9.09.2008

私のスピリチュアリティ遍歴 7

「バン!」

私の身体は5メートルほど先まで宙に浮きました!

そう、忘れもしない1999年の暮。
バイクで走行中、

ランドクルーザーに横から突っ込まれたのです。

方向感覚、身体、バイク・・・
すべてが吹き飛ばされました。

そこにあったのは間延びした時間だけ。

痛い、辛い、悲しい、嬉しい、怒る、笑う・・・

あらゆる感覚的単語をもってしても

「痛い」
ほど身体的な言葉はありません。
現実的ともいえる。

「痛い」
すなわち身体の声です。

私が今、ここにいることを強烈に認識させられる内側のノック。

あれから5年ほど入退院を繰り返し、

止めどなく続く内側からのノックで、
私の感情は常に身体に奪われていました。

私が学んできたスピリチュアリティとはほど遠い、
現実の中の現実。

今ここにいる。

当たり前ともいえる人間の生、存在論。

これを徹底的に叩き込まれました。

脚の関節を失ったことにより、考え方が劇的に変わりました。

身体が万能感にあふれ、気にもならなかったころに比べ、
関節が動かないということで、
どんな思考をするにしても
頭の片隅に関節のことが浮かび上がってくるのです。

つまり思考は身体のフィルター
(今ここにいるというフィルター)を必ず通るのです。

肉体を超えた目に見えぬ力。
そんなものに触れようとしていた事故前の私。

現実とは常に身体を伴ってこそ。

肉体を超えられるわけがない。

これは単に唯物論だということではありません。

目に見えぬ力に触れるにしても、

まず身体ありきなのだと今の私は感じているのです。

人との奇跡的な出会い
経験上ではありえないような出来事

今後はその出来事をふるいにかけ、
エッセンスを抽出し、
肉体を通して何が見えるのかを探っていきます。

体は小宇宙ともいいますからね。

私のスピリチュアリティはこのように変容し、

果てしない循環の中で成長は続いていくのです。

                    おわり


ブログランキング クリックお願いします

0 件のコメント: