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自宅に居場所がないお父さんが急増中!最近新聞に載っていました。自宅難民と言うらしい。新聞には二人に一人と書いてありましたが、上位の「趣味を楽しむ時間がない」「一人になれる時間、場所がない」は本人がやる気になれば作れそう。それよりも「自宅に居場所がない」のは落ちつかないな~全ての動物はテリトリーを確保しつつ、その範囲内で安息を得ていきます。人間もしかり。家を買ったり、借りたりして、テリトリーを確保し、その中で安心を得るのです。しかし、テリトリーを確保したはずが、その中には居場所がないといいます。彷徨い人たちはどこへ行けばいいのだろう?もしこの調査の精度が高いのならば、5人に1人は現代の新たな難民。誰かが近くにいてこそ安心がある。その誰かも気心知れている方がさらに安心を得られるはず。それなのにソワソワしてしまう・・・なぜだろうか?範囲中での適切な距離感、ここに問題が生じているのではないでしょうか?まずは、自分の在り方を知ることから始めましょ。それは自分と他者との関係性・距離感を知ることとなります。在り方を知れば他者の存在をおびやかすことはないし、自分の存在が拒否されることもありません。ただ在ることに何の咎めがあるでしょう!
政治って、よほど革命や敗戦などがないと変わるものじゃないのでしょう。ハネムーン期間(政権交代から100日までのことを言います)も過ぎ、通常国会が始まったのですが、主題はいつものように「政治とカネ」内容変って無いじゃん!突っ込みを入れたいところ。政策変われど、気質変わらず。ネット界隈ではリークだの何だのかなり盛り上がっていますが、真相は分かりません。お家騒動が国単位で起きている。渦中にいると、そのロスに中々気づきにくいものです。島的なノリだぁ・・・クリーンにこしたことはないですが、それだけ利権がうごめく場なのは確かなのです。時に清濁併せ持つ必要があることも知っておくべきでしょう。人をランク付けたり、何かを基準にして正義度を測ったりするのは、しょせん無理。最後は自分が養ってきた価値観で、その人物をしっかりと判断するだけ。結局、民主主義って、これができるかどうか?ってことなんだと思います。
これを数式にしろと言われれば無理な話ですが、どうやら経済の成長にはバブルが必ずあり、そのバブルは必ず崩壊するという結果があります。それは自然の摂理というものがあるからです。ざっくり言えば、良い時あれば悪い時もあるというもの。本来ならば、その自然の摂理を踏まえつつ、良い時はそこそこにして、悪い時を最小限に抑えれば、総じて失う時のエネルギーは少なくて済むものなのですが、経済活動においてはそうはいかない。なぜならGDPを始めとするあらゆる指標は右肩上がりを前提にしているからです。マイナスイコール悪のような捉え方。そこに人間の欲が絡み合うと、とても大きなバブル→バブル崩壊を産んでしまうのです。また自由な経済活動において、そもそも欲を規制することほど難しいものはない。今回のリーマンショックでは、国際的な反省点として、金融規制(過度なレバレッジの抑制や自己資本比率を高くする)や、トレーダーを始め金融機関に属する人たちの所得制限などを設け始めました。確かに一個人の一年の所得が100億円を超えたりするのは普通に考えておかしい。それがアメリカンドリームと称されると、そこに参加しているプレーヤーはあらゆる手を駆使して、なりふり構わず利益を上げようとする。しかし経済の難しいところは、右肩上がりの発展には、時に、なりふり構わないほどのエネルギーが必要とされているということ。ですから欲に規制をかけようとすると、全体的な経済活動が低下してしまうと懸念する声と、自由という名の下の規制を嫌うという、文化的背景も相まって、なかなか受け入れられにくいのです。利を上げている人がごく一部だというのにもかかわらず!まあ、これは市場主義経済の発展がこれからどうなっていくのかという大きな問題でもあります。さらに付け加えれば、市場主義経済の問題は、モノ対モノ、モノ対貨幣というマネーの見えやすい取引きを大きく超えて、存在する以前のモノを少ない資本で何倍もの取引をしたり、元手の資本、将来的な保障がまったくない人でもローンが組め、そんなジャンクなローンを束ねて証券にし、高金利で市場にばらまくという何でも金利を付けて証券化という事態が横行していることにあります。その国が製造業として生業をしているときには、モノを売るという単純な行為によって利益が産まれます。ただ、アメリカが良い例なのですが、国が成長すると、製造業は人件費がかかるので人件費の安い国へシフトします。そこで製造業が国内から去り、次に何の価値で利益を生みだそうかと発想したところ、それが金融だったのです。何でも価値付けて(その価値次第で利率が決まる)証券化して市場で売買しようというもの。今回リーマンショックで問題になった一つに、CDSというものがあります。それは取引先が債務不履行になったときに損失を補償してもらう取引。デリバティブ証券の一種で、リスクを避ける手段として存在します。それが当事者間だったら分かりやすい。しかし、その取り引きはオープンで、第3者もその取引をできたのが問題だったのです。どういうことかといいますと、潰れそうな会社を選んで、そこのCDSを買うと、いざ潰れたときに損失として保障されるのです。潰れそうな会社にベットしてがっぽり儲ける・・・こんなネクラな取引があっていいのか・・・これが今回のリーマンショックの一番はじけた要素なのですが、未だその清算が終わったのかどうか明るみになっていません。さて、これが今の欧米の先行している、市場主義経済のかたち。良し悪しは今後検証されていくでしょう。 つづく
何度もこのブログに書いていますが、今この時代、何が問われているのかと言いますと、食べるものはすぐに手に入り、着る服はオシャレになり、冬は暖房、夏はクーラー、余暇にレジャーができるような生活が手に入ったのに、本当に幸せなのだろうか?という疑問が湧いてきているということなのです。先人たちは便利で苦労のない生活を求め、さまざまな機械、生活用品を開発してきました。それが大きく変わったのは近代のこと。単純手作業の第一次産業が多数を占めていたのはそんな昔のことではない。例えば稲作では稲刈り機が導入されたのは昭和37年!僕も体験しましたが、手作業で稲を刈るのはとても大変。これを最近までやっていたのです。女性達に革命を起こした機械の一番に洗濯機が上がります。それまでは井戸水、用水路で手洗い・・・冬なんか凍えながらやっていたことでしょう。それを思うと、ホント、洗濯機ができてよかった。そんなんで、ここ4、50年で仕事や生活の質がグーンと上がったわけです。この結果、時間の余裕が生まれたんですね。素晴らしい!さて、便利への要求はとどまるところを知りません。そこに物質の所有が加わり、生活が豊かになってきます。豊かになったはずなのです!ところが・・・生活の質が上がって豊かになったはずなのに、なぜか忙しい!時間をお金で買ったはずなのに、時間の余裕が全然ない!所有する物も、エンターテイメントも、ある程度は心を満たしてくれるが、長続きしない・・・まあ、自分で会社立ち上げた人であれば、そんな環境も楽しいかもしれない。仕事が心底好きならいいかもしれない。だけど現実、そう思っていない人が多い。本当の幸せとは何だろうか?今、自分の周りを見渡してどうしていいのか分からない人が多いのではないでしょうか。少し前に友人から借りた本に、半農半Xという言葉が載っていました。塩見直紀さんと言う人が提唱しているライフスタイルです。それは「持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天賦の才(得意なことや大好きなこと)を活かし、社会的な仕事をし、問題を解決すること」とあります。一周して、兼業農家が新しくなったと解釈すれば分かりやすい。毎日土をいじれる環境にいつつ、時間を買いに仕事に出る。それも受け身の仕事ではなく、自分の才に合ったものや、社会的に有意義なものを選ぶ・・・そんなにリッチな生活ではないでしょうが、心は豊かになると思うんですね。僕の理想でもあります。そう感じている人も少なくないと思うんです。オカミもこういう方向性の政策を作ればいいのに。
今、世の中では何が求められているのか?新聞の新刊の広告を見れば大体わかります。今、流行りは「33歳からのルール」「28歳からのリアル」「35歳までに必ずやるべきこと」「働く女、38歳までにしておくこと」等々。この歳になったら世の中のできるヤツは、こんなことやってんだぞ。こぼれ落ちないためには、しっかり同じ事しておけ!まあ、少し脅迫めいて書きましたが、買う方は多少なりとも不安があるのが現実。そこに訴える。そもそも18歳で高校卒業、20歳で成人式、22歳で大学卒業して会社に入ったのなら、その時点でしっかり付いて行っているではないか!なのに不安だから、このような本を買って基準を測ろうとする。今抱える問題は、同じようにやってきたことの歪みからきているのではないか?「一瞬で信じ込ませる~」「一瞬で相手を落とす~」瞬間で相手を自分の世界に引き込むテクニックも流行っている。ノリ、スピード、軽さ。まるで人がベルトコンベアに乗ってきて、挨拶したら流れて行ってしまうかのよう。法則シリーズ「成功するための~個の習慣」のような、これこれを得るには何個やりなさい、という訓練づけ、もしくは「~~をするならやっておく、何個のルール」のようなHOW TO系。3つくらいなら、まだやる気は出そうです。7つになったら少し面倒くさい・・・しかし、最近見たのでびっくりしたのは66個!多ければいいってもんじゃないでしょwこれも「~歳までに」シリーズと同じく、平均的な事柄は抽出できるけども、絶対ではないですからね。きっと、そのまま真似するとうまくいかない。少し前に流行ったのは引き寄せ系。=ポジティブシンキング。これは、どんなことを引き寄せて、どんなことをお返しするのかという質がまず問われるべきなのではないかと思うのです。そうそう、もう少し前ならば品格シリーズ。「国家の品格」が口火を切り、さまざまな品格が世に産声を上げました。これだけ「~~の品格」が生まれたのに、まだその波に乗ろうとする、その作者たちの品格が疑われる。そう感じたのは僕だけかな。新刊から世相を読む。自信がないことからの不安が多くあり、それを素早く解消してくれそうなものを探しているということですかね。しかし本当のことはルールは誰かに教えてもらうのではなく、自分で見つけるということなのです。そこをしようとしない限り、堂々巡りなのではないかと思うのです・・・
今、アメリカで大発生しているスーパーウィードこれまでの農薬が効かない!次に人間が考えることはもっと強い農薬を作りだすこと。しかし、相手は一度はやられてみるものの、すぐに息を吹き返し、耐性をつけて強力になって戻ってくるのです。そう、これは完全なるイタチごっこ。いつまでたっても終わらない。これは抗生物質と、その耐性の関係と似ている。抗生物質は菌やウィルスをやっつけます。しかし近年、抗生物質の乱用からか原因は分かりませんが、抗生物質の耐性が生まれています。MRSAメシチリン耐性ブドウ球菌といいます。ニュースで院内感染と聞くと、よくこの名前が出てきます。今度はこれをやっつけるためにバンコマイシンという、新しく強力な薬を投与します。しかし、しかし・・・最近は更にバンコマイシン耐性ブドウ球菌なるものが出現しているのです!!!完全なるイタチごっこ・・・いつまでたってもこの連鎖は終わらない。一体どうすればいいのか?抗生物質が人類を救った歴史は事実です。多くの人がこれで長生きをしているはずです。否定はできません。ただ、逆に新しい病原を作っているのも事実・・・やはりスーパー雑草の例を見ても分かるように、徹底して根絶しようという考え方が良くないのかもしれません。ある程度、その存在を認めて共存していくしかないのでは?そして薬を乱用しない。薬に頼る前に内なる治す力を最大限引き出せるように身体を強くする。皆分かっているはずなんですけどね。経済効果的になかなか踏み出せないのと、身体を強くするのが面倒なんですね。人間が便利や経済的効果ばかり求めていると、新しく人間を脅かす存在が生まれる。ここは基礎に戻って何が大切なのかを見直す時期だと思うんです。
先日発表された世界の飢餓人口。今年の上半期で10億人突破ですよ!しかも増え続けているという・・・現状を知るための、なかなか読ませるページを見つけたのでどうぞ。少しゾッとしますよ。飢餓の神話を考える世界飢餓にまつわる12の神話事実、カロリー的に食糧は大いに余っているのです!飢餓地域と言われる国でも食糧が輸出にまわっている。おかしい、何かがおかしい・・・誰かが余計に儲けていないか?余った食糧はどこに行くのだろうか?市場でこれら飢餓地域から安く買い、腹を満たし、期限切れの食品をいとも簡単に捨ててしまう先進国の住人はきっと見て見ないふりをしているのだろう。この問題は一人一人が深く知っておくべきだと思うのです。今後この問題について自分なりにできることを見つけていきます。
先走って大げさに取り上げてみます。パンデミックここまで来ると問題は情報をいかに把握するか?となってきます。先日の日記では、情報源を「現状では」と限って厚生労働省のページを載せましたが、ここら辺りから視点を変えてもいいかもしれません。感染の疑いのあった横浜の高校生は、新型インフルエンザの疑いは幸いシロでした。名古屋の男性もシロのようですが、今後この手の疑いは次から次へと出てくるでしょう。さて、情報というのは流す側の意図が多かれ少なかれ紛れ込んできます。特に大きな混乱を招くような出来事(戦争をはじめとした)には統制を取るための操作が生み出されます。例えば今回で言えば、アメリカが豚インフルエンザとの呼称をやめて、インフルAとしました。豚肉が売れなくなるという経済的な配慮からなのですが、かなり小手先な話だと思います。当然国民をパニックにさせたくない、そんな意図が先立ちます。もちろんガセネタをうっかり流してしまうなど、失敗は許されないので、情報は吟味されるでしょうが、本当のことを言うかどうかは状況によって左右されます。「もしかしたら、本当のことを言わないかもしれない」情報を取りつつも、このように疑ってかかろう、ということなのです。残念ながら・・・特に、よりパンデミックが深化して、巷に広まったとき、情報に対してどう向き合うか?という課題がでてきます。そうなると情報は洪水のように溢れかえります。大本営発表から、ネット、井戸端会議、人づてに伝言ゲームのように虚偽さまざまが錯綜します。どうすればいいのか?まずは何よりも泰然とすることですね。少しでもあせったら決して真実をつかむことはできない。何が起こっているのかを自分の目で確かめて、吟味して、判断する。結局それしか残されていないのです。これはどんな情報にも言えることですね。
水際作戦など、どこまで止められる分かりません。とにかく大事なことは情報をしっかりと知ること。そして簡単な備えをすること。豚インフルエンザの感染が欧米の各地に広がりました。WHOは警戒レベルを引き上げてはいませんが、いつ何が起こるか分からないのが、パンデミックの怖いところ。様々な情報源があると思いますが、ここをチェックするのが現状はいいのかなと思います。厚生労働省若い人で、免疫が強くてもインフルエンザは猛威をふるいます。まずは感染する状況をなるべく減らしていくのが良いでしょう。・マスクを携帯しましょう。・帰ったらうがい、手洗いをしっかり。 (特に人気の多い所に行った時は注意ですね。)・エタノールなど消毒液を購入しましょう。・災害時と同様に食糧を確保するのも大切ですね。大げさかもしれませんが、情報、簡単な物資の備えがあれば防げることも多いかと思います。今現在、免疫が落ちている人は、休んで体力の回復につとめるのが良いでしょう。あとは気を充実させて、日々を楽しく!
「日本という国が豊かなのは日本人が貧しいからだ という逆説の成り立つように思える」フランスの社会学者、ジャン・ボードリヤール昨日の夕刊に載っていたのですが、一理あるな~と思いました。それは一昨日、毎年恒例のこんな記事を読んだからです。何と世界で第9位。先進国と呼ばれる中では第一位ですよ!何かがおかしい。これまでの歴史は、ある意味、貧困を克服するための様々な戦いだったわけじゃないですか。飢え、病気、冬の凍え、不完全な住居・・・もう、殆どの物を手に入れましたよね。捨てるほどある食べ物。移動は自由自在。歩いて1週間以上かけていた距離を、二時間のフライトで。病気はあるにせよ寿命は延びた。冬は暖房がある。暖かい。ああ~、豊だ。って皆さん、思えていますか?将来不安、とよく聞きます。30年後、40年後、考えてみれば不安はありますよね。それはそう。よく見えないから。全然見えないものを見ようとするから不安なのです。50年程前にできた未完成な年金制度。それ以前の人たちは将来不安を今の人たち以上にしていたのでしょうか?どうですかね。相対的に見て、不完全だけどある年金制度によって、50年前よりは将来不安は少なくなっていいはずです。しかし多くの人はそんな実感湧かないのではないでしょうか。一面ですが自殺者数が物語っています。もちろん、お金は大切です。北欧のように福祉が厚ければ将来不安も和らぐでしょう。しかし、それは単なる技術的な解決策。本当の解決には至りません。何が問題なのか。それは、核家族化、都市化、履き違えた個性化(我良し)、効率・能率化、不干渉・・・時代が生んだ社会的なひずみ。ここに重大なヒントがあります。僕の考える将来安定。そう、それは新しい横のつながり、新しい形のコミュニティーの創造だと思うのです。その組織の形成の仕方は、まだ見えませんが、理念は難しくありません。それは、助け合いです。それしかないじゃないですか。みんなが余裕の心をもって手を差し出すしか、残っているカードがないんですよ。不安の隙間を埋めるのは多くの金ではなく、人と人の触れ合いだと僕は考えます。そこに本当の豊かさがあるのだと。
現在のアメリカには二つの大きなベクトルが働いています。オバマ大統領に代表される、新しい可能性を求めるベクトル。世界一の富と繁栄を誇る、栄光のアメリカという根強いベクトル。後者について。この栄光のアメリカというベクトルは、人がその人自身の性格を客観視するのが難しいように、アメリカ人自身ではなかなか知ることはできないでしょう。しかし日本から眺めると面白いことが見えてきます。今、アメリカで起きている問題。その事象の一つ一つをふるいにかけ、濾して、エッセンスを抽出すると、実は同じキーワードが現れてくるのです。「巨大・パワー」例えばWBC日本、韓国が決勝に残ったのは奇跡ではなく、純粋に実力だったと思いました。アメリカは主力選手が出場していなかったと言いますが、果たして出ていても勝てたのかどうかは疑問です。これを衰退と呼ぶかどうかは別として、なぜベースボール発祥地アメリカが、東アジアに追いつかれ、そして抜かれるようなことになってしまったのか?それは、特にここ近年のベースボールを眺めれば一目瞭然。ピッチャーは100マイルの剛速球を投げ、バッターは大きなホームランを打つ。この単純な図式に誰もが踊った。1998年のマクガイアとソーサの本塁打争いはまだ記憶に新しいはず。そのマクガイア、実はドーピングで体を造っていたことが確実視されている・・・「巨大・パワー」実態より大きく、力をつけることにより見た目には華々しくなったけれど、虚像が故、全てが大味になってしまった。物事って、シンプルで機動性がある方が総合的には優っていることが多いじゃないですか。日本や韓国の野球は、確かに投手の質もありますが、機動的で全体性があるんですね。一つ一つのパワーはあまりありませんが、パワーのすきを突くことは難しくない。ここにベースボールの行き詰まりが見えてきます。車産業も同じ構図が透けて見えます。昔のアメ車、シボレー・インパラ、マスタングなどから連想されるものは「デカイ」。でかくして鉄たくさん使ったから、エンジンの排気量上げようという発想。この図式はベースボールと同じく「巨大・パワー」。この発想から抜け出せずにずるずるここまで来てしまった。すでに日本車をはじめとした車産業は実用性、機動性、環境性など、シンプルで時代に合った製品をつくっているので、アメリカは置いていかれています。確かに人間も巨大になっているので、小さい車が合うかどうかは分かりませんが・・・最後に、今、最も紙面をにぎわしている金融。デリバティブの罠。何が起こっているか簡単に言いますと、少ない掛け金で実態以上の商品を売買できるシステムが、欲で膨らみ過ぎて、破裂したということです。レバレッジ(てこ)というのですが、1の掛け金で約50倍の売買ができるのですよ!ここにも「巨大・パワー」が透けて見える。実態より市場を大きく見せ、力の源泉である金をガンガンつぎ込む・・・虚像故、中身が空っぽだった。レバレッジは数字となり残り、数字は国民のつけとなった。「巨大・パワー」そろそろ、贅肉を落として軽くしないと、新しい可能性の足を引っ張るだけになってしまうのでは・・・WBCを観て、そんな感想をしたのでした。
陰極まれば陽に転ず(逆もあります)つまりマイナスで一杯になったら必ずプラスに反転するという意味です。たとえば夏至、冬至。この時を境にマイナス、もしくはプラスに反転します。自然界の法則が陰陽の波を交互に繰り返しているのですから、この世の全てが波の法則に乗っているといってもいいでしょう。人生山あり谷あり。人生観においてはある程度の谷は織り込んでいるようです。しかし一つ、是が非でも「谷は許さん!」としているものがあります。それは経済活動。常に右肩上がりでないと、まるで死んでしまいそうな勢いです。「まあ、まあ、今年は少しマイナスでした。 こんな時もありますよ」なんてこと言ったら、即クビ、経営者失格の厳しい世界。とにかく新しい技術、サービスを産みだし、特許を取り、高付加価値で売り出す。そこには一秒単位のし烈なスピード競争が待っている。時は金なり誰かに出し抜かれたら何千億、何兆の損失になってしまう!金が逃げて行く前にどんなことがあってもゲットするんだ!経営者はこう言います。それに技術者は応えようとします。栄誉に向けての強固なタッグ。さて、ここで大事なものが見落とされます。本当に世の中にとっていいモノなのか?今日の新聞にこんな記事が出ていました。サバがマグロを生む僕のネタ元の新聞ではないのですがおおよそこのような記事になっています。つまり発想は、今後ホンモノのマグロは漁獲高が減っていき、魚価が高くなっていく。それならば人工的にたくさん生産し、ホンモノより少し安く売れば多くの利益を上げることができる!これは以前書いたクローン牛の話ともかぶります。企業側のアナウンスは「多くの人に安く提供できれば・・・」というロジック。マグロ、牛、豚、高価なものは栄養価も高い。ただでさえ高カロリー摂取で成人病が増えているのに、より多くこれらを食卓に乗せるというのだろうか?クローン牛については生産過程でいまだ多くの奇形が生まれているというのに、健康に害がないと言い切れるのか?そこまでして食べる必要あるのかな~僕は昔の食卓のように、これら高価なものは、スペシャルな日にしか食べられなかった子供の頃の思い出になっていけばいいと思うのです。日本人はホンモノを食べて、海外に輸出すればいいでしょ、なんて考えだとしたら目も当てられませんね。しかもその新聞には、「精子と卵からマグロを作る」「ヤマメにニジマスの精子や卵を作らせる」「養殖ウナギにホルモンを投与して卵や精子を作らせる」と書いてありました。言葉の問題でしょうが、一流の経済紙において、ある種、神の領域に大いに踏み込んでしまう、生命を「作る」と堂々と載せられてしまうのも、事の軽さを物語っていると言えるでしょう。問題は倫理観です。(言っておいてあまりシックリいく言葉ではありませんが)上向きの経済活動を死守しなければならない、という固定概念をわきに置いて立ち止まり、本当に世の中にとっていいモノなのか?という問いをたて、僕らが本当に守るべきものを確認する時期が目の前に来ているのだと声を大にし言いたい。
皆さんは何をみて世相を判断しますか?政治?経済?テレビ?ニュース?今の首相ならマンガでしょうね。場所というのもありますよね。銀座に毎日通っている人なら風景の変化がわかる。僕は世相をこんなところから判断します。若麒麟逮捕!そう、相撲。また角界に激震が走りました。去年の中頃、若ノ鵬が逮捕されていらい若ノ鵬を含め三人が角界を去って行きました。とある週刊誌では嘘か真か、あのドーピング検査に物言いが付いていた。出席してない力士がいる。クロだった日本人力士がいる等々。その筆頭に若麒麟の名前が挙がっていたことは確かです。週刊誌発なので、シロもクロも素人にはわかりません。しかし、火のない所に煙は立たない。ニュースを見る限りでの僕の勘ですが、その場に若麒麟がいることを前提に踏み込まれている。やっちゃいましたね・・・週刊誌で個人名まで出たのだからクロだったなら大人しくして相撲に励みなさい!彼は十両の力士。十両以上になると集団生活から離れて一人暮らしをできるようになるのです。自由とお金が一気に手に入る。好き勝手できる。当然の権利でしょう。子供じゃないんだから。実力で掴んだ地位なのだし。いやいや、ここで言いたいのは相撲協会の脇の甘さがまた露呈したということなのです。あれだけ騒がれたのに、若麒麟には余裕があった。つまりはあの組織には馴れ合いがあり、大きなことを起こさないための隠ぺい体質が蔓延している、そう僕は感じてしまうのですね~そこで割を食ったのがロシアの三人。そこまで協会は堕落しているのに、あの三人に全部のっけてしまった。と断言していますが、あくまでも僕の想像のですから。ここで一人ほくそえんでいる大物がいる。横綱朝青龍。優勝決定戦でガッツポーズをしたかどで横綱審議委員会に品がない!と注意勧告を受けるはずだったのに、ばっくれてモンゴルに帰ってしまった。横審の一人は朝青龍引退までほのめかしていた。そんな中でのこの事件。朝青龍問題は見事消え去るでしょう。最近の相撲の内幕を見ていると、島国でガチガチに固められた伝統の中で作られた組織が、各々の保身が為、大きなことが起こらないよう、大きなことが起こらないよう、小さな穴をふさいでいるのに、穴は次から次へボコボコあき、両手で支えられなくなり、足で支えられなくなり、もう、どうすることもできない!となっていると僕には映るのです。これは政治のどこかの組織にも見え隠れする・・・どんな形になったとしても良い伝統は残るものです。今、必要なのは内側から切り裂く爆発力。これしかないですね。今のままじゃ変わらないのは分かっている。しかし変われない・・・自己矛盾を抱えていてどうにもできない。僕にはそのように世相が見えてきます。
バラク・オバマアメリカ初の黒人大統領誕生。40年前には想像もしなかった出来事でしょう。最近のアメリカはどうもね・・・と思っていても、このような大きな変化がさらっとできることが、アメリカの進んだ部分だと感心します。とはいえ、誰がこの状況でなったとしてもかなりのお荷物を出鼻から背負う状態で、「チェンジ」には相当な覚悟が必要になると思います。火中のクリを拾うような、ババを掴まされることにもなりかねない・・・独自の色を出せるかどうかですね。さておき、この海を越えたお国の最大のエンターテイメントに日本で一番喰らいついていたのは福井県小浜市。「オバマ? それうちのことでしょ~」という、ある種おやじギャグ的気づきから、村おこしに発展させ、信条も哲学も排除して手放しの応援に至ったのです。長閑でいいですね~コレ、いかにも日本人的。「まっ、いいんじゃないの~~~」てな訳です。まっ、いいですね。そんな村おこしもあるんだと何となく知っていたのですが、今日オバマ当選のニュースを見て、その小浜市の活動がさらにヒートアップしているのを知ることとなりました。なぜかフラダンス。http://www.asahi.com/national/update/1104/OSK200811040089.html?ref=rssハワイ出身だから?概ねそういうことなんでしょうね。だけど、そこに小浜市は見えない・・・村おこしのように見えたけど、主旨はどこに・・・いやいや、そんなことど~でもいいのです!踊って楽しければ!「こうしなければいけない!」なんて考え方は入り込む余地ありません。いいですね~この感覚こそが、今の世界の閉塞感を打ち砕く、平和な発想ではありませんか!オバマは大統領になったら初の外交を小浜市にして一緒にフラダンスを踊るべきです。そこで私はオバマは本気だな、と思うのです。ブログランキング クリックお願いします
分子生物学者 福岡伸一氏(『生物と無生物のあいだ』の著者)のコラムが日経新聞の夕刊に週一で記載されているので楽しく読ませてもらっています。今日は昨日のコラムから。 ニッチとは本来、産業などで使われるような「隙間」の 意味はなく、生物学では 「自分の適所」 という意味らしい。 生物は自分の生活空間を限定し、 食べるものを限定する・・・ 他種との競争をできるだけ避け、 棲み分けを行っているのです。 ある音響学者がボルネオの熱帯雨林で、 そこに存在する音を録音し、周波数を解析しグラフ化すると、 そこには、互いに重ならない縞模様が見えたといいます。 つまり音の世界においても棲み分けができている、 ニッチがあるということなのです。 しかし、上空をジェット機が横切ったその時、 その整然とした縞模様に 大音響が容赦なく突き抜けてしまった・・・人間はいつから鈍感になってしまったのか?きっと「便利」と言う麻薬を得るために、大切な感覚をササゲモノとして差し出してしまったのでしょう。棲み分けより支配。この構造では人間から見た地球の秩序とは上から下へ矢を突き刺すがごとく直線的で、箱の中に無理やり押し込めるがごとく暴力的で、誰からも干渉受けまいと唯我独尊となるのです。おいおい!お前一人で生きているのか?すでに時遅しなのか?人間の開発力は留まるところを知りません。他種の領域を侵してまで力を誇示しようと懸命です。もしくは欲が伸びているのでしょう。見知らぬ他人に土足で家に踏み込まれたら、誰もが怒り、恐れ、出て行ってもらいたいと思いますよね。そのように上記から解ることは、生物は棲み分けしている。もちろんクロスオーバしている場、音、食・・・などがあるのですが、その領域に立ち入った場合、「お邪魔します!」と一言かけあっているのではないでしょうか?人間だって、そであるべきだと思うのです。今更その場がどこにあるのか解りにくいのですが、常にアンテナをはり、その気持ちを忘れずにいれば間違いないと、このコラムを読んで感じました。ブログランキング クリックお願いします
国宗教民族・・・そんな下らないいざこざではなく、ただ、そこに住んでいる、一番困っている人のために力をつくす。そのためには危険も顧みない。この勇気強い意志利他の精神伊藤和也さんわたしは昨日初めてあなたのことを知り、そしてあなたは帰らぬ人となりました。実践を学んでいる私にとって、あなたのようにダイレクトにそして勇気をもって実践できる人を尊敬します。あなたの志はアフガンの乾いた地に吸い取られたのではありません。私を含め実践を心がけようとしている者に潤いの雨を降らしたに違いありません。その志は形をかえ引き継がれていくことでしょう。ご冥福をお祈りします。ブログランキング クリックお願いします
