12.13.2007

マイノリティーはもう吠えない 6

このブログを始めるきっかけがありました。

それは仕事場からバスで帰るときに毎回感じたこと。

私は場の持つ空気感をある程度感じる方ですが、
夜十時過ぎのバスの中ほど、
負のオーラがウヨウヨしている場をあまり知りません。
それが雨になると1.5倍増しになる。

皆さん、疲れています。
ドロンとうなだれている人の多いこと。
それは肉体的な疲れだけではなく、
もっと奥底の力のない叫びが「あ~疲れている~」
と訴えています。
それはアピールとなり空気を重くします。

それだけならいいでしょう。

杖を持った私がたとえ障害者席の前に立っても
誰もそこを譲ってくれようとしません。
一斉に狸寝入りします。
しかも皆若い…

私も絶対に座らなければならないほど
脚が悪いわけではありませんから、
無理に譲ってくれと思っているわけではありません。

しかし、
お腹の奥底からフツフツと
怒りのようなものが湧き出てくるのです。
一人くらい、譲ってくれる人間がいてもいいじゃないか!

確かに顔も体つきもごつい。
顔色健康、目はリンリン。
ファッションで杖を持っている可能性もあるかもしれない…

パスカルは神を確率によって信じました。
「もし神が存在しなければ、信じても信じなくても問題ない。
しかし神が存在するのに信じないとするなら地獄に落ちる
リスクがある」

すなわち、ファッションなのか?と思っても
確率で考えると立つ方が合理的ですね。

しかし大元はそんなことではないと思います。
誤解のないよう言いますが、
何が何でも譲れと言っているのではありません、
気持ちのいい心、波動のふれあい、
もしくは人間的な余裕の共有をしたいと感じるのです。

今はだいぶ気持ちも変わりましたが、
当時は怒りがわいてきました。
「これだから障害者は表に出ることをあきらめるんだ!」と。

私はそのバスに100回以上乗りましたが、
行き帰りをあわせて
3回だけ席を譲ってもらう幸運に恵まれました。
消費税より低い…

                  つづく

3 件のコメント:

Hana さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
Hana さんのコメント...

私も日本に帰って、地下鉄に乗った時びっくりした経験があります。朝6時台の電車で、比較的空いてたんだけど、なんとお年寄りが立っているのに、誰も席を譲ろうとしない。乗客はほとんど男性。朝っぱらから疲れてる。狸寝入りなのか、本当に落ちているのか、皆、頭を垂れているから、知る由もないのかもしれないけど、この国大丈夫か?って真剣に不安になりましたよ。「席を譲りましょう」というアナウンスも一介のBGMに成り果てていて、この言葉に反応するセンスも持ち合わせてないようでした。Kazooさんのケースも本当に寝てて気づかなかった、ということにしたいね。私もたまーに本に夢中になって駅を乗り過ごすくらい周囲に気を配ってない時あるから。

kazoo さんのコメント...

これが欧米だと普通に明るく終わってしまうことなんだけど、日本だとどうしても暗い。
その昔儒教が日本の道徳として存在していた時はどうだったのだろう?普通に譲っていたのかな?
儒教食の強い韓国はどうだろう?
今の日本、余裕ないですよね。