9.25.2009

てがみ~母かほるさんが遺したもの

本日は田中マイコが書きます。

先日他界した母、かほるさんは、
病気のことを家族以外ほとんど誰にも言いませんでした。

「元気な時にお付き合いできる関係だけでいい」
という強い信念のもと、
ガンを患ってから少しずつ交友関係が薄くなりました。
何も知らない皆さんからの色々なお誘いを
病気以外の理由で見事にかわし切り、
さっと去って行ったのです。

例えば、抗がん剤の副作用のため
顔ににきびのような吹き出物ができたときは、
「顔に発疹ができて薬をつけたら全然合わなくて
 さらに顔がかぶれちゃったから
 恥ずかしくてお見せできないわ~」
と電話で声高らかに、ゴルフの誘いを断っていました。

告別式は家族のみで行うこと
それまでも誰にも会わせないこと。
その代わり、お友達に宛てた手紙を書き残し、
落ち着いた頃、皆さんに送ってと言われていました。

かほるさんの手紙と
私たちからの感謝の手紙を先週送りました。

届いた翌日に連絡をくれて自宅に来てくださった方
泣きながら電話をくださった方

突然のお知らせ。
本当に、皆さんにとっては晴天の霹靂でしょう。
完全に隠していましたから。

かほるさんはたくさんの方に愛されていたのだなぁと思い、
私よりも何倍もかほるさんを知っている方々と話していると
哀しみの中にも活き活きとしたかほるさんが現れるのです。

皆さん一様におっしゃいます。
驚いた。哀しい。会っておけばよかった。
でも、かほるさんらしい。

その潔さ、気丈さ、頑固さ。
そして私の想像ですが、
「元気で明るいかほるさん」
のイメージのままでいたかったのかなと思います。
その通り、皆さんの話は
周りを引っ張っていく朗らかな彼女のエピソードが
充ち溢れているのです。

そして、ある手紙が届きました。

男性から、3枚に渡る直筆の手紙。

「実は私はお母様とは一度しか会っていません。
 私が小学生のとき、林間学校で那須に向かう電車で、
 セーラー服を着ていた当時のお母様とお友達と
 たまたま向かいの席で、楽しく話をさせてもらいました。
 それから50年近く文通が続いています」

その方には当時の母たちは「お姉さん」に見えて気後れし、
彼の友達が主に母たちと話していたけれど、
そのとき住所を交換しあい、
年賀状や卒業や慶事などの報告を互いに続けていたと

「いつかお会いしたいですね、と書きながらも
 一度も機会なく今日まで来てしまい、
 私の中のかほるさんは
 セーラー服を着てにっこり微笑んでいるお姉さんのままです」

それでもかほるさんの最後の手紙と私たちの手紙から、
「想像していた通り、
 まっすぐとした
 凛とした人生を送られたのだと感じ入りました。」
と書かれていました。

50年近い歳月交わした
てがみ たち。

また、私の知らないかほるさんに会いました。
かほるさんが遺してくれたたくさんのこと。

私たちも、またお返事のてがみを書かせてください。
どんな方か会ってみたいけど、会わないままで。

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2 件のコメント:

たっきー さんのコメント...

お義母さん、とってもカッコ良い人やってんね。

mai さんのコメント...

たっきーコメントありがとう。
そうね、生き様をみせてもらったと思います。そして去り方のひとつの形も。
たっきーと久々に会えたことも含め、この時期のことはずっと忘れられない気がします。