9.03.2008

私のスピリチュアリティ遍歴 4

人との出会いは本の衝撃をはるかに凌駕します。
 
双六でも、アドベンチャーゲームでもいいのですが、
人生を何となく輝かしいゴールに
到達する為の旅とするならば、
数ある分岐点の中でもとても重要な所に
Switch Man は立っています。

Switch Man はヒントを与えてくれ、
私が出した答えの方角にレールを切り替えてくれます。

その時にお礼を言える時もあれば、
時間を経てから
「あっ!あの時の!」
と気づかされることもあります。

私の骨格には出会った
Switch Man 達の教えが強靭に肉付けされています。

連綿とつながる生命の輪。
 
Switch Man 達は私がそうであったように、
過去にそれぞれのSwitch Man に出会っているのです。

何かを求めて旅に出たとき、
その心の底から発するエネルギーは、
同じような質の求道をしてきた先輩と引き合うように
強力な磁力が働きます。

先輩は彼のSwitch Man となり、
「答えはないけど、ヒントはある」と言います。

Switch Man はゴールに近いけれども、まだ旅の途上。
もし「答えはこれだ!」
なんて言うSwitch Man がいるとしたら疑ったほうがいい。

私はいわゆる必然って言葉で
この現象を片付けたくはありません。

もっと能動的で、情熱的で、
ジワジワと効くどでかいハンマーで、夢のような現実・・・
 
もしくは現実に夢の場が
手繰り寄せられているのかも知れない・・・

そんな場を作り出しているのは私であり、
Switch Man でもあります。
私はその関係を50/50 だと思っています。

その道を先に進んできたというリスペクトはあります。
しかし、お互いが望んでいたのだと思いたい。

その時Switch Man と同じような精神レベルにないとしても、
私がいつしかぼんやりとしたゴールが近付いてきたとき、
私は誰かのSwitch Man となっているからです。

親子の関係に似ていますね。

                            つづく

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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

このコンセプト、オッチの世界観とそっくりだけど、知り合い? ドッキー