10.15.2009

今日は死ぬにはもってこいの日

何年も前に読んだ本なので、
内容はあまり覚えていません。

ただ、この題名に全てが詰め込まれていたように記憶します。
そしてこの題名は今も僕の中に生き続けているのです。



「今日は死ぬにはもってこいの日」
それくらいの気持ちで一日を生きろということです。

さて、母かほるは何度か書いたように、
生きて元気でいる時が全てと、
友人、近所の方、
誰にも病気のことを知らせませんでした。
そして逝ってから顔を拝まれるのは好きでないと、
完全なる家族葬にしました。

これまでの例でいくと
葬儀などは残された者の為のものでしたが、
母の場合、主役はワタシと、
全てのことを決めてから逝きました。

潔かったです。

僕はその逝き方に応えようとしました。
母は僕にそれを実行してもらうように懇々と話していたし、
親子の関係を超えて、魂の義理が発生したからです。

この前例のあまり無い主役ワタシの形に
ある人は戸惑い、
ある人は憤りを感じ、
ある人は褒め称えました。

前例が無いだけに、
それを納得してもらうのは大きな労力となりました。
母もそこまでは想像できなかったと思います。

僕も心が痛かった。
手を合わせたいと来る人に、
「スミマセン、これが母のケジメの付け方なのです」
と断ることに、とても無慈悲なものを感じたからです。

ただ、母がこのように
自分の生き方・逝き方を示してくれたことで、
得たモノは大きかった。

やはり母の言うように、
生きて元気でいる時が全てなのです。

手を合わせてみても、合わせなくても、
最後に交わした言葉、ふるまいに
120%お互いが納得しているならば、
それでいいはずです。

あの人との関係に悔いはない。
これを常にやっておこうということなのです。

それは自分自身についても同じこと。
今日という一日に悔いはなく、
明日新しく生まれ変わる。

つまり、
今日は死ぬにはもってこいの日、
そう生きることが大切だと、
重く実感したのでした。


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