明後日から始まる北京五輪。昔ほどの期待、感動を五輪に求めなくなっています。歳でしょうか、鼻腔にツンとくるものがありません・・・しかし一人だけ心の底から応援したい人がいます。http://www.suntory.co.jp/culture-sports/sunbirds/members/10.html荻野正二かなりニッチですw寿命の長くない男子バレー界で、齢40に手が届こうとしているこの男。ブロックでポイントをあげれば手を広げてコートを3周近く回り、バックアタックが決まると下手すれば4周。サービスミスをしてもモチベーションを下げないため、全員とタッチ。アタックしなくても囮で飛びまくって、ボールを追いかけ、ひたすらテンションを上げていく団体競技。若くないとできない!それが学年でいうと私の3歳上が現役ですよ!応援せずにはいられない。これで最後の五輪にしてもらいたくありませんが、思う存分暴れてほしい。* 好きな物・焼き鳥 嫌いな物・肉…
ご存じ原料高。BRIC’sを含め新興国による商品の需要が旺盛なこと。行き場の失った流動的な資金(主にファンドによる)が株から商品にシフトしていること。代替エネルギーと見栄えのいい名前を付けて、食べられる物を燃料に変えてしまい食料そのものがひっ迫なこと。ジム・ロジャースが数年前に予想したとおり、現物に資金が向かっています。そんなわけで高くなった原材料を代わりのものに変える動きが出てきています。先週の日経にこんな記事が出ていました。これまで銅線として使っていたものをアルミ線に。レアメタル(希少金属、コバルトなど)を使わない燃料電池の開発。植物性油脂やデンプンを混ぜて、業務用チーズやバターに近い風味を出せる代替素材を開発…等々。ん?チーズやバターに近い風味を出せる代替素材?何ですか?それ?工業製品は仕方ないとして、チーズやバターの代替って一体なんだろう?単純にもとの素材に都合のいい材料を水増しして作った、バター風、チーズ風って感じの食べ物ですか?高くなったら有り難味を持ってたまに食べればいいのに。わざわざそれに似せたものを安く提供しようとするのは安易なことではないですか?日本はそこらへんの規則がゆるい。本物志向でいきましょうよ。ブログランキング クリックお願いします
地方分権は世の流れ。日本はそう遠くないうちに道州制になることが予想されます。道州制小さな政府とも言いますが、通貨や外交など、国として関与しなければならない事以外のことは地方に裁量をまかせることを意味します。教育、医療、福祉、税金のシステム等を地方独自のやり方で進めることができるということです。これまではどの地方都市にいっても横並びで、東京に右倣えのような街づくりになっていました。田舎に行けば文化は残っているのですが、地方都市はあまりにも発想を放棄したように感じられます。旅人からすれば、いいもの魅せてよ!って、いつも残念に思ってしまいます。本当はいい物をたくさん持っているのに分かってない…うまく活用することができない…さて、道州制になると必然的に人民がその州から離れないように魅力を売っていかないとなりません。(これくらい政府が裁量を渡さないと 道州制の意味がないのですが)税金が取れなくなるからです。つまり一般の企業のように、州という商品(魅力)を売っていくということなのです。ある州は税金は高いけど医療・福祉は充実している。ある州は循環システムがすぐれている。ある州はそもそも税金が安い。ある州は芸術に力を入れている。ある州は農業に力を入れている…だからあの州に引っ越そう!そんな気にさせてくる環境がほしい。大昔は民族移動は当たり前だったのに、今は腰を下ろす定着型。これから新しい形の移動型(自由に州を選べるという)になるのも面白いかもしれない。知恵を出して都市を面白く!ところで京都市はかなり進歩しています。http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080613AT1C1200A12062008.htmlこれは景観やCO2排出量だけの話ではありません。非行、犯罪、心の問題…現代の闇の大本ともつながっています。大胆にやりますね、京都市。追随するところも増えるでしょう。太陽とともに生きましょ!ブログランキング クリックお願いします