9.06.2009

寿町ブルース 5

僕らはコミュニストではなく、単なるリアリスト。
もしくは、さらなる刺激を求める、
一若者でしかありませんでした。

3,40年前に生まれていたら、
琴線に触れていたかもしれない。

しかし僕らの育った時代はイデオロギーについて語らない。
もしくは風化した、流行語のような感覚で捉えている。
それもそのはず。
豊かに育ったから。
当然反骨するものが少なくなる・・・

寿町に通うようになったのは
社会の理不尽さを知り、怒りがわいたからというよりも、
なぜこうなっているのか?
という自分の疑問を晴らす方が大きかった。

その男性に僕らの気持ちを伝えてやんわりと断ると、
「じゃあ、こういうのに参加してみたら?」
と水曜パトロールというものを勧められました。

人生の物語は、
テレビのドラマにあるのが全てではありません。

もちろん、あんなにきらびやかでなくても
マイホームを得て、家族楽しく暮らすような
ごく普通の物語が多数でしょう。

しかし、もっと人間臭く、
「そこに行くか、踏みとどまるか」
とギリギリの攻防を繰り広げている物語もある。

ドヤ街は仕事数も、宿の客室数も限られています。
コミュニティーのキャパは無尽蔵に増えていいものではない。
総じて一人がコンニチハをすれば、
一人がサヨナラを言う羽目になる。

例えば誰かが、
一般的な賃貸の生活で金銭的に耐えられず、
寿町に新参者として現れるとする。
キャパは限られているので、
新参者に仕事が割り当てられるとしたら、
誰かが仕事にあぶれてしまう。

そのうち宿代が払えなくなる。

ここは生活(衣・食・住という意)をするという営みのふち。
ここからあぶれてしまうと、
次は路上に放たれてしまう・・・

誤解のないように。
路上に放たれたからと言って
衣・食・住が全くできないわけではありません。
河川敷にしっかり家を建てる人もあります。
ただ、住に金銭のやり取りがあるか無いかは大きく違います。
(それも前向きに生きていれば、どちらでもいいのですがw)

ホームレス。
いきなりホームレスになる人が多いのも確かですが、
このような流れもあるということです。

酒、ギャンブル、ドラッグなどの甘い海で、
うまく泳げずに飲み込まれていった人は、
ダルクやアルクなど、
自己再生をはかる機関に行くこともありますが、
そのままホームレスになることも多いとも聞きました。
病気でホームレスになる人もいるといいます。

水曜パトロールとは、
そのホームレスを訪ねて、
話を聞いたり、
必要な物資があるかどうか聞く団体だったのです。

一体何が起こっているのか?
知りたい欲望は、さらに矛先を変え突き進むのでした。

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