3.03.2010

個人の再発見から考える 1

日経新聞のやさしい経済学という欄に、
宇野重規という東大の准教授が
「個人の再発見」というトピックを10回連載していました。

僕が最近考えていることや、
ブログで何となく紡いできたものが書かれていたので、
この学者さんの連載を引用させてもらいつつ、
僕なりの方法を見つけていきたいと思います。

課題は、
“社会から切り離されそうで不安定な個が、
いかにして新しい形で全体とつないでいくか?”

ただ、残念ながらこの連載では、
新しいつなぎ方の方法論を
あまり掘り下げられていませんでした。
どちらかというと現状、
個がどのように社会から切り離されてきているのかを
個の独立が尊重される西洋の視点から綴っています。

~個人の「いわく言い難い」思いの中には、複雑な要素が入り込んでいる。一人ひとりの希望や悩みに見えるものにも、実は社会的な要素が入り込んでいるのである。しかしながら、あらためて個人への注目が集まる現代において、ややもすれば、それは個人の問題とされて、社会的な次元が見失われてしまう。
 かつてであれば階級など、社会的集団の一員として向き合った様々な社会的問題に、現代の個人は一人の人間として立ち向かわざるを得ない。失業のリスクも、あたかも個人的運命のようにやってくる。問題はすべて個人の負担になりがちである
 伝統的な集団の保護を失うなかで、増大する多様な社会的リスクを単独で引き受けなければならない存在として、個人が急速に注目されるのである~


全体主義、封建主義、独裁などの

規制、束縛、抑圧から個の独立を勝ち取ってきた西洋社会。
個の自由は尊重されて、
人権や精神の平等が高らかに掲げられました。

契約により、
自由で独立した個人間によって構成される社会・・・

しかし、それは反作用も生み出します。
伝統的社会や、さまざまな集団から独立することを意味し、
帰属するものがなくなったがゆえ、
裸の個、つまり孤立を生んでしまったのです。

この方向性が本当に正しかったかどうかは
後の歴史で語られるでしょう。
少なくとも誰かに戦争に行くことを強制されたり、
自己を徹底的に抑えて、
不確かなことに迎合せよと仕込まれることはおかしい。


さて、個は自由を得たが故、
逆に孤立することとなりました。

自分の居場所はどこなのか?
新しいつながり方とは何なのか?
これから考えていきましょう。


                          つづく

人気ブログランキングへ

0 件のコメント: