9.29.2008

体質改善と逆ダイエット 1

本日は田中マイコが書きます。

ここ数年、「痩せた」と言われることが多くなりました。
小学生の頃からメタボが懸念される現代、
多少痩せておいてもいいかと思い
最初はあまり気にしていませんでした。

でも心配をされたり「やつれた」と言われることもあり
「結婚生活に苦労しててね~」
なんて冗談も通じなくなってきたと懸念し始めました。

実際、最近は45kgを下回りました。
学生時代はずっと水泳(シンクロ)をしていて47、8kgくらい
社会人になって3年間は不規則な生活をしていて同じくらい
の体重だったように記憶しています。

重さでみると、3kg程度ですし、身長も155cmほどなので
45kgくらいでも適正なのかもしれませんが、
体型が明らかに健康的でなくなっているように感じます。

ただ、私は本当によく食べます。
食事をふるまってくれる方々に喜ばれ褒められます。
結構な量を出されても、たいてい残さずたいらげます。

ではなぜ痩せていくのでしょう?

贅沢な悩みだと思われるかもしれませんが、
セラピストという立場、不健康そうに見えるのはいけません。

「痩せたい」も「太りたい」も切実ですが
ダイエットはTVでも雑誌でも取り上げられるのに対し
「太りたい」はあまり取り上げられません。
せっかくの機会、考察してみたいと思います。

まず食事の量や質。
ここ数年、動物性たんぱく質の摂取は減っています。

また特に今年に入り生活が変わり、全体量も減りました。
昼食はお弁当(しかもお弁当箱小さすぎと指摘される!)、
夕食は週の半分は家で一人で簡単に済ませています。
よく食べるとは言っても、普段の量は控え目です。

運動は全くしなくなりました。
仕事自体が体力を使っていると言えばそうですが
単発の動きなので、筋力がつくという動作ではありません。
あえて言えば地下鉄の階段の上り下り・・・(大江戸線除く)

若い頃に培った筋力の維持も限界といったところでしょうか。
体幹の筋肉の衰えが顕著です。
でも普段の食事量は多くはないので、脂肪もつかずに
痩せる一方に見えてしまうのかもしれません。

年を重ね、代謝が悪くなると自ずと太るかもしれません。
でもそんな太り方ではなく、
筋肉をつけてバランスの良い身体をつくりたい!
(体育会系の負けん気復活)

肉体改造計画は、次回書きます。

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9.28.2008

チャージは必要です

M氏の誘いで静岡県、
井川の上流でキャンプをしてきました。

その場は生活の気配が全く感じられないほど静寂で、
唯一聞こえるのは、浅瀬にゆるく流れる水の音。
セセラギとはこのことを言うのでしょう。

四方は山に囲まれているので、
夜、空を見上げれば、
山のふちが作り出す夜空のスクリーンを見ることができます。

光り輝く無数の星。

私の好きな詩人、金子みすずは
昼間の明るい空にも星は存在していることをさし、
「見えないけれどもあるんだよ」
と詩っています。

東京の夜は、
ネオンがガンガンにたかれていて、
特に無駄に明るい所では、
10指で数えられるくらいの星しか見ることができません。

ですからこういう場所に来ると、
「普段見えないけれども、こんなにたくさんあったんだ!」
と気づかされるのです。

視覚が遮られるのは不健康ですね。
目の保養になります。

川の流れは森の生まれたての気、酸素を運んでくれます。
せっかくですから心身を整えましょう。

朝一で気功をしました。
川に入り込み、まずは呼吸を整えます。
次に川の流れの音に耳を澄ませリズム、
トーンを合わせていきます。

鼻の奥、鼻腔では匂いを嗅ぐのではありません。
遠い記憶を懐かしむようにフィルターをくぐらせます。

そして上半身は力を抜き、
徐々に場と一体化していきました。

これぞ自然!
・・・この瞬間、この場所、地球、宇宙空間において
  分け隔てることのできない、一つの状態・・・
http://neo-activism.blogspot.com/2008/09/blog-post_2258.html

毎日この環境が身近にあれば一体化も味わいやすい・・・

贅沢な望みなのかもしれません。



       総勢20人以上。ここまで集まるのもすごいことです。

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9.27.2008

こんな好物

秋の旬。

最高峰の食べ物は何といってもサンマ。
一年を通してみても魚介類では
キングの称号を与えてもいいでしょう。

昨日サンマをいただきました。
いつものように大根おろしを脇に添えます。

その大根おろしが余ったので、
サンマをおいしく頬張った後に、
ご飯にかけました。

これが私の好物。

シラス、イクラ、時には海苔を載せたりします。
昨日はただ醤油をたらしただけのもの。

口に入れるとまず大根の辛みが広がります。
その後、米を噛むたびにジワジワと
炭水化物の甘味が広がり、
大根の辛みがその甘みを一層引き立てるのです!

うまい!

そして胃に侵入したとたん、
身体の隅々に一気に何物かが行き渡ったのを感じました。

それは自分の体を形成している必要な成分で、
最近摂れていなかった物だと判断しました。

その成分がカラカラに乾いていて、
スポンジのように急激に取り込んだのでしょう。

身体が必要な物は身体に聞こう。

好物でもあるので、しばらくはまりそうです。


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9.24.2008

できていないこと

言い訳をしないことにしました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/09/blog-post_20.html

すると、あるフレーズが使えなくなることに気付きました。

「忙しくって・・・」

おもに自分に対してなのですが、つい使ってしまいます。
結局後回し、もしくはフェードアウトしてしまうことがあります。

その場でやればできることまで・・・

Neo-Activism
で掲げたことで最近できていなこと。

ゴミ拾い
食へのこだわり

現実問題として、優先順位が低いということでしょうか。
「イソガシイ」を言い訳に、おろそかになっています。

では、実践主義を通すために
これらは必要でないことなのか?
自分に問うてみます。

食・・・自分の身体を形作る大きな要素。
    身体の微細な要求に耳を傾け、
    自分に合った食事療法を突き詰めていきたい。

ゴミ拾い・・・地域とつながる要素があるので大切なのですが、
        今は他に優先したいことがあります。断念。
         定期的な活動はしばらく休止にします。
        
 
食については再構築します。
材料、調理、味わって食すること。
身体の変化を感じる時間。
生活を立て直していきたいと思います。

私がダレていたら容赦なくご指摘ください。
「言い訳しない!」

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9.23.2008

自然・・・本来の意味

自然保護、自然破壊、自然科学、自然公園・・・

近年、「自然」という単語が頻繁に使われていますね。


今日ここに至るまで、
まるで資源が無限にあるかのように使いまくり、
沢山の物、心を失ってきました。
ですから資源そのもの、

そしてその環境を大切にすることは
当たり前のことだと思います。

しかしもっと大切なことを私たちは知るべきだと思うのです。

それはこの単語の持つ真の意味・・・

これを曲解して捉えている限りは
ホリスティックへの道は進めません。

普段私たちは、都会から離れて海や山、

人のいない森などに行ったりすると、
「あっ、自然だ~。自然はいいな~」
なんて言ったりします。

あたかも人の手が加えられていない

地球の一部を見てそれを称賛するのですが、
実はこれを言った瞬間、
人と「自然」の分離が起きてしまうのです。

近代から現在に至るまで
科学の力が原理的に働いてきました。
人間は科学の力によって
「自然」を支配できるようにふるまってきたのです。

この上から目線が
「自然」を客観視することによって発動してしまいます。

単に言葉の問題です。
しかし非常に重要な意味を含んでいて、

これを捉え直すだけの簡単な行為で
ホリスティックに近づくことができるのです。

どういうことかと言いますと、
「自然」、

この言葉を分解してみることで理解できると思います。

自然…自ずと然り(オノズトシカリ)
つまり、

「その時点に於いて、そこに在る」
ということなのです。

私たちが海や山を見て

「あっ、自然だ!」
と言う前にオノズトシカリで、

その対象物である海や山から見れば
私たちもオノズトシカリ、
同じようにそこに在るということになるのです。

つまり「自然」とは、

この瞬間、この場所、地球、宇宙空間において
分け隔てることのできない、一つの状態を指すのです。

これこそまさにホリスティック!

ですから、自然を守ろう!
なんてのはかなり高飛車です。


あえて言うならば
人間の叡智で生活環境を無駄なく過ごそう!
となるのです。
(それには科学を発展させ、
太陽エネルギーだけで循環させることが必要となってきます)

自然・・・
この言葉を理解し、

感じ取った時に次なる時代のステップが踏めるのです。

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身近な実践者

本日は田中マイコが書きます。

私事ですが、今日は祖母の誕生日でした。79歳。
祖母は愛知県の知多半島の先っぽに住んでいます。
祖父は8年前に他界し、一人暮らしです。

祖母は、ふつうの「おばあちゃん」ですが、
その内に秘めた精神力には頭が下がります。

ボケてはいけないと、70代でパソコンを習い始めました。
デジカメも使いこなします。
携帯は持っていますが少し苦手みたいです。
太極拳も習っていました(怪我をしてからは休憩)。

梅干しの作り方を電話で聞いたときは、
丁寧にでも流れるようにわかりやすく説明をしてくれました。
電話を切った後すぐかかってきて、
「黄色い梅は食べちゃダメだからね!」と念押し(笑)。

身体のことも考えて、朝5時に起きて海辺を散歩します。
毎日、毎日。大雨の日以外、暑い日も寒い日も。
「えらいね」と言うと、「一度やめてしまうと、ずるずると
やらなくなってしまいそうだから頑張ってるの」とのこと。

そしてネガティブなことを言いません。
いつも思いやりを持ち、自分のことには謙虚で、
慎ましく生きているように思えます。

実践。

こころの中で「こうあったらいいな」と思うことを
思うままで終わらせない意志の強さ。

身近にこんなに素晴らしいお手本になる人がいること。
心の底から感謝をして、祖母が生まれたこの日
(あ、12時をまわってしまいましたが・・・)
を改めて嬉しく想いたいです。

どうか、長く元気でいてください。

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9.20.2008

晴れる屋からの一歩 4

どうすれば、
晴れる屋のメンバーを含め、
自閉症やダウン症のみんなが
世の中ともっと接近できるのか?

私の考えでは、
生産的に都合よく分離させられてしまった
彼ら(その他障害者を含め)を、
いわゆる健常者の社会に戻し、
彼らからも学ぼうという姿勢を持った時に
和へのステップ、
新しい時代を歩んでいけるのだと思っているのです。

確かに全く生産ができない状態もあり得るので、
全て一緒にするというのは合理的でないかもしれません。
しかし、割合的には
自閉症  :1000人に1~2人
ダウン症 :800人に1人

ざっくり計算して500人に1人だとするならば
毎日どこかに出かければ
それくらいの人とはすれ違っている訳ですから、
普通に出会っていいはずです。
しかし現状はその存在を知ることがない・・・

少なくともそこらに「普通にいる」状態まで進んでほしい。

さて、私に何ができるか。

まずは彼らにとってフェアなことから実践します。

最近晴れる屋に行って気づいたこと。
時に彼らは晴れる屋でのルールや、
社会的な規則をおかしてしまうことがあります。

それは突発的であったり、
頭が混乱していたり、
もしくは意図的であったりすることもあるのでしょう。
(ここはもう少し勉強が必要ですが)

大それた事件には決してなりえないので、
大きく許容していく必要が私たちにはありますね。
しかし、言いたいのはそのことでありません。
ここでは当然社会的ルールにのっとり、誰かが注意をします。

その子がしたのならばそれでいいでしょう。
しかし、もしそうでない場合、
彼らは“言い訳”というものができません。
違うと魂が叫んでも、言葉で反論することができないのです!

政治家を筆頭にいかにこの世の中に
“言い訳”が蔓延し、それがまかり通っているのか・・・

私はここにアンフェアを感じます。
同時に秘められた大事な哲学を読み取ります。

フェアの実践。
それは“言い訳”しないこと。

実践すると
この瞬間をフルに生きることとつながります。
何か起こってからでは遅いからです。
常に自信が持てるように刹那を生きる・・・

しかし嘘も方便。
その場を和に収めるために
“言い訳”めいたものが時によって必要なことは
もちろん否めませんが。

私はこれまでの人生、多くの言い訳をしてきました。

いい機会です。
この瞬間を大切に生きてみます。

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9.18.2008

誰かが見ている

背後より微細なノックを感じた。
誰か見てる・・・

私はいかにも自然に周囲を見渡すがごとく振り向いた。
メガネの男は視線をさっと変え、
自分の行動を淡々としているように振る舞う。

真面目な顔を取り繕っているが
口元には微笑の残影・・・

左側にも強烈なノック!

パッと振り向くと隣の太ったおっさんが
私の下半身をガン見している。
時間差で私の視線に気づくと、
「しまった」
って感じで目をそらす。

横をを通りかかった若い兄ちゃんの
歩きながらの凝視。

私は毎日の訓練で、
視線がこちらに向いているならば身体が反応する。

「何見とんのじゃ!」

あらゆる角度から視線のノックを浴びる。
スケベな男どもめ・・・
いつもと違う周囲の反応にしばし不愉快になる。

何なんだ、一体。
疲れをいやしに来たはずなのに・・・

ふと、自分の下半身を見て気づきました。
褌一丁だったのを忘れていたのです。
そうだった~。

私はここ一ヵ月強ですでにものにしていました。
http://neo-activism.blogspot.com/2008/08/blog-post_11.html

ここは温泉。
フンドシデビューの一幕。

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9.16.2008

大相撲斜め読み 9月場所 08’

「すみませんでした。
 日々の稽古でどうしても太らなきゃいけなくて、
 それが辛くて、辛くて(涙)・・・

 たまたま行ったロサンゼルス巡業で
 黒人歌手が『これ吸ったら食べて太るよ』
 
 って言ってきたので、
 藁をもつかむ感じで、
 何が何だか分からずに吸ってしまいました(涙)」

私としては、このシナリオでいってほしかった。

今の泥沼訴訟アングルでは見ている方も辛い。
みんな顔怖すぎ!

本場所よりも場外が賑やかな相撲界。
キャラの濃い力士がいなくなることはとても残念なことです。

しかし今後相撲界がどうなっていくのか楽しみです。

八方塞がりでどうしようもない時こそ、
足元に新しい道へのヒントが転がっているというもの。
反転して愉しみを与えてもらいたい。
世界が注目してしまうよな・・・

それくらいの改革をしてほしい。
エンターテイメントで外貨を稼ぐくらいの
気概が必要です!

まぁ、少なくともみんなしてこの世の終わりのような
顔するのだけは止めてほしいですね。

今場所の優勝は
白鵬
って感じですかね~

23日に見に行きます。


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9.15.2008

Sense of wonder 08’

天気に恵まれ幸運。

コバの偉大なるチャレンジに敬意。

こころの月に来てくれた皆さんに感謝。

富士山あなたはでかい。

Sense Of Wonder 来年もよろしく。

千客万来、とても気持ち良く施術をすることができました。
野外で富士山を眺めながら、
感じながらの施術・・・

こちらの身体の調子すら良くなっていく。

施術において場所選びがとても大切だということを
痛感させられました。

今回、一番の収穫です。


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9.12.2008

私のスピリチュアリティ遍歴 補足

成人式について。

マサイのライオン狩り
バヌアツのバンジージャンプ
ネイティブアメリカンのビジョンクエスト

世界中に大人になるための様々な
通過儀礼があったようです。

日本では元服。
髪を結いあげたり、
褌祝(フンドシイワイ)といい褌を贈られる儀式がありました。
女性にも儀式があったようですが、
どれも男性にウェイトがあったようです。

世界を見渡しても大人になるための通過儀礼は
男性にありますね。
ライオン狩りは女性はしませんよね。

それもそのはず。

女性は大人になるためのステップアップが、
身体を通して自然と訪れるからです。
生理
妊娠・・・

しかも通過儀礼は個々にあり、
宇宙のリズムに乗っています。

その点、男性には大人になるための
身体的成長はありません。
声変わりは大人への味付けとしては弱いですよね。

そのままでは
・いつまでも母親から離れられない。
・精神的成長が飛躍しない。
・責任感が身に付かない

そんなことで成人式が必要だったのでしょう。

日本ではこんな景色が頭に浮かびます。

元服して髪を結い、恥ずかしそうに頭をなで、
「母上、おかげさまで私もこのように髪を
 結うことができました」

「和ノ助、あなたも立派になって~」
見違えるように成長した我が子を、
眩しく、頼もしくみつめる~
そんな情景。

もしくは西日本では

「和ノ助、これを締めなさい」
伯母から贈られたフンドシに、
「これを締めれば俺も大人になる。
立派な人間になろう」と誓い、
隣の部屋で慣れない手つきで褌を締める~

どれも、うっとりするような、
微笑ましい儀式ですよね。

現代の成人式は形骸化して、
・タバコが吸える
・酒が飲める
になってしまいました。

つまらないし、
これじゃ、男はいつまでたっても子供のまま。

新しい形の成人式が必要なのかもしれません。
私はそれを求めて旅をしていたのだと
時間を経て解りました。

何かいい案ありませんかね?

現代風で、微笑ましい・・・

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9.09.2008

種の学校

私が求める和(ワ)の世界
http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_22.html

ここに到達するための一つの方法を学んできました!

食と健康という観点からすると、
ど真ん中ストライク。
本物を突き詰めると、ここに到達するのだと知りました。
目から鱗でしたよ。

本物に触れるととても清々しい気分になりますね。
久しぶりの感動。
私も実践につなげていこうとヤル気がわいてきます。

種の話。

一昨日
ナチュラルシードネットワーク
代表の石井さんの話を聞きました。
http://www.natural-seed.net/


生命の源。
文化であり、財産でもあるといいます。

実はその源である種を私たちはあまり知らない。

私たちの口にする作物のほとんどが、
科学的に改良?され、
種苗会社の策略なのか、
種が取れたとしても次の代は
生まれないように仕組まれているのです。

また種買ってね。って!

たとえ次の代が生まれたとしても、
かけ合わせが複雑なため、
カブの種から小松菜が生まれたり、
他の野菜が生まれてきたりするらしいのです。

確かにおかしい・・・

品種改良は進み、
子供の口に合わせたり、
甘味を極端にだしたり・・・

苦ければ子供は食べなければいいし、
それなりに意味があるのだと言います。

ここにも自然形態を自分たちに都合よく
変えている人間のエゴが見え隠れします。

石井さんは将来を危惧し、
出所のしっかりとした種、
自家採種をしようと啓蒙しています。

その土地にあった野菜を作り、
種を採取して、
地元の人たちと各々の家で採れた種の交換をして
コミュニティーを広げようという活動。

素晴らしいですね~~~。

種の交換しあい。

和(ワ)へのベクトルを感じます。

次回の野菜作りは、種を選び採取してみます

誘っていただいたマリコさん、
ありがとうございました。

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私のスピリチュアリティ遍歴 7

「バン!」

私の身体は5メートルほど先まで宙に浮きました!

そう、忘れもしない1999年の暮。
バイクで走行中、

ランドクルーザーに横から突っ込まれたのです。

方向感覚、身体、バイク・・・
すべてが吹き飛ばされました。

そこにあったのは間延びした時間だけ。

痛い、辛い、悲しい、嬉しい、怒る、笑う・・・

あらゆる感覚的単語をもってしても

「痛い」
ほど身体的な言葉はありません。
現実的ともいえる。

「痛い」
すなわち身体の声です。

私が今、ここにいることを強烈に認識させられる内側のノック。

あれから5年ほど入退院を繰り返し、

止めどなく続く内側からのノックで、
私の感情は常に身体に奪われていました。

私が学んできたスピリチュアリティとはほど遠い、
現実の中の現実。

今ここにいる。

当たり前ともいえる人間の生、存在論。

これを徹底的に叩き込まれました。

脚の関節を失ったことにより、考え方が劇的に変わりました。

身体が万能感にあふれ、気にもならなかったころに比べ、
関節が動かないということで、
どんな思考をするにしても
頭の片隅に関節のことが浮かび上がってくるのです。

つまり思考は身体のフィルター
(今ここにいるというフィルター)を必ず通るのです。

肉体を超えた目に見えぬ力。
そんなものに触れようとしていた事故前の私。

現実とは常に身体を伴ってこそ。

肉体を超えられるわけがない。

これは単に唯物論だということではありません。

目に見えぬ力に触れるにしても、

まず身体ありきなのだと今の私は感じているのです。

人との奇跡的な出会い
経験上ではありえないような出来事

今後はその出来事をふるいにかけ、
エッセンスを抽出し、
肉体を通して何が見えるのかを探っていきます。

体は小宇宙ともいいますからね。

私のスピリチュアリティはこのように変容し、

果てしない循環の中で成長は続いていくのです。

                    おわり


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9.07.2008

私のスピリチュアリティ遍歴 6

ヴィジョンクエスト
ネイティヴアメリカンの成人式(儀式)。

北山耕平氏の本によると、
まずは自分の五感を刺激した山を探し出します。


山中に分け入り、全身全霊で
“何か”
を感じる特別な場所を選び、四日間断食するのです。
そこで自分のビジョン、洞察、人生の意味を自問。
恐怖感、寂しさ、空腹感からの幻覚に襲われます。

