11.03.2009

稲作とコミュニティー

今の自分の身体が形作られている、
その基礎にお米さんの存在がある。

そんな親密な関係にあるのに、
これまで楕円形した最終形をただ調理し、
口に運ぶだけの、
日常にごく当たり前にある一部として捉えてきました。

これだけの長い付き合いにもかかわらず、
形を見、舌で感じるだけの付き合い・・・

ちょっと、これはいただけない。

何年と付き合っている彼女の
容姿は分かっているのだけれども、
性格は全然知らない、みたいな。

もっと、全体を愛しましょうw

そんなことで、
去年田植え、稲刈りに参加し、
それだけでは物足りなくなった僕らは
一年を通して稲作を体験しました。

この経験はとても有意義でした。

何よりも作業の後の充実感がたまらない。
どんな力仕事でも、
地味な草刈りでも、
3,4日、身体の疲れを取り除くような装置が働く。
単純に気持ちいい感覚が続いているのかもしれない。

これは僕の考えですが、
土の解毒作用があるのだと思う。
それと、一年近くを通して作業するという、
気の長い時間軸が心身ともにマッタリさせるのかもしれない。

晴耕雨読。
この言葉の意味がやっと分かった。
成田までの距離は慣れたものの、
往復3時間は、
一日をまるまる使ってしまうだけの距離ではある。

だから途中雨が降っても、
せっかく来たのだからという理由で
作業を強引にすすめました。
そんな時はどうしようもなく大変な思いをします。
周りで作業している人なんて誰もいません。

天候によって無理に動かない・・・
これ、農には基本原則としてあるのでしょう。
この解決策はただ一つ。
田んぼの近くに住むこと。

そして今回、一番勉強になったのが、
コミュニティーの在り方です。

田植え、草刈り、稲刈り、脱穀・・・
初心者が何人も集まって、
指導のもと、手探りで作業を始めるのですが、
少し時間を経てくると、
集団的に合理的なやり方を各々が考えていく。

だれが指示するでなく、
男子はだいたいこの作業、
女子はだいたいこの作業といった具合に。
もしくはここに誰かが立っていれば中継がスムーズにいくとか、
この作業は誰がむいているだとか、
自然と流れができる。

それはなぜか・・・

皆、真剣にやるから。
一つの共有した意識の下、
特に農という作業において、
このような全体の心地良い働きが生まれるのだと知りました。

ああ、これがコミュニティーなんだな~
と深く感じ入ったのです。

確かに昔から稲作は家族以上の単位で、
大勢の力を必要としてきたのです。
それは今でも当たり前のこと。

これを改めて実感することにより、
現在の都会生活、
もしくは農に触れていない生活は、
コミュニティーという、
目に見えない、
大切な横のつながりが薄れていくのだと気づかされたのです。

稲作、来年もやります!


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