11.28.2009

坂の上の雲

いよいよ明日から、
NHKで「坂の上の雲」のドラマが始まります。

僕の好きな時代小説家、
司馬遼太郎の代表作。
全8巻の長編です。
昭和43年から47年に連載されました。

明治維新をへて、
ひたすら西洋文化を取り入れようと
刀、ちょんまげを捨てた日本人。

徳川の歴史は封建制度という
政治システムによって260年続いていました。
平和が続き、戦争がなかったため、
新しい武器が作られることがありませんでした。
そして徳川家は新型の造船を固く禁じていたので、
今でいう核兵器のような、
相手を威嚇できる軍艦、大砲などは持っていませんでした。

そんな弱小日本が明治維新の28年後の
日清戦争(1895年)
日露戦争(1905年)
で次々と列強(大国のこと)に勝利していくのです。

その急激な変化ぶり、
そして、異様なほど全体が一つの目標に向かい、
その力がいかなる大いなるものをも打ち砕いてしまうという、
爽快でいて恐ろしくも感じる物語を紡ぎだしています。

別に戦争を美化するつもりは毛頭ありません。
ただ、読み物としては相当面白いです。
日本に住む人なら是非読んでもらいたい。

僕は世界を旅し、
日本に帰ってきてからこの本に出会いました。

当時は日本の同一性などが好きになれず、
日本を飛び出したわけですが、
実際世界を旅して、
逆に日本のことを全然知らないことに気付いたのです。

日本のことを好きになれなかったのは
学校教育がそうさせていたことも大きかったと思います。
愛国心の否定・・・
社会全体がそんな色で染められていました。
それは戦争の反動と、
レフトウィング的思想が強かったという
時代背景もあったのだと思われます。

ところが海外へ行くと
日本人以外の人たちは自国愛がとても強いのです。
おかしい・・・

まあ、偏狭な愛国心や選民思想はいかんですよ。
しかし、海外に出て、
「あ~、早く日本食食べたい」
「日本の温泉つかりたいな~」
「日本っていいところだな~」
と思うのは自然に思う心。

全てを愛国心の名の下、
いけないことにすることに無理があるなぁと
思い始めていたのです。

そこに「坂の上の雲」が目に飛び込んできました。

それはもう、
日本という国のポテンシャルに誇りを感じ、
今ある僕は先人たちの努力の上に立っているのだと
思い知らされました。

以前には僕の心になかった、
ある、帰属することの心地よさが芽生えたのです。
愛郷心ですね。
それ以来、日本をひたすら旅し、
産まれた場所を知ることに費やしました。

ただ、司馬遼太郎の小説は
いわゆる司馬史観というバイアスがかかります。
それはざっくり言いますと、
明治の戦争は是、昭和の戦争は非
というものです。

もしくは明治は自衛のための戦争。
昭和は自衛を超えた権益獲得の戦争・・・

この司馬史観は今でも論争の的になっています。

確かにどの戦争をとっても是ということはできないし、
残念ながら、完全に非ということもできないのです。
ただ歴史からその事実を知ることができるだけのこと・・・

そこに司馬史観というテイストを付けたのは
僕は勝手に想像するに、
偏った社会全体に蔓延するレフトウィング的思考、
アンチ日本的思考に、
司馬遼太郎は切り込んでいったのだと思うのです。

日本キライっておかしくないか?
自分が生まれ育ったところを否定することってどうなんだ?
そう感じた司馬は
明治を肯定し、
昭和を血祭りに上げることによって、
その可笑しな蔓延する思考・思想にカウンターを入れたのだと。

昭和43年・・・
大学紛争真っ盛りな時ですよ。
どんなに勇気のいる事だったことでしょう。

僕の勝手な想像ですが、
そんな司馬遼太郎に拍手を送りたい。


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11.26.2009

玄 結果!

「身体ボロボロですが、歩けます。
 とにかく生きてます。
 心も折れてません・・・」

玄からのメール。

RACE MIKE 320でリタイアとのこと。
身体が動かせなくリタイアなのか、
バイクがクラッシュしてリタイアなのか
メールからは読み取れませんが、
完走という目標は達成できなかったようです。

地図で、320というポイントを探ると、
だいたい半分手前での断念だった模様・・・
一昨年のチャレンジよりは歩を前に進めたようですが、
やはり完走の壁はとてつもなく高い。
エントリーした日本人も全滅だったと言います。

水に飢えた砂漠。
雲一つない、抜けるような青空。

寝ずに走っていると
そんな単調な景色に、
いつしかトランス状態に入っていく。
それまでスラロームのようによけていたサボテンが、
ついには人に見えた・・・

一昨年の感想です。

玄の旅はまだまだ続きそうです。

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11.24.2009

誕生

本日は田中マイコが書きます。

弟夫婦に赤ちゃんが産まれました。
ゴウくんと言います。

私はKazooさんと結婚した途端に
計6人の甥姪のおばさんになりましたが、
この子は初めての血のつながった甥
私の両親にとっては初めての孫。
祖母にとっては初めてのひ孫。
めでたいことです。

弟のお嫁さんは静岡出身で里帰り出産だったので
先日新幹線に乗って会いに行きました。

生後5日目。
無菌室にいたゴウくんとガラス越しの対面。
すやすや寝ていました。
小さいけど、この子が5日前までは
お母さんのおなかの中にいたと思うと大きい・・・
出産って神秘です。

逆子だったときもあったけど
お母さんの体調が良くないこともあったけど
母子ともに無事で本当に良かった。

ミルクをあげる時間には
個室にゴウくんを連れてきてくれてました。
右往左往しながらも嬉しそうに
授乳やオムツ替えをしている弟夫婦を見ていて、
一人の人間の誕生によって
関係が成長していると感じました。
弟夫婦だけでなく、もっともっと広い影響力があるだろうと。

まだあまり笑うことはないと聞いたけど、
間近で会えたゴウくんはにっこりしてくれた気がしました。
(伯母バカでしょうか?)

命が宿って
世の中に誕生して
今は自分の力でできることは少ないけれど
確実に周りの人たちを幸せにしてて
これから一つ一つ生きる術を身につけて
自分の道を歩んでいくのですね。

たくさんの命が
この瞬間も様々な場所でつながっていくのだから、
受け皿である社会、世の中が
平和で温かくて楽しいものであるように
内側も外側も磨いていかなければならないと
ゴウくんにしみじみ教わったのでした。


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11.21.2009

緩和ケア

本日は田中マイコが書きます。

某病院の「緩和ケアボランティア」募集の
説明会に行ってきました。

緩和ケア
WHO(世界保健機関)の緩和ケアの定義によると
「生命を脅かす疾患による問題に
 直面している患者とその家族に対して、
 疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、
 スピリチュアルな問題に関して的確な評価を行ない、
  それが障害とならないように予防したり、対処することで、
 クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである」

一般的には、重篤な病気の患者さんが
残りの人生をその人らしく穏やかに過ごすために
必要な治療やサポートをしていくことになります。

現在の医療(特に西洋医学)では
どう病気をやっつけるか、いかに長生きさせるか
が、最重要とされ、
患者さん自身の思いより優先されることもあります。

緩和ケアにおいては、
まず患者さんの苦痛を少なくすることを目指します。

約10ヶ月前、この病院に問い合わせていたのですが、
ボランティア募集の時期ではなく、
ようやく機会がやってきました。

2年前までは老人ホームで
ハンドマッサージのボランティアをしていました。
普段の生活の中では
心身の「癒し」や「快」に積極的に触れづらい方々に対し
自分の技術を活かしたいという思いはずっとあり、
特に死に直面するという特別な時期に
自分の手で何かできればと、
いつか緩和ケアに携わりたいと思っています。

折りしも2ヶ月前に義母の逝去がありました。
本来なら近い親類の死から1年以内の者は
緩和ケアのボランティアはしてはいけないと言われています。
感情移入してしまうのでしょう。
ただ、前から緩和ケアにかかわることを望んでいたことと
まず説明会に参加しないと面接も受けられないとのことなので
今後活動できる機会を得るためにも病院に行って来ました。

緩和ケア病棟の先生、看護師さん、ボランティアの方々の
お話を約3時間拝聴しました。
想像していた以上に深部まで踏み込んだお話で
義母の後半の姿も何度も思い出しました。
でもあらためて、義母は潔かったし強かったと確認しました。

最近、スピリチュアルという言葉は簡単に使われますが、
緩和ケアにおいて「スピリチュアルな苦痛」とは、
 将来を失う苦痛
 他者とのつながりを失う苦痛
 自立と生産性を失う苦痛
である、と。
死に直面したとき
生きる目的、自己存在の意味を失うように感じ、
自己の無価値や家族に対する負担を負い目に感じる。

そういった苦痛を抱えている患者さんに
医師、看護師、薬剤師、臨床心理士、ボランティアなどが
一緒に寄り添うための緩和ケア病棟。

それでも、患者さんは常に希望は持ち続けているのです、
と看護師さんはおっしゃいました。
ただただ聴く姿勢を持ち、
つらさを語ってくれることに感謝をします、と。

心と心で真摯に接しているだろう皆さんに
深い感銘を受けました。
キレイごとではない。
けれど、笑顔も喜びも確かに存在する。

死が近いとわかったとき、どのような形で死を迎えたいか。
残りの長さを延ばすことを考えるより、
その瞬間瞬間が自分の生きた証になるような
充実した時間になっていた方がいい。
穏やかな環境で過ごせた方がいい。
自分なら、そう思います。

今後、こういう視点を大切にし、実行できる病院が
増えることを望みます。

この病院では私のようなセラピストは間に合っているようで
今回の募集では私は活動できないかもしれませんが、
いつか緩和ケアに関わりたいという思いを強くしました。
まずは人間力を鍛えないと・・・いう自省とともに。


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11.20.2009

玄 今夜リベンジ!!!

今朝、玄より電話がありました。

今回またがるのは
ホンダCRF450
今回初めて乗るじゃじゃ馬。
(単気筒、水冷で車体が軽いですからね~
突進力はとてつもないと思います)
慣れるのに少し時間がかかった様子。

ただ、プレランという、
本当のコースを試しに走れる期間があり、
本番さながら試走したところ、
だいぶ一体化したと言います。

しかし本番前にコケテしまうことも
よくあることらしいので、
無事スタートラインに立てることに
まずは一安心といったところ。

さて、玄のスタートは今夜25時半ころ。
つまり明日の0時30分ころ。

目標は達成できるのでしょうか!

ゼッケン 275x
Tatsushi Asaga
http://irctracking.com/2009/Baja1000/

たぶん、ここでGPS中継されると思います。

ひまでしたら追ってみましょう!

Good Luck!


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11.18.2009

半農半X という生き方

何度もこのブログに書いていますが、
今この時代、何が問われているのかと言いますと、
食べるものはすぐに手に入り、
着る服はオシャレになり、
冬は暖房、夏はクーラー、
余暇にレジャーができるような生活が手に入ったのに、
本当に幸せなのだろうか?
という疑問が湧いてきているということなのです。

先人たちは便利で苦労のない生活を求め、
さまざまな機械、生活用品を開発してきました。

それが大きく変わったのは近代のこと。

単純手作業の第一次産業が多数を占めていたのは
そんな昔のことではない。
例えば稲作では稲刈り機が導入されたのは昭和37年!
僕も体験しましたが、
手作業で稲を刈るのはとても大変。
これを最近までやっていたのです。

女性達に革命を起こした機械の一番に洗濯機が上がります。
それまでは井戸水、用水路で手洗い・・・
冬なんか凍えながらやっていたことでしょう。
それを思うと、ホント、洗濯機ができてよかった。

そんなんで、
ここ4、50年で仕事や生活の質がグーンと上がったわけです。
この結果、時間の余裕が生まれたんですね。
素晴らしい!

さて、便利への要求はとどまるところを知りません。
そこに物質の所有が加わり、
生活が豊かになってきます。
豊かになったはずなのです!

ところが・・・

生活の質が上がって豊かになったはずなのに、
なぜか忙しい!
時間をお金で買ったはずなのに、
時間の余裕が全然ない!

所有する物も、
エンターテイメントも、
ある程度は心を満たしてくれるが、長続きしない・・・

まあ、自分で会社立ち上げた人であれば、
そんな環境も楽しいかもしれない。
仕事が心底好きならいいかもしれない。

だけど現実、そう思っていない人が多い。

本当の幸せとは何だろうか?

今、自分の周りを見渡して
どうしていいのか分からない人が多いのではないでしょうか。

少し前に友人から借りた本に、
半農半Xという言葉が載っていました。
塩見直紀さんと言う人が提唱しているライフスタイルです。

それは
「持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天賦の才
(得意なことや大好きなこと)を活かし、社会的な仕事をし、
問題を解決すること」
とあります。

一周して、兼業農家が新しくなったと
解釈すれば分かりやすい。

毎日土をいじれる環境にいつつ、
時間を買いに仕事に出る。
それも受け身の仕事ではなく、
自分の才に合ったものや、
社会的に有意義なものを選ぶ・・・

そんなにリッチな生活ではないでしょうが、
心は豊かになると思うんですね。

僕の理想でもあります。

そう感じている人も少なくないと思うんです。

オカミもこういう方向性の政策を作ればいいのに。

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11.14.2009

新聞の新刊紹介で世相を読む

今、世の中では何が求められているのか?

新聞の新刊の広告を見れば大体わかります。

今、流行りは
「33歳からのルール」
「28歳からのリアル」
「35歳までに必ずやるべきこと」
「働く女、38歳までにしておくこと」
等々。

この歳になったら世の中のできるヤツは、
こんなことやってんだぞ。
こぼれ落ちないためには、しっかり同じ事しておけ!

まあ、少し脅迫めいて書きましたが、
買う方は多少なりとも不安があるのが現実。
そこに訴える。

そもそも18歳で高校卒業、
20歳で成人式、
22歳で大学卒業して会社に入ったのなら、
その時点でしっかり付いて行っているではないか!

なのに不安だから、
このような本を買って基準を測ろうとする。
今抱える問題は、
同じようにやってきたことの歪みからきているのではないか?


「一瞬で信じ込ませる~」
「一瞬で相手を落とす~」
瞬間で相手を
自分の世界に引き込むテクニックも流行っている。

ノリ、スピード、軽さ。
まるで人がベルトコンベアに乗ってきて、
挨拶したら流れて行ってしまうかのよう。


法則シリーズ
「成功するための~個の習慣」のような、
これこれを得るには何個やりなさい、
という訓練づけ、
もしくは
「~~をするならやっておく、何個のルール」
のようなHOW TO系。

3つくらいなら、まだやる気は出そうです。
7つになったら少し面倒くさい・・・
しかし、
最近見たのでびっくりしたのは66個!
多ければいいってもんじゃないでしょw

これも「~歳までに」シリーズと同じく、
平均的な事柄は抽出できるけども、
絶対ではないですからね。

きっと、そのまま真似するとうまくいかない。


少し前に流行ったのは引き寄せ系。
=ポジティブシンキング。
これは、どんなことを引き寄せて、
どんなことをお返しするのかという質が
まず問われるべきなのではないかと思うのです。


そうそう、
もう少し前ならば品格シリーズ。
「国家の品格」が口火を切り、
さまざまな品格が世に産声を上げました。

これだけ「~~の品格」が生まれたのに、
まだその波に乗ろうとする、
その作者たちの品格が疑われる。
そう感じたのは僕だけかな。

新刊から世相を読む。
自信がないことからの不安が多くあり、
それを素早く解消してくれそうなものを
探しているということですかね。

しかし本当のことは
ルールは誰かに教えてもらうのではなく、
自分で見つけるということなのです。

そこをしようとしない限り、
堂々巡りなのではないかと思うのです・・・

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11.13.2009

梅干し

本日は田中マイコが書きます。

梅干しの出来が良いのです。

太陽とタイミングが合わない8月初旬に
なんとか干してから約3ヶ月、台所の下で眠ってました。



            赤く染まった色が食欲そそる梅干したち。

なんと言いますか、
今年の梅干したちは艶っぽいオンナのよう。



去年の梅干しは1年経って残り2個のみ・・・
名残惜しくて手が出ないのですが、
比べてみるとその姿の差は歴然。
去年の梅干しは渋さをかもし出しています。



去年の梅干しは
塩を19%紫蘇の葉が110g(理想の3分の1)
今年の梅干しは
塩を18%紫蘇の葉300g

両方3kgずつ、同じ農園でつくられた梅。塩も同じ。

味も全然違います。
去年もしょっぱいながらも美味しくできたと思いましたが、
今年の梅干しのまろやかさ、甘酸っぱさ。食べやすいです。
紫蘇の葉の量は確かに全然違いました。
その他にも要因はあるのでしょう。
これからも続けて、
年々の差の理由が分かる域になりたいものです。

そして炊きたてご飯と梅干し・・・
贅沢です。
特に今年はお米も自家製ですし!!

赤いかわいい子たちは
専用の壺?に入れ直して大事にいただきます。



梅酒3種も順調に育っておりますが、
寝かせる間にも減っていることも事実。。。
それぞれ時間で味が変化していきます。
好みで飲み分けられそうですね。
とても1年持ちそうにありません~


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11.11.2009

リベンジ 2

「まあ、これは男の子の遊びだからな~」

カァーっと見開いた眼は、
遠くバハの乾いた砂漠を見ていたのだろう。
口元には不敵な微笑みがこぼれている。

一昨日の夜、玄に会いに行った。
旅立ちの前日、
身体全体をおおう気の流れは、
まるでショートしそうなほどバチバチと音を立てていた。

「男の子の遊び・・・」
次に視点は上空に移り、
何かを得たかのように二、三度頷いた。

いつまでも男の子のママだとダメなんだ
 大人の男の子の遊びにしないとな・・・
 そうだ、大人の男の子だ」

「・・・・・・」

僕とカミさんは無言のまま頷きつつ
頭の中では
(じゅうぶんにいい歳なのでは?)
と言葉がよぎった。

でも、気持ちが分からない訳でもない。

そもそも、男が大人だと思う年齢の基準なんて曖昧だ。
10代だった頃、30代は大人に見えたし、
その頃には知識や経験から
人間としての徳を備えていると思った。

そして30代になり、
それは30代から見る大人像が
どんなものかに置き換わっただけになった。

大人の先延ばしとも言えるし、
立派な大人像がより高度なものになったとも言えるw

FOREVER YOUNG
ボブ・ディランの名曲。
まさに玄はこの曲を体現している。

「今回のコースはより危険が伴う・・・
 どこかに消えたら、骨を拾いに来てくれ」

相変わらず冗談とも本気とも取れないことを言ってくる。

「ああ、もちろんさ。
 たとえ玄が骨になっても俺はお前だって一発で分かるから。
 俺はお前を腰で見分ける!」

そう、腰痛持ちの玄、
その腰は以前「入っていない」と書きました。

僕は何度も玄の腰を触らせてもらい、
骨格がどのようになっているか良く分かっています。
どんな検視官よりも早く見分けることでしょう。

「そんな時はバキバキって腰入れてやるから!
 それで成仏できるだろ」

「うぉ~!いいね~」

いつもの調子です。
バハの風を切り裂いてきてほしい。

「日本一周から俺はまだ続いている・・・」
玄は言う。

1999年の夏。
玄、リュウジ、僕の三人はモトクロスバイクで
日本一周の旅を共にした。

それは僕らにとって熱く、
強烈な出来事の連続だった。

しかしその年、僕は事故により
バイクにまたがることをを断念した。
リュウジも同じような理由でバイクから距離を置いた。

それからというもの、各々の人生観、
旅の形、興味の対象が大きく変化し、
会うことも少なくなった。

あれから10年・・・
玄はいまだ路を求め、
走りのフィールド、
遊びのフィールドを、
“日本”から“地球”にシフトして、
大人の男の子の遊びを究めようとしているのでした。

思いきり地球をかっ飛ばしてくれ!

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11.09.2009

土鍋で玄米を炊く「究」

本日は田中マイコが書きます。

今年1月、一年の目標を漢字一文字に込めて
「究」としました。
早くも11月・・・今年も残り2ヶ月を切っています。

私は何を「究」できたのか・・・
気づけば何もできていない!
まだ振り返るには早いかもしれませんが、
今年は特に、静かに止まって物事を見るとは真逆で
流され走っていた一年のように思います。

忙しかったと言い訳すればそれまでですが、
せめて残り2ヶ月弱、「究」を試みようと決めたこと。

「土鍋で美味しく玄米を炊く!」



いつ頃だったか、友達のお母様に
ご飯用の土鍋をいただきました。
ずっと我が家は圧力鍋で玄米を炊いていて、
それがまた早くて美味しく炊けるため、
「そろそろ土鍋でご飯炊いてみようかな・・・」
という思いがずるずる先延ばしになっていました。

しかし、この一年稲作をやらせてもらい、
そしてようやく待ちに待ったお米の収穫
手塩にかけて育てたこの子たちを
いかに最高の味としていただくか。

ということで、土鍋の登場です。

ネットで調べましたが、
強火・弱火の時間等、人それぞれのようで。
鍋の厚さやお米の性質によってもまちまちなんでしょうね。
くださった方に伝授されたポイントは「かき混ぜる!」のみ。
途中でかき混ぜると、美味しく炊けるとのこと。

最初に挑戦したときは、底の方が焦げてしまいましたが
玄米とは思えないようなしっとり感と柔らかさがありました。

次は少し水の量を減らし、加熱の時間もを少なくしたところ
全体的に硬い食感に。そして底面の焦げは変わらず。

3度目は、念入りにかき混ぜて
弱火の時間を長めにしました。
焦げがつかないように願いましたが、やっぱり底面は黒く。

美味しく炊けるような気はするのですが、
この焦げがある限りは成功とは言えない・・・

そんな折、料理人のK氏が我が家に遊びに来ました。
まだ「究」の途中だったので
この日は圧力鍋で炊いた玄米を一緒に食べましたが、
K氏は置いてあった土鍋にすかさず興味を示し、蓋を開けて
「あ~焦げ癖があるねー」と。

一度鍋底に焦げがついてしまうと、
ひっかかりを完全に取らない限り
また同じ部分が焦げる癖がついてしまうそうです。
それを聞いた後、Kazooさんがキレイに取ってくれました。

これで焦げずに美味しく炊ける!
と思いましたが・・・
昨日炊いたお米は味がイマイチ。残念・・・
前3回は火を入れる前に塩を入れていたのですが、
うっかり忘れてしまって。塩は欠かせない要素かも。
あと弱火の時間でしょうか、長すぎたかもしれません。
ただ、底面の焦げはなくなりました!
これからの努力で美味しさに磨きをかけます。

今はまだ時計を見ながら火加減を調節していますが
香りや音も自分の中に取りこみながら炊いています。
お米たちの様子は目には見えないから、
じっくり感じながら調理しています。
「米」という日本食の基本を良い形でいただけるように。

我が家の「土鍋で炊いた玄米」を完成させるべく、
日々探求したいと思います。



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11.06.2009

スポーツジムを発電所にw

何か腑に落ちないものを感じるんです。

たくさん食べて、
太ったからジムに行く・・・

プロテイン飲んで、
鎧のような体を作るためにジムに行く・・・

動いていないと気が済まないからジム行く・・・

要するに余剰にカロリーを摂取してしまい、
そのエネルギーをどこで燃やそうかと考えたときに、
スポーツジムなるものがあるのですよ。

もちろん何もしないよりも、したほうがまし。

だけれども、よく見てみると、
ちょっと・・・
と思うことがあるのです。

自分が取りすぎたカロリーを燃やすためにジムへ行き、
ジムでは温水プールや、機器類を用意し、
膨大なエネルギー量を消費する。

つまり摂取した余剰カロリーを
エネルギーを使って燃やしているのです!

なんて贅沢なんだろうか。

モノづくりの会社ならば、
環境問題が騒がれる今、
それだけの贅沢をすればコストに響き、
ましてやCO2を大量に吐き出して、
社会から反発を生んでしまうのは自明のこと。

人間自身はまだ大丈夫らしい・・・
でも、おかしくないか?

だからこそ新しいスポーツジムの形を提案します。

それは全ての機器類に発電機を付け、
余剰カロリーを摂取し、
燃やしたいとムンムンしている人たちに
ガンガン発電してもらうのです。

ランニングマシーン、バイクマシーンに始まり、
あらゆる機器類に発電機を取り付ければ、
余剰カロリーが電気に変わり、
その電気をジム内で還元するか、
余れば電力会社に売ることができる!

