skip to main |
skip to sidebar
本日は田中マイコが書きます。
そろそろ妊娠7カ月目。
私が行っている自然療法・セルフケアをご紹介します。
注意:ここで書いたものは私には合っているものですが、 身体の反応は人それぞれです。 ご自分で試しながら、自己責任でケアされてください!
<ハーブティー>妊娠中に不足する葉酸、鉄分を補うネトルと母乳の分泌を促すラズベリーリーフのブレンドティーを飲んでいます。ハーバリスト(ハーブの専門カウンセラー)・對馬さん(フィトナチュラ代表)にいただきました!
<妊娠線予防オイルトリートメント>
スイートアーモンドオイル(キャリアオイル)にラベンダーとマンダリン(エッセンシャルオイル)を混ぜました。私が参考にしたオイルのブレンドレシピはこれにジャスミンかネロリを足すものでしたが、私はジャスミンの香は苦手で、ネロリは高価!なので、ひとまず2種類だけにしました。皮膚の再生を促すローズウッドやフランキンセンスも良いです。
私はお腹の大きくなるスピードはゆっくりのようですが、皮膚を柔らかくしておくことで妊娠線ができにくいように願いながらマッサージしています。
<母乳マッサージ・会陰のオイルトリートメント>
カレンデュラオイル(キャリアオイル)を使っています。助産院での指導はまだなので、本やネットを見ましたが、やり方は正しいのか・・・??20週を過ぎたら始めると良いそうです。
<足裏・ふくらはぎのマッサージ>
最近、「脚がむくむ」という感覚が出てきました。自分で手軽にケアできるので、セラピストやっていて良かったなぁとつくづく思います。そして旦那サマが整体師で本当に助かります!!w 少しの不調のときにリセットできるので、元気でいられるのだと思います。
同時に、なかなかボディケアを受けられない妊婦さんたちがもっと気軽に身体のメンテナンスができるよう、今後考えていきたいと思います。こころの月では安定期以降の妊婦さんの施術も承っています。
私は妊娠線予防で作ったブレンドオイルを使っています。本来、むくみ対策でよく使われるエッセンシャルオイルは、老廃物を流す力の強いもの、例えばジュニパー、サイプレス、フェンネルなどになりますが、ちょうど妊娠中に避けた方が良いオイルとかぶります。グレープフルーツやレモンは良いですが、柑橘系は光毒性(日に焼けやすくなる)があるので、昼間の使用は注意しましょう。
女性ホルモン様作用をするオイル、ゼラニウム、ローズ、クラリセージも妊娠中は避けましょう。
妊娠中のアロマテラピーについては芳香程度なら神経質になる必要はないでしょうが、肌につけるためのブレンドオイルはよく調べてください。また、濃度も薄めをお勧めします。私は施術では2%ほどの濃度(20mlのキャリアオイルに対し、エッセンシャルオイル8滴)で作りますが、妊娠中使用するものは1%以下にします。自然のものとはいっても、エッセンシャルオイルは成分が凝縮されています。身体に対しての余剰分は肝臓で処理することになります。ただでさえ、栄養を2人で分け合っているときで繊細で敏感な身体・・・刺激は少なめにした方が無難でしょう。
<びわ葉化粧水>
春に再発する持病のアトピーか妊娠中になりやすい皮膚トラブルか、乾燥とかゆみを伴う発疹が出ています・・・私は敏感肌なので、基礎化粧品を色々試すことも躊躇してしまいます。そこで、以前自分で作ってみて肌に合った「ビワ葉化粧水」で保湿することにしました!ご近所さんにビワの葉をいただき、よく洗って葉の裏の細かい毛をブラシで落とします。そして葉を細かく刻み、お湯を沸かし5分ほど弱火で煮て、火を止めたら蓋をしたまま冷めるまで待ちます。グリセリンを少し足し、完成です! 簡単~1日目から肌のザラザラ感が和らいだことがわかりました。かゆみはストレスになるので、もっと早く作れば良かったです。
<目の温湿布>
<手首・足首ゆるめ>
私が通っている治療院で勧められました。これらが、骨盤まわりの筋肉の緊張を除き、骨盤が開く動きをスムーズにしてくれるとのこと。
自分が施術をしていて、多くの方に共通することがあります。考えごとが多かったり、やることをたくさん抱えているクライアントは、頭皮が硬い!そして背中の張り方も特徴的です。簡単に言えば緊張性の硬さがあります。パソコンなどで目を酷使している方も頭皮が硬くなります。目の周りの血行を良くすることは目の疲れを取り、頭も緩め、神経も休ませることにつながると思います。頭の緊張が取れると、骨盤も柔らかくなる。実証するのは難しいかもしれませんが、感覚的に納得。なにより、寝る前にまぶたの上にホットタオルを置くと理屈じゃなく、ほぅ~っとします!!
