7.15.2008

和への一歩 3

前回からの続き…

それを、「アイデンティティーの確立」
なんて意識すると、
人と違うことをしなければならない。
私は私、などとなり、
細部に於いて異を唱え、
自分の立ち位置を確立することになるのです。

これを否定の個性と言いましょうか。
自分の居心地いい場、コミュニティーを見つけると、
周囲をぐるりと否定し、

否定の海に浮かぶ小さな島を作ってしまいます。

現代社会に於いて我良しが増え、

様々な問題が起こっているのは
誤った個性の確立を目指してしまったことに

あるのだと思うのです。
同様に時代の要請として、

コミュニティーの最小化が起きていきます。

大家族が核家族へと縮小し、
細かくカテゴライズされた趣味的コミュニティーに

居場所を求めたりするようになっています。

個をはじめとして、これら最小単位が行き場を見失っている。

世の中は全てが網の目で繋がっていて
孤立した生物、存在はありえないのですが
現代科学が幅を利かせて自然と人間を分離し、
あたかも支配が可能だと錯覚したことが

さらに最小単位を孤立させてしまった。

科学とは分けることですから、
まさにコミュニティーが細分化されることを指します。

大病院行けばわかりますよね。
以前は内科、外科、整形外科など

大きく分類されていたものが最近は
腎臓科、肝臓科など最小単位の科にふるいわけされます。

「俺、全体を診てよ!」
こう叫びたくなるのは私だけではありませんよね?

最近の事件からも最小単位の限界が見られます。
家族(核家族)に居場所が見出せず、
ネットの小さなコミュニティーにも居場所がなくなる…
手持ちの逃げ場のカード(安心できるコミュニティー)

これしかないのなら、
八方ふさがりに陥るのは容易なことかもしれません。
昔は駆け込み寺などがあったのでしょうが、

現代、簡単には望めませんかね…

つまり、この最小単位は科学によって分けられ、
自分の立ち位置を確立するために細部で異を唱え、
孤立し、今まさに行き詰まりを感じています。
どう世界と繋がればいいのか分からなくなっている…
ここが問題。

喫緊にパラダイムシフト(発想の転換)

しなければならない一つに、
“孤立した個、細分化されたコミュニティーが

どう新しい形で全体と繋がるか”があります。

                           つづく
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