8.22.2009

横浜寿町ブルース 1

伊勢佐木町ブルースが流行ったのは
1968年のことだから、
僕はまだ地球には存在しません。

この曲のイントロは、
今の時代からみればかなりインパクトあります。

「ア~ン、ア~ン」

ちょっと、直球過ぎ!
僕にはドリフでの加と茶が思い出されますw

さておき、
曲調はブルースとは思えず、
すこし演歌のようにも聞こえます。

詩の内容が
港町、横浜伊勢佐木町で展開する男と女の
濃密な色恋物語・ブルースとなっている訳です。

港町横浜
開港150周年です。

日米修好通商条約で鎖国が解かれ、
海外との貿易が始まりました。

これまでは洋学、洋モノの輸入は長崎出島と決まっていて
制限があったのですが、
開港して以来、横浜、神戸などから
文明がどっと押し寄せてきました。

以来、横浜は洋文化の発信源となったのです。

それも昨今、飛行機でモノが運搬され、
インターネットで海外の情報がやり取りされるようになり、
その面影は消えていきつつあるように思います。

そんな港町横浜の繁華街が、
伊勢佐木町になります。

横浜関外

今の支庁周辺などは関所となっていて、
そこから海までを関内(馬車道など奇麗どころ)、
外側、つまり伊勢佐木町のある方を関外と呼んでいました。

物流が盛んになり、
荷下ろしなど、港で働く多くの人手が必要となりました。

さらに戦後、高度成長と重なり、港で働く人、
建設現場で働く人、
多くの人々が各地から流れ込んできました。

そんな時代背景を包み込み、
伊勢佐木町では濃密な男と女の物語が浮いては消え、
消えては沸き上がり、
ブルースを創っていったのです。

それでも伊勢佐木町での物語は
日本的ヒットを生むくらいだから、
まだ華やかな方。

実は港町横浜が産んだ真のブルースは
伊勢佐木町にはなかった。
それは寿町にあったのです。

人目に触れないよう、
隠れていたのか、隠されていたのか・・・


人気ブログランキングへ

0 件のコメント: