どう調和、統合へと繋げていくのか、という課題があります。
その大きなヒントが
晴れる屋にありました。
同じ人間なのに「生産性の低さ」
を理由に分断されてしまった知的障害者。
これまでは経済的成長だけを人生の目的にしていました。
しかし時代は変わります。
本当の人生の裕福さは
生産をあげて経済成長を助けるものだけじゃないな~
と個々が気づいてきたのです。
ある程度の生活水準は裕福をはかるうえでは必要ですが、
そこに「心の裕福さ」が加わってきました。
「心の裕福さ」
それは受け入れる幅の広さに左右されます。
あれがいやだ。
これがいやだ。
こんなこと言っていると受け入れゾーンが狭くなります。
知らない。
無関心。
これは致命的ですね。
我よし(知らない)。
見て見ないふりをする(無関心)。
つまり上の二つが「心の裕福さ」を得るうえで対極にあり、
受け入れる余地が全くない状態と言えるでしょう。
「心の裕福さ」を得るためには訓練が必要です。
自分がこれまでに意識、無意識的に排除してきた、
しっかり存在する人、事、物に目を開き、関与していくことです。
晴れる屋は私にとって「心の裕福さ」
を得るための大切な場でした。
ここでは特に、
心を解き放つことの大切さを教えてもらいました。
バリアーを張らず、
気負わず、
ストレートに今ある心の状態を表現する。
現代社会の生活で失ったものがここにあり、
統合へ向かうための
とても大切な要素を内包していると感じました。
8か月晴れる屋に触れさせていただき、
今後、「心の裕福さ」を得るための大きな一歩を踏み出し、
全体へ統合していくための一つのヒントを得ました。
ありがたことです。
皆さんも一度、晴れる屋に触れてみてください。
百聞は一見にしかず!
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