12.15.2007

マイノリティーはもう吠えない 7

昨日の続きです。

そんな日本人の余裕のなさにあきれ、憤りすらも感じていたので、
友人にそのことを伝えました。

「これだから、障害者は世の中に
一杯いるはずなのに街に出られないんだよ」

すると友人は
「それは解らないんだよ。
カズが席譲ってと言って教えてあげないと」

なるほど!
このとき目の前が明るくなりました。

私の役目が一つ明確になりました。
座る必要があろうとなかろうと、
そんな状況に出くわしたらきちんと言わなければ!

今後、障害者がもっと街に出られるよう、
そしてこれから高齢化社会になり、
我々が老人になったとき、そんな寂しい世の中でないよう
小さいながらも動いていかないと。

しかしそんな状況下でどう伝えればいいのか?

私はことさら権利を主張するのは苦手です。

そんな時ちょうど心理学者アーノルド・ミンデル
「紛争の心理学」と読みました。
紛争はなぜ起こるのかを心理学の視点で解いています。

そこには、マイノリティーの権利の叫びと、
マジョリティーの無知な手のさし伸ばしからすれ違いが起こり、
険悪になっていくというものがありました。
日々の生活でも起こりうるすれ違い。

簡単にいいますと解決法は
お互いがより自身の生まれ、金銭的にどういう生活か、
女性か男性か、どういう仕事か、役職は何かなど、
自分の環境、立場を十分に知った上で
相手と諸問題に向き合うといいと言っています。

なるほど、お互い今ある自分の立場を深く客観視して
上からも下からも見ない視線を持って接すれば
かなり建設的で良い方に動くでしょう。

これまでマイノリティーはただコブシを挙げて
戦っていたようなイメージがあります。
確かに障害者自立支援法など悪法ができそうなときは
戦わないといけないのでしょう。

しかし日々の生活に於いて、どう社会とコミットして、
くだらないマイノリティー・マジョリティーの
区分けを無くしていくか、という命題に向かうならば、
上記のような、吠えない理解法が必要となってきます。

バスの中、電車の中でそれをどう伝えればいいのか?
非常に難しい。
大事なことは、
そのやり取りがあったときに気持ちいい、
良質の波動が生まれるように
自分の立場をうまく言葉や態度で表すこと…
卑屈でも高圧でもいけない。

これがうまくいくとその波動の持つ力は、
その行為を見た人全員に伝播する。

それを行動に移していこうと決心したとき、
「実践」がキーワードとして浮かんでき、ブログへと発展しました。

しかしそれからすぐに引っ越してしまい、
電車、バス通勤ではなくなったので、
それを言う機会がなくなってしまいました。
しかしたまに電車に乗るので、そんな時実践してみます。

どんな空間が出来上がるのでしょうかね。

2 件のコメント:

sorane さんのコメント...

母が骨折し、しばらく車いすでの生活になります。アメリカ人の旦那は、「そういえば車いすの人って日本では見かけないけどどこにいるの??」と。アメリカはソフトもハードも、障害者に対して日本よりは充実してると思います。母の利便が第一ですが、全体の仕組みにもアプローチしていかないとな、と最近初めて考えています。

kazoo さんのコメント...

お母さん、強い人ですね。
お力になれるのならば、気軽に何でも言ってくださいね。

そうですね。
アメリカでは車椅子の人が一人でバスに乗り、それを運転手が、乗客が日常の一コマのごとく、サラッと手を貸しますからね。
日本は物理的な不便さもありますが、精神的なところも…どうにかしていかないとですね。