に注入された精神の成長がうかがえます。
しかし大胆に画風が変わることはありません。
揺るぎない芯の強さがあったからでしょうか、
一貫した哲学が見出せるのです。
海外で描いた建造物の二、三点を除くと、
全てお日様のあたる風景を描いていない。
朝もやの中、月明かり、夕焼け、霧、曇り空…
幻想的でボンヤリとしている。
なまめかしく、うっとりしていると言ってもいいでしょう。
作品のほとんどが、
境界線のないボンヤリとしたものになっています。
心象風景
自然と対話して、一体になり、
その対象である自然を内側から観察し、
およそ簡単に目に見えないものを表現すると
東山魁夷の絵は境界線がぼやけるのかもしれません。
まるで日のあたる風景、
つまりはっきりと目に見えるものには真実がないと
言われているような気にもなります。
ちょうど3時になり、現代修行の時間になりました。
せっかくの機会なので、いつものようなメソッドでなく、
「自身の感情を東山魁夷の作品との対話を通じてろ過し、
単純化して~」みようと思いつき実践しました。
ちょうど目の前にある絵(どれも作品は大きなものばかり)
に焦点を合わせてジーッと見つめてみました。
幻想的で、線がはっきりしないので、
その絵の中に簡単に入って行くことができます。
感情を絵と対話し、ろ過し、さらに単純化…
しばらく見ていましたが、パッとはひらめきませんでした。
ただ、最近の思考回路の曲がり角に
「和」
がたくさん転がっているので、
簡単に「和」を拾ってしまう私がいます。
仕方ありません、これも無理しない自然な心の発現。
あえて東山魁夷の作品を
「和」に関連付けるなら、
自然と人間
現実と非日常
は作品の中で「和」で一つに統合され、
全体として描き出されていたように思います。
おススメ
http://www.momat.go.jp/Honkan/Higashiyama2008/index.html
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