11.21.2009

緩和ケア

本日は田中マイコが書きます。

某病院の「緩和ケアボランティア」募集の
説明会に行ってきました。

緩和ケア
WHO(世界保健機関)の緩和ケアの定義によると
「生命を脅かす疾患による問題に
 直面している患者とその家族に対して、
 疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、
 スピリチュアルな問題に関して的確な評価を行ない、
  それが障害とならないように予防したり、対処することで、
 クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである」

一般的には、重篤な病気の患者さんが
残りの人生をその人らしく穏やかに過ごすために
必要な治療やサポートをしていくことになります。

現在の医療(特に西洋医学)では
どう病気をやっつけるか、いかに長生きさせるか
が、最重要とされ、
患者さん自身の思いより優先されることもあります。

緩和ケアにおいては、
まず患者さんの苦痛を少なくすることを目指します。

約10ヶ月前、この病院に問い合わせていたのですが、
ボランティア募集の時期ではなく、
ようやく機会がやってきました。

2年前までは老人ホームで
ハンドマッサージのボランティアをしていました。
普段の生活の中では
心身の「癒し」や「快」に積極的に触れづらい方々に対し
自分の技術を活かしたいという思いはずっとあり、
特に死に直面するという特別な時期に
自分の手で何かできればと、
いつか緩和ケアに携わりたいと思っています。

折りしも2ヶ月前に義母の逝去がありました。
本来なら近い親類の死から1年以内の者は
緩和ケアのボランティアはしてはいけないと言われています。
感情移入してしまうのでしょう。
ただ、前から緩和ケアにかかわることを望んでいたことと
まず説明会に参加しないと面接も受けられないとのことなので
今後活動できる機会を得るためにも病院に行って来ました。

緩和ケア病棟の先生、看護師さん、ボランティアの方々の
お話を約3時間拝聴しました。
想像していた以上に深部まで踏み込んだお話で
義母の後半の姿も何度も思い出しました。
でもあらためて、義母は潔かったし強かったと確認しました。

最近、スピリチュアルという言葉は簡単に使われますが、
緩和ケアにおいて「スピリチュアルな苦痛」とは、
 将来を失う苦痛
 他者とのつながりを失う苦痛
 自立と生産性を失う苦痛
である、と。
死に直面したとき
生きる目的、自己存在の意味を失うように感じ、
自己の無価値や家族に対する負担を負い目に感じる。

そういった苦痛を抱えている患者さんに
医師、看護師、薬剤師、臨床心理士、ボランティアなどが
一緒に寄り添うための緩和ケア病棟。

それでも、患者さんは常に希望は持ち続けているのです、
と看護師さんはおっしゃいました。
ただただ聴く姿勢を持ち、
つらさを語ってくれることに感謝をします、と。

心と心で真摯に接しているだろう皆さんに
深い感銘を受けました。
キレイごとではない。
けれど、笑顔も喜びも確かに存在する。

死が近いとわかったとき、どのような形で死を迎えたいか。
残りの長さを延ばすことを考えるより、
その瞬間瞬間が自分の生きた証になるような
充実した時間になっていた方がいい。
穏やかな環境で過ごせた方がいい。
自分なら、そう思います。

今後、こういう視点を大切にし、実行できる病院が
増えることを望みます。

この病院では私のようなセラピストは間に合っているようで
今回の募集では私は活動できないかもしれませんが、
いつか緩和ケアに関わりたいという思いを強くしました。
まずは人間力を鍛えないと・・・いう自省とともに。


人気ブログランキングへ

0 件のコメント: