1.29.2009

笑うこと

今年の目標
「笑」

一ヶ月経ちますが子供の頃のようにはいかないものです。

子供のころと何が違うか。
まず無邪気さが少なくなった。

無邪気・・・
邪気が無いことを言うのですが、
子供は自由に、天真爛漫に生きるのが職業のようです。

幼馴染のケンケンと
石蹴りをやっていた時のことを思い出します。

学校の帰り道、
いつものように丸っこい石を見つけては蹴り、
どこまで転がるか競っていました。

僕は距離が延びそうな石を発見し、思い切り蹴りました。
それだけの蹴りの力にもかかわらず、
コロコロゆっくりと転がり、距離は伸びません。
止りそうだ~と思って見ていると、
最後にパカッと真っ二つに割れてしまったのです。

そう僕の蹴ったのは丸いウンコ・・・

腹抱えて死ぬほど笑いました。
立っていられなかったのを覚えています。
あれは確かに無邪気だった・・・

はて、邪気とは何だろうか。
辞書には、
・病気などを起こす悪い気。悪気。
・悪意
・もののけ
となっていますが、
子供が無邪気とする場合、「悪意」を指すのでしょう。

しかしそれもシックリいかないので僕なりに考えてみました。
子供が大人になるとは何でしょう。

まずは自我が生まれます。
極端にいえば一動物から人へと変化するときです。
個の確立が始まりますね。

それと社会・人との関係。
最近実感することですが、
歳をとるにつれ、
社会・人間関係が多面的に、複雑になってきます。
それは太い綱で網を張るがごとく強固になり、
どこかへ雲隠れしない限り
その関係性から逃れることはできません。
これも大人に成長することに於いて必要なこと。

そんな複雑な関係性が無邪気さを
打ち消していくのではないでしょうか。

しかし無邪気さが全く無くなると、
人や法や道徳などに丸め込まれ、
自我はあろうとも、
奥底にある大切な自己が解放できなくなると思うのです。

僕はこの、
無邪気さと、相反する社会・人間関係との
バランスこそが大切だと感じました。

ということで、もう少し無邪気を取り戻して
生活に笑いを増やしたい。

あれ、もしかすると無邪気すぎますかね?
もっと社会・人間関係を学ばないとという自分もいます。

書いていてどちらも欠けていると思ったので、
両方磨きをかけて、
あと11ヵ月、笑いで過ごしていきます。

ということで無邪気に書いてみましたw

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