発電量が見えるようにすれば、
俄然やる気も出るし、
環境に配慮したという充実感も生まれるというもの。

どこかやってくれないかな~

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11.03.2009

稲作とコミュニティー

今の自分の身体が形作られている、
その基礎にお米さんの存在がある。

そんな親密な関係にあるのに、
これまで楕円形した最終形をただ調理し、
口に運ぶだけの、
日常にごく当たり前にある一部として捉えてきました。

これだけの長い付き合いにもかかわらず、
形を見、舌で感じるだけの付き合い・・・

ちょっと、これはいただけない。

何年と付き合っている彼女の
容姿は分かっているのだけれども、
性格は全然知らない、みたいな。

もっと、全体を愛しましょうw

そんなことで、
去年田植え、稲刈りに参加し、
それだけでは物足りなくなった僕らは
一年を通して稲作を体験しました。

この経験はとても有意義でした。

何よりも作業の後の充実感がたまらない。
どんな力仕事でも、
地味な草刈りでも、
3,4日、身体の疲れを取り除くような装置が働く。
単純に気持ちいい感覚が続いているのかもしれない。

これは僕の考えですが、
土の解毒作用があるのだと思う。
それと、一年近くを通して作業するという、
気の長い時間軸が心身ともにマッタリさせるのかもしれない。

晴耕雨読。
この言葉の意味がやっと分かった。
成田までの距離は慣れたものの、
往復3時間は、
一日をまるまる使ってしまうだけの距離ではある。

だから途中雨が降っても、
せっかく来たのだからという理由で
作業を強引にすすめました。
そんな時はどうしようもなく大変な思いをします。
周りで作業している人なんて誰もいません。

天候によって無理に動かない・・・
これ、農には基本原則としてあるのでしょう。
この解決策はただ一つ。
田んぼの近くに住むこと。

そして今回、一番勉強になったのが、
コミュニティーの在り方です。

田植え、草刈り、稲刈り、脱穀・・・
初心者が何人も集まって、
指導のもと、手探りで作業を始めるのですが、
少し時間を経てくると、
集団的に合理的なやり方を各々が考えていく。

だれが指示するでなく、
男子はだいたいこの作業、
女子はだいたいこの作業といった具合に。
もしくはここに誰かが立っていれば中継がスムーズにいくとか、
この作業は誰がむいているだとか、
自然と流れができる。

それはなぜか・・・

皆、真剣にやるから。
一つの共有した意識の下、
特に農という作業において、
このような全体の心地良い働きが生まれるのだと知りました。

ああ、これがコミュニティーなんだな~
と深く感じ入ったのです。

確かに昔から稲作は家族以上の単位で、
大勢の力を必要としてきたのです。
それは今でも当たり前のこと。

これを改めて実感することにより、
現在の都会生活、
もしくは農に触れていない生活は、
コミュニティーという、
目に見えない、
大切な横のつながりが薄れていくのだと気づかされたのです。

稲作、来年もやります!


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11.01.2009

リベンジ

「さっき決めた。またバハに行くぜ」

昨日の夜遅く、玄(仮名ねw)から電話があった。
力強い物言いに何事かと思ったが、
それは今一度チャレンジするという、
決意の現れだった。

思えば一昨年。
無残にも砕け散った、リタイアという汚名。

帰ってきて、
いつかまたやると熱く語っていた。

著名なパリダカレーサーを父に持つこの男。
生まれた時から大きな荷を背負っているのだろう。
大きければ大きいほど反骨が生じる。
それは本人が一番分かっているのかもしれない。

11月20日
本戦が始まる。

11月10日に日本を旅立つ。

そんな大舞台を10日前に決断するこの男・・・
出会ったときと何ら変わらない。

もちろん虎視眈眈と機会をうかがっていたのだろう。
しかし決めたという、その言い方は
まるで一泊二日で旅行に行くかのよう。

目的ははっきりとしている。

完走

ゴールを目指し、ひたすらアクセルを開ける。
「今回は抑え気味で行く」
なんて言っているが、
一たび砂漠をタイヤが噛めば、
黙っていられないだろう。

やってください。
とことんまで。

30代後半。
こういう仲間がいることで
自分の内側にある灯に油が注がれるのです。


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