3.04.2009

侑志、おめでとう!

先週の土曜日、
おなじみの侑志君の高校卒業パーティーに行きました。

無事、定時制高校の卒業を迎えました。

おめでとう。
心から侑志の旅立ちを祝福します。

僕は月一回、施術しに行っているように見せかけて、
侑志に癒されに行っているのですから…
あの屈託のない笑顔、僕は紛れもなくあなたのファン。

きっとこのように思っているのは僕だけではなさそうですね。
このパーティーには小学生の頃から
侑志に関わったヘルパーさん、先生方、
多くの人が集まっていました。
人望が厚い証拠です。

これからもよろしく。

さて、今回のパーティーは侑志の
お母さんが主催したもので、
とても心を大きく揺さぶられることとなりました。

そこには侑志の人生だけでなく、
家族の人生、とりわけお母さんの
戦いの歴史でもあったからです。

侑志が小学校に上がるときに最初の戦いが訪れます。
足が不自由で、言葉もままならない一小学生を
受け入れる学校はかなり希少だったのでしょう。

最初の小学校では校長に
「教育と介助は別」と一刀両断にされたそうです。
自分の子供に普通の教育を受けさせたい、
そんな思いに何の咎めがあるでしょう。
それでもヘルパーをつけて侑志を通わせたそうです。

世田谷区に転校することになり、
また学校と交渉することになります。
次は学校の旧態依然の制度に負けてられないとばかりに、
かなり強く出たそうです。

先生方は侑志の状態に戸惑いながらも受け入れ、
それは新しい試みが故、
先生とお母さんのガチの主張が始まったそうです。

しかしそれも侑志や、
クラスの子供達にとって
一番いい方法は何かと考えてのことなので、
ケンカはあったものの良い方向にいったようです。

無我夢中だったのでしょう、
それ以来、
お母さんはずっと心に貯めていたことがあったようです。

お母さんはガチでやり合った小学校の担任方を呼んでいました。
この場を借りてと断りつつ、涙を流しながら
トゲがありゴメンナサイと謝ったのです。
ずっと、伝えたかったと・・・

自分の子供のことで精一杯だったでしょう。
どうにか普通の教育を受けてほしいと願ったでしょう。
なぜここまで心を痛めなくてはならないのでしょうか?

切ない・・・

侑志が早産で生まれ、
足の不自由、脳の発達障害が分かったとき、
お母さんは自分を強く責めたと言います。

ただでさえ、自責に駆られているのに、
社会からは分離を求められ、
二重三重の戦いを強いられます。

おいおい、こんな社会でいいのかよ!
均質は最上のものなのか?
もう、そんな価値観、時代が裁いてくれるに違いない。

もちろん養護学校という選択もあったでしょう。
しかし、義務教育は万人のものではないでしょうか。
すくなからず権利はある。
先生の一人はクラスの子供が侑志の面倒を見ることによって
良い効果が生まれたと言います。

僕も侑志と触れて以来、
晴れる屋に通い、少しは理解してきたつもりですが、
こうやって根の部分を知ると、
そこにリアルな感動を覚えつつも、
自分がやらなければならないことがあると奮起するのです。

いずれにせよ、まずは深く知ることから。

やります。



おめでとう!


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