8.26.2008

私のスピリチュアリティ遍歴 2

これをスピリチュアリティと呼ぶかどうかは別として、
私の発想はすでにこの頃から、
教えられた現実に収まることがない、
無邪気な、自由なものを得ていたのかもしれません。

そんな無邪気な発想は、

小学校から中学校に上がる頃の
自我の目覚めによって抑制されたようです。

自己の内面という存在が新しく加わりました。

やんちゃで、イタズラに関しては

無邪気な発想が消えることはありませんでしたが、
同時に生を意識する深遠な海を泳ぎだしたことは確かです。
そんな二つの世界をパラレルに行き来していました。

私は数年前まで、

この相反する二つの世界から
卒業することができませんでした。

時に深く悩み、時にバカ遊びし、
その大胆な浮き沈みの中で、
総合的にプラスでいればいいと刹那に生きていました。

これは後述しますが、
成人式の意味合いが消え、
一人で精神的成長を達成しなければならない現代、
こういう人も少なくないと感じます。

それはさておき、
忘れもしない高校生二年生の二学期、

社会的に順応した表層的な自分と、
内なる自分の激しいバトルがありました。

「人生これでいいのか?」

普通に高校生活を送っていた私は、

世の中によくある型にはまった人生設計に疑問を感じ、
私という存在が大きな組織の小さな一部となって
埋もれてしまうことに不安を抱いていました。

いろいろ学んでからでも遅くない!

そこで出た結論は旅すること。

やんちゃな私と、自己の内面を泳ぐ私。
その二つの世界が同時にかなうのがまさに旅でした。

バックパッカー、ヒッピー、グレートフルデッド。

60年代にあこがれていた私の
当然の行き着く先だったのでしょう。

遅れてきた60年代。

自由とは何か?
心の解放?

そんなキーワードが私の脳内を駆け巡っていた時期です。

高校卒業と同時に社会的後ろ盾がなくなり、

それはそれで不安も感じましたが、
ここで一冊の本に出会います。

 リチャード・バック著

 「かもめのジョナサン」

この本が私の背中を強烈に後押しし、
内なる自分の選択に対してエネルギーを注いでくれたのです

                       つづく

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