哲学・・・
聞くだけで、ちょっと遠慮したくなる。
「生きる」
という人間のもっとも大きな課題の
思考過程を言葉にするものだから、
言葉が難解になり、途中で訳分からなくなっていきます。
「あ~、メンドクセ!」
「そんなに難しく考えなくてもいいでしょ」
いくつか著名な哲学者の本を読みましたが、
最後の方はあきらめモードになってしまいます。
しかし!
僕はこの哲学することを万人に勧めたい。
なぜならば、僕でも哲学することができるからです。
大胆に言ってしまえば、
哲学者が何を言いたいかは問題ではないのです。
哲学するとは、
その哲学の仕方を知れば誰でもできるし、
本来した方がいいものなのです。
哲学は懐が深いですよ。
なぜならば哲学者の言うことが全員違うから・・・
これが何を意味するかといいますと、
哲学に完全な答えなどなく、
自分の世界観、宇宙観を自由にのべることができるということ。
これだけでも誰にでもできるではありあせんか!
しかし当然ですが鉄則はあります。
完全な正解がないだけに、
常にバージョンアップする必要があるということ。
その時、「これだ!」と真理をつかんだ思っても
次の瞬間から色あせていき、
古ぼけていくからです。
これはパソコンの製品化と一緒ですね。
常にOSは完ぺきが無く、
時と共にバージョンアップが迫られます。
これだけを基礎に置いておけば、
あとはそんなに難しいことではありません。
外界から得る知識は日々増えていきます。
現実を見つめ、
経験的、科学的にそれを解釈して、
これまでの自分の真理に漬けこみます。
それは微々たるものかもしれませんが、
思考するアイテムが増えることによって、
これまでの自分の真理が変化するのも当然のこと。
一通り考えたあとは、
マンガのように頭の中で電球がピカリとつく、
つまり、直観が作用し、
自分の新しい真理が発見できるのです。
これが哲学するということ。
宗教と比較してみましょう。
哲学は真綿の真理がむき出しになり、
常に批判にさらされていて、
間違えていたらすぐにでも変える必要に迫られています。
しかし宗教は真綿の真理が鉄の壁に覆われ、
そこに小さな穴が一つだけ開いています。
そこから入れば真綿の真理を享受することができる。
しかし、ほとんどの場合、間違えていることを前提としません。
ん~、
良い宗教に巡り合えればいいですが、
それでも個々では宗教とは別に哲学した方がいいかな、
そう思います。
哲学者のようにならなくても、
各々が経験、知識をもとに哲学することは可能です。
むしろ哲学することこそ
健全な生きる姿勢なのだと思うのです。
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