3.08.2008

マイノリティーはもう吠えない 12

本日は、田中マイコが書かせていただきます。
おととい見学した『晴れる屋』のレポートです。

自分達が住んでいる地域に「当たり前に生活」し、
「当たり前に存在する場所」それが私たちが目指す、
『晴れる屋』のかたちです。

ほまれさんの言葉です。
当たり前に存在しているのに、肩身の狭い思いをして
生活しているご本人、ご家族がたくさんいるのだろうと
胸が痛みます。
実際、晴れる屋のメンバーで散歩をしていたとき、
「汚いからやめて」と近所からクレームが来たこともあったと
ほまれさんは言っていました。
「健常者」ととりあえずくくられる人の言動。恐ろしいです。

でも、晴れる屋のメンバーとスタッフを見ていると、
自然な「当たり前」がそこにはあり、
本当にすがすがしいのです。

学生(小学校5年生から高校生)が通う
『パステル』も見学させてもらいました。
その日はたまたま1人だけしかいませんでした。
言葉で意思疎通することはできませんが、
駆け回ったりボール遊びをしたり
元気な小学校6年生の男の子(Hくん)です。

スタッフの女性との会話が印象的でした。
「Hくんは、この1年で成長したし、これからも
どんどん成長していく気がする」という彼女の言葉に、
成長って、できることが増えていくってことですか?
と尋ねました。彼女の応えはこうでした。

「そういうことより、Hくんが思っていることを
行動で表現できるようになったり、周りの人との関係を
築く力がついていったりすることですね。
それが大切だし、それを近くで見ることがとても嬉しい」

彼女がHくんから与えられるもの。
Hくんが彼女から与えられるもの。

優劣や上下が先行するのではなく、
皆がいるから成り立っている。
障がい者と呼ばれる方達どうしも
足りないところを補い合い、支えあい、
そしてそれが本人の糧にもなっている。

ほまれさんも言います。
「障がいを持っている彼らには、技術とかより、
この人たちに手を差し伸べたいと思ってもらえるような
人間の魅力をつけてあげたい。
助けてくれる人がいれば、社会に出やすくなる」

スタッフの方達の言葉だけではなく、
「当たり前に存在」ということが、
晴れる屋ではかなっています。
それを肌で感じました。

さて、「健常者」ととりあえずくくられる者に、
何ができるのか?
私にとっても大きな課題です。
まずは、これを読んでくださった方に、
見学大歓迎!!の晴れる屋に
足を運んでもらえれば幸いです。

皆さんの掛け値なしの笑顔に出会い、
自分の中の意識していなかった感情に向き合う
きっかけになると思います。


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