4.25.2009

Love&Peace

21歳の頃、僕はカリフォルニア・ベイエリアにいました。
1993、94年になります。

その頃はまだ70年代の名残があって、
バークレイやヘイトアシュベリーに行けば
多くのヒッピーたちがたむろしていて、
気軽に中に入ることができました。

グレートフルデッドやウッドストックを知り、
憧れていた世界だったので、
僕にとっては居心地のいい場となりました。

しかし、彼らの依拠するところの標語、
Love&peaceにはどうも馴染めなかった。

このシーンの成り立ちの一つに
ベトナム戦争反対という動機があります。

長引く戦争の閉塞感から心を解放し、
愛ある社会を実現しようと若者が立ちあがりました。
そのエネルギーをアートや身体で表現し、
シーンが生成されていったのです。
つまり、混沌から生まれた文化といえます。

そんな時代背景がある中で、
日本でヌクヌク80年代(この時代、結構好きですw)
青春を過ごした僕には、
どうしても実感がわいてこなかったのです。

当時、ヒネクレ坊主だった僕の、
ストーレトな感想はこんなものでした。

愛・・・そもそも口はばったい!
    恥ずかしくて言えない。

平和・・・戦争の対義語かな?
     戦争がなければそもそも存在しないんじゃないか?

そんなことで、僕はあのシーンにいながら
一度もこの言葉を口にしたことはありませんでした。
恥ずかしかったことが大きいと思います。


さて、あれから15年が経ち、心の変化を感じています。

この二語に集約される重みがジワジワと効いているのです。
明るい未来のために必要な、大切な言葉なのだと。
今後積極的に口にしていこう!
そう思うようにもなりました。

ただ、当時から15年がたったものの、
ヒネクレ具合はあまり変わっていないので、
僕なりの解釈がついてきます。

平和・・・そもそも「和」が平らって、
     そんな二次元的な発想は無い。
     だから「和」一文字でいい。
     これは最近、大切な心構えとして実践しています。

愛・・・感覚的にはつかんでいるのですが、
    これを言葉にするのは難しい。
    
    まずは漢字的解釈から。
    心で受け入れる→愛(少し強引ですけど・・・)     
    恋と愛の違い→恋は下心(下に心)愛は真ん中に心。
    
    マザーテレサの言葉
    「愛の対義語は憎しみではない。無関心です」
    →愛とは積極的関心を持つということ。

    子供に対する母親の無条件な愛・・・
    思いやり、大地、受けいるれること・・・

おおよそ感覚的ではあります。
しかし、実感としては確信めいたものが奥底にあります。

うわべの心では出てこない、確たるもの。

口で言っても自分ができていなかったら、
よくある、
「自分のことを棚に上げて~」人間になってしまうので、
まずは身体に落とし込むところから。

日々心がけ、実践していきます。

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