また、末端を動かすこと、関節の通りを良くすることは身体全体の温度を上げるのに有効です。これらは妊娠中でなくてもぜひお試しください。よく眠れると思いますよ。以上、色々書いてみましたが、これらは私も見聞きしたものを試している段階です。今の方法や使っているものが本当に良いのかは未知・・・結果は3ヶ月半後。
でもまずは結果より、自分の身体への感謝、そして気づきを大切にしながら 地道に続けます。
とどまっていられない!それを聞いた時、すぐにそう思った。すぐに実感は湧いてこない。ただ、自分の計画や、何となく思い描いていた将来図などは、サッと霧がかかり、夢と消えた。そして新たな現実。それは生と死という、究極のリアル。生きている間は自分以外の生と死を目の当たりにすることによって、それが生命の営みの本来の姿だと確認するのです。誰かが生を全うしてこの世を去り、誰かが光を求めてこの世に現れる。そうやって壮大な宇宙物語が紡がれていく・・・生命の輪究極のリアルは慣らされた現実という見方を超える。いったいどこから来て、どこへ行くのか?その不思議は、宇宙の果てを知ることができないのと同じく、限りなく膨張する。さらに、その経験がいつ起こるかにより、より深く不思議が演出される。それは、およそ自分の経験してきたことでは測りえない、そんな陳腐なモノサシなど何の役にも立たない、偉大なる何者かのさい配。そう感じるより他ない抗えない何か・・・無駄な抵抗・・・観念・・・一転して、何かが自分の身に起ころうとしている・・・希望の光・・・愛・・・生きているという実感。それは心が躍るということ。ああ、これだから人間やめられない!!!去年の9月に母がこの世にさよならを告げ、10月に奥さんのお腹に新たな生命が宿りました。とどまっていられない!君が安心して過ごせる環境、世の中を創っていくよ!
先月の十年の節目の日より、一日おきに朝7時に起きてウォーキングをしています。いきなり毎日やると続かなくなることもあるでしょうから、一日おき。まずはぼちぼちスタートで。朝の冷気を首もとで感じると目が一気に開きます。同時にその冷気は匂いのないミントのように鼻をスッと通らせます。寒いと感じるのも一瞬のこと。次第に手足に温かい血液が回り、外気と皮膚の間にバリアを作ります。かなり薄着。ん?おかしい・・・今気づいたのですが、朝の極寒でウォーキングするとき、寒さに対する心持は強靭なバネのよう。しかし仕事に向かう時、何枚も着ているのに、朝のウォーキングのときより寒く感じる・・・寒さって結構気の持ちようかもしれない。今更ながら気づきました。ウォーキングの目的は、・持久力をつける・呼吸に合わせて身体のリズムを確認・動きの一つ一つに注意を向けて身体の使い方を確認などなど。そもそもウォーキングは全身運動の基礎中の基礎。将来的に激しい運動をする予定はないので、これを続けていけばいいでしょう。朝の腹筋、背筋、腕立て伏せ、各種ストレッチは既に毎日の日課になっているので、身体づくりは当分このセットでいい。将来の動きがどんなものになるかは予測できませんが、方向性は無駄を少なく、大切な事柄にじっくりとゆっくりと取り組むこと。だから僕の場合ガッツリ鍛える必要はない。ボチボチ、コツコツと身体を鍛え、ある程度を保てればいい。そこで重要となってくるのが、気力。自分の内にある気、つまり内気のことです。気というのは力の根源。例えば循環しているもの、血液やリンパ液などを液体が全身に行き渡るよう、推し進める作用があります。これを気の推動作用といいます。ただ機械的に心臓が送り出しているのではなく、「流れよう!」という力が働いてこそ全身に行き渡るのです。種子から芽が出るときの、殻を破って「外に出よう!」という力、そこにも推し進める気の力が働いています。そう、身体はボチボチ鍛えればいいのですが、内気は充実させたい。方向性はじっくりゆっくりですが、そこにかける情熱、没頭の仕方は納得のいくものにしたい。そこは気力。ここ7,8年気功に取り組んできて、内気を充実させていたつもりですが、最近まだまだ甘いなと感じ、早起きした時間を使ってより深く鍛練しています。自分なりの呼吸法最近は丹田呼吸、内蔵マッサージ呼吸、腹部全体呼吸など、既存のものから自分が考案したものまでいろいろ試しながら気功の中に取り入れ、試行錯誤しています。その後静かに瞑想に入り、祈りを終えて朝の日課が終了となります。そんな朝の一コマ。身体(ウォーキング、ストレッチなど)→心・身体(気功、呼吸法)→魂(瞑想・祈り)という流れでしょうか。今後鍛練して、これが一つに統一できればいいなと思います。究極はシンプルに違いない!相当先の話になりますが。目指していきます。
そろそろポジティブシンキングを卒業し、次のステップへ行きましょう!ポジティブシンキング・・・もちろん後ろ向きに考えるより、前向きに思考をする方が良いに決まってる。しかしポジティブシンキングは対処療法にすぎず、一時的な効果は見られますが、むしろそれを続けていくと自分の成長が脅かされてしまいます。自分の成長に必要なヒントが出来事として現れているのに、それを自分にとって好ましくないと切り捨て、ポジティブシンキングしてしまうからです。将来の不安。対人関係での怒り。過去の失敗への恐れ。一度考えだすと頭はジャックされ、不安、怒り、恐れそのものになってしまう。「いけない、いけない」頭の中から何度も切り離そうと試みるが、そう簡単には出て行ってくれない。そこで最後に手段としてポジティブシンキングがやって来る。楽しいことを考えてそれを頭の中から切り離す。もしくは楽しいことをして切り離す・・・しかし・・・当然不安の芽は明日も芽生えてくるし、苦手な人とは明日会うし、失敗は記憶として残っている・・・それはまるで胃が痛くなり、ただ胃薬を飲むようなもの。その時は効くかもしれない。しかしそれは問題の解決に接近したわけではなく、ただ痛みを切り離しただけ。問題を解決することはそんな簡単なことではありません。しかし、一つ、ポジティブシンキングを卒業し次の段階に行くやり方があります。脱同一化といいます。頭の中が不安や怒りなどに占領され、自分がそのものになってまうのが問題なのです。それはあなたの一部であって、あなた自身ではないのにもかかわらず、自分でその色を染め上げてしまう・・・脱同一化とは同一している考えを外すことなのです。つまり、それを私の一部だと認め、距離を持って眺める姿勢をつくりだすのです。怒りそのものになっているとき、「ああ、今あの人に怒っている気持ちあるな・・・」心配そのものになっているとき、「ああ、あのことについて心配している感じあるな・・・」このように脱同一化すると、しっかり自分のこととしてとらえながら、間を持ってみることができる。これはフォーカシングの技法の一つなのですが、今ある社会の問題、すべてに応用できます。問題を切り離し、無視して、いいことだけを夢想したところで解決に近づかない。むしろ自分の一部だと認識し、包み込むことから解決の道は開けるのです。全部を受け止めるのではありません。距離を持って、眺めるのです。あなたに起こっていることはあなた自身のことなのだから。
本日は田中マイコが書きます。手の可能性。最近、特に感じるようになりました。お客様の身体に触れているときに、自分の手と相手の身体が会話しているように感じる・・・ 目を閉じて集中しているとお客様の身体、そしてもっと深い何かに近づいて行くような感覚です。そういう施術ができているとき、そこに在る様々なものとのシンクロを味わいます。身体、音、呼吸、場、空気、心・・・終わったときのお客様の言葉。てあてという言葉があります。手を当てるだけ、かざすだけで病気が治る!なんてそんなスゴイ域の話ではなく、手を当てると、伝わってくるもの 伝わっていくものが確かにあると思います。「気」は手が一番感じやすいですし。子供の腹痛はお母さんの手を当てているとよくなる、とも言います。実際、施術していると手がどんどん温かくなっていきます。この姿勢を続けていたからコリができてしまったとかこの筋肉がこう作用したから痛みが出たとか分析することももちろん必要なのですが、気持ちをこめて身体に触れ、手当てをしながら、感じ、聞き、受け取る瞬間瞬間はとても素敵な時間になっていきます。特にアロママッサージは手と身体が直接触れるため上に書いたような感覚を得やすいので最近は個人的にはアロママッサージが好きです。(私の好みで押し付けたりはしませんので!)余談ですが、「整体とアロママッサージはどっちがいいのか?」とよく聞かれます。基本的にはお客様のお好みで選ぶのが一番ですが、私の場合、コリが強いときは、筋肉を揉みほぐしていく整体、慢性疲労、重い滞った感じがあるときはアロママッサージが向いているかなと思います。お身体の状態で、その都度違うこともおもしろいです。手の持つちからに感謝しながら、師走も『こころの月』は誠心誠意、活動しておりますのでお疲れの方、癒しを求めている方、ぜひご利用ください。【年末年始の営業のご案内】こころの月 本店1月1日・2日以外は営業しております。詳しくはお問い合わせください。こころの月 乃木坂店12月30日~1月3日までお休みをいただきます。通常、火曜が定休日ですが、12月29日・1月5日は営業します。
この仕事に就けて本当に良かったと思う今日この頃。僕の仕事。それは出会ったすべての人、その生命の質を上げ、僕も共に成長すること。だからこそ、自分自身が日々鍛練して、こころ、からだ、そして魂を磨くことが要求されます。適当なことは言えませんから・・・自分ができてこそ、言葉に真実が乗ってくる。そんな鍛練ですら、楽しいのです。仕事それ自体が全生活となっています。逆かな。全生活自体が仕事になっています。生きる意味・・・その第一は成長です。常に更新される新しい自分。時間が進んでいるという事実がある限り、存在するあらゆるものは同じであることが許されません。それを積極的に捉えるのならば、成長することこそ、この世に生を受けた意味なのです。ですから、体を鍛え、柔軟にし、バランスが取れている状態、心を内側から安定させ、人、生き物、全ての存在に対して、愛ある態度、言葉をかけられる状態、宇宙全体の一部であると同時に、宇宙そのものであると実感する魂・・・これらを三位一体として、成長の指標にしていきたい。
本日は田中マイコが書きます。弟夫婦に赤ちゃんが産まれました。ゴウくんと言います。私はKazooさんと結婚した途端に計6人の甥姪のおばさんになりましたが、この子は初めての血のつながった甥。
私の両親にとっては初めての孫。祖母にとっては初めてのひ孫。めでたいことです。弟のお嫁さんは静岡出身で里帰り出産だったので先日新幹線に乗って会いに行きました。生後5日目。無菌室にいたゴウくんとガラス越しの対面。すやすや寝ていました。小さいけど、この子が5日前まではお母さんのおなかの中にいたと思うと大きい・・・出産って神秘です。逆子だったときもあったけどお母さんの体調が良くないこともあったけど母子ともに無事で本当に良かった。ミルクをあげる時間には個室にゴウくんを連れてきてくれてました。右往左往しながらも嬉しそうに授乳やオムツ替えをしている弟夫婦を見ていて、一人の人間の誕生によって関係が成長していると感じました。弟夫婦だけでなく、もっともっと広い影響力があるだろうと。まだあまり笑うことはないと聞いたけど、間近で会えたゴウくんはにっこりしてくれた気がしました。(伯母バカでしょうか?)命が宿って世の中に誕生して今は自分の力でできることは少ないけれど確実に周りの人たちを幸せにしててこれから一つ一つ生きる術を身につけて自分の道を歩んでいくのですね。たくさんの命がこの瞬間も様々な場所でつながっていくのだから、受け皿である社会、世の中が平和で温かくて楽しいものであるように内側も外側も磨いていかなければならないとゴウくんにしみじみ教わったのでした。
本日は田中マイコが書きます。某病院の「緩和ケアボランティア」募集の説明会に行ってきました。緩和ケアWHO(世界保健機関)の緩和ケアの定義によると「生命を脅かす疾患による問題に 直面している患者とその家族に対して、 疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、 スピリチュアルな問題に関して的確な評価を行ない、 それが障害とならないように予防したり、対処することで、 クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである」一般的には、重篤な病気の患者さんが残りの人生をその人らしく穏やかに過ごすために必要な治療やサポートをしていくことになります。現在の医療(特に西洋医学)ではどう病気をやっつけるか、いかに長生きさせるかが、最重要とされ、患者さん自身の思いより優先されることもあります。緩和ケアにおいては、まず患者さんの苦痛を少なくすることを目指します。約10ヶ月前、この病院に問い合わせていたのですが、ボランティア募集の時期ではなく、ようやく機会がやってきました。2年前までは老人ホームでハンドマッサージのボランティアをしていました。普段の生活の中では心身の「癒し」や「快」に積極的に触れづらい方々に対し自分の技術を活かしたいという思いはずっとあり、特に死に直面するという特別な時期に自分の手で何かできればと、いつか緩和ケアに携わりたいと思っています。折りしも2ヶ月前に義母の逝去がありました。本来なら近い親類の死から1年以内の者は緩和ケアのボランティアはしてはいけないと言われています。感情移入してしまうのでしょう。ただ、前から緩和ケアにかかわることを望んでいたこととまず説明会に参加しないと面接も受けられないとのことなので今後活動できる機会を得るためにも病院に行って来ました。緩和ケア病棟の先生、看護師さん、ボランティアの方々のお話を約3時間拝聴しました。想像していた以上に深部まで踏み込んだお話で義母の後半の姿も何度も思い出しました。でもあらためて、義母は潔かったし強かったと確認しました。最近、スピリチュアルという言葉は簡単に使われますが、緩和ケアにおいて「スピリチュアルな苦痛」とは、 将来を失う苦痛 他者とのつながりを失う苦痛 自立と生産性を失う苦痛である、と。死に直面したとき生きる目的、自己存在の意味を失うように感じ、自己の無価値や家族に対する負担を負い目に感じる。そういった苦痛を抱えている患者さんに医師、看護師、薬剤師、臨床心理士、ボランティアなどが一緒に寄り添うための緩和ケア病棟。それでも、患者さんは常に希望は持ち続けているのです、と看護師さんはおっしゃいました。ただただ聴く姿勢を持ち、つらさを語ってくれることに感謝をします、と。心と心で真摯に接しているだろう皆さんに深い感銘を受けました。キレイごとではない。けれど、笑顔も喜びも確かに存在する。死が近いとわかったとき、どのような形で死を迎えたいか。残りの長さを延ばすことを考えるより、その瞬間瞬間が自分の生きた証になるような充実した時間になっていた方がいい。穏やかな環境で過ごせた方がいい。自分なら、そう思います。 今後、こういう視点を大切にし、実行できる病院が増えることを望みます。
この病院では私のようなセラピストは間に合っているようで今回の募集では私は活動できないかもしれませんが、いつか緩和ケアに関わりたいという思いを強くしました。まずは人間力を鍛えないと・・・いう自省とともに。
本日は田中マイコが書きます。先月はじめ、「胃が痛い」と感じました。普段まず胃痛なんてないので、周りの人がそれを訴えてもそのつらさが実感できずにいましたが不快なものなんですね・・・でも病院に行くほどでもなく東洋医学でいう「未病」だろうと、しばらく様子をみました。こんにゃく療法や気功、フォーカシングをして、アカスリで癒され、いつしか胃の痛みは消えていきました。ストレスを感じる状況の中にいるとは思います。でも例えそれが生じようと向き合っていきたいこと、それ以上の大切なことがあるのが現状です。ただ、それにまつわる周りの問題に翻弄されてこころを酷使していたこと。ようやく本来の位置を取り戻せたと思います。胃からのサインはひとまず治まり、そしてその頃から周りの状況もいい方向に収まってきたように思います。不思議なものです。整体師として自分で自分をとらえる見方もありますが、もうひと押し、現状の身体のバランスをもっと把握したいという思いもあり、特に内臓の調子が気になったので、友達でもあり、とても信頼している鍼灸師さんに診てもらいました。免疫力が落ちていて背部に瘀血(おけつ)があり心因性のストレスの反応がありなにより腎が弱っていて慢性疲労・・・だそうです。自分では頑丈だと思っているだけに、そんなにまだ負の要素が残留していたか!と。瘀血とは、簡単にいうと血液の流れの悪いこと。東洋医学において腎は「先天の本」、生命の源で生命活動を維持する基礎とも言えます。確かに、最近は食や睡眠を疎かにしていました。腹部、背部などの反応を診ながら、余計なものは「瀉(しゃ)」の治療で捨て、足りないところには「補」してもらいました。鍼の世界。深いです。当初触られて痛かった箇所が全身にある経穴(ツボ)への刺激で和らいでいきます。しかも鍼を刺している場所は、腕だったり顔だったり。様々な療法があり、アプローチの仕方や考え方もそれぞれ。クライアントによって合う合わないもそれぞれ。でもたぶん共通しているのは、施術する側とされる側の信頼関係があってこそ身体が改善するスイッチが入ると思うのです。豊富な知識や経験をもって思いやりのある手で私のバランスを整えてくれたことでふと気付くと、呼吸の質が変わり、身体の緊張がほどけていきました。客観的に診てもらうことは良い機会でした。鍼治療での見立てもふまえ、どういう状況の中にいようともさらに自分の生活パターンを整え、こころの平穏を保っていこうと。治療してくれたT先生、手作りマドレーヌをご馳走してくれたS先生、ありがとうございました!
ガチで自分の過去と対峙する。意識の奥底の引出しに仕舞っておいた、負の秘密・・・キツイ。心が折れそうになる。しかし、さらに助けを求める声がかすかに聞こえる。「ここだ~、ここだ~、出してくれ・・・」まだ出すのか?いや、本当は知っている。ふとした時に頻繁に顔を出してくる、力で奥底に仕舞おうとしていた、イヤな僕の過去・・・実は、本当にやってしまったことは奥底にない。表層にある。ただ、視界の端っこに包みをして置いてあるだけなのだ。だから内観しにきた。実はそれを視界の端っこで知っていた。この包みを開けないと・・・キツイ。なんてことなんだ。肩にかかる重圧で押しつぶされそうだ。自分が悪い。めちゃくちゃだ、どうかしてる・・・面前の屏風にモザイクがかかったように、視界が揺れた。視界が揺れ始めると、次に、意識に霧がかかってきた。おかしい。一瞬、夢かと思う。頭を振る。いや、リアルだ。再び屏風を見つめ、包みを開けようとする。すぐに意識と、幻想の間のような空間に潜り込む。しかし、なんだか気持ちいい。内観5日目。ひたすら単調な視界と向き合い、、自分の内面の旅をしていたことにより、いつのまにか意識の深層に入り込んでいたのです。僕は洗いざらい過去を吐き出しました。最初それはノドに指を突っ込み、無理やり嘔吐していたような気分でした。しかし、日に日に意識の深層に潜り込み、辛さが緩やかに感じてくるのです。次にそれは宇宙空間に息を吐きかけるように、やわらかく、軽くなっていきます。僕は感涙にむせました。その時、僕が生産してきた、辺縁に追いやっていた罪を自分に引き寄せ、寄り添うことができたのです。そっと自分の古い友人とハグするような・・・無視していたって始まらない。過去は消せるものじゃないから。それも自分の一部。存在を認め、一緒に成長していけばいい。その夜、夢を見ました。多摩川くらいの大きさの川で大の字になり、プカプカ浮いていました。嵐の後だったのでしょうか。流れは速く、とても濁っていました。しかし僕は流れていかない。気持ちいい。すると僕の背中の方、川の底から、タンス、イス、机、洋服、靴・・・生活にかかわる様々なものが浮き上がっては急流に飲み込まれ、瞬く間に下流に消えていったのです!痛快だ~。次の朝、再び内観していると、すぐにあの空間に潜り込みました。しかし意識は明るい。そこには過去を包み込み、前を見る僕がいました。霧が晴れ、視界が地平線の先をのぞこうとしたとき、ふと、自分が未来に向けて果たさねばならないこと、ミッションが舞い降りてきたのです。僕の脚は、もしかしたら過去の因果からこうなったのかもしれない。しかし、こうなったからできること、人生において自分がやるべきことが、内観によって示されたのでした。内観とても地味で、一歩を踏み出すのにエネルギーが必要となりますが、心のチューニングにはとてもお勧めです。
部屋の隅に屏風を立てて、四方を囲みます。(だいたい1.2メートル四方)そこに座布団を敷いて座ります。何だろう、この感覚・・・何か悪いことをして幽閉させられた気分。少し落ち着かない。目の前に屏風。上を見れば天井の木目。それ以外に見えるものは一切ない。1日15時間そんな状態。しかも、それを6日間やり続ける!これだけで何かが起こる気配・・・さて、幽閉されたところで内観は始まります。グイッと内側に入っていきます。内側と言っても、いきなり瞑想をするわけではなく、ただひたすら過去を思い出す作業。主に母親に対して1、世話になったこと2、して返したこと3、迷惑をかけたことこの3項目を例えば幼稚園の時、小学校1年生から3年生まで~と短い年代に区切って、ただ、屏風の中で思い出すだけなのです。2時間くらいすると、面接者が来て、その思い出したことを言うんですね。いわゆる告白のようなものです。それを永遠と繰り返します。この3項目、見ていただければわかると思いますが、2番目の「して返したこと」なんて、よっぽど若いころからできた人でなければ、そんなに多くないはずなのです。必然、迷惑をかけたことが多くなってきます。そんな過去の記憶、忘れてるよ。初めはそう思っていました。しかし、出るわ出るわ。まるで脳内の引出しに後生大事にしまっていたかのよう。そう、ここが内観の大切なところなのかもしれない。過去、自分が人や何かに対して迷惑をかけたこと。誰かに怒られれば明確に覚えていることが多い。しかし、うまく立ち回って咎められなかったり、迷惑を被ったのにその人が消却してくれたりすると、そんなことは忘れてしまう・・・意識の表層では確かに忘れていました。しかし、期間を細かく区切って内観していると、そんな過去の記憶がよみがえってくるのです。自分ではその時、悪いと感じていた。だからたとえその状況から逃れたとしても、記憶の隅にはしっかりと残っている。まるで、いつか清算しろよ!と遠くでいつまでも叫んでいるかのよう。これを引出しから取り出し、面接者に伝えていく。過去の自分の悪行・・・これを掘り下げることは自分で自分を鞭打つようなもの。それはとても辛い作業でした。「なんて、ダメなやつなんだ! だから脚がこうなってしまった」薄暗い中、目の前の屏風に向かい、他人の気持ちをないがしろにした自分の過去をひたすら見つめ、どうにかしたい気持ちで充ち溢れ、もどかしく、悩ましく、発狂したく、頭をかきむしり、「悪かった、ゴメン・・・」とひたすら謝るのでした。
そもそも心理療法とは何でしょうか?痛みという観点から説明すると分かりやすいと思います。身体のどこかに痛みがあると、そこを和らげるための処置が施されます。外科、整形外科、麻酔、薬、鍼等、様々な方法で対処していきます。しかし痛みは身体だけでなく、心にもありました。これに気づいたのは、ここ100年くらいのこと。なぜなら、ある意味心の痛みは鈍感だからです。あと、生活に余裕ができてきたという背景もあります。少々の心の痛みは我慢することができるのですが、それが溜まりに溜まって飽和状態になると、自律神経や身体の変調、思考の執着など、気づくと、自分では制御できないところまで来てしまうのです。そんな心の痛みを和らげる試みが心理療法なのです。*あくまでも、この説明は分かりやすくしたもので、 僕のスタンスは、 心と身体を別々に分けるものではありませんし、 心だけでなく魂の奥深くまで癒すことを目的とします。その心理療法なのですが、大別して二つに分けることができるでしょう。一つは、心理テスト、認知療法、NLP(神経言語プログラミング) 、アサーション、等に代表される、客観的に自分を見直し、行きすぎてしまった心のクセを見直していく方法。これは常に意識を顕在に置き、冷静に自分を見るやり方。もう一つは、催眠療法、自律訓練法、フォーカシング等、何らかの方法で自分の深い意識に触れ、そこに自分にとって気持ちのいい生き方を語りかけたり、そこからヒントをもらったり、過去のトラウマを引き出したりして、芯に触れていく方法。これは一つ目と違い、潜在意識なので明確ではないことが多いです。あやふやだけど大切な部分に触れることができる・・・しかし催眠療法、退行療法、前世療法など最近流行っていますが、少し危うい部分があるな~と思うことがあります。過去の自分を知って、前向きになれるのでしたらいいのです。しかし、過去や前世が悪かったから現状こうなった、と理由づけし、そのせいにして問題が終わってしまうことが多いような気がします。これは解決には向かわないですよね。自分の奥底に触れることは大切だと思います。大切なのはこれからどうしていくかということ。そこに解を求めていきたい。で、内観療法なのですが、後者にあたる、意識の奥深くに触れていく方法を取ります。やり方がかなり独特で、僕が色々試した意識の奥底にトリップする方法としては、かなりディープなところに連れて行かれます。そして、その独特な方法で連れて行かれた先で得たものは、抽象的でぼやけていたけれども、「ストン」と肩の荷が下りるように心身が軽くなったことを実感したのでした。
日本で生まれた心理療法で有名なものが二つあります。森田療法と内観療法どちらも日本発祥だけあり、西洋で生まれた心理療法のように優しく、そーっとアプローチするやり方ではなく、どちらかと言うと修行に近い方法をとります。それはそれで、耐え忍ぶことを美徳としていた日本人には合っていると思います。ガッツで治すみたいな・・・今回はそのうちの一つ、内観療法について書きます。5年ほど前に内観療法を体験したときのことです。それは、4年以上の終わりの見えない入院生活からどうにか抜け出し、脚の障害者として社会に復帰しようという時でした。はじめの一歩。以前の僕ではない。新しいキャラで、新しい人生を切り開いていかなければならない。そんな気負いがありました。特に大けが、大病を患うとそういう思考回路になるようです。因果応報。今、僕がこんなになってしまったのは、過去の行いが悪かったから・・・僕は過去を悔みました。人に対する僕の悪行・・・自然に対する不敬・・・社会に対する侮蔑・・・僕が悪かったからこうなった。自分を徹底的に責めました。今のままではいけない。変わらなきゃ・・・当時すでに整体の学校に通っていて、進むべき道は見つかっていたのですが、いま一つ自分が新しい路に立ち、歩んでいる実感が湧かなかったのです。どうしても過去の自分の犯した過ちに対して折り合いがつきませんでした。過去をどうにかしたい・・・しかし、過去は変えることはできない・・・そんな考えが脳内を逡巡していたとき、学校の心理の授業で、内観療法の存在を知ったのです。その瞬間「これだ!」と閃き、すぐに手続きをして内観療法を受けることとなったのです。過去は変えることができないけど、その捉え方を変えることはできる。内観療法のそんな可能性を直感したのでした。
さて、前回腹式呼吸の説明をしました。うまくできてましたか?腹式呼吸の補足をします。まずは横隔膜が腹式呼吸によってどう働いているのか?今一度、図に戻って横隔膜の位置、形を見てみましょう。腹式呼吸の吸気において、お腹が出っ張ると同時に横隔膜は下にさがり、広くなった肺に空気がたくさん入ってきます。お腹を引っ込ますと当然逆のことが起こりますよね。横隔膜は上にあがり、肺の容積が減り、二酸化炭素が出る。腹式呼吸は横隔膜の上下運動が促されるのです。これだけで横隔膜を意識をするのは難しいかもしれません。しかし、いずれ分かってくると思います。当然肺活量が増えます。例えばデスクワークで浅い呼吸を長くしていると、脳への酸素供給が少なくなってしまいます。それは同時に眠気を誘い、思考能力も断然落ちていきます。お腹には臓器を働かせたり、栄養を分解、排泄するためにたくさんの血液が循環しています。腹式呼吸をすることによってお腹の運動が活発になり、内臓の血液循環をとても良くします。代謝が良くなり、体温も上がります。腹筋が付きます。お腹の内圧が上がることにより、腰を支えます。腰は本来、腰筋だけで支えるものではなく、腹筋も付けてコルセットのようにして支えるのです。昨今の腰痛は腹筋が弱いことが挙げられます。腸が自然とマッサージされるので消化、吸収、排泄が良くなります。便秘に効果があると思われます。セロトニンの分泌量が増え、気分を安定させます。上体を保っていないとうまく出来ないので、当然姿勢が良くなる・・・メリット多し!これをやらないのはもったいないでしょ。最初は意識的にやらないとできませんが、何年もやると自然に腹式呼吸が身についてきます。是非モノにしてもらいたい、大切な健康法です。
腹式呼吸まずはしっかりお腹を動かせるか見てみましょう。座位で手をお腹に当ててください。呼吸は意識せずに、お腹をプク~っと妊婦さんのように膨らませ、引っ込ませる運動をしてみてください。手がその動きを確認しているでしょうか?スムーズにできていればオーケー。筋肉がヒクヒクしてうまくいかなかったり、そもそもその運動の感覚が分からないケースもあります。そのような方は、「できない」と思わずに、ラッキーだと思ってください。普段ないがしろにしていた身体の感覚を発見することができたのです!訓練すれば簡単に動かすことができるので、司令(神経)と運動が連動し、健康にとって、とても有意義なものになります。うまくいかない人は仰向けになりましょう。膝を90度に曲げて、お腹の上に電話帳なり、重量のある本を置きます。その本をお腹を膨らませる力で持ち上げ、ゆっくり力を抜いて引っ込ませる運動をします。何度かやっていると感覚がつかめてくるのではないでしょうか?次に本をどけて、同じようにやってみます。どうでしょうか?そんなに難しいものではないと思います。ただ、全くできなかった人はその感覚を体に覚えこませるために何度も繰り返すといいでしょう。さて、お腹の出し入れがスムーズになったら、ここに呼吸を合わせていきます。手はまだお腹に当てておいてください。お腹が引っ込んでいくと同時に息が口から出ていくようにします。口をすぼめて圧をかけながら、ゆっくり、長く。手で風船(お腹)を押して空気が出ていくようなイメージ。十分におなかが引っ込み、息が出切ったら、今度は素早くお腹を膨らませます。同時に鼻からスッと息を吸います。呼気とは逆に素早く切れのいい感じで。もちろん息を出しきったら自然と吸っているものですが、それをあくまでも、お腹主導でします。息を出し切った後、スッと吸い込んだ後に「1・2」とカウントして間をあけてみましょう。さてスムーズにできましたか?おおよその腹式呼吸はこのようになります。それでもまだ出来ない、とのことでしたら、立って深々とお辞儀をしてください。そこで同じようにお腹を使って呼吸を試しましょう。きっと感覚がつかめると思います。いかがですか?それでもできない!と言う方は直接連絡くださいw
良い呼吸は横隔膜から。横隔膜をうまく使えるかどうかで呼吸は決まります。横隔膜胸(肺・心臓)とお腹(その他臓器)を隔てる膜。
膜と言いますが実は筋肉でできています。つまり収縮して伸長するのですが、その他多くの筋肉と違い、随意的(自分の思うまま)に動かすことが非常に難しい。学術的には、随意筋であり、不随意筋でもあるとのこと。意図して動くし、身体の動作の中で勝手に動いているものでもあるのです。上の絵で大体どこにあるのかが掴めると思うのですが、そこを意識して上下に動かしてみてください。難しいですよね。そもそも動かしていることを実感しにくい。当然神経はつながっていて、「動け!」って言えば動くはずの筋肉なのです。面白いですね~普段意識して使わないと、意識下に追いやられてしまう・・・それなのに、なぜ随意筋としての機能もあるのか・・・ここが横隔膜の神秘。奥深いですよ。さあ、実践して横隔膜を動かせるようにしましょう! まずはこれも基本。腹式呼吸から。 つづく
つまり、呼吸をマスターすると自然のリズム、宇宙と合一することができ、ぶれない精神を獲得できるのです。これは素晴らしい!この域に達したいと、気持ちがはやるのは分かります。しかし、ちょっと待ってください。これはあくまでも奥儀です。深い深い意識の探究が根底にあってこそ、時間をかけて辿り着けるというものです。ところが・・・食事療法にも通じるところなのですが、理念や哲学性だけに魅せられて、「これが良い!!!」と観念的に、無条件に取り入れている人たちが多い・・・大切なことを置き去りにしてはいけません。それは身体。身体感覚、身体の使い方をないがしろにして、そのメソッドに観念的になると、いつまでたっても得るものがありません。例えば食事療法。数多の療法がある中で、自分をそのメソッドの枠(フレーム)にこじ入れてしまう。きっと、食事療法に「これが絶対正しい」なんてないでしょう。なぜなら最終的に、本当に自分の身体にあっている食べ物、食べ方はその人、個人のものでしかないということだからです。だから何年もかけて、さまざまな食べ物、食べ方を思考錯誤して、身体に聴いてみる他ないのです。数多の食事療法は指標でしかありません。「何だかな~」と思うのは、食事療法はかなり哲学的力学が働くので、たまたまその療法が自分に合ったりすると、原理主義的思考に入り込んでしまうのです。ここは注意しましょうね。僕は言いたい。身体にゆっくりと聴いてみましたか?呼吸法も、同じことが言えます。この域に行ってみたい気持ちは分かりますが、そんな簡単なものではありませんよ。仏教などの瞑想に用いるあらゆる呼吸法丹田呼吸火の呼吸足芯呼吸・・・それぞれきっと素晴らしいものです。しかし、それも身体がうまく使えてからこそできることであり、身体性をないがしろにしては無味乾燥なものになってしまいます。例えば、日常的に猫背で、呼吸を肺の上部、または頸部でしている人は、いくら哲学的に共鳴できる呼吸法に出会ったとしても、深い呼吸ができずに、いつまでたっても上達しないというスパイラルに陥っていしまいます。呼吸法の最初の一歩は、何よりも身体をうまく使うこと。それを基礎に次の段階に入ることができるのです。さて、それでは呼吸においてどんな身体の使い方をすればいいのか?そのキーに横隔膜があります。この横隔膜の使い方をマスターすれば、自ずと基礎はでき上がる。これは言い過ぎではありません。横隔膜・・・焼き肉で言えば、サガリ・ハラミ。この、不思議な筋肉こそ呼吸において、かなり大切な役割を担っているのです。 つづく
精神を鍛えるあらゆる場面で呼吸は大切な役割を果たしています。禅ヨーガ気功武道 等これら精神を重んじる道において、呼吸はとても重要な役割をしています。これを整えておけば精神がぶれない・・・なぜ、ぶれない精神を呼吸で獲得することができるのか?それは宇宙と一体になる・・・自然のリズムと合一するからです。おっと、いきなりぶっ飛んでしまいましたね。でもこれは本当。科学的に証明されているのです。それは自律神経を紐解くことでわかると思います。自律神経はホメオスタシスのところで書いたので参考にしてみてください。活動モードが交感神経 。
リラックスモードが副交感神経となります。一日の中でこの二つのモードを行ったり来たりします。単純に例えれば仕事に出かければ活動モード(交感神経)帰って家のソファーに座ればリラックスモード(副交感神経)となります。最近よく聞く自律神経失調症の多くは、本来リラックスしなければいけない場面でも交感神経のスイッチが入りっぱなしになり、リズムがくるってしまうことを言います。布団に入ったら自ずと副交感神経のスイッチが入り、眠りにつけるところ、交感神経(活動モード)のままなので目がさえる・・・あ~、眠れない。イライライライラ→交感神経UPさらに目が覚めてしまいます。話はそれましたが、自律神経この言葉に注目してください。自ずと律する神の縦線(経は縦線のことを言います)まぁ、これはあまりにも仰々しいですが、自分の意思では働かすことのできない、何かに委ねることしかできない、身体の作用なのです。まさに自然のリズム。しかし、ただ一つの働きは例外として、この自律神経に意図的に介入することができます。そうです。呼吸。呼気(吐く方)は副交感神経吸気(吸う方)は交感神経となっているのです!これで前回書いた、タバコを吸うときに「ふぁ~~~」と吐くのか分かったのではないでしょうか?つまり仕事で交感神経が活発になり過ぎたところ、身体が少しは緩ませろよと、呼気を要求してくるのです。これは気付きさえすれば、自分の意思でどちらかのモードを活性化させることができるということなのです。呼吸で意図的に自律神経に介入できる。自律神経はすなわち自然のリズムと深いつながりがあるので、呼吸をマスターすると自然のリズム、宇宙の流れと合一できるのです。古人の発見した精神を鍛える方法として何よりも呼吸法を重んじたのはこのような意味があったのです。
本日は田中マイコが書きます。フォーカシング。セッションを受けてきました!やり方は二つあるそうです。 テーマ(今気になっている問題)を先生に簡単に話して、
それについてワークする方法をとりました。 もしくは、テーマを決めずにただ身体に注意を向ける方法があるそうです。
まずは意識の奥深くに入る準備です。リラックスした状態で目を閉じて
下半身、上半身、体の内側(口~喉~胃~おなか)と
順番にそれぞれ注意を向けて、気になる部分について言葉で表現しました。
例えば下半身のときは、
左の股関節が窮屈なかんじと足裏のざわざわしたかんじ
と言いました。
先生は、私の言葉を繰り返し、
ああ、こういうかんじがあるんだな~とぼんやりながめるよう優しく言いました。
そして、今の問題(それを起こす人)を思い浮かべたとき、
体のどこかに変化があるか、見ていきました。
右耳から後頭部に棒が刺さったかんじ
(視覚イメージと、なんとなく何かある感触)を感じました。
それもまたぼんやり見て、
問題と照らし合わせてぴったりくるか、味わいました。
その後、そのイメージが展開していきます…
先生の誘導に応じて
いくつもの問いかけを自分の内側に働きかけ、
見つめ続けました。
テープレコーダーに録音したので後で聞いてみると
間(沈黙)が長い!
でもワーク中は、
軽い瞑想状態と意識の間をふわふわ漂っていて、
そして自分の中のわずかな変化を追いかけているので、
それほど気になりませんし、
早く何かを言わなきゃというような強迫観念もありません。
最終的に、私がはじめに呈示した問題(のイメージ)は
掃除機のようなもので右側から吸いとられました。
それに替わるように
自分の中心から左側に向かって
振られた炭酸飲料のようなものが
シュワ~と弾けとび、
右腕がそれを追いかけて上に向かって伸びている
という絵が浮かびました。
先生にタイトルをつけてくださいと言われ、
静かに見つめていると、
「光」
という言葉になりました。
時間が来て終了となりましたが、
今度自分でフォーカシングするときは、
シュワ~から始めると、
なにか新しいビジョンが湧いて来るのではないかと
先生に言われました。
シュワ~を先生は気に入られたみたいで、
楽しそうに私のイメージをご自分の手で表現する
無邪気な先生でした。
先生は動きからフォーカシングに入るタイプだそうです。
私は視覚的なイメージが発達していそうとのこと。
フォーカシング。
意味を探求しない、
という姿勢が面白いです。
見つめているだけで、
痛みが消えたり合点がいったりするのは
本当に不思議です。
人間は自分のことですら 理解できるという境地には
ずっと至らないんだろうなぁと思います。
細かく細かく分析することも必要かもしれません。
でも私は解明できないくらい不思議なものだという視点から、
自分自身と付き合っていくのも、
存在を認める方法かな、と思います。