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4.03.2010

目を向ければ有りうること 6

知人のM君のことを思い出しました。

自閉症のM君は自宅へ帰る途中、
自分の家を勘違いしてしまい、
他人の家のドアを自分の鍵で何度も開けようとしていて、
警察沙汰になったとのこと。

詳細は知りませんが、
住人が怖くなって通報したのでしょう。

確かに普通の恰好している人間が、
自分の家に入ろうとしているのを見かけたら、
どうするだろう?

急にどなり散らすことはないにしても、
警戒心から強張った物言いになるに違いない。

しかし、もし自閉症の人との関わりがあるのなら、
その後のやりとりで「もしかしたら!」
と気づく可能性もあります。

知らなければ、他人が家に乗り込んでくる恐怖に襲われる。

その後、障害者であることを知り、承服するのが
上記のような問題が起きたときの反応でしょうか。
残念ながら・・・

H君の話を聞いたときにM君のことが思い起こされました。
ご両親も色々悩んだ末のことでしょう。
しかし僕のジレンマは中々落とし所が見つかりませんでした。

例えばH君とM君。
M君は双方向的にコミュニケーションをとり続けるのは難しく、
自分だけの世界に入り込むことが多い。
ゆっくりだけど理解する・・・
しかし一般的な仕事をするのは難しいでしょう。
H君は双方向的に会話をし、その場で理解ができる。
単純作業だけれども仕事ができる・・・

共通しているのは成長の歩みがゆっくりだということですが、
H君は勉強をしないだけで、勉強したらどうなるのか?
という見えない部分が多く残されています。

一体そこの線引きを誰がするのだろう?
こっちは障害者でこっちは違いますと
明確な線引きがあるのだろうか?

H君にとって本当にいいことなのだろうか?
深く、重く僕の心に響きます。

さて、H君はちょうど4年生(定時制なので)の夏前に
精神障害者手帳をもらいました。

その後、アルバイトに励み、
タイガもピカチュウも暴れることなく、
自分の貯めたお金でおばあちゃんちに行き、
精神状態どうのというよりも、
楽しく生き生きと生活していました。
セッションの声も弾んでいる。

いよいよ卒業が近付いてくると
H君は就職したいと言ってきました。

以前から就職について
H君は構想を膨らませていたのですが、
H君の構想はいつでも強気だったので、
僕は「それだったら漢字勉強しなきゃね」
と返すのが常でした。

しかしH君は勉強はしません。
一ヶ月くらいすると、また違う構想が浮かんでくる。
そんなやり取りが続いていました。

本当に今後どうなるのだろうか?

実際に卒業も見え始めてきて、
学校でも就職活動が盛んになってきます。

そんな僕の心配も杞憂に終わりました。
実はウルトラCがあった。
H君は企業が採用する際の障害者枠に入れるのです!

少し手こずったようですが、
スーツを着て面接を受け、
卒業を控えた三月、
ギリギリで就職することになりました。

その日、
弾んだ声で電話がありました。

「おめでとう。
これからがスタートだよ」

月並みなことをいい、
高校卒業と共に僕からも卒業しようと切り出しました。

タイガ、ピカチュウには20歳まで声かけすることが
約束なので、それは自分でやればいい。
たまに何かあればその時電話くれればいい。

いよいよ卒業となり、
僕との三年間のセッションもとりあえず幕を閉じました。

この三年間、
想像もつかないたくさんのハプニング起こりましたが、
H君はゆっくりとですが成長したと思います。
しかも思春期という大切なステップを
ある程度は踏み越えた。

ただ、H君にも言ったように、
これからも色々な壁が待ち受けているでしょう。
これまでの人間関係では我がままが通せたことも、
社会では通用しないのですから。

「一人暮らしをします」

当面の目標を聞いたところ、
こんな返事が返って来ました。

楽しい人生を送ってほしい。
そう願ってやみません---


さてさて、僕のジレンマはそう簡単に解決されません。

H君が無事就職できたことはこの上なく嬉しい。
ただ、それが障害者の枠を使ってのことだったので、
もし認定を受けなかったことを考えると、
漢字の読み書きのできない現状、
就職は難しかったかもしれない。

この線引きは難しい問題です。

例えばH君よりも発達が緩やかだけれども、
特にハプニングを起こさない子がいるとします。
こんな子はどうなるのか?

さらに障害者になるかどうか、
親の意向が占めると思うので、
そうなってほしくないと、
認定が下りるケースでも両親が拒む場合があるでしょう。

H君より発達が少し早く、
よりハプニングを起こしてしまうケースは?

考えるときりがない・・・

現実として言えるのは
境界がはっきりとしないだけに
そこにまたがる人たちがいるということです。

同じ状況でもH君のように就職できれば、
認定を受けないことで就職できない人もいる。

そこに現代の影があるような気がしてなりません。

その境を埋めていくのは僕らの役目でしょ!

そんな盛り土的な役割をするのが
周囲のケアや思いやり。

まずは目を向けてみましょう。
このようにごく普通にある話なのですから。

                         おわり

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4.01.2010

目を向ければ有りうること 4

一年間積み上げてきたものが、
一瞬にして水泡に帰しました。

「脇が甘かったか~!」
タイガとの対話がそこそこ上手くいっていると安心し、
H君とのセッションが緩慢になっていた。

学校にいられるのかどうか、
処分について大きな問題となります。

その夜、本人から泣きながら電話がありました。
一体何があったのか・・・

「分からない・・・
頭が真っ白になって・・・」

「タイガは?」

「大丈夫・・・」

タイガは暴れていないと言う。
一体何が起きたというのだろうか?

とにかく起きてしまったことは仕方ない。
学校の処分については静観するとして、
次に何かが起こらないように策を練らないと。

しかしタイガは暴れている様子もなく、
自分でも何が起きたのか分かっていない・・・

ただ、自分のこれからの境遇について騒がれていて、
とんでもないことをしてしまったという自覚はありました。

タイガの効き目が薄れたのだろうか?
僕にもわからない。

再びタイガとの対話をしっかりすることと、
H君の「もうしません」という誓いにかけて、
セッションを週一回に限定せずに、
いつでも電話するという約束をしてしばらく様子を見ました。

学校の方は何とか猶予が与えられ、
次はないぞということで話がつきました。

その後2,3か月は精神的に安定しているようでした。

ホッと肩をなでおろした時、
また事件が起きました!

今度は駅のトイレで大の方を何度も何度も流し続け、
駅員さんに見つかってしまったというのです。

学校には報告されずに、
親に直接話が行ったので事なきを得たのですが、
僕もこれ以上何をしていいのか
分からなくなってしまいました。

どうやら、その流れるさまを見ているのが
楽しかったようです。

なぜそんなことをしてしまうのだろうか?

タイガは?

「大丈夫・・・
ただ・・・」

「ん?何?言ってみ」

「もう一匹、僕の中で何かがいる・・・」

なるほど、タイガの他にもう一匹いたのか!
すぐに呼び出して、再び外在化をしました。
彼が描いたのはピカチュウ。
これが最近暴れるのだと言います。

それからはタイガ、ピカチュウに朝、夜
声かけをするように言いました。

これで良くなってほしい・・・
願うような気持ちです。

しかも話を聞いていると、
事件が起こる前に、
何やら不満が鬱積していることが分かりました。
特に家族に話を聞いてもらえないことが
引き金になると言います。

フムフム・・・

タイガ、ピカチュウへの声かけと並行して、
不満が溜まっていきそうだと思ったときに、
真っ先に電話するように言いました。
話を聞けば何とかなるかもしれない。

二匹への声かけが功を奏して、
気持ちが落ち着いている状態が続きました。
それでも人間関係で不満がたまるとすぐに電話をしてきて、
僕が一通り話を聞いていくと、
息がゆっくりとなるように、
こころの状態も落ち着いてきました。

外在化は完全に効果が出たようです。
波はあるものの、
頭が真っ白になるようなことは起きませんでした。

この声かけを二十歳になるまでやるという約束にして、
セッションを週一回に戻しました。

上手くいっている。

そんな実感が湧いてきた矢先、
またもやハプニングが起きます。

自転車を飛ばし過ぎて
通行人にぶつかってしまったというのです。

相手は怪我をし、
警察を呼ぶ事態に発展してしまった・・・

                   つづく

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3.25.2010

目を向ければ有りうること 2

友人に連れられたH君と初めて会ったとき、
体格、身なりからは高校二年生には見えませんでした。

モジモジしたしゃべり方、
うつろな目、
話にまとまりがないこと、
高校生というよりは男の子という印象です。

「自分をどうにかしたい・・・」

自分ではこの状況をどうにかしないとマズイと
感じているようでしたが、
いったい何をしていいのか分からないと、
半分泣きっ面で話していました。

何とかしてあげたい。

さらに話を聞くうちに新たな側面が見えてきました。

どうやらH君は高校二年生という現状で、
漢字が全然読めないというのです。
もちろん英語、数学などは論外のようです。

フムフム、なるほど・・・

しかも小学校、中学校の頃、学校へは行かず、
フリースクールに通っていたようです。
学校へ行きたくない何かがあったのかもしれません。

ただ、これは後々知ることになるのですが、
高校の先生の会話など、大人の会話に割り込んで、
いっぱしな意見を通すこともよくありました。
まあ、若いころにありがちな、生意気なことも言うのです。

「ハイハイw」
いつも先生方は大人な対応でいなしていました。
憎めないタイプです。

ただ、H君は初めて会ったときのように、
自分にとって都合の悪いことには
極端に子供になってしまいます。

自分をどうにかしたい。
その気持ちはモジモジしながらも伝わって来ました。

では、どうすればいいのか?

もっとH君を知ることにしよう。
いろいろ話を聞いてみました。

自分のこと、
家族のこと、
将来やりたいこと・・・

やはり読み書きをできないことが
障壁となっているようでした。
勉強についていけない。

しかし、進級的には結構問題ない様だったので、
それを分かっていても勉強は二の次になっていました。
その後、何度も、勉強して漢字を覚える!
とスタートを切りしましたが、
最後まで嫌いなことを続けるのは無理だったようです。

話を聞いているうちに、
今が思春期で、
何か、殻を破りたいのだけど、
子供の自分がすっぽり覆っていて、
そのギャップにどうしていいのか
分からないのかもしれないと思いました。

そして核心へ・・・
万引きしているときどんな気持ちなのか・・・

「頭が真っ白になってよくわからない」

ん~~~

この答えはかなり厳しい。

動機なり、その時の気持ちなりはっきりすれば、
そこから糸口が見えそうなものですが、
真っ白になっては糸を手繰りようもない。

ただ、それが悪いことだという認識はある。

そこでブリーフセラピーという
カウンセリング技法の
「外在化」が使えないかと閃きました。

その技法は絵を描いてもらいます。

「君の中に虫がいてね、
おとなしい時は、ただ、そこにいるだけなんだけどね、
たまにグォ~って起き上って、暴れだす時があるんだ。
その暴れてしまう時に、
そうやって、ふと万引きしてしまうんだよ。
そんな君の中にいる虫の、大人しくしている時と、
グォ~って暴れている時の絵を描いてくれる?」

こう言います。

H君は楽しそうに
二枚の紙にそれぞれの状態の虫を描きました
なかなか上手。

「うまいじゃん!
じゃあね、この虫に名前を付けよう。
何がいい?」

「タイガがいい」

何かのキャラクターでしょうか。
きっとお気に入りなんでしょう。

「タイガね。
じゃあ、その紙にタイガって書こうか。
そして、これから毎朝、夜寝る前に
ちゃんとこの紙をひらいて、
タイガに声かけしよう。
朝は『今日もおとなしくしていてね』
夜は『一日おとなしくしてありがとう』って。
そして、何か心が落ち着かなくなった時も
サッと取り出して、
タイガに声かけするんだよ。
だから常に持っていよう」

「ハイ」

外在化とは先日書いた脱同一化と変わらないのですが、
本来自分の一部である感情、思考などが
あたかも全てになってしまう時に有効です。
この場合は擬人化(擬虫化ですねw)して、
自分の中にあるけれども「一部」として認識するのです。

どうなるか心配でした。

いつ頭が真っ白になるか分からないからです。

ただ、外在化して訓練付けすれば、
自分の中のタイガをうまくコントロールできるはず。

そんな不安と期待が交差する状態でしばらく過ごしました。

                             つづく

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3.22.2010

目を向ければ有りうること 1

僕らは全体を見ていく必要があります。

情報は恣意的に平均的に流されて、
とても重要だけれども、
社会の辺縁で起きている平均外の出来事は、
あまり目に入らないようになっています。

それらは興味を持って
能動的に関わらないと知りえない世界。
そんな出来事は社会の影に人知れず埋もれていきます。
それはそれで、知らなくてよかったと思うのならば、
いざ自分の身に何かが起きた時、
とても苦労することになります。

いつ何時何が起こるか分からないですからね。
しっかり目を向けることによって余裕が生まれます。

これから書くことはH君と僕の3年間のやり取りです。
これは社会の辺縁で起きた小さな物語ですが、
人知れず埋めてしまうには、
ある種の輝きがあり、
しかしながらとても重く、
く考えさせられる出来事だったので、
皆さんとシェアした方がいいと判断しました。


「H君という少年の話を聞いてくれないか?」
こう友人から持ちかけられたのがきっかけでした。

僕が出会ったのは彼が高校二年生、
つまり17歳のころでした。

最初は小学生か中学生くらいにしか見えませんでした。

手入れされていない坊主頭。
寒い時期なのにTシャツ、半ズボン。
当然、洒落っ気はどこにも垣間見れず、
辺りをキョロキョロ見回して、
落ち着きのない様子・・・

友人は知人を介してH君を紹介されたそうです。

ある日、友人がH君と待ち合わせをしていると、
目の前でH君が警察官に連れて行かれるのに
出くわしてしまったのです

万引きをした・・・

その後、
H君から友人に自分自身をどうにかしたいと相談が来て、
それならばと僕を紹介してくれたのです。
H君は路頭に迷っていた・・・

少年の手助けのため
友人が僕を指名してくれたのは光栄な話ではあります。
頼られているのですから。

なぜだか分かりません。
直感で引き受けようと決めました。
その友人への信頼ももちろんありますが、
将来自分が進むべき方向性も垣間見れたことも確かです。
いずれにせよハードルは高かったのですが、
この出会いの隠された意味の方が重要だと思ったのです。

これは僕にとって重要なミッションとなりました。
僕のやり方によって
H君の今後の人生が左右することも
十分に考えられるやり取りになっていった・・・

最初はとても緊張しました。
その瞬間、瞬間に緊張したのではなく、
「どうにかしなきゃ」と
背中に重くのしかかる責任が
ジワジワと感じられたからです。

人生初めての出来事。
一整体師に何ができるのだろうか?
しかも本来なら、
親、学校、相応の機関で面倒をみることが普通かもしれない。
それが僕に回ってきたのは何か意味がある・・・

                            つづく

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10.05.2009

寿町ブルース 8

カミさんの友人が
今まさに僕が隅田川のほとりにいるのかと
心配していたらしい。

最初に書きましたが、
これは10年以上前の話ですw

今こんなことやったらある意味ネタになるだろうけど、
きっとカミさん逃げていくでしょうね。

今日で寿町~は終わりにします。


朝、目を覚ますと、
コンクリートの無情な硬さで体はこわばり、
起き上がるのに時間がかかりました。

何日か隅田川で過ごし、
周りのホームレスの行動を眺めていました。
ここでは仕事の定義が違うなと最初に感じました。

今日食うための動き。
これが仕事。

例えば空き缶を集めて換金する。
雑誌をゴミ箱から拾って売る。
食べ物そのものをゴミ箱から拾う・・・

今日食うためにみんな働いている。
よっぽど人をだますよりいいのでは?

さすがにゴミ箱から食べ物を探すことは憚れました。
徹底してやるべきだったでしょうか。
〝一度やったら止められない〟
を知る上では欠かせない一つでしょう。

自分では持参した金は最小限だと思って出発したのですが、
この生活には出費がないので、
毎日の糊口をしのぐには十分でした。
しかも三日に一回は銭湯に行っていた。
甘ちゃんな偽ホームレス。

きっとそれぞれ趣が違うだろうと、
場所を変えてみました。
上野公園、新宿中央公園、代々木公園。
中でも代々木公園は
他のホームレスの存在にそれほど気を取られず、
居心地が良かったので三週間ほどいました。  

駒沢公園は最悪でしたね~。
茂みに隠れて寝ていると、
日が昇るか昇らないかの時間に、
散歩に連れられた大型犬が、
発見!とばかりに俺の顔をクンクンやって、
「ワン!」と吠える。

それが一匹だけではない。
鎖から解放されて好き放題やっている犬に、
眠りを妨げられる上に、
歩道から飼い主にも覗かれ、
いたたまれない気分になり、早々に移動しました。

渋谷はマルイの下。

その日は雨が降っていてシェルターが必要でした。
入り口で寝袋を敷き、寝転がって、
その視点から行き交う人々を眺めた。
顔は見えず、せわしなく動く脚のみを観察する。
こう見ると男の脚、つまり革靴にスーツ、
スニーカーにジーンズなど、面白くもなんともない。

しかし女性の、特に若い女性の脚にはすぐに興味が持てる。
ブーツでもヒールでも接地面が少く、
〝カツカツカツ〟とシャープな音がするので、
すぐに反応してチラ見する。
脚の長さや、太さ、筋肉のつき方、
それぞれが特徴あって面白い。
つい顔を見たくなってしまう。大概は見えないのですが…

語らない、無数の脚が行き交い、
自動車のライトの光りが水溜りに反射している。
酔っ払った女の声は、トーンが高く、楽しそうだ。

遠くでクラクションが鳴る。
都会のど真ん中の一つの光景。
下から眺めるとそれは浮いて見えた。
僕は一体こんなところで何をしているのだろうか?

偽ホームレス生活。 
彼らがどういう視点から世の中を見つめているのか?
何か大切なものがあるのか?
日が経つにつれ、
言い知れない侘しさが身に染みてきました。
 
一千万人の人口を抱えている東京、
蜜を求めるように群がった人間の脚。
仕事が終わり、家路に着くのか、
一杯やってから帰るのか。
男を待たせてしまったと急いでいるのであろうか。
仕事に失敗して気を落としているのか、
それとも企画をやり遂げて意気揚々なのか…

それぞれの脚は、それぞれの場所を目指している。
誰もが他人のことに気を回している余裕などない。
偽ホームレスである僕は地面の一部分と化していく。
脚が地面を踏むように、
その一部の僕も通行人に
踏みつけられているような気がしてきた。
無数の脚が地面にへばりついたガムの上を、
気が付かないまま通り過ぎていくよう。


二か月の偽ホームレス生活を経て、
結局僕は深部まで覗くことが出来ないまま
元の生活に戻ることとなりました。

人間は連帯感によって支えられている部分が大きい。
しかしたくさんのホームレスが孤独のまま存在している。
他人との関係が面倒だったり、
信用できなかったりするのだろうか。
ダンボールに身を埋め、石のように生きている。

構ってくれるな、と言う。
それは孤独に打ちひしがれた人間の、
虚勢を張った言葉のように聞こえてならない。
踏まれ続けたガムはもうはがれないのか。
もし人との関わりを完全に閉ざしてしまったのなら、
これほど悲しいものはない。


                       おわり
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9.30.2009

寿町ブルース 7

その女性は背が低く、少し浅黒かった。

差し出した僕の手のひらを一瞬凝視し、
顔をあげた。

目がキラリと光る。
確信を得たように2,3度ゆっくりうなずいて、
こう言った。

「うん。大丈夫」

・・・

僕はグッと引き込まれ、
次の言葉を待っていた。
しかし、その女性はただゆっくりとうなずくのみ。
ん?

