自然のリズム、宇宙と合一することができ、
ぶれない精神を獲得できるのです。
これは素晴らしい!
この域に達したいと、気持ちがはやるのは分かります。
しかし、ちょっと待ってください。
これはあくまでも奥儀です。
深い深い意識の探究が根底にあってこそ、
時間をかけて辿り着けるというものです。
ところが・・・
食事療法にも通じるところなのですが、
理念や哲学性だけに魅せられて、
「これが良い!!!」
と観念的に、無条件に取り入れている人たちが多い・・・
大切なことを置き去りにしてはいけません。
それは身体。
身体感覚、身体の使い方をないがしろにして、
そのメソッドに観念的になると、
いつまでたっても得るものがありません。
例えば食事療法。
数多の療法がある中で、
自分をそのメソッドの枠(フレーム)にこじ入れてしまう。
きっと、
食事療法に「これが絶対正しい」なんてないでしょう。
なぜなら最終的に、
本当に自分の身体にあっている食べ物、食べ方は
その人、個人のものでしかないということだからです。
だから何年もかけて、
さまざまな食べ物、食べ方を思考錯誤して、
身体に聴いてみる他ないのです。
数多の食事療法は指標でしかありません。
「何だかな~」
と思うのは、
食事療法はかなり哲学的力学が働くので、
たまたまその療法が自分に合ったりすると、
原理主義的思考に入り込んでしまうのです。
ここは注意しましょうね。
僕は言いたい。
身体にゆっくりと聴いてみましたか?
呼吸法も、同じことが言えます。
この域に行ってみたい気持ちは分かりますが、
そんな簡単なものではありませんよ。
仏教などの瞑想に用いるあらゆる呼吸法
丹田呼吸
火の呼吸
足芯呼吸・・・
それぞれきっと素晴らしいものです。
しかし、それも身体がうまく使えてからこそできることであり、
身体性をないがしろにしては
無味乾燥なものになってしまいます。
例えば、日常的に猫背で、
呼吸を肺の上部、または頸部でしている人は、
いくら哲学的に共鳴できる呼吸法に出会ったとしても、
深い呼吸ができずに、
いつまでたっても上達しないという
スパイラルに陥っていしまいます。
呼吸法の最初の一歩は、
何よりも身体をうまく使うこと。
それを基礎に次の段階に入ることができるのです。
さて、それでは呼吸において
どんな身体の使い方をすればいいのか?
そのキーに横隔膜があります。
この横隔膜の使い方をマスターすれば、
自ずと基礎はでき上がる。
これは言い過ぎではありません。
横隔膜・・・
焼き肉で言えば、サガリ・ハラミ。
この、不思議な筋肉こそ呼吸において、
かなり大切な役割を担っているのです。
つづく

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