9.19.2009

母 かほる 逝く

9月10日 午後6時半頃
僕の母、かほるが天に召されました。

肺がんという病状が発覚してから1年3か月、
これまでの人生で味わったことのないほどの、
濃密で、真剣な命のやり取りを経験させてもらいました。
それは今後の生き方を左右させられるだけの重みがあり、
大切なギフトでした。

何よりも、
母ちゃん、
あなたの子に生まれてよかった。
ありがとう。

僕は自由に旅をし、
人生を悩み、
とことん追い詰めたがゆえに、
自分なりの真実を得るところまで行くことができました。
それはひとえに母ちゃんの
目に見えない後ろ盾があったからこそ。

失ってから気づくこと・・・

僕は高校を卒業し、
お金を貯めて21歳で旅に出ました。

それは自分自身が何者であるのか知りたく、
世の中の広さを経験し、
成長したかったから。

しかしその反面、
自分の両親を含めた世の中の大人たちへの
「世の中こんなもんだ」
と言う妥協や観念のようなものに我慢ならなかった。

だから今考えれば、積極的に旅に出た反面、
大胆な家出でもありました。

「中米行ってくる。しばらく帰らない」

それだけ言い残して僕は旅に出ました。
どれだけ母ちゃんを心配させたか、
それはその時は感じられなかった。

自分自身で精一杯だったのです。
とにかく関係性やしがらみを断ち切って独りになりたかった。

旅中、そんな心配もよそに勝手気ままな旅をしていました。
ただ一度だけ、はがきを出したことを覚えています。
そして一年が経ち、
アメリカ、メキシコ、中米をうろうろした揚句、
旅に出て初めて電話をしました。

「お金なくなったから、送ってもらえない?」

お金の無心です。
母ちゃんはすぐにお金を送金してくれ、
無事に旅を続けることができました。

ああ、何てことなんだろうか。
自分の道を思い悩む息子を
自由にさせるということの勇気、心配ははかり知れない。

高校を卒業をして就職もせずに
旅することだけを夢見た僕は
今後自由にさせてくれと頼み込んだ。

フリーターという言葉が出始めた時期。
最初はものすごく抵抗感があったようでした。
しかし、最終的には
「これからの時代は、経験こそが大切ね」
と言ってくれた。
それも本心で言っていたのかは分からない。
むしろ自分に言い聞かせていたのかもしれない・・・
僕はその言葉をそのまま受け取った。

世界への旅から帰った後も家には寄りつかず、
日本を旅し、居候を続け、自由にやっていました。

そして、27歳の時に事件が起こりました。

バイクで走行中、車にはねられてしまったのです。
それは股関節の複雑骨折となりました。

その年は二年で日本一周をする計画の途中で、
北海道が残されていました。
完全に治りきらないまま、
その計画を完成させたいがために
バイクで再び北海道に旅立ったのです。
僕は一度決めたことに執着するクセがあります。

「もう、何が起こっても知らないわよ」

母ちゃんの制止を振り切ってバイクで駆け出しました。

僕もいっぱいいっぱいだった・・・

案の定、北海道は満喫したものの、
帰ってきて股関節の不具合が生じてきました。

そこから魔の長いトンネルが始まりました。
股関節は全く治らず、
4年以上病院の入退院を繰り返し、
何度も手術をする羽目となったのです。

ちょうど30歳の誕生日。
僕はベッドにあおむけに寝ていまいた。
全身ギプスでグルグル巻きにされ、
一センチたりとも動けない生活を
3か月以上余儀なくされていたのです。

一番勢いがいい30歳。
その大切な時を僕はこんな状態で迎えている。
治らないことの絶望感、
何もできなことへの苛立ちが
強烈にギプスを絞めつけていました。

そんなとき母ちゃんは黙ってそばにいてくれました・・・
どんなに助けられたことでしょうか。

「あなたがそれを選んだんだから、
あなたがこれを乗り切るのよ」

僕にはとてもありがたい言葉でした。
僕にも分っている。
僕が強引に選択したのだし、その非は僕にある。
だから同情されると辛くなる。
それも僕の性格を踏まえてくれたのでしょう。

怪我の功名と言いますか、
それをきっかけに自分のやりたい仕事、
すべきことを得ることができました。

足が不自由になったことはいつまでも心配でしょう。
しかしそれがもとで一生の仕事を得、
一人の女性と結ばれたことは、
勝手ながら、
そんな心配の中でも少しの安心を得たと思いたい。

4.5年前、僕が20代前半の頃の話をしてくれました。

当時やんちゃだった僕は、
友人が道に迷って、例えば大学やめようかなとか、
仕事つまらないとかグダグダ言っていると、
「やめて旅出ればいいじゃん」
と簡単に言っていました。

ところがそれがその友人の親には
気に入らなかったのでしょう、
母ちゃんは二人の友人の親に別々に呼び出され、

「アナタの子供の人生にこれ以上
うちの子供を引き込まないで」
というようなことを言われたそうです。

母ちゃんは
「20歳にもなって
自分のことを自分で決められないなんて
それこそがおかしいでしょ」
と言っていました。

さぞ悔しかったでしょう。
さぞはらわたが煮えくりかえったでしょう。

しかし母ちゃんは
僕を信じてくれた・・・


奢るなかれ。

母ちゃんは僕を信じてくれていたわけではない。
僕を必死で信じようとしていたのだ。


何の巡りあわせでしょうか、この1年3か月、
独り身になった母ちゃんのそばにいることができたのは
僕にとって少しでも僕自身を魅せる一つの契機になりました。

足のことはどうにもならない。
生活に安定感を示せていない。

ただ、1人間として成長した僕の、
心と心の付き合いはできる。
僕の唯一自信のある、
この1点のみをひたすらぶつけました。

それを受け取るのも母ちゃん次第だけど、
母ちゃんが必死で信じようとしてくれた僕は
このように成長したんだと少しは示すことができたと思う・・・

万能な身体は不具合ができてから気づくように、
無条件の愛は失ってから身にしみる・・・

気づくのが遅きに失したけど、
僕の愛は永遠に変わらない。

本当にありがとう。

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