5.05.2009

関係図のススメ

本日は田中マイコが書きます。

「木を見て森を見ず」
細かい点に注意しすぎて大きく全体をつかまないこと。

ホリスティックな健康を目指していながらも、
ふと気づくと、この状態に陥ることが多いです。

整体師としての視点では
クライアントの一部の痛み(木)→身体のバランス(森)
ということも言えますし、
一部の痛み(木)→こころも含めた全体の健康(森)
延いては、→生活習慣、社会での位置づけ(森)
さらに、→生き方(森)
につながるとも言えます。

クライアントの身体の痛みに対し、
自分がどれだけのことができるのだろう。
と考えると、正直、迷路に入り込んだ思いです。

「木を見て森を見ず」
あるコミュニティで問題が発生したときも然り。
問題に関わる人たちが解決をしようと躍起になりますが、
その際もこの現象は起きやすいです。

身近で起きた問題に対し、
そんなことを感じながらも客観的に解決法を考えていました。
でもそんな中、突然気づきました。

自分と切り離して問題をとらえているという事実に。
見方を違えることで、何かが変わるのではないかと。

問題(木)の解決法を、全体(森)から考えると良いというのが
元々の意味ですが、ここで思ったのは、
自ら森の中に入ってそこから全体を見渡したとき
それはどう見えるのか・・・ということです。

どうしたら、そこに身を置くことが自然にできるのだろう?
直感で私がしたことは、自分と周囲の関係図を描くことでした。

私-Kazooさん(夫婦)の単位から
両家の両親、兄弟。仕事場、属しているコミュニティ、友人。
それぞれにおける私の立場、感じていること。
さらに、過去の私、未来の自分の展望。

これを表すことを何かが待っていたかのように
スラスラと書き上がりました。

自分って一人だけど、たくさんの自分がいるんだ。
幼稚な感想ですが、そう思いました。
色々なポジションで、様々なふるまい方をしている
という新鮮な発見がありました。
例えば、調整役だったり、助けられていたり、気軽だったり。

そして、全体が成り立つために自分がそこにいることが必要
という実感。
自分の存在に価値があるのか、なんて思うときもありますが、
もし欠けたら、全ての関係性が崩れてしまうとわかります。

ということは、直接関わっているつもりでなくても、
自分の何かが原因で問題が起こっている
とも言えるかもしれません。

そんなふうにとらえていくことは、
ホリスティックな生き方のヒントになるように感じました。

さらに、関係性の本音を明言化することで、
現状の自分をよく把握でき、
自分の方向性が見えてくるという副産物まで。

木を間近に感じるために森に入ったら、
自分も一本の木であり、森であると知りました。
関係図をつくってみること、おススメします。


人気ブログランキングへ

0 件のコメント: