12.29.2008

晴れる屋卒業 2

近代において過剰に細分化、分断されてきたものを
どう調和、統合へと繋げていくのか、という課題があります。

その大きなヒントが
晴れる屋にありました。

同じ人間なのに「生産性の低さ」
を理由に分断されてしまった知的障害者。

これまでは経済的成長だけを人生の目的にしていました。
しかし時代は変わります。

本当の人生の裕福さは
生産をあげて経済成長を助けるものだけじゃないな~
と個々が気づいてきたのです。

ある程度の生活水準は裕福をはかるうえでは必要ですが、
そこに「心の裕福さ」が加わってきました。

「心の裕福さ」
それは受け入れる幅の広さに左右されます。

あれがいやだ。
これがいやだ。

こんなこと言っていると受け入れゾーンが狭くなります。

知らない。
無関心。

これは致命的ですね。

我よし(知らない)。
見て見ないふりをする(無関心)。

つまり上の二つが「心の裕福さ」を得るうえで対極にあり、
受け入れる余地が全くない状態と言えるでしょう。

「心の裕福さ」を得るためには訓練が必要です。

自分がこれまでに意識、無意識的に排除してきた、
しっかり存在する人、事、物に目を開き、関与していくことです。

晴れる屋は私にとって「心の裕福さ」
を得るための大切な場でした。

ここでは特に、
心を解き放つことの大切さを教えてもらいました。

バリアーを張らず、
気負わず、
ストレートに今ある心の状態を表現する。

現代社会の生活で失ったものがここにあり、
統合へ向かうための
とても大切な要素を内包していると感じました

8か月晴れる屋に触れさせていただき、
今後、「心の裕福さ」を得るための大きな一歩を踏み出し、
全体へ統合していくための一つのヒントを得ました。

ありがたことです。

皆さんも一度、晴れる屋に触れてみてください。
百聞は一見にしかず!




ブログランキング クリックお願いします

0 件のコメント: