2.11.2010

食の正解は?

昨日のブログからの引き継ぎ。

世界には多くの食事療法があります。
どれが正解か?と深く考えると、
どれもどこか抜けているところがある
というのが僕なりの答え。

今やグローバリズムに乗って
世界中から新しく口にする食べ物が入ってきている。
身体はその新しき異物に対応するわけで、
健康に多少なりの変化をもたらしています。

その事実だけでも食事療法は
未だプロセスのさなかにあると言わざるを得ません。

よくある、
昔から日本人は何々の食べ方をしてきたから、
この食べ方が健康!ってのがありますが、
確かにその知恵は継承するべきものも含まれますが、
果たして、200年前の食事が
そのまま現代の健康につながるのかどうかは疑問です。

日本人は世界一の長寿だといわれて久しい
それは医療によって感染症の発生が抑えらたのと、
発酵食と魚食がベースにある身体に、
肉食が入ってきたということが大きくあると思うのです。

だから健康にとって肉食=悪のような
考え方は一義的だと思います。
健康=哲学や宗教が優先というなら、
その人にとって、その通りなのでしょう。
しかし実際、動物性脂質は血管を強くし、
過去、日本人がよくかかっていた脳出血などの
疾患は少なくなったといいます。

肉の問題は食べ過ぎだと思います。

そう、食べ過ぎ。
これが健康を阻害する最大の問題。

逆に食べ過ぎないことが健康につながる。
腹八分・・・
これは食事療法の最大公約数に違いない。

さてさて、食事療法とは言わないまでも
農薬、化学調味料、添加物など
近年、健康を損なうと敬遠されているものも多くあります。

後効きで、様々なアレルギー疾患を
引き起こすと言われています。
これらは一部消費者たちの努力により、
だんだん規制がかけられてきました。
ありがたいことです。

ここで登場するのは
完全有機。
完全自然農法など。

全て自然農法で原始的な暮らしをするのが、
化学製品に触れずに済み、
身体に毒を注入する行為がめっぽう減ります。

その方向性は間違いないと思います。

ただ、高い。
安全は金を出して買うべしというのでしょうが、
それをできるのは未だ一部、お金に余裕がある人たち。

もしくは田舎暮らしをして、その環境を得るか・・・

まあ、すそ野が広がれば安くなるのかもしれません。
それを啓もうして頑張っている人たちもいます。
ただ、それが強烈な信念・信仰に変わると
時に選民的に見えてしまうこともあります。

日本という単位で見ると1億2千万人の人口すべてを賄う
有機・自然農法的野菜を作れるのか?
という命題があります。
(こうなればいいなと思います)
あるいはここにも格差ができて、
お金がない人は化学的処理をされたものを
食べないと生きていけない
という構造になっていくのでしょうか?
もし後者であるなら(実際そうなっていきそう)
自分だけが健康という、“我良し”という、
不健康社会ができていきます。

社会的不健康は回り回って
個人の不健康につながります。
やはりここは大局に立って、
調和的な食と健康を考えないと・・・

さて、ここで視点を変え、
非科学的な観点から健康な食生活を見てみましょう

食は栄養学的栄養を摂るだけではない、
気も身体に取り込んでいるのだ、
という考え方があます。
東洋的ですね。
僕はこの考え方を好みます。

例えば、最近の子供がキレやすいのは、
その親が手作りの料理を作らずに、
機械的に製造されたものばかりを
食べさせていることがあるという説もあります。
様々な要因が複雑にからんでいることは予測されますが、
母の手料理には愛情という気が
入っていることは事実だと思います。

そこに着目したい。

食による健康は良い気を摂ることから。

まずは、料理も野菜も、有機云々の前に
作り手が近いかどうか?が大切。
しかも心身元気な人、愛情あふれる人が作った
料理をいただいていれば気は充実します。
それを腹八分。

ここから食と健康を始めてみるのはいかがでしょう?

僕が少し危険だな~と思うのは、
いきなり何々療法というメソッドをハードコアでやってしまうこと。

一歩一歩、何が良いのかやっていきましょ。


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4 件のコメント:

美夏 さんのコメント...

今、ちょうど同じことを考えておりまして、とても興味深く読ませて頂きました。

現在捨てられている野菜の量を思うと、正確には知りませんが、もしかしたら日本国民を養うだけの量があるかもしれません。北海道で農業に従事していた知り合いがそう申しておりました。


ちょっと田舎に行くと、安くて有機農法で育てられた野菜があります。

それらをいかに安く流通させるのか、といった問題があるのかもしれません。

古くからある協会の制度も、変わらなければならない時に来ているかも知れませんし、卸売り市場の方のお話によれば、スーパーのシステムも変わらないとやっていけないとのことです。


消費者の目だけではなく、流通させる側の視点で見る場合、もうちょっと現状の高い有機野菜を簡単に手に入れられるように工夫することが可能なのではないだろうか、と恐れながら思う次第です。

kazoo さんのコメント...

美夏さん

こんにちは。

少し前まで通用していたことが、
時代のすう勢で身動きとれなくなり、
それは逆に非効率となっています。

その渦中にいる人は客観的にモノを見ることができないから、どうしたらいいのか分からない、という現象が政治から相撲wまで、
今の日本には蔓延しているように感じます。

さて、これらをどうしたらいいのでしょうか?

それは地味ですが、気付いている人が、
行動に移していくしかないと思うのです。

コツコツと。

アースデイ、残念でしたね!

junismo さんのコメント...

食事も作り手と食べ手がいる以上コミュニケーションの一つだと思うので、そこには想いとか理念とか思想とかいろいろ込められるんじゃないかね。どんな素材でも気持ちがこもっているものは粗末に扱わないようにしないとなと思う。

ま、相手がどうあれよほどのことがない限り自身の対応は常にリスペクトを持てればとか頭では思うけど、ついつい外食をする際には”地”がでちゃったりすんだよねw 


>日本という単位で見ると1億2千万人の人口すべてを賄う
有機・自然農法的野菜を作れるのか?

という部分では、答えはアグリバイオにあるのではないかと思っている。「餓え」を経験したことがないので想像するのも難しいけど、やはり基本は皆に十分な食べ物が安定的にいきわたることだと思う。

買い物に出かけてカゴ一杯の食べ物ををみると幸せを感じる。誰もが必要な食べ物を必要なだけ手に入れられるのが幸せなんだと思う。そしてそれが安全でおいしければ言うことない。

あんまり詳しいことは分かんないけど、バイオテクノロジーの研究が進んで、環境への負荷がなくて安全とされる肥料が開発されていたり。納豆菌をベースにした防虫剤とかあって、農業の分野も未来の世界に進んでいるなという印象。水耕栽培や土を使った植物工場で無農薬で年間20毛作だったり、すごいことになっているよね。

どこも商業ベースでやっているので、嘘やごまかしみたいなことも当然出てくるんだろうけど、将来的には化学肥料じゃなくてナチュラルで安全、それでいて環境負荷がない農業という良い方向に進んでいってほしいと思う。

kazoo さんのコメント...

>将来的には化学肥料じゃなくてナチュラルで安全、それでいて環境負荷がない農業という良い方向に進んでいってほしいと思う。

同感。

それはすべてに対して思うことだね。
あらゆる製品、大きく言えば電力まで、人が産みだす全ての物は低負荷の方向性で進んでほしい。
この方向性は少しずつだけど出てきていますね。

残るは自分自身・・・

ここはそもそも基準がないから難しいんだけど、生産するモノが環境負荷ゼロになれば、いくらでも使える、消費できると考えるのであれば、持続可能は難しいと思います。
やはり人間の「そこそこ」と技術の折り合いがどこかで必要かと・・・

これは難しいね。