8.13.2009

哲学しよう!

哲学・・・

聞くだけで、ちょっと遠慮したくなる。

「生きる」
という人間のもっとも大きな課題の
思考過程を言葉にするものだから、
言葉が難解になり、途中で訳分からなくなっていきます。

「あ~、メンドクセ!」
「そんなに難しく考えなくてもいいでしょ
いくつか著名な哲学者の本を読みましたが、
最後の方はあきらめモードになってしまいます。

しかし!

僕はこの哲学することを万人に勧めたい。

なぜならば、僕でも哲学することができるからです。

大胆に言ってしまえば、
哲学者が何を言いたいかは問題ではないのです。
哲学するとは、
その哲学の仕方を知れば誰でもできるし、
本来した方がいいものなのです。

哲学は懐が深いですよ。

なぜならば哲学者の言うことが全員違うから・・・

これが何を意味するかといいますと、
哲学に完全な答えなどなく、
自分の世界観、宇宙観を自由にのべることができるということ。

これだけでも誰にでもできるではありあせんか!

しかし当然ですが鉄則はあります。

完全な正解がないだけに、
常にバージョンアップする必要があるということ。

その時、「これだ!」と真理をつかんだ思っても
次の瞬間から色あせていき、
古ぼけていくからです。

これはパソコンの製品化と一緒ですね。
常にOSは完ぺきが無く、
時と共にバージョンアップが迫られます。

これだけを基礎に置いておけば、
あとはそんなに難しいことではありません。

外界から得る知識は日々増えていきます。
現実を見つめ、
経験的、科学的にそれを解釈して、
これまでの自分の真理に漬けこみます。

それは微々たるものかもしれませんが、
思考するアイテムが増えることによって、
これまでの自分の真理が変化するのも当然のこと。

一通り考えたあとは、
マンガのように頭の中で電球がピカリとつく、
つまり、直観が作用し、
自分の新しい真理が発見できるのです。

これが哲学するということ。

宗教と比較してみましょう。

哲学は真綿の真理がむき出しになり、
常に批判にさらされていて、
間違えていたらすぐにでも変える必要に迫られています。

しかし宗教は真綿の真理が鉄の壁に覆われ、
そこに小さな穴が一つだけ開いています。
そこから入れば真綿の真理を享受することができる。
しかし、ほとんどの場合、間違えていることを前提としません。

ん~、
良い宗教に巡り合えればいいですが、
それでも個々では宗教とは別に哲学した方がいいかな、
そう思います。

哲学者のようにならなくても、
各々が経験、知識をもとに哲学することは可能です。

むしろ哲学することこそ
健全な生きる姿勢なのだと思うのです。

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