どんどん前のめりになる僕。
切れずにやたら伸びたような餅、そんな瞬間。

耐えられず発した。
「それだけ?」

女性は大きくうなずく。
「はい」

「え~!!!」
僕は目を押さえながら上を向く、
残念そうなジェスチャー。

「マジで?これで終わり?」
女性は目を光らせて、ただゆっくりとうなずく。
本当に終わりだ。

気合のこもった「大丈夫」
その一言に悪い気はしない。
しかしこの短さにお金が発生するのだろうか・・・

「お金払うの?」

女性はまたもや目でうなずいた。
仕方ない・・・
僕は契約したのだし、
悪いことを言われたのではないのだからと、
お金を支払った。

こんな時僕は律儀と言えばそうなる。
お人好しと言えばそれにも当てはまる。
お気楽な道楽者と言えばそれもそうだ。

「大丈夫」
この言葉は僕の人生を引きずっている。

起伏の激しい人生を送ってきたけれども、
その谷底で「あ~、これヤバいかも」って諦めそうになっても、
いつもどこかで「大丈夫」となり山を駆け上がる。

大丈夫じゃないようで、なんだかんだ大丈夫。
そんな波。
今のところ「大丈夫」だということで、
あの女性は間違っていないと言える。

ああ、なんてお気楽なんだろう。
未だに僕は!

さて、ホームレストリップの最初に
吉を引いた気分になった僕は
気分よく隅田川のほとりを歩き自分の居場所を探した。

住所不定。
つまり、どこに寝ようと構わないということ。
元をただせば地球の土地が誰かの物なんておかしなものだ。

さて今夜はどこを寝床にしようかな。

無限に寝床があり、開放的でした。
だからこそ困る。

普段は天井、壁に囲まれ、外界から守られている。

今夜は雨、騒音、汚染された空気、犬、凶暴な人、
川の嫌な臭い、あらゆる物に対して無防備だ。
むき出しの都会を丸ごと引き受けなくてはならない。
これで落ち着けるわけがない。

まずは雨が降ったときのことを考えよう。
建造物の下で寝られる場所を探した。

ちょうど川の反対側に高速道路が走っていたので、
その下に行ってみる。
しかし高速道路の騒音とその振動、
これは明らかに眠りを邪魔する。

さらにそこから舞い降りてくる
汚染された空気を考えると、
ここは寝場所にふさわしくないと思った。

こんな条件の場所でもダンボール、
着の身着のままホームレスが何人かいた。
周辺を歩いて探したが、無限に土地はあるものの、
シェルター付きという恵まれた環境はなかなかない。

そして条件を満たすところには必ず先着者がいる。

ああ、最初はあきらめよう。

初めに目に付いた高速の下に戻った。

マットの上に寝袋を敷いて、寝転がってみた。
コンクリートの冷たさが体の芯に響く。
川の生臭さに慣れることはあるのだろうか。

騒音と振動が悪趣味な子守歌となった。
まあいい。まだ初日だ。


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9.28.2009

寿町ブルース 6

水曜パトロール、

それは、毎週水曜日、
川崎駅周辺のホームレスの様子を
見て回るという支援活動でした。

ホームレス一人一人に声をかけて、
不自由はないかを聞いたり、
炊き出しの食事券を配ったりすることが
このパトロールの主旨。

早速僕らはパトロールに交じり、
配布する毛布を片手に、体調のこと、仕事のこと、
困っていることなどを聞いた。

ダンボールの中にいる人に声をかけるのは、
少なからず緊張感を伴う。
中にどんな人がいるのか解らないから。
酒に酔っている人も多かった。

構ってくれるなと
「うるさい!」
とどなる人もいた。
これは孤独な戦いなのかもしれない・・・

しばらく通うと、何人かと会話を交わすようになりました。


細かな身の上話には至りませんが、
酒、博打、ドラッグに溺れると
簡単に路上生活を余儀なくされることが分かりました。
家族から追い出された人もいました。

寒い中、ダンボールにくるまって次の日を迎える。
着の身着のまま路上に寝転がり、毛布を拒否する人も多い。

どんな思いなのだろう。

他人への猜疑心、厭世観、
ネガティブな感情は嗅いで取れた。
または敗北感もあるのだろうか。

僕らは水曜パトロールの人達からすれば、
冷やかしに見えたかもしれない。
愛を持って手を差し伸べていたと言うと、嘘になる。
ただ何が起こっているかを知りたかったのです。

寿町に始まり、水曜パトロールを経験していくと
何か、こみ上げるものを感じます。


世間的に優秀な人間だけがこの国を造ったのではない。
それぞれの人がいろいろな役目を担った結果、
形ができたのだ。

もし、ここにいる人達がいなかったら、
高速道路はできたのだろうか?
船から荷が降ろされなくて経済に支障が出たかもしれない。
賭博での国の儲けは、彼らなくてはあり得なかっただろうに。

日の当たった社会から一度落ちてしまっただけで、
その原因を個人の資質に全てなすりつけて、
「酒、博打におぼれた」「怠け者だから、自業自得」
と言う。
本当にそれだけなのか?

人間はどの歴史を見ても、
弱者を作り出すことで自分を正当化することが多い。

アイツ等よりましだ、と下げずんでいるくせに
邪魔者として、いないものとして捉えようとする。

ドヤ街のように、周りからは判らないが、
そこに踏み入るとしっかり世界がある。

見ないふり、くさいものに蓋という習慣は人を冷酷にさせる。

何でも与えて、
いい暮らしをさせろと言いたいのではありません。
しっかりあること、
いることを皆が知ることが大事だと思うのです。

さて・・・
この話はまだ展開します。

ホームレスの視線や気持ちは、
一体どういうものなのなのだろうか?
無性に知りたくなってしまったのです。

よく聞く、
〝ホームレスは一度やったら止められない〟
とは、本当のことだろうか。

もしかしたら大切なことが隠されているかもしれない。

僕は早速バックパックに荷物を詰め、
寝袋を持ち、路上の生活を始めました。

長髪にヒゲという俺のいでたちは、
すでにホームレスに近いものがありましたが。

まずは聖地だな。

僕が向かった先は隅田川のほとり。
夜、浅草駅を降り、浅草寺付近をふらふらしていると、
浅草寺の入り口で手相を見る女性が立っていた。

普段、全く興味を示さないのですが、
その日に限って、
なんちゃってホームレスの旅立ちに
一つ見てもらおうと思い立ちました。

「スミマセン、
みてもらえますか?」

「いいですよ」

バックパックを担いだまま、
僕は右手を差し出した。

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9.06.2009

寿町ブルース 5

僕らはコミュニストではなく、単なるリアリスト。
もしくは、さらなる刺激を求める、
一若者でしかありませんでした。

3,40年前に生まれていたら、
琴線に触れていたかもしれない。

しかし僕らの育った時代はイデオロギーについて語らない。
もしくは風化した、流行語のような感覚で捉えている。
それもそのはず。
豊かに育ったから。
当然反骨するものが少なくなる・・・

寿町に通うようになったのは
社会の理不尽さを知り、怒りがわいたからというよりも、
なぜこうなっているのか?
という自分の疑問を晴らす方が大きかった。

その男性に僕らの気持ちを伝えてやんわりと断ると、
「じゃあ、こういうのに参加してみたら?」
と水曜パトロールというものを勧められました。

人生の物語は、
テレビのドラマにあるのが全てではありません。

もちろん、あんなにきらびやかでなくても
マイホームを得て、家族楽しく暮らすような
ごく普通の物語が多数でしょう。

しかし、もっと人間臭く、
「そこに行くか、踏みとどまるか」
とギリギリの攻防を繰り広げている物語もある。

ドヤ街は仕事数も、宿の客室数も限られています。
コミュニティーのキャパは無尽蔵に増えていいものではない。
総じて一人がコンニチハをすれば、
一人がサヨナラを言う羽目になる。

例えば誰かが、
一般的な賃貸の生活で金銭的に耐えられず、
寿町に新参者として現れるとする。
キャパは限られているので、
新参者に仕事が割り当てられるとしたら、
誰かが仕事にあぶれてしまう。

そのうち宿代が払えなくなる。

ここは生活(衣・食・住という意)をするという営みのふち。
ここからあぶれてしまうと、
次は路上に放たれてしまう・・・

誤解のないように。
路上に放たれたからと言って
衣・食・住が全くできないわけではありません。
河川敷にしっかり家を建てる人もあります。
ただ、住に金銭のやり取りがあるか無いかは大きく違います。
(それも前向きに生きていれば、どちらでもいいのですがw)

ホームレス。
いきなりホームレスになる人が多いのも確かですが、
このような流れもあるということです。

酒、ギャンブル、ドラッグなどの甘い海で、
うまく泳げずに飲み込まれていった人は、
ダルクやアルクなど、
自己再生をはかる機関に行くこともありますが、
そのままホームレスになることも多いとも聞きました。
病気でホームレスになる人もいるといいます。

水曜パトロールとは、
そのホームレスを訪ねて、
話を聞いたり、
必要な物資があるかどうか聞く団体だったのです。

一体何が起こっているのか?
知りたい欲望は、さらに矛先を変え突き進むのでした。

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9.02.2009

寿町ブルース 4

格差、格差って
テレビや活字で脅迫的に連呼されていますが、
そもそも有史以来格差はあったのです。

最近の格差問題は、
高度成長期以降に一億総中流になったのが、
先の構造改革で崩れた、
というのが話の流れです。

本当ですか?

その一億総中流という平均値を出すのに、
寿町をはじめとした人たちは
分母に組み入れられていたのでしょうか?
最初から数字に入っていなければ、
それは全体の平均値ではなく、
平均の平均値となり、
その限られた平均が少し崩れたからと言って、
そんなに脅迫めいた報道をする必要はないと思います。

そもそも、富の格差は相対的なものでもあります。
世界から見れば、
世界第二位の経済大国の人民の給料が
少し減ったからと言って、
その他多くの国の人達は大したことないと気にも留めないし、
むしろ贅沢な暮しをしているように映っているでしょう。
また、日本のホームレスは糖尿病になるとも言います。
(良し悪しは別として)

今、大切なことは、
「生きていくことはどういうことなのか?」
という最も初歩的な問いを今一度考えなおして、
この強迫的な格差問題から一歩身を引くことだと思います。


さて、寿町です。
僕らは足しげく寿町にかよい、
寿町の住人達の労働や福祉を
支援している50歳くらいの男性と知り合い、
今まさに寿町が直面している問題を聞くようになりました。

たくさんの書類や本が無造作に積まれた、
いかにも男所帯の事務所。
その男性が座る椅子の背後の壁には
どデカイ、チェ・ゲバラのポスター。

記憶はあいまいですが、
チェに加えてたくさんの
標語ポスターのようなものが張られていました。

「闘争」「平和」「反戦」「非核」
などの言葉が、
まるで仁義なき戦いの宣伝かのような字体で、
荒々しく書かれていました。

その男性の一生が詰まっているのでしょう。
学生運動から戦いの場を寿町に移してきたような、
曲がることなく、筋を通してきた人にみえました。

しかし、そんな背景は僕らにとって気にならなかった。
むしろ今まで見てこなかった世界が、
今ここにあるという事実に驚き、
興味が沸騰のようにわき、
ただ知りたいという欲求に侵されていたのです。

熱心な若者だ。
その男性には僕らがそう映ったのでしょうか、
ある時、M氏のもとに一枚の手紙が届いたのです。

「共産党に入って、
 僕らと一緒に戦おう!」

一瞬、僕らは目を丸くしました。
え?
どういうこと?
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9.01.2009

ガイドヘルパー




「東京都障害者(児)移動支援従業者育成研修の
 知的障害者移動支援従業者育成研修課程
 として東京都知事が指定した研修を修了
 したことを証明する」

と書いてあります。

簡単に言いますと、
知的障害者が移動するときに
お手伝いができる免許です。

ガイドヘルパーといいます。

障害者を知ろうと侑志君に出会い
その後、友人のつてで晴れる屋に通うことになり、
流れるままに行動してきた結果、
一つの方向性が見えるようになりました。

もっと知的障害者の方たちに関わろう。
そんな気持ちからこの免許を取得しました。

街に出たいけど、
一人では目的地にたどり着けない。
何かを注文したり、
お金を払う際にどぎまぎしてしまう・・・

世の中一般は知的障害者に
触れる機会があまりに少ないため、
「この人、なんでこんなに遅いんだ!」
「きょどってる」
とかでその人を簡単に判断してしまう。

理解すれば何事もないのですが・・・

ある意味、
社会全体で街に出ないようにしていた歴史があるので、
仕方ないこともあります。

なので、これから知っていけばいい。

その間をつなぎたい。
そんな気持ちで関わっていきたいと思います。

Neo-Activismが目指す方向の一つ。
ぼちぼち形になって来ました。




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8.05.2009

晴れる屋メンバー日本橋に参上!

先日、晴れる屋に遊びに行ったとき、
晴れる屋の畑担当のメンバーたちが
自分たちのつくった野菜を卸すために
友人が経営する日本橋のレストランに
営業に行くと聞き付けました。

それはゼヒ立ち会わなければ!と
仕事の合間に日本橋へ向かいました。

晴れる屋メンバーが営業に行ったお店は
STOVE



私は一足先にお店に着きましたが満席!

少しだけ待って、ランチのパスタをいただきました。
サラダにパンにドリンクもついて1000円。
大ぶりなナスの入った濃厚なトマトソース。
量もたっぷり。美味しい!

食べ終わる頃、晴れる屋メンバーがやって来ました。
八王子で作業しているときより
少しハイテンション。
野菜の営業ではあるけれど、
STOVEのランチを食べに来たという目的もあるから!?



でもやっぱり独自の間は顕在で
思い思いに話すメンバーと一緒にいると
本当にこころ癒されるひとときを過ごせるのです。

豪華なランチをいただいた後、
本題の営業。
じゃがいも、ゴーヤ、なす、ししとう・・・
農薬は使っていません。
去年より野菜が大きくて豊作のようです。



皆の営業の甲斐あって
見事、契約成立です!

晴れる屋のブログ
http://hareruyahareruya.blog99.fc2.com/

育てた野菜をお客様に食べてもらえるなんて
喜ばしいですね。
こういう輪がどんどん広がっていけばいいなぁと思います。

晴れる屋&STOVE、
皆さんも行ってみてくださいねー

7.29.2009

久しぶりの晴れる屋

都会の喧騒に飲みこまれ、
あれよあれよと時が過ぎていく。

「アレ、もう八月だよ」
正月の誓いはどれだけ進んだのだろうか?

世界にはたくさんの時間の使い方があるのに、
僕等は、あたかも一つの指揮棒しかないと幻想して
クルクル踊らされている。

不安を煽られているのかもしれない。

その輪の進む向き、速さについてこられないと、
輪から外れ、
宇宙遊泳で命綱が切れたがごとく、
独りプカプカと彷徨うことになる・・・

考えてはいけない。
ただ走り続ければいいのだーーー


皆、一様に足が速ければ良いのです。
しかし社会全体を見回してみれば、
そんなことない!
ということが簡単にわかるでしょう。
速い人もいれば、遅い人もいる。

当たり前ですよね。

その人なりのリズムがある。

さて、そんな社会的時間に慣らされて、
自分のリズムを知るきっかけがつかめない。
そう思った方、
ここにヒントがあります。

晴れる屋

昨日三ヶ月ぶりに遊びに行きました。

相変わらず、心が和やかになる空間でした。
メンバーの強烈な個性に入りこみ、
コミュニケーションをとっていると、
溜まった心の澱が取れていきます。




主に自閉症とされるメンバーの相変わらずの姿・・・

しかし、変わっていないということではない。

少しずつ、少しずつ、
自分のペースで成長しているのです!

確かにその成長をサポートする
人たちあってこそだと思います。

しかしながら、彼等も日々、
社会的な速度とは全く違うけど
成長を続けているのです。

それぞれの歩み方がある。

自分の内側のリズムを感じ取り、
「ああ、自分の速さってこんなんだな~」
と知ることも
大切な時間の過ごし方なのではないでしょうか。


畑でできた野菜を直売



             取れたてジャガイモ。どなたか購入しませんか?



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7.03.2009

侑志の旅

侑志は高校卒業後
4月より福祉施設に通っています。

持ち前の明るい性格ゆえ、
すでにその施設でも人気者のようです。

その施設で主催するお祭りに誘われたので、
今日行ってきました。



この施設は主に
身体障害と知的障害を併せ持つ人たちが利用しています。
どうやらこのように障害が重なると、
足の機能が落ちていくようです。
ほとんどの人が車いすに乗っています。

僕が行った時はすでに催し物が終わり、
昼御飯の時間になっていました。
とても賑やか!

侑志を探すと
フランクフルトを売る店の店長をしていました。



侑志の周りで手伝っている人達に
いつものようにガンガン話している。
ケタケタ笑いながら。

あ~、いつもの侑志だ。
これを見ると瞬間的に心身が緩むのが分かります。
相変わらず癒しの達人。
侑志は楽しんでいるな~


後ろは侑志の絵。

3.04.2009

侑志、おめでとう!

先週の土曜日、
おなじみの侑志君の高校卒業パーティーに行きました。

無事、定時制高校の卒業を迎えました。

おめでとう。
心から侑志の旅立ちを祝福します。

僕は月一回、施術しに行っているように見せかけて、
侑志に癒されに行っているのですから…
あの屈託のない笑顔、僕は紛れもなくあなたのファン。

きっとこのように思っているのは僕だけではなさそうですね。
このパーティーには小学生の頃から
侑志に関わったヘルパーさん、先生方、
多くの人が集まっていました。
人望が厚い証拠です。

これからもよろしく。

さて、今回のパーティーは侑志の
お母さんが主催したもので、
とても心を大きく揺さぶられることとなりました。

そこには侑志の人生だけでなく、
家族の人生、とりわけお母さんの
戦いの歴史でもあったからです。

侑志が小学校に上がるときに最初の戦いが訪れます。
足が不自由で、言葉もままならない一小学生を
受け入れる学校はかなり希少だったのでしょう。

最初の小学校では校長に
「教育と介助は別」と一刀両断にされたそうです。
自分の子供に普通の教育を受けさせたい、
そんな思いに何の咎めがあるでしょう。
それでもヘルパーをつけて侑志を通わせたそうです。

世田谷区に転校することになり、
また学校と交渉することになります。
次は学校の旧態依然の制度に負けてられないとばかりに、
かなり強く出たそうです。

先生方は侑志の状態に戸惑いながらも受け入れ、
それは新しい試みが故、
先生とお母さんのガチの主張が始まったそうです。

しかしそれも侑志や、
クラスの子供達にとって
一番いい方法は何かと考えてのことなので、
ケンカはあったものの良い方向にいったようです。

無我夢中だったのでしょう、
それ以来、
お母さんはずっと心に貯めていたことがあったようです。

お母さんはガチでやり合った小学校の担任方を呼んでいました。
この場を借りてと断りつつ、涙を流しながら
トゲがありゴメンナサイと謝ったのです。
ずっと、伝えたかったと・・・

自分の子供のことで精一杯だったでしょう。
どうにか普通の教育を受けてほしいと願ったでしょう。
なぜここまで心を痛めなくてはならないのでしょうか?

切ない・・・

侑志が早産で生まれ、
足の不自由、脳の発達障害が分かったとき、
お母さんは自分を強く責めたと言います。

ただでさえ、自責に駆られているのに、
社会からは分離を求められ、
二重三重の戦いを強いられます。

おいおい、こんな社会でいいのかよ!
均質は最上のものなのか?
もう、そんな価値観、時代が裁いてくれるに違いない。

もちろん養護学校という選択もあったでしょう。
しかし、義務教育は万人のものではないでしょうか。
すくなからず権利はある。
先生の一人はクラスの子供が侑志の面倒を見ることによって
良い効果が生まれたと言います。

僕も侑志と触れて以来、
晴れる屋に通い、少しは理解してきたつもりですが、
こうやって根の部分を知ると、
そこにリアルな感動を覚えつつも、
自分がやらなければならないことがあると奮起するのです。

いずれにせよ、まずは深く知ることから。

やります。



おめでとう!


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12.29.2008

晴れる屋卒業 2

近代において過剰に細分化、分断されてきたものを
どう調和、統合へと繋げていくのか、という課題があります。

その大きなヒントが
晴れる屋にありました。

同じ人間なのに「生産性の低さ」
を理由に分断されてしまった知的障害者。

これまでは経済的成長だけを人生の目的にしていました。
しかし時代は変わります。

本当の人生の裕福さは
生産をあげて経済成長を助けるものだけじゃないな~
と個々が気づいてきたのです。

ある程度の生活水準は裕福をはかるうえでは必要ですが、
そこに「心の裕福さ」が加わってきました。

「心の裕福さ」
それは受け入れる幅の広さに左右されます。

あれがいやだ。
これがいやだ。

こんなこと言っていると受け入れゾーンが狭くなります。

知らない。
無関心。

これは致命的ですね。

我よし(知らない)。
見て見ないふりをする(無関心)。

つまり上の二つが「心の裕福さ」を得るうえで対極にあり、
受け入れる余地が全くない状態と言えるでしょう。

「心の裕福さ」を得るためには訓練が必要です。

自分がこれまでに意識、無意識的に排除してきた、
しっかり存在する人、事、物に目を開き、関与していくことです。

晴れる屋は私にとって「心の裕福さ」
を得るための大切な場でした。

ここでは特に、
心を解き放つことの大切さを教えてもらいました。

バリアーを張らず、
気負わず、
ストレートに今ある心の状態を表現する。

現代社会の生活で失ったものがここにあり、
統合へ向かうための
とても大切な要素を内包していると感じました

8か月晴れる屋に触れさせていただき、
今後、「心の裕福さ」を得るための大きな一歩を踏み出し、
全体へ統合していくための一つのヒントを得ました。

ありがたことです。

皆さんも一度、晴れる屋に触れてみてください。
百聞は一見にしかず!




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12.26.2008

晴れる屋卒業

本日は田中マイコが書きます。

12月25日をもって、週1回働かせてもらっていた
八王子市障がい者通所事業所「晴れる屋」を
卒業することになりました。
http://www.hareru-ya.jp

今年の4月から通って8ヵ月、このブログでも事あるごとに
「晴れる屋」について触れてきました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/05/blog-post_03.html など)
これからも気持ちは晴れる屋の一員ですが、
この区切りで私の思いを記してみたいと思います。

昨日は大掃除をした後、送別会を開いていただきました。
メンバーたまちゃんの絶妙な司会
(始まる前にトイレの中で大声で練習してました!笑)
の下、ほんわかした歓談でした。

素敵な色紙と皆でつくってくれた大きなロウソク、
畑で採れたお野菜、手作り石鹸洗剤、お味噌など
たくさんのお土産と、皆さんの言葉や笑顔をいただきました。

彼らは、博愛のこころを持っていると、私は感じます。

(たかだか30回程通っただけの私がこんなことを書いて
 障害を持っている方やそのご家族、
 もっと密に接して働いている方たちに
 不快な思いを与えてしまったらすみません。
 あくまで個人的な感想なのでご容赦ください。)

垣根なく、理由なく、表裏なく、てらいなく、
晴れる屋に来た人を受け入れる大きな愛を何回も感じました。

初対面の人にあれだけ素直に興味を持ったり
自分たちのことを一生懸命伝えたり、
それぞれのやり方で歓迎の思いを伝えようとする姿に
「自分が必要とされているんだ」と心の奥が緩みます。

もちろん相性の良し悪しや人間関係の絡まりもたまにあります。
自分の気分をストレートに表現する強さは、
ときに喧嘩や涙や怒りを引き起こします。
そして感受性が高いメンバーたちはお互いに影響を受けます。

でも、外から来る人に対する以上に、晴れる屋のメンバー内の
愛情の結びつきや信頼感は高いのです。
スタッフの方たちの接し方、ものの言い方の機微にも
頭が下がります。みんなが本当に自然体。

ひとりひとりが晴れる屋を構成して、なくてはならない人で、
互いに助け合い、注意しあい、切磋琢磨していました。

なぜ、私たちはそういう場をつくることが難しいのでしょう?
家庭が、職場が、社会が、
晴れる屋みたいな関係を築けたら、もっともっと楽しいのに・・・

彼らは、社会の括りでは「知的障害者」かもしれませんが、
想像を超えた力を持っていました。
確実に、私は毎週みんなに癒されていました。

他の施設を見たわけではないのですが、
晴れる屋の魅力が人の気持ちをつかむのは
やはりこの開かれた場を支える小林さんの思いや行動が
あってこそだと思います。

福祉事業を保つことが厳しい時代になりつつあるようですが、
小林さんの志が「晴れる屋」という形になっていること、
そしてそれに出会えたことに感謝し、
勝手ながら、これからもずっと「晴れる屋」が続いていけば
いいなぁと思っています。

またちょくちょく遊びに行きます。
皆さんもぜひ一緒に行きましょう!


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9.20.2008

晴れる屋からの一歩 4

どうすれば、
晴れる屋のメンバーを含め、
自閉症やダウン症のみんなが
世の中ともっと接近できるのか?

私の考えでは、
生産的に都合よく分離させられてしまった
彼ら(その他障害者を含め)を、
いわゆる健常者の社会に戻し、
彼らからも学ぼうという姿勢を持った時に
和へのステップ、
新しい時代を歩んでいけるのだと思っているのです。

確かに全く生産ができない状態もあり得るので、
全て一緒にするというのは合理的でないかもしれません。
しかし、割合的には
自閉症  :1000人に1~2人
ダウン症 :800人に1人

ざっくり計算して500人に1人だとするならば
毎日どこかに出かければ
それくらいの人とはすれ違っている訳ですから、
普通に出会っていいはずです。
しかし現状はその存在を知ることがない・・・

少なくともそこらに「普通にいる」状態まで進んでほしい。

さて、私に何ができるか。

まずは彼らにとってフェアなことから実践します。

最近晴れる屋に行って気づいたこと。
時に彼らは晴れる屋でのルールや、
社会的な規則をおかしてしまうことがあります。

それは突発的であったり、
頭が混乱していたり、
もしくは意図的であったりすることもあるのでしょう。
(ここはもう少し勉強が必要ですが)

大それた事件には決してなりえないので、
大きく許容していく必要が私たちにはありますね。
しかし、言いたいのはそのことでありません。
ここでは当然社会的ルールにのっとり、誰かが注意をします。

その子がしたのならばそれでいいでしょう。
しかし、もしそうでない場合、
彼らは“言い訳”というものができません。
違うと魂が叫んでも、言葉で反論することができないのです!

政治家を筆頭にいかにこの世の中に
“言い訳”が蔓延し、それがまかり通っているのか・・・

私はここにアンフェアを感じます。
同時に秘められた大事な哲学を読み取ります。

フェアの実践。
それは“言い訳”しないこと。

実践すると
この瞬間をフルに生きることとつながります。
何か起こってからでは遅いからです。
常に自信が持てるように刹那を生きる・・・

しかし嘘も方便。
その場を和に収めるために
“言い訳”めいたものが時によって必要なことは
もちろん否めませんが。

私はこれまでの人生、多くの言い訳をしてきました。

いい機会です。
この瞬間を大切に生きてみます。

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7.23.2008

侑志が晴れる屋と出会う

障害者を深く知ろうと、
実践し始めたのはこのブログを始めてから。
http://neo-activism.blogspot.com/2007/10/blog-post_07.html
http://neo-activism.blogspot.com/2008/02/blog-post_8488.html

侑志との出会いに始まり、
光のレールが引いてあるかのように導かれ、
今や週一度の晴れる屋勤務に進歩しています。

いい波が来ています~~~

さてさて、そんなきっかけを与えてくれた侑志ですが、
高校四年(定時制なので)になり、
そろそろ高校を卒業した後の
身の振り方を考えねばなりません。

親御さんとしてみれば、
我が子を普通の会社に入れたいのは切なる願い。

しかし侑志の場合、
読み書きができない。
意思疎通はできますが、
時に会話のキャッチボールがうまく行かない。
下肢の不自由…

この条件では今の障害者雇用制度をもってしても、
なかなか就職を望むことは難しいようです。
障害者と一口に言っても、様々ですからね。
なるべく業務に支障のない人たちから
採用されてしまうのが現状です。

侑志のお母さんがいろいろ心配をしていると
ニックさんから聞いたので、

ここは、晴れる屋でしょ!
と思いつき、誘ってみました。

最近は何でも晴れる屋に結び付けてしまう私です。

自分が運営しているわけではないのに、
こういうときに自信を持って勧めてしまいます。

今日、私、ニックさん、侑志、侑志母、4人で
“幸福の昼時”
からお邪魔しました。

侑志は最初恥ずかしがっていましたが、
メンバーの雰囲気、
シホちゃんのリードにより徐々に打ち解けていきました。

ろうそくを一緒に作り、
お母さんもゆっくりと手を動かす作業なら、
侑志にもできると確認しました。

何よりもメンバーが生き生きしているその雰囲気。
一階が道路から丸見えで、開かれていること。
駄菓子屋に子供が買いに来て、
メンバーが地域社会に近いということ…

そんな晴れる屋を見学して、
侑志は楽しみ、
お母さんは安堵を感じたようです。

侑志が楽しい人生を過してほしい。
それを願うのみです。






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6.18.2008

晴れる屋からの一歩 3  自閉症って?

晴れる屋のメンバーは
主に知的障がい者とされる人たちからなります。

大きく自閉症、ダウン症候群に二分されます。

まずは自閉症から。

「自閉症」
私はこの文字からどんな症状なのか勝手に推測していました。
しかし、メンバーと触れた時、
大きく誤解していたと気付かされます。
彼らはむしろ
「自開症」
とした方が理解しやすいと思ったのです。

自分の今ある感情、したいこと、思い出したこと、
その瞬間に頭を支配したことが、
そのまま、何の飾りもつけないまま表に出てくるのです。

調べてみますと、
その定義にコミュニケーション機能の障害があげられます。
ここには個人差があるのですが、
全く言葉のキャッチボールができない人から
キャッチボールはできる人まで幅広くいます。
しかしキャッチボールができなくとも、
こちらの意思は伝わり、
共感されたり、無視されたり、
こちらの意思に自分の意志で応えてきます。
(その意志の強いこと!!!)

たとえキャッチボールができても、
興味が狭く、一つの事だけに固執していたり、
協調的に何かを生産することができなかったり、
いわゆる平均的な社会では、
どうしてもその輪から飛び出してしまいます。

それがどうした?

そうです。
彼らは何も気にしません。
成長過程でもしかしたらイジメにあったかもしれない。
もしかしたら規制の中で
がんじがらめになっていたかもしれない。

しかし晴れる屋で出会った自閉症のメンバーは
伸び伸びとしていて、
自分の個性を惜しむこと無く表しています。
屈託がない。
舞台上に脇役がいず、全員主役を務めているかのよう。
しかし、そんな中でも他人との距離感をつかんでいる感じ…
(ここはまだ観察の域で、確信はありませんが)

だからこちらもストレートにあたっていきます。
余計な小細工はむしろ見透かされてしまうでしょう。

そんな彼らとコミュニケーションをとっていると、
仕事が終わった後に心が軽くなるのを感じます。
きっと心が裸になれるからだと思います。
いかに社会でのコミュニケーションが
虚にまみれているかという事でしょう。

そろそろ裸の付き合いしましょうよ。

そういう意味では、
私は彼らを(ダウン症候群のメンバーも含め)
先生と呼びたいくらいです。
36歳になった今、
たくさんのことを彼らから学び取ります。

近い将来、
この病んだ世を癒してくれる救世主となる日が来るでしょう。
間違いありません。

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5.23.2008

晴れる屋からの一歩 2

毎週木曜日は晴れる屋の日。
仕事としてお金を頂きながらも
貴重な体験、勉強をさせてもらっています。
誉さんに感謝。

実に有意義な晴れる屋での仕事。
何よりもまず自分のココロが磨かれます。

晴れる屋では一般的に知的障がい者と呼ばれる方たちを
友人として迎えています。
まだ、勉強の足りない私が、
知的障がい者について述べることは控えますが、
彼らとの接し方は全員一致しています。

裸になることです。

一般社会に於いては、
処世術なるものが重要視されていますが、
ここでは何の価値もありません。

むしろ、言い返す槍、自分のココロを守る盾、
ココロを覗かれないための化粧、
関心あるのに無関心…
そんなものが自分の中にある限りは、
すぐに見透かされてしまいます。

そんなヨロイは脱ぎ捨ててしまえ!

彼らはココロのうちを直線的にぶつけてきます。
そのように関係を求められたら同じように返すのが
私の考える礼儀。

そんな関係が実にすがすがしい。 気持ちいい。
これが本来の自分の姿なのかもしれない…

まだ初めて二ヶ月。
今のところ与えるなどもっての外、
学ぶことばかりで、
さらに週に一度、癒されに行っている感じです。

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