4.02.2008

生誕100年 東山魁夷展

入ってすぐの解説文が私の目を引きました。

「自身の感情を自然との対話を通じてろ過し、
 純粋化してゆくような、いき方がうかがえる」

東山魁夷は心象風景画家と聞いていましたが、
その心象風景とは何だろうと思っていました。
この文で外郭はつかめました。

若い頃からの作品を順番に並べているので、
絵やその中に注入された精神の成長がうかがえます。
しかし大胆に画風が変わることはありません。
揺るぎない芯の強さがあったからでしょうか、
一貫した哲学が見出せるのです。

海外で描いた建造物の二、三点を除くと、
全てお日様のあたる風景を描いていない。
朝もやの中、月明かり、夕焼け、霧、曇り空…

幻想的でボンヤリとしている。
なまめかしく、うっとりしていると言ってもいいでしょう。
作品のほとんどが、
境界線のないボンヤリとしたものになっています。

心象風景
自然と対話して、一体になり、
その対象である自然を内側から観察し、
およそ簡単に目に見えないものを表現すると
東山魁夷の絵は境界線がぼやけるのかもしれません。

まるで日のあたる風景、
つまりはっきりと目に見えるものには真実がないと
言われているような気にもなります。

ちょうど3時になり、現代修行の時間になりました。
せっかくの機会なので、いつものようなメソッドでなく、
「自身の感情を東山魁夷の作品との対話を通じてろ過し、
 単純化して~」みようと思いつき実践しました。

ちょうど目の前にある絵(どれも作品は大きなものばかり)
に焦点を合わせてジーッと見つめてみました。

幻想的で、線がはっきりしないので、
その絵の中に簡単に入って行くことができます。
感情を絵と対話し、ろ過し、さらに単純化…

しばらく見ていましたが、パッとはひらめきませんでした。
ただ、最近の思考回路の曲がり角に
「和」
がたくさん転がっているので、
簡単に「和」を拾ってしまう私がいます。

仕方ありません、これも無理しない自然な心の発現。
あえて東山魁夷の作品を
「和」に関連付けるなら、
自然と人間
現実と非日常
は作品の中で「和」で一つに統合され、
全体として描き出されていたように思います。

おススメ
http://www.momat.go.jp/Honkan/Higashiyama2008/index.html

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