それらを耐え忍ぶと、本来人間が持っている

研ぎ澄まされた感覚を得られて、
聖なるものへ近づくことができるといいます。

自己が確立し、大人の自分がスタートするというものでした。

27歳のころ。

何とかして目に見えぬ力に近づきたい私にとって、

うってつけの儀式でした。大人にもなれるというし・・・

すぐに実践しました。思考=行動型ですね。
本州をバイクで周り、自分の山を探しました。

そして兵庫のどこかの山の奥深く・・・
私は儀式を決行しました。

しかし、4日経ったのですが何も見えず。
さらに3日延長しました。
何も見えず。

ただ、ただ、

テントの中で力なく横たわっていたのを覚えています。

「おれ何やってんだろ?」
自問が何度も頭をかすめていました。

結局失敗して下山するのですが、それもそのはず。
実は自分がこの山だ!と決めた山で儀式をしていなかった。

バイクでの本州一周は兵庫で力、金が尽き、

大事な儀式を済ませるには近場で決行するしかないと
強引に主旨を変えてしまったのです。
こんな妥協ができる私・・・

きちんと本に書いてあった通りやっていない。
見えるはずがないじゃないですか~。

その頃、何となくつかんでいた私のスピリチュアリティは

脆く、そして儚く、
私の妥協や、不真面目さによって
崩壊の危機に来ていました。

心理的危機・・・
ジョセフ・キャンベルは

神話の力の中でこのように言っています。

「心理的にダメになった人間は、
神秘体験者が泳いでいる水の中でおぼれてしまうのです」

まさに水の中でもがき、

手だけが出て藁をもつかもうとしていたその時!

「バン!」


私の身体は5メートルほど先まで宙に浮いたのです。

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9.06.2008

私のスピリチュアリティ遍歴 5

Switch Man は表面的な心の作用には
響いてくれないようです。

心の奥底で蠢いている私の中の私

―その頃は善悪未分化の怪獣―
が求めていた声が反映したようです。

ジョナサンのように精神的成長を望んで旅に出ましたが、

初っ端に出会ったSwitch Manはなんと逃亡中の犯罪者!

知らずに旅を共にしていたのですが、
それを知った後でも彼の目の輝きに何ものかを見ていたので、
そのまま彼から離れられずに旅を続けました。

未知なるものへの強い好奇心が引き寄せたのでしょうか。
今思えば怪獣は確かに飛びぬけた経験を求めていました。
 
オランダと日本でであったSwitch Man は特に強烈でした。

一般的にはヒーラーと呼ばれる稼業なのかもしれません。
もしくは預言者・・・

預言者との呼び方はいい加減な人たちが多くいるので、
あまり好きになれません。
「先を観る力のある人」
私はこのように命名したい。

オランダは男性、日本は女性。


どちらも性を超えていました・・・

実際に人知を超えたヒトを目の当たりにした時の衝撃!
 
噛み砕いて自分なりに納得するのに時を要します。
 
そんな世界が存在すると信じて旅に出たのですが、

実際にあるとすぐに飲み込めない私がいました。

さて、偉大なるSwitch Manと出会い、

自分なりに納得すると
今度は自分にもそんな力がほしいと思い始めました。

日常を超え、非日常、夢の世界を行き来し、

先を見渡せるような力―
Switch Manはニコッと笑って方向付けしてくれました。
 
その意味の取り方が正しかったのかどうか?
今でもわかりませんが、常識の壁はとうに

壊れていたようです。

それを使って何かをしたいということではなく、

ただ肉体を超えた目に見えぬ力に
触れてみたかったのです。

同じモンゴロイド系のネイティヴアメリカンの考え方に

共感を得ていました頃。
ネイティヴアメリカンの儀式から、そんな力を得られる
可能性を見つけたのです。
「それ」は・・・

ヴィジョンクエスト

                      つづく

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9.03.2008

私のスピリチュアリティ遍歴 4

人との出会いは本の衝撃をはるかに凌駕します。
 
双六でも、アドベンチャーゲームでもいいのですが、
人生を何となく輝かしいゴールに
到達する為の旅とするならば、
数ある分岐点の中でもとても重要な所に
Switch Man は立っています。

Switch Man はヒントを与えてくれ、
私が出した答えの方角にレールを切り替えてくれます。

その時にお礼を言える時もあれば、
時間を経てから
「あっ!あの時の!」
と気づかされることもあります。

私の骨格には出会った
Switch Man 達の教えが強靭に肉付けされています。

連綿とつながる生命の輪。
 
Switch Man 達は私がそうであったように、
過去にそれぞれのSwitch Man に出会っているのです。

何かを求めて旅に出たとき、
その心の底から発するエネルギーは、
同じような質の求道をしてきた先輩と引き合うように
強力な磁力が働きます。

先輩は彼のSwitch Man となり、
「答えはないけど、ヒントはある」と言います。

Switch Man はゴールに近いけれども、まだ旅の途上。
もし「答えはこれだ!」
なんて言うSwitch Man がいるとしたら疑ったほうがいい。

私はいわゆる必然って言葉で
この現象を片付けたくはありません。

もっと能動的で、情熱的で、
ジワジワと効くどでかいハンマーで、夢のような現実・・・
 
もしくは現実に夢の場が
手繰り寄せられているのかも知れない・・・

そんな場を作り出しているのは私であり、
Switch Man でもあります。
私はその関係を50/50 だと思っています。

その道を先に進んできたというリスペクトはあります。
しかし、お互いが望んでいたのだと思いたい。

その時Switch Man と同じような精神レベルにないとしても、
私がいつしかぼんやりとしたゴールが近付いてきたとき、
私は誰かのSwitch Man となっているからです。

親子の関係に似ていますね。

                            つづく

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9.02.2008

自然療法の実践

本日は田中マイコが書きます。

ここ最近の気温の変化に身体がついていかないのか
一昨日くらいから喉の痛みを感じ始めました。
マズイ・・・滅多にひかない風邪の予感です。

でもそんなときこそ自然療法のケアを試してみましょう!

まずは朝、喉の殺菌です。
沸騰したお湯をコップに注ぎ、
アロマオイルのティートゥリーを数滴たらします。
そして目を閉じて鼻と口で蒸気を吸います。
(試される方、必ず目を閉じてくださいね!!)
頭の上にタオルをかぶせて、蒸気を逃がさないようにします。

ティートゥリーの草っぽい、薬っぽい香り・・・
鼻の奥や喉にじわじわと染みていきます。

急に咳が出ました。
そして風邪のひき初めには出ない痰が!
速効性アリ??
一気にバイキンたちが死んで外に排出されたのでしょうか?

喉がすっかり一皮むけた(?)かんじで、
逆に潤いを欲するのですが、ハチミツを切らしていたので
喉アメでごまかします。

そして一日お仕事。
何度か喉のイガイガがありましたが、風邪には至らなそう。

途中、ラベンダーの香りを急に嗅いだとき、
びっくりするほど咳込みました。
ラベンダーは副交感神経を活発にします。
副交感神経優位だと、気道は狭まります。

例えば喘息の咳を止めたいときは、
リラックスさせる精油(ラベンダーなど)ではなく
交感神経を高める精油(ローズマリーなど)を使います。
勉強はしていたけど、本当にそうなんですね・・・実感。

やはりお客様との距離が近い仕事なので
きちんと治したいと思い、家に帰って
東城百合子先生の
「家庭でできる自然療法」を開きます。

<のどが痛むとき>
・ 塩番茶でうがいをし、熱い雑炊を食べる
・ からし湿布か梅干しの果肉を貼る
  (梅酢湿布も良いが長くするとかぶれるので注意)
・ 肝、腎、脾臓の手当

今うちにあるものでできるとしたら
梅干しの果肉か梅酢・・・

思いつきで、自家製!梅酢を水で薄めてうがいをしたら
すっきり。いいかも。

もう夜も遅いので、自家製!梅干しを喉に貼って
寝ることにします。
なんといっても睡眠が一番。ですよね。

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