9.28.2009

寿町ブルース 6

水曜パトロール、

それは、毎週水曜日、
川崎駅周辺のホームレスの様子を
見て回るという支援活動でした。

ホームレス一人一人に声をかけて、
不自由はないかを聞いたり、
炊き出しの食事券を配ったりすることが
このパトロールの主旨。

早速僕らはパトロールに交じり、
配布する毛布を片手に、体調のこと、仕事のこと、
困っていることなどを聞いた。

ダンボールの中にいる人に声をかけるのは、
少なからず緊張感を伴う。
中にどんな人がいるのか解らないから。
酒に酔っている人も多かった。

構ってくれるなと
「うるさい!」
とどなる人もいた。
これは孤独な戦いなのかもしれない・・・

しばらく通うと、何人かと会話を交わすようになりました。


細かな身の上話には至りませんが、
酒、博打、ドラッグに溺れると
簡単に路上生活を余儀なくされることが分かりました。
家族から追い出された人もいました。

寒い中、ダンボールにくるまって次の日を迎える。
着の身着のまま路上に寝転がり、毛布を拒否する人も多い。

どんな思いなのだろう。

他人への猜疑心、厭世観、
ネガティブな感情は嗅いで取れた。
または敗北感もあるのだろうか。

僕らは水曜パトロールの人達からすれば、
冷やかしに見えたかもしれない。
愛を持って手を差し伸べていたと言うと、嘘になる。
ただ何が起こっているかを知りたかったのです。

寿町に始まり、水曜パトロールを経験していくと
何か、こみ上げるものを感じます。


世間的に優秀な人間だけがこの国を造ったのではない。
それぞれの人がいろいろな役目を担った結果、
形ができたのだ。

もし、ここにいる人達がいなかったら、
高速道路はできたのだろうか?
船から荷が降ろされなくて経済に支障が出たかもしれない。
賭博での国の儲けは、彼らなくてはあり得なかっただろうに。

日の当たった社会から一度落ちてしまっただけで、
その原因を個人の資質に全てなすりつけて、
「酒、博打におぼれた」「怠け者だから、自業自得」
と言う。
本当にそれだけなのか?

人間はどの歴史を見ても、
弱者を作り出すことで自分を正当化することが多い。

アイツ等よりましだ、と下げずんでいるくせに
邪魔者として、いないものとして捉えようとする。

ドヤ街のように、周りからは判らないが、
そこに踏み入るとしっかり世界がある。

見ないふり、くさいものに蓋という習慣は人を冷酷にさせる。

何でも与えて、
いい暮らしをさせろと言いたいのではありません。
しっかりあること、
いることを皆が知ることが大事だと思うのです。

さて・・・
この話はまだ展開します。

ホームレスの視線や気持ちは、
一体どういうものなのなのだろうか?
無性に知りたくなってしまったのです。

よく聞く、
〝ホームレスは一度やったら止められない〟
とは、本当のことだろうか。

もしかしたら大切なことが隠されているかもしれない。

僕は早速バックパックに荷物を詰め、
寝袋を持ち、路上の生活を始めました。

長髪にヒゲという俺のいでたちは、
すでにホームレスに近いものがありましたが。

まずは聖地だな。

僕が向かった先は隅田川のほとり。
夜、浅草駅を降り、浅草寺付近をふらふらしていると、
浅草寺の入り口で手相を見る女性が立っていた。

普段、全く興味を示さないのですが、
その日に限って、
なんちゃってホームレスの旅立ちに
一つ見てもらおうと思い立ちました。

「スミマセン、
みてもらえますか?」

「いいですよ」

バックパックを担いだまま、
僕は右手を差し出した。

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