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5.08.2010

シッダールタ

美しい。
美しすぎる・・・

主人公シッダールタ
(この小説では仏陀のことではありません)
の深い苦悩、苦悩に対する煌めきのような気づき、
気づきを経て新たに生まれる苦悩・・・

一人物の壮絶な苦悩と探求の旅物語。

物語は終始、樹海を彷徨い、
上空の枝葉の隙間から光を覗くように、
視界十分に見渡すことができない。

なのになぜこれだけ魅了されるのだろうか?

シッダールタには確信があった。

どんな尊い教えでも、
唯一無二の覚者の言葉でも、
頂上までは登らせてくれない。

「悟りを開いた仏陀の教えは多くのことを含んでおり、多くの人に、正しく生き、悪を避けることを教えます。しかし、かくも明らかで尊い教えも一つのことを含んでおりません。つまり、覚者自身が、幾十万人の中で彼ひとりが体験したことの秘密を含んでいないのです!」

*ここで仏陀が登場しますが、
あくまでも主人公シッダールタが
探求の途中で出会った覚者としてのものです。

そうだ、そうなんだよ!!!

どんな教えも9合目までは登らせてくれる。
ただ、頂上を目指すのならば、
その教えを内包して、
一ミリでも大きくなり、
一歩でも自力で前に進まなきゃたどり着けないんだよ!

その苦悩が、
偉大なる小説家の独特の言い回しで磨きあげられる。

悟り・・・

一体この言葉は何だろう?

十代後半から二十代前半までは、
背伸びしながらも意識した言葉。
もちろん、悟りにかすりもしなかった。

これを読んで再び悟りについて想像にふけってみた。

二段階あるな・・・

まず、シッダールタのように
あまたの偉大なる教えは
頂上までは登らせてくれないと悟ること。
(大げさかも。知ること、で済む)
一段階目。

悟りとは、あくまでも主観で、
誰かがその人に悟っていると言ったとしても、
その人の内側など何人たりとも知ることはできないので、
悟ったかどうかは自分で判断するしかない・・・

確かに死語の世界でジャッジがあるとされます。

西洋では天国or地獄行きの審判が下される。
仏教では解脱できるかどうか。

しかし、解脱を目指す修行者にとって、
死んでみないと分からないというのは、
やり抜いたことがサイコロで決められるようなもの。

せめて主観的な納得がほしい。

自分が悟ったかどうか?

それを知ることができるのは唯一、
自分の人生を客観的に見られる時、
俯瞰して眺められる時・・・

走馬灯。

つまり、この世を去る、まさにその瞬間、
自分の人生を振り返ったときに見えるもの・・・

むき出しの、魂そのものになったとき、
自分が人間として歩んできた道と、
これから進んでいく道が、
一本の直線で結ばれているのを見たのならば、
それこそが悟りなのではないか・・・

フムフム。

僕が想像したところによると、
人は一生悟ることができなくなるw

「シッダールタ」
   ヘッセ



おススメです。

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3.17.2010

代替医療のトリック

代替医療のトリック
   サイモン・シン エツァート・エルンスト 著




久しぶりに、
やらなければならないことを脇に置いてまで
のめり込んでしまった。

460ページ。重量級の良書です。

本書は題名から推測できるように、
現代の代替医療
(鍼、ホメオパシー、ハーブ、カイロプラティックを中心に)
を科学的な検査で徹底的に検証しています。

整体を生業としているので、
現代の科学的な視点で代替医療はどう捉えられるのか、
決して無視はできません。

ここでまず科学的な検査というものが
果たして十分な回答が得られるのかどうか?
という疑問がわきます。

Evidence Based Medicine 
エビデンス、EBMと言われます。
臨床での有効性を検証して、
その情報をもとに応用していくことです。

以前僕はこのエビデンスに疑問を持っていました。

なぜなら、例えば鍼で言う経絡、
気の流れや、気そのものを科学的に測ることは現状無理だし、
それを見えないから無いとしてしまうなら
それこそ科学の暴論だと思っていたのです。

しかし、しかし・・・
話は簡単でした。

要するに、
この症状は鍼やホメオパシーなどによって効くのか?
を調査すればいいのです。
理論は二の次。
効くか効かないか。

これを二重盲検法を始めとした、
膨大な信用のおける資料、
分析を分析するメタアナリシス等によって
徹底的に見ていきます。

結果は・・・
読んで下さいw

深くは言いませんが、
代替医療心棒者はへこむと思います。

しかし、この結果に
ただ観念的に反論をするのもおかしい。
徹底的に議論を尽くしてほしいと思います。
効くから効く、みたいなのは止めにしましょう。
本書にあるように、効用がしっかりと証明された代替医療は
西洋医療に組み込まれるという事実もあります。

少し違った観点からこの問題を見てみます。

まず東洋医療を始めとした代替医療が
西洋医療と統合していくという
昨今の大きな方向性があります。
首相も統合医療を推進しています

この流れから行くと、
西洋的視点で、病気が治るか、治らないか?
が全てになってしまいます。

本来東洋医療は未病が基本ですから、
事後的な治療というよりも、
病気になりずらい身体をつくるのが本来の目的です。
ですから基本的に病気を治すということにおいて、
西洋と比較してしまうと弱点があることは確かでしょう。

治療の進め方も個人によって違ってしまうので、
測りようがないというのもありますが、
それは考え直してもいいかもしれません。

なぜならこうした
徹底的な検査をしてこなかった歴史があるからです。
治すという方向性の西洋医療と対等でいくのなら、
全ての代替医療はあらゆる検査法を開発して、
それを白日のもとにさらすのは仕方ないと思います。

だから治すとか、統合とかそういう文脈ではなく、
未病について徹底的に、
独自的にやってほしいと思うんですね。

そもそも病気にならないということを
科学的に説明するのは不可能なんですから。

これからは未病メインで、病気になったらこれまでの医療。
その根底に死生観がしっかりある時代になってほしい。

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2.01.2010

音に舞い、酒に舞う

久しぶりの
Organic Groove
(以下オーグル)

10年以上前、友人が立ち上げた、
唯一無二のライブイベント。

ジャム・バンドなるシーンを広めたのもこの男。

常にアンテナを立て、いいものを見極める、
その感性は人と一味も二味も違う。

僕は脚のことがあったから、
近年あまり顔を出せなかったけど、
昔はよく遊ばせてもらったな~。

やっぱりナマ音で踊るのが気持ちいい。

昨日久しぶりに復活したオーグル

最高でした。

こういう高品質の、
踊れるライブって日本では中々ないからな~

おめでとう。
そしていつまでも続くことを願います。

さて、年の標語
「舞」

昨日は当然、気持ちよく舞いましたよ。

最後の方は酒が身体の中を舞ってましたがw

帰りは身重のカミさんによっかかりながら帰ったそうな・・・


                            誰?
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12.27.2009

今年の本

この一年で読んだ本を振り返ります。

僕の今年のベストは

「愛するということ」
―エーリッヒ・フロム 

・1950年代に書かれたので、
 既に古典に分類されそうですが、
 未だ輝きを失っていない。
 きっと普遍的価値観が織り込まれているからでしょう。

次点で
「全体性と内蔵秩序」
デビッド・ボーム  

~ある瞬間における運動の状態は、その全状況に内在する
 一段内奥の必然力によって抜き出され、また今度はそれに
 よって次の瞬間の状況が生み出されていく。~

・この本はめちゃくちゃ難しかった!
 しかし、ゆっくり落とし込んで読み進めました。
 全く意味不明なところもありましたが、
 量子物理学がいかに宇宙そのもの現しているか、
 それが古より語り継がれている東洋哲学と合わさると、
 どんな宇宙観が出現するのか、
 そこらへんが超人的に描かれています。
 リピート系ですね

「希望の革命」
―エーリッヒ・フロム  

「あなたが世界だ」
―クリシュナムルティ 
・世界観が確立されていて、分かりやすい。
 疑問はありますが。 

「生の全体性」
―クリシュナムルティ デビッド・ボーム 

「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」
―ルドルフ・シュタイナー   
・題名長すぎw

「あなたが『宇宙のパワー』を手に入れる瞬間」
―ディーパック・チョプラ
・分かりやすいですね。

「気の論理学」
―三角泰璽

「丹田呼吸法」
―村木弘昌
・呼吸法がさらに深まりました。
 ポイントは骨盤底筋に…

「アナトミートレイン」
・筋・筋膜の経路を知れば
 どのように身体に歪みが生じたのかを
 理論的に推察できる。

「トリガーポイントブロックで腰痛は治る」
―加茂淳
・腰痛を発生させているポイントに麻酔を注射すれば
 腰痛はなくなるというもの。ヘルニアも狭窄症も
 幻想だと言いきっています。本当かな~?
 しかし実際治っているので、言葉は重い。

「腰痛は99%完治する」
―酒井慎太郎
・こちらは手技療法。確かに仙骨は重要です。
 一度受けに行かないと。

「やさしいフォーカシング」
―アン・ワイザーコーネル
・フォーカシングの入門でいて、
 読んでいるだけでほぐされる一品。

「ホールボディ―フォーカシング」
―ケビン・マケベニュ
・これも読んでいるだけで心が穏やかになる。

「村の幸せ、都会の幸せ」
―徳野貞雄

「自給再考」
―山崎農業研究所

「蜂はなぜ大量死したのか」
―ローワン・ジェイコブセン

「日本近代史の流れ」
―竹内睦泰
・近代史は、なぜか学校教育では内容が薄い。

「海鳴り」
―藤沢周平
・ホント、引き込まれます。

「本質を見抜く力」
―養老孟司
・環境問題や食糧問題の虚を衝いています。

等々・・・

皆さんはどんな本の年でしたか?


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12.06.2009

愛するということ エーリッヒ・フロム

「成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合
 である。愛は人間の中にある能動的な力である。人をほか
 の人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人を結び
 つける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服す
 るが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を
 失わない。愛においては二人が一人になり、しかも二人で
 あり続けるというパラドクスが起きる」

美しい!
この世界観・・・美しすぎます!

エーリッヒ・フロム
「愛するということ」



本って生き物ですね。
今このタイミングで出会えたことに
とても不思議な縁を感じます。
自分の内側に落とし込もうと、
立て続けに二回読みました。

まるで僕の喉の渇きを潤すかのように、
すーっと溶け込んで、細胞の隅々に行きわたりました。

今自分が本当に望んでいること。
それが
「でしょ?」
とばかりにやって来るのです。

1956年に出版されたこの本は、
今読んでも全然色あせていない。
むしろ予見した世界像が今、現実となっているのです。

「愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけること
 である。この積極的な配慮のないところに愛はない」

「愛とは、特定の人間に対する関係ではない。愛の一つの対
 象に対してではなく、世界全体に対して人がどう関わるかを
 決定する態度、性格の方向性のことである。もし一人の他人
 だけしか愛さず、他の同胞に無関係だとしたら、それは愛で
 はなく、共生的愛着、あるいは自己中心主義が拡大された 
 ものにすぎない」

これはマザーテレサの言葉、
「愛の対義語は憎しみではありません。無関心です」
と近いですね。

とにかく愛を能動的な関わりと説いています。

人間が言葉や文明を発展させ、
自然からますます切り離されていった結果、
どうやって人間的な新しいカタチの調和を発見するか?

自然を我が物にしようと非人間的になり、
まるでロボットのように生きるか、
それとも人間的に精神を生きるか・・・

エーリッヒ・フロムは50年以上も前に、
こんな危機感を抱き、
後者を実現するならば愛を学び、
愛を行動するしかないと説きます。

まさに今の時代に足りないもの、
人が本当に飢えているものは・・・

一読あれ!

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11.28.2009

坂の上の雲

いよいよ明日から、
NHKで「坂の上の雲」のドラマが始まります。

僕の好きな時代小説家、
司馬遼太郎の代表作。
全8巻の長編です。
昭和43年から47年に連載されました。

明治維新をへて、
ひたすら西洋文化を取り入れようと
刀、ちょんまげを捨てた日本人。

徳川の歴史は封建制度という
政治システムによって260年続いていました。
平和が続き、戦争がなかったため、
新しい武器が作られることがありませんでした。
そして徳川家は新型の造船を固く禁じていたので、
今でいう核兵器のような、
相手を威嚇できる軍艦、大砲などは持っていませんでした。

そんな弱小日本が明治維新の28年後の
日清戦争(1895年)
日露戦争(1905年)
で次々と列強(大国のこと)に勝利していくのです。

その急激な変化ぶり、
そして、異様なほど全体が一つの目標に向かい、
その力がいかなる大いなるものをも打ち砕いてしまうという、
爽快でいて恐ろしくも感じる物語を紡ぎだしています。

別に戦争を美化するつもりは毛頭ありません。
ただ、読み物としては相当面白いです。
日本に住む人なら是非読んでもらいたい。

僕は世界を旅し、
日本に帰ってきてからこの本に出会いました。

当時は日本の同一性などが好きになれず、
日本を飛び出したわけですが、
実際世界を旅して、
逆に日本のことを全然知らないことに気付いたのです。

日本のことを好きになれなかったのは
学校教育がそうさせていたことも大きかったと思います。
愛国心の否定・・・
社会全体がそんな色で染められていました。
それは戦争の反動と、
レフトウィング的思想が強かったという
時代背景もあったのだと思われます。

ところが海外へ行くと
日本人以外の人たちは自国愛がとても強いのです。
おかしい・・・

まあ、偏狭な愛国心や選民思想はいかんですよ。
しかし、海外に出て、
「あ~、早く日本食食べたい」
「日本の温泉つかりたいな~」
「日本っていいところだな~」
と思うのは自然に思う心。

全てを愛国心の名の下、
いけないことにすることに無理があるなぁと
思い始めていたのです。

そこに「坂の上の雲」が目に飛び込んできました。

それはもう、
日本という国のポテンシャルに誇りを感じ、
今ある僕は先人たちの努力の上に立っているのだと
思い知らされました。

以前には僕の心になかった、
ある、帰属することの心地よさが芽生えたのです。
愛郷心ですね。
それ以来、日本をひたすら旅し、
産まれた場所を知ることに費やしました。

ただ、司馬遼太郎の小説は
いわゆる司馬史観というバイアスがかかります。
それはざっくり言いますと、
明治の戦争は是、昭和の戦争は非
というものです。

もしくは明治は自衛のための戦争。
昭和は自衛を超えた権益獲得の戦争・・・

この司馬史観は今でも論争の的になっています。

確かにどの戦争をとっても是ということはできないし、
残念ながら、完全に非ということもできないのです。
ただ歴史からその事実を知ることができるだけのこと・・・

そこに司馬史観というテイストを付けたのは
僕は勝手に想像するに、
偏った社会全体に蔓延するレフトウィング的思考、
アンチ日本的思考に、
司馬遼太郎は切り込んでいったのだと思うのです。

日本キライっておかしくないか?
自分が生まれ育ったところを否定することってどうなんだ?
そう感じた司馬は
明治を肯定し、
昭和を血祭りに上げることによって、
その可笑しな蔓延する思考・思想にカウンターを入れたのだと。

昭和43年・・・
大学紛争真っ盛りな時ですよ。
どんなに勇気のいる事だったことでしょう。

僕の勝手な想像ですが、
そんな司馬遼太郎に拍手を送りたい。


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10.21.2009

あたりまえ を疑う。

本日は田中マイコが書きます。

普段あまりテレビは観ないのですが、
確か縫い物をしながら
ふとテレビをつけたところ
川上未映子さんが出ていました。

2008年に芥川賞を受賞した作家さん。
去年、初めて彼女を知ったとき、
その存在感が私の内側に入ってきて
理由もなく、気になったことを覚えています。

ただ、彼女のビジュアルゆえか
歌手活動などもされていたからか
マスコミの取り上げ方が軽いものに感じ、
また、話題になった「乳と卵」の文体の独特さに
なんとなく気後れしてしまい、
結局作品を読まないままでいました。

テレビで観た川上未映子さん。
おそらく司会者の方の感覚が真っ当すぎて、
川上さんの受け答えの不思議ちゃん具合が
引き立ってしまい、
その会話のアンバランスさが見ものでした。

でも、ところどころで現れる川上さんの提言に
自分の深い部分をくすぐられるのです。

幼い頃から「面倒くさい子」だと思われていたと思う、と。
その理由は、こんなことを考えていたから。
「唾液は口の中にあるときは飲んでいるのに
 口から外に出たら汚いものとして扱われる。
 どの瞬間から汚くなるのか?と考えたりした」
「自分の手で自分の脚を触るとすると、
 触っているのも触られているのも両方自分だ
 ということが不思議だった。
 どっちの感覚が勝つか何度も試したりした」
という話が途切れなく出てきます。

そう話しながら、こんなのテレビで話して大丈夫ですか?
と何度も何度も確認することで
余計に不思議ちゃんになっていくのですが・・・

「自分は自分から出て行けないと感じたとき
 どうしようと思った」

彼女の真意はわかりません。
自分の思考、心、意識、魂・・・といったものと
存在が確認できる自分の身体、の分離。
そもそも分離しているのか、一体なのか。
そんなことを幼い頃から疑問に思っていたのかな?と。

テレビでの対談としては
彼女の言葉をなぞるだけで終わってしまいましたが、
この川上さんが表現する世界、小説は
一度読んでみた方がいいと感じて最新作を買いました。

「ヘヴン」
いじめの話。
圧迫感に息が詰まる。
妙な展開と登場人物のうねるような変化。

あたりまえ、を疑うことができる人なんだと思いました。
説明がつかないことに切り込んでいくイメージ。
道徳、規律、常識・・・
それ、ほんとう?なんで?
覆されるかもしれない、覆してもいいかもしれない。
答えは自分の中で出すしかない。

様々な疑問や思いを形にする。
小説という、ダイレクトではない形で表現することができる
ということにまず敬服です。どの作家さんもそうですが。
その世界観を読み解くには
一度読んだだけでは足りないと思いました。
自分が築いてきたものをガラガラと崩す勇気も必要とも。

でも、重くて痛くて読み進めるのがつらい小説でした。
時を見て、ゆっくりゆっくり読んでみようと思います。
それでも、あのときテレビをつけて
川上未映子さんへの興味を再び持てたこと、
意味を感じる秋の読書でした。


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10.15.2009

今日は死ぬにはもってこいの日

何年も前に読んだ本なので、
内容はあまり覚えていません。

ただ、この題名に全てが詰め込まれていたように記憶します。
そしてこの題名は今も僕の中に生き続けているのです。



「今日は死ぬにはもってこいの日」
それくらいの気持ちで一日を生きろということです。

さて、母かほるは何度か書いたように、
生きて元気でいる時が全てと、
友人、近所の方、
誰にも病気のことを知らせませんでした。
そして逝ってから顔を拝まれるのは好きでないと、
完全なる家族葬にしました。

これまでの例でいくと
葬儀などは残された者の為のものでしたが、
母の場合、主役はワタシと、
全てのことを決めてから逝きました。

潔かったです。

僕はその逝き方に応えようとしました。
母は僕にそれを実行してもらうように懇々と話していたし、
親子の関係を超えて、魂の義理が発生したからです。

この前例のあまり無い主役ワタシの形に
ある人は戸惑い、
ある人は憤りを感じ、
ある人は褒め称えました。

前例が無いだけに、
それを納得してもらうのは大きな労力となりました。
母もそこまでは想像できなかったと思います。

僕も心が痛かった。
手を合わせたいと来る人に、
「スミマセン、これが母のケジメの付け方なのです」
と断ることに、とても無慈悲なものを感じたからです。

ただ、母がこのように
自分の生き方・逝き方を示してくれたことで、
得たモノは大きかった。

やはり母の言うように、
生きて元気でいる時が全てなのです。

手を合わせてみても、合わせなくても、
最後に交わした言葉、ふるまいに
120%お互いが納得しているならば、
それでいいはずです。

あの人との関係に悔いはない。
これを常にやっておこうということなのです。

それは自分自身についても同じこと。
今日という一日に悔いはなく、
明日新しく生まれ変わる。

つまり、
今日は死ぬにはもってこいの日、
そう生きることが大切だと、
重く実感したのでした。


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10.08.2009

モモ~クリシュナムルティから得たこと

自分の施術を究めるため、
自分を磨くため、
これまで全体性を学んできました。

それはこころ・からだで分けるのではなく、
命という全体。
自分・あなた・社会・地球と分けるのではなく、
宇宙という全体。

もちろん細部を知ることや、
何かの型(フレーム)に思考や
施術(自分の場合)をはめ込むことは
時として大切であります。

しかし、全体性の基本は、
「これだ!」
という解が無いというのが前提です。
残念ながら。

なぜか・・・
命も宇宙も成長しているから。

いくらその時点で解のようなものを出したとしても、
その解はすでに過去のもになり、
新しい真実は更新されているのです。

そもそも常に変化する宇宙全体を
文字で記述することに限界があります。
言葉とは分断の方向性、
つまり分けてモノを考えるように創られてきたからです。
しかし、その世界観を何とか知らしめようと
チャレンジしている天才たちはいます。
僕もここに未来の創造があると信じ、
彼らによる本を読み、学んできました。

そう、そう。
だから、
「これは間違いない!」
というものは疑ってかかったほうがいい。

数学のように
数字という限られた文字を使った世界において、
方程式は有効に働き、解を見出すでしょう。
でもそれは数学というフレームにおいて成り立つことであり、
全体ではありません。

人間が考え、創り出したモノには
全てフレームという枠が設けられます。
大切なことは、
あらゆる場面において、
「ああ、この設定は、このフレームなんだな」
と認識することでしょうか。

これが真実だ!
と簡単に当てはめてしまうと、
それはフレームの中に入り込むことになり、
全体ではないから隙ができて、
他のフレームを攻撃することになる。
不安定ですから。

世の中の戦いなんて、
ほとんどがこのワナにかかった結果です。

そう、これはワナなんですよ。

最近読んだクリシュナムルティの
「あなたは世界だ」

「生の全体性」(wデビッド・ボーム)
では、もう一段上をいってます。
そのフレームを認識するというよりは、
そんな野暮なことしないで、
直接的に全体を生きることを示唆しています。

それは“あるがまま”を生きるということ。
人は生まれた場所、状況で
国、宗教、イデオロギー、哲学、教育、
など様々なフレームを植え付けられる。
すなわち、考えることとはそのフレームを通すことになり、
ゆえに葛藤や対立を生んでしまう。 

だから思考をやめて、
“あるがまま”を生きることによって
全体性を獲得するというもの。

面白いんですけどね・・・
思考を徹底的に排除する方向性ですから、
これは超人的で、
一般的にどうかは疑問が残るところ。

むしろ僕は“あるがまま”を大切にして、
思考とどう付き合っていくかを求めるべきでないかと思うのです。
仲良く付き合っていこうと。

さて、今の僕はこのように、
自分なりの全体性を求める段階に来ました。

ここ十年以上の本の乱読により、
お腹いっぱいで休憩が必要だと感じていました。
さらに友人が10年前にくれた
「モモ」


を読んだことにより、
自分なりの時間を創っていこうと心したところでした。

自分の全体性をモノにするための実践に時間を使います。

まずは読書時間を大幅に削ります。

ネットに接する時間ももっと減らせますね。
そもそも要らない情報多いですから。

“あるがまま”
をもっと感じよう。

縛られない、自由な精神。
この前提あってこそ“あるがまま”は現れます。

その状態になるには余裕が必要となります。
縛られない時間。
縛られない心の空間。

何もしない時間を増やそうというものではありません。
“今”に空間と時間の余裕を与えるというものです。

それでこそ、“あるがまま”を感じられるし、
施術において創造性も生まれてくるでしょう。

全体性を生きる。
まだまだ先は長いですが、
方向性は明確になって来ました。

精神を自由に!
この生によろこびを!

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6.25.2009

荘子

以前、僕の社会復帰に於いて
背中を押してくれた貴重な本が二冊あると書きました。

その時に紹介させてもらったのが、
中村天風

そして、もう一冊が荘子(そうし・そうじ)になります。
脳天が強烈に打ち砕かれ、
それからというもの物事の捉え方が大きく変化しました。

タオ・道
いわゆる老荘思想(老子・荘子)の荘子です。

読後、最初に感じたのが、
アナーキー。
知的なパンク。

とにかく常識を疑えと。
常識って何?
礼って?
道徳って?
決まりって?

人間が考え出した小賢しいルールをまず疑うこと。
そこが徹底的に説かれています。

ルール、それは規律を得るために作られた
大切なものかもしれない。
しかし、そのルールを飲み込んで自己として生きるのと、
ルールという枠(フレーム)に自分を合わせ、
自己を消滅させるのと全く違うものになっていきます。

人は自分の内側から起こる声、
刻々と変化する事象に逆らい、
欲や、周りの意見に左右されたり、
フレームに自分を合わせてしまうことが多い。

当然自然の法則に逆らっているので
無理が生じてうまくいかない。

無為自然
為すこと無く、自ずと然り。

タオは人為的にせずに、
自然の流れを見極めて身を任せよと言います。
そうすればうまくいく・・・

それを邪魔するのは常識や欲。
名声なども人を惑わせると言います。

老子と違って荘子が強調しているのは
認知の仕方ではないでしょうか。

例えば
一本の曲がりくねったみすぼらしい木。

人々はそんな木を見て
「なんて醜い木なんだろう」
と言います。

しかし荘子はこう説きます。
「これが真っ直ぐの木だとしたらどうなるか?
 きっと木材として有用だと切られてしまう。
 しかし、この木はこうやって曲がりくねっていることで
 生きのびている」

常識を疑え。
前から、後ろから、上から、下から・・・
様々な角度から一つの事物を眺めると、
また違った捉え方ができる。

障害者という常識。
僕は障害者になるにあたって、
何か高い壁のあちら側に行き、
不利な生活だけが待っていると思った。

しかし荘子を読んだことにより、
また違った角度から現状を捉えるようになり
様々な利点を発見することとなったのです。

完璧などありません。
現状をどう捉えるかで全てが変わります。

幸か不幸か
それを決めるのはあなた次第。

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5.13.2009

葉山芸術祭

本日は田中マイコが書きます。

第17回葉山芸術祭に行ってきました。
去年、ある雑誌でその存在を知り、
ずっと行ってみたいと思っていました。

海と山、のんびりした空気の葉山町
車1台がやっとの細い道に点々とあるギャラリー
個人宅を開放してアート作品を展示するスタイル

参加している店(個人)は100以上あるのですが、
それぞれ開催期間が違い、しかも平日で
オープンしているところは少なかったのですが、
いくつか見て回りました。

engawa cafe&restaurannt」内の
「手ぬぐい・りんりん」の手ぬぐい
手ぬぐいってタオルより自由で、確かにアート。
古民家を改装したengawaの雰囲気も素敵でした。

「閑」の味わいのある色の衣や器
「あかり」にて展示された「Yogu」染め物

ひょうたんランプ・古布の帽子・水彩画
の展示(作家さんは別々)をされているギャラリー
こちらは谷吉さん(ひょうたんランプ担当)の個人宅。
伺った途端、3人のおばさまから大歓迎され、
お茶とお菓子までご馳走になりました。

私も自己流でひょうたんランプを作ったのですが、
ひとつ残っているひょうたんは未だ手つかず・・・
とりかかるきっかけになればという気持ちもあったのですが、
それ以上に沢山のひょうたんと作り手に心動かされました。

主に谷吉さんのご主人が作っているとのことですが、
この日は不在。でも奥さまの勢いはすごかった!

ひょうたん部屋の電気を消し、ランプに明かりを灯しました。
壁に映る光と影のコントラスト。
細かく見るとVの字型の光が無数に飛び散っていて
全体に身を委ねるとやわらかな光の世界へ連れて行かれる。

一つ一つ由来やコンセプトを丁寧に説明をしてくださる奥様。
最初は奥様が始めたけれど飽きてしまい、
根が細かいご主人が引き継いで、という経緯があるとのこと。
お二人で、10年で200個以上制作したそう。

部屋を明るくすると、色とりどりのランプたち。




最初はひょうたんに穴を開けるだけだったのが、
部屋が明るいときも置物として楽しんでもらいたい
という思いがわき上がり、カラフルな作品が生まれたそう。

「私はいたずら好きで、人を驚かせるのが大好きなの」
とチャーミングに笑う奥様は、実は70歳を超えた方。
「驚かせ楽しませることばかり考えている、アーティストね」
内に秘めたパッションをひしひしと感じました。

虫喰いで穴が開いてしまったら、その穴を星に見立て、
表面がしわしわのひょうたんなら、それを活かした作品に。
「工夫をすれば、欠点なんて何もなくなるのよ」

飛行機で隣り合わせただけの外国人を家に泊めてしまう!
という谷吉さんはかなりツワモノだと思いますが、
今回出会った葉山の方々の
初対面の人に対する垣根の低さには、和みました。

すっと同じ空気に入るナチュラルな雰囲気。
作品や意図を誇示しないのに、
しっかり伝わってくる作品への愛情。
そして、積み上げてきた時間と思いを感じさせるまっすぐな目。

個人宅を開放してアートを謳歌するというスタイルは
葉山在住の方々のキャラクターがあってこそ、でしょう。
来年はもっとゆっくり回りたいです。
今年の開催は5月17日まで。おすすめです。


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5.07.2009

蜂の間で起こっていること

膨大な情報量。
フィニッシュするのに時間がかかりましたよ~

「ハチはなぜ大量死するのか?」
ローワン・ジェイコブセン著




友人が現代版
「沈黙の春」(レーチェル・カーソン著)
だと教えてくれたので、早速読んでみました。

「沈黙の春」は
1950~60年代の環境問題について語られているので、
人間の無知な環境破壊については考えさせられるものの、
実感はいまいち湧いて来なかったのを覚えています。


ミツバチが大量死している。
2007年までに北半球のハチの4分の1が消えた。

本書は
この、ミクロで起こっている大事件を解明しようと、
探偵がごとく、
犯人と思しきウィルスや原虫などを細かく調べ上げ、
しらみつぶしにしていく展開となっています。

結論から言いますと、犯人は特定されません。

しかし、この著者が明らかにしていく過程で現れる、
「疑わしき者たち」
を知っていくと、犯人は特定されないものの、
確実に原因を作っているだろう大物が露わになります。

人間・・・

今、人間が関与してハチの世界で問題になっていること。

・多くのウィルスに侵入されまいと抗生物質を投与しているが、
 ウィルスは耐性をつけて、絶滅はされていない。

・ヘギイタダニを駆除するために強い殺虫剤を投与するが、
 最初は効果があるものの、すぐに防御力をつけてしまう。

・夢の農薬として開発された「ネオニコチノイド」。
 その葉や実を食べてしまうと虫は痺れ、死んでしまうが、
 ハチも例外でない。

・高い付加価値の果実を得るためには多くの花を
 受粉させなければならないので、大規模農園では、
 それこそ何万箱というハチの巣箱を必要とする。 
 そのためにハチは
 長い距離を移動させられて酷使させられる。

・女王蜂が輸入され、産まなくなったらハイ、さようなら!

・様々な要因で弱ったハチにはサプリをあげ、
 シロップまであげてしまう!
 (ハチは何をするために生まれてきたのだろうか?)

このような複合的な要因が絡み合って、
大量死が起こっているのだろうと著者は推測しています。

きっとその通りだと思います。

限界なんですよ。

ここでは個別的な原因を探るよりは、
巨視的な視点に立ちかえって捉える事が大切でしょう。

さてさて、上記に挙げた、
ハチの世界で問題になっていることを見ていると、
気づくことがあります。
それは、人間をはじめ、家畜、動植物などで、
今、起きている問題の鏡となっているということです。

人間なんて、
まさに当てはまることが多いのではないでしょうか!

ただ、利潤のみを追求するために働き、
そして疲れ、弱ったのでサプリを飲み、
ウィルスに冒され、抗生物質を飲むが、
耐性のブドウ球菌が新たに生まれ、
さらに新しい抗生物質を作るが、さらに耐性をつけられ・・・

危機を煽るつもりはありませんが、
この先、どうどうめぐりなことは明らかです。

著者はこの問題の解決の手がかりとして、
オーガニックに養蜂している人の
言葉にヒントを得ています。

「復元力」

そう、まさに医療もこの言葉に集約されるのですが、
自分に内在する治す力、
復元する力を最大限に引き出せるように
鍛えていこうということなのです。

さらには共生というキーワードも出てきます。
ダニが発生するのを根底から叩くのではなく、
ある程度の発生は許し、
共生することで均衡が保たれるというものです。
これを広義で多様性とも言います。

復元力を養い、
多様性を身につけるためにはどうすればいいのか?

皆一斉に余計なことを止めましょうw

しかし、これは難しい。
そして忍耐が要求される。

もちろん科学をないがしろにして、
昔に戻れということではありません。

ただ、複雑になり過ぎたシステムの澱をすくい取り、
身軽にすれば、シンプルにすれば、
余裕が生まれて、
新しい回路が見いだせるではないかと思うのでした。


久しぶりに環境に関して考えさせられる一冊でした。

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3.13.2009

チェ・ゲバラ 28歳~39歳

チェ28歳の革命を先月に
チェ39歳別れの手紙を今日観にいきました。

合計4時間半の大作ですが、
僕の気持からすると、
戦闘シーンを少なめにして一部にまとめてほしかった。

特に39歳の後半、ボリビアでのゲリラ戦で、
チェを取り巻く兵士たちの厭戦気分ばかりが伝わりましたが、
チェの思想的なものが、
28歳の時よりも目立たなくなっていたのが残念でした。

数多くの名言を残していますからね。

そもそも、この映画を観た人もそんなにいないでしょうから、
今=チェとはいきませんが、
死して40年が経とうとしているのに、
なぜこれだけ輝き続け、心を捉えて離さないのでしょうか?

イデオロギーに共感している人が多いとは思えません。
銃を持って戦おうと思っている人もいないでしょう。

では、チェとは何なのか?

彼の言葉を引用してみます。

「僕を導くものは真実への情熱だけだ
 …あらゆる問題について僕はこの点から考える」

「世の中で不正が行われるたび、
 怒りにうち震えるという人は、われわれの同志だ」

「もしわれわれが空想家のようだと言われるならば、
 救い難い理想主義者と言われるならば、
 できもしないことを考えていると言うならば、
 何千回でも答えよう、そのとおりだ、と」

「子供達へ。
 …世界のどこかで誰かが不正な目にあっている時
 痛みを感じることができるようになりなさい。
 これが革命家において、最も美しい性質です…」

ああ、しびれる・・・

そう、チェの言っているのは思想でもイデオロギーでもなく、
純粋な人としての在り方なのだと思うのです。
それを表現する手段が時代とあいまって
チェ・ゲバラが生まれた。

未だに純粋なチェのエッセンスに共感できるということは
裏を返せば、社会的な構造が40年前と
何ら変わらないということでしょう。

そこなんですよ。

テクノロジーばかり進んで、おろそかにしてきたもの・・・

僕はチェを最後の革命家と呼んでいます。
武器を使用して世界的な革命がおこることは思えません。
地域でクーデターのようなものはあるでしょうけど。

そう、時代は進んでいるのです。
急速にグローバル化が進み、
ネットの世界がさらに地球を小さくした今、
チェの時代のロジックは過去のものになりつつあります。

しか~し、
実はまだ大きな革命が一つ残されていたのです。

それは、人間そのもの。

一人一人の己の中の革命が一番大きな革命だった!
そしてそれは今ある問題のほとんどを
解決してしまうだけの力を持っています。

人間はとかく自分のことを棚に上げやすい。

例えば環境問題。
「あの製造装置がCO2たくさん出すからワルモノだ」
これは分かりやすい。

しかし、先進国の人間が食料から摂るエネルギー量は
余り過ぎているという事実があります。
その人たちがいくら唱えようとも、
まず自分がダイエットして、見本を見せてよって
思わず突っ込みたくなるわけです。

チェが言っていた不正も然り、
戦争、紛争も然り、
怒り、不満、批判・・・

問題は自分の外にあるのではなく、
内側にあるということにそろそろ気づくべきだと思うのです。

そして最後に残された、
内なる革命に歩みを進めることが、
今、この時代に求められているのではないでしょうか。

静かでいて、とてつもなく大きな革命・・・
すでにポツポツと始まっているかもしれない。
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3.09.2009

中村 天風

それは4年以上に及ぶ病人生活に
終止符を打とうという時でした。

社会から長らく隔絶されていたがゆえ、
まともに戻ることができるのかという、
大きな不安を抱えていました。

やらなきゃいけない。
分かってる。
だけどこの脚で一体大丈夫なのか・・・

いやいや、こんな弱気じゃいか~ん!
大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・×100

ほぼ、念仏です。

そんな前向きになっているけど、
実際、一歩を踏み出せていなかった僕の
背中を大きく押してくれたのが二冊の本です。

そのうちの一冊が
中村 天風(なかむら てんぷう)哲人の
「成功の実現」

世の中にはたくさんの哲学本がありますが、
その多くが頭をフル回転させて本質に迫るもので、
故に難解であり、実践に結び付きにくい。

中村天風の人生は、この来歴が示すとおり、
波乱万丈と一言ではくくれないほど強烈で、
超現実であるので、
そこから生み出された哲学はシンプルで魂に響きます。

脳が切り裂かれ、目がグッと見開いたのです!

「よしやろう!」
読後、まさに一歩が踏み出たような駆動力を得ました。

天風の哲学は
欲や、世の中の流れに右往左往させられてしまう、
表層にある意識に惑わされず、
心の奥底の、本当の自分に積極的になろうというものです。

「随時随所、自分の思うがままに霊性意識を発現し、
 理性や感情を超越したインスピレーション本位の 
 霊知的生物としての本領を発揮した真の生きがい
 のある人間になる」

「自分というものは肉体や心の奴隷ではなく、従者でもない。
 したがって肉体や心に使われるべきでない。どんな場合でも
 心を立派に使いこなさなければならない」

「さしあたる事柄のみをただ思え。
 過去は及ばず、未来は知られず」

日本人が誇る哲人と言っても大げさではありません。
値段が高いので是非図書館で借りてみてください。
おススメ。




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2.23.2009

加山又造展

新国立美術館で開催されている
加山又造展へ行ってきました。

やはり、偉大なる芸術家は
共通するものを追い求めているんだなとつくづく感じました。

画家、詩人、哲人、歌人…

物や事象をグッと見つめ、
その中に潜む究極の形を追い求めようと、
覆っているベールを心の皮むきで何枚もはがし、
真綿の本質をむき出しにします。

そのむき出た種を口に含み、噛み砕き、
自分のフィルターを通して表現する。

もちろんそこには先人から受け継いだ、
一見普遍的な本質の型もあります。

人はその型に収まろうとするのですが、
そうすると大切なことを忘れてしまいます。

無常観
つまり時間は常に進んでいて、
たとえ強固な型であっても、
少しずつ更新されていくということなのです。

偉大なる芸術家たちはその型にはまらず、
むしろ飲み込んで、
新しく更新された境地に
ジャンプしようジャンプしようと苦悩するのです。

その過程が作品となる・・・

加山又造展は3月2日まで。
皆さんもぜひ足を運んでみてください。

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1.23.2009

チェ・ゲバラという人

早く映画を見に行かないと…

僕が人として触れてみたかった巨人に
チェ・ゲバラがいます。

最後の革命家。
僕は今後、
彼以上の革命家がこの世に生まれるとは思いません。

あの時代(冷戦)が産んだ最大の栄光と称してもいいでしょう。

彼のイデオロギーは時代背景もあり、
簡単に右左では片づけられないと僕は思うのです。
表面的には左でしょう。
でも、巨大でいて明らかに搾取しているものに立ち向かう、
という視点からすると、信条はイデオロギーを
飲み込んでしまうような気がするのです。

武器持って戦っていましたから、平和ではありません。
しかし、大切なのは生き方の問題なのです。

生まれ育った時代背景、場所に
人は左右されるものです。

しかし最終的にはそんのものを吹っ飛ばして、
人となりを評価される例があるのです。
彼がまさにそうでしょう。

それは一貫した信念に裏打ちされるのではないでしょうか。

キューバにいれば高い地位が得られたに違いありませんが、
常に最前線を求めました。

キューバで成就した革命を世界に輸出し、
巨大な利権構造を破壊し、世界に平等を広げようと。
それには戦うしかない…

絵になる男です。

何冊か本が出ていますが、
ぼくが読んだ中では、
「フォトバイオグラフィ  チェ・ゲバラ」
が一番いい。



写真集ですが、彼の放った言葉がちりばめられています。
魂の詩人ですね。

次点で「チェ・ゲバラ伝」
彼の一生を読みやすく描いています。



映画も始まりましたね。
この機会にチェに触れてみましょう。
映画楽しみだ~


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12.24.2008

今年の一冊

さてさて、年の瀬です。

今年はどんな年になりましたか?
一年を総括して、来年をより良くしていきましょう。

今日は本の総括です。

今年は毎月一冊の本を課題にしたセミナーに出ていたせいか、
たくさんのAランク本を読む機会に恵まれました。

本、音楽、映画・・・
今の自分に完全フィットするものに出会えることは
そうそうあることではありません。
今年は本の当たり年。

本との出会いは自分の成長を加速させてくれます。

その中でも私の心を打ち抜いた本がこれ。

アーノルド・ミンデル著
「うしろ向きに馬に乗る」



プロセス指向心理学の設立者である著者の、
1987年ロスにあるエサレン研究所における
ワークショップの模様が描かれています。

ユングをベースに、シャーマニズム、老荘思想(タオイズム)、
現代物理学の要素を取り入れた彼の心理学は、
心理療法、医療、哲学、科学・・・
そんな枠をヒョイと飛びぬけて、
全人的で全体的な実践療法を確立しています。

彼自身それを「レインボーメディスン」と呼んでいます。

そのワークショップのメンバーとの実践的なやり取りは、
華麗なトリックの世界を見ているよう。
感心と感動に充ち溢れ、
最後まで興奮が収まりませんでした。
鼻膨らみっぱなし!

クライアントが抱えている諸問題は
「心」に焦点を当てるだけで治まるものではありません。

そこには「体」のケアも必要ですし、
心、体を統一し、人として存在させている
「魂」に触れることも大切なファクターとなります。

この療法は後戻りしたり、先に目標を立てたりしません。
常に今ここで起こっていることに焦点を当てて、
川に漂う葉のように、
流れに身をまかせながら解決に導いていきます。
タオでいう「水」に近いですね。

これまでの心理学、医療においては
セラピスト(主体)とクライアント(客体)が孤立したものでした。

しかし今ある問題はクライアントだけのものではなく、
セラピストの成長にも関わっていると考えます。
ここでは主体と客体が融合し、共進化が生まれるのです。

体に触れる仕事をしている者としては大切な哲学。
心に留めておかないと。

心理学、医療に興味のある方、
哲学、シャーマニズム、物理学が好きな方は
ぜひ手にとって下さい。

珠玉の一冊!!!

かなりいかしてます。

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10.10.2008

大江戸リサイクル事情



読書の秋です。

まずは
石川英輔著
「大江戸リサイクル事情」

江戸時代の完全循環型社会が
どのように成り立っていたのかを、細かく描いています。

ウンチが下肥として利用。
燃料として使われた灰の利用。
竹、藁、鉄くず・・・

使えるものは形を変えて、何度でも利用してきた先人達。
そのエネルギーの総和は全て太陽の力で賄える。
これは超・長期的な視点といえますね。

現代の目先合理主義をこのまま続けていいのか?
こんな疑問を投げかけます。

もちろん先祖帰りしようというものではありません。

私は持続可能な社会を創造するにあたって、
世界の時流からものを考えるのではなく、
江戸時代にあった素晴らしい考え方を取り入れて、
「ネオ・江戸循環システム」
なるものを世界に発信してもいいのかと思いました。

最後に筆者はエコを推進するよりも前に、
今は人間の健康こそが危うく、
持続可能ではないのでは?
と説いています。 同感。

おススメ

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4.02.2008

生誕100年 東山魁夷展

入ってすぐの解説文が私の目を引きました。

「自身の感情を自然との対話を通じてろ過し、
 純粋化してゆくような、いき方がうかがえる」

東山魁夷は心象風景画家と聞いていましたが、
その心象風景とは何だろうと思っていました。
この文で外郭はつかめました。

若い頃からの作品を順番に並べているので、
絵やその中に注入された精神の成長がうかがえます。
しかし大胆に画風が変わることはありません。
揺るぎない芯の強さがあったからでしょうか、
一貫した哲学が見出せるのです。

海外で描いた建造物の二、三点を除くと、
全てお日様のあたる風景を描いていない。
朝もやの中、月明かり、夕焼け、霧、曇り空…

幻想的でボンヤリとしている。
なまめかしく、うっとりしていると言ってもいいでしょう。
作品のほとんどが、
境界線のないボンヤリとしたものになっています。

心象風景
自然と対話して、一体になり、
その対象である自然を内側から観察し、
およそ簡単に目に見えないものを表現すると
東山魁夷の絵は境界線がぼやけるのかもしれません。

まるで日のあたる風景、
つまりはっきりと目に見えるものには真実がないと
言われているような気にもなります。

ちょうど3時になり、現代修行の時間になりました。
せっかくの機会なので、いつものようなメソッドでなく、
「自身の感情を東山魁夷の作品との対話を通じてろ過し、
 単純化して~」みようと思いつき実践しました。

ちょうど目の前にある絵(どれも作品は大きなものばかり)
に焦点を合わせてジーッと見つめてみました。

幻想的で、線がはっきりしないので、
その絵の中に簡単に入って行くことができます。
感情を絵と対話し、ろ過し、さらに単純化…

しばらく見ていましたが、パッとはひらめきませんでした。
ただ、最近の思考回路の曲がり角に
「和」
がたくさん転がっているので、
簡単に「和」を拾ってしまう私がいます。

仕方ありません、これも無理しない自然な心の発現。
あえて東山魁夷の作品を
「和」に関連付けるなら、
自然と人間
現実と非日常
は作品の中で「和」で一つに統合され、
全体として描き出されていたように思います。

おススメ
http://www.momat.go.jp/Honkan/Higashiyama2008/index.html

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3.14.2008

ロバート・フルフォード博士

久しぶりにロバート・フルフォード博士の
「いのちの輝き」
を読み返しました。

ホリスティックの原点ですね。
素晴らしい本です。
読み物としてお勧めします。

フルフォード博士は
現在の代替療法、統合医療の先覚者、
アンドルー・ワイル博士が
師と仰ぐ人として紹介されています。

専門はオステオパシー
現代医学がアメリカでまだ本流とされていない頃、
オステオパシーは医療として十分に認められていました。

オステオパシーは現代医療と同じような治療もしますが、
手技を用い、人それぞれの持つ自然治癒力を引き出します。
ホリスティック(全体)的視点。
霊性、精神性、身体性をひとつの全体として捉え、
そのバランスを回復するのを手助けする療法です。

本から一文だけ抜粋してみましょう。

―健康であることの大切さは、ただ自分のためだけでない。
自分の健康はある意味で、
全ての生き物の健康と進化につながっているのだ。
われわれは共に、この世界を分かちあって生きている。
あらゆる生き物が平等に、宇宙の力に頼って生きている。
だから、地球に生きる目的のひとつは、
われわれ全てがひとつの存在であるという
事実に気づくことにある。―

痺れますね!
壮大な宇宙観。

私も見習いたい。

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