9.21.2009

かほるさんを偲ぶ

本日は田中マイコが書きます。

かほるさんを偲びます。

私がkazooさんのお母さん、

かほるさんと「姑・嫁」の関係になったのは
約2年3ヶ月間です。
振り返れば、その期間の半分以上は、
病と共にあったことになり ます。

新米の嫁だった私は、

かほるさんの家に遊びに行っても
お客さま扱いでした。
台所には立たなくていいと言われ、

美味しいご飯をいただいて、おしゃべりして、
来てくれてありがとうと言われる。いい身分でした。


やがて病気が発覚し、
身体のことに加え身内の問題が色々勃発しました。
明るいかほるさんはこの時期ぐっと落ち込みました。
私は聴くことしかできませんでした。
ただただ時間を見つけてはかほるさんに会いに行くことだけ。
病気だけでも大変なのに、
なんでこんなに色々かほるさんは抱えなくてはいけないのか
と思いました。

昨年は化学治療のため入退院を繰り返し、
今年の前半は自宅療養、
6月末に容態が悪化して再入院となりました。

最後の入院期間は特に濃い毎日でした。
脳に腫瘍の転移が発見され、
予断を許さない状況と言われました。

でも不思議なことに、
意識が混濁した状態から回復すると、
彼女は子供のように無邪気な笑顔をするようになりました。
短期記憶の障害も幾分ありましたが、
何を話しても明るく楽観的なかほるさんになっていました。
病気の重さは変わらないのですが、
ただその笑顔が嬉しくて、毎日毎日会いに行きました。

7月後半からは肺の腫瘍が大きくなり痛みも現れ、
8月は身体の変化も気持ちの変化も激しい時期でした。

8月後半、急激に筋力も落ち、
さらに少しの動きでも背中に痛みが走るので、
立ち上がることもままならない状態になってしまいました。
痛みは無秩序に襲いかかり、薬での調整も困難。
側にいても痛々しく、背中をさするしかできない日々。

その日は、同じ病室のおばあさんが退院する日でした。
その方は少し痴呆もあり、
あまり関わりを持たずにいた方でした。
その方が入院したとき、
本人も家族も同室の患者に挨拶してこない!非常識だ!
とかほるさんは愚痴をこぼしていました。
礼儀に厳しい人なので、いろんなことが気になったと思います。

ちょうどベッドに腰かけて背中の痛みに耐えているとき、
退院するおばあさんと家族が出ていこうとしていました。
かほるさんは、小声で、でも切羽詰まった声で言いました。
私、挨拶する!

痛みに顔をしかめながら、自力で立ち上がりました。
私はそんな無理してまで挨拶しなくても…と思いながら
体を支えて仕切りカーテンを開けました。

退院おめでとうございます。今までお世話になりました。
しっかりとした口調で出ていこうとする彼らに言いました。

おばあさんも家族もはっとしたようです。
こちらこそお世話になりました、とかほるさんに言い、
他の同室の方にも挨拶をし始めました。
そしておばあさんは嬉しそうに手を振りながら出ていきました。

たぶんこのときが、かほるさんが自分の力で立ち上がった
最後だったと思います。

かほるさんに、私のことどう思う?
と唐突に言われたことがありました。

気高い人だと思います、と答えました。

薬の影響や記憶障害で会話は長くは続かないときで、
このときも話は終わってしまいましたが、
ちゃんと伝わっていたかな。
かほるさんは気高い方でした。

かほるさんは段々話もできなくなりましたが、
その前に私に言ってくれたことがありました。

会えてよかった。と。
あんたは私の娘ね、と。

私はそのときは恥ずかしくて茶化してしまいましたが、
ずっと忘れません。

嫁としてたいして何もできなかったし、
お母さんが逝ってしまうのが早すぎたから
嫁姑争いさえできなかったけれど、
でもこの短い期間に
普通ではできないお付き合いができました。

できればもっと、元気でいてほしかったなぁ。
もっといろいろ学べたと思います。
でも、お母さん、ありがとうございました。
誇り高い姿をしっかり見届けました。
どうぞ安らかに。

人気ブログランキングへ

0 件のコメント: