昨今は心理学が脚光を浴びています。
こころの月でも心理療法はこころ・からだを
総合的にみるために重要なアプローチだととらえています。
ただ、心理学が学問として始まったのは歴史が浅く、
それゆえいまだ発展段階にあると言えます。
心理学、心理療法の歴史が浅いのは、
個が孤立してきた近代の社会性に関係があると思います。
逆に言えば、孤立した故に必要となってきた・・・
~現代社会においては、多様な社会的背景を持つ諸問題が、あたかも個人の人生に偶然に訪れる、純粋に個人的な運命として現れがちである。そうだとすれば、こころの問題と社会の問題を完全に分離して考えることには問題がある。
例えば失業が長期化した場合や、社会的なつながりが欠如した場合に、自分の個人史や家族関係のみに由来する「心の問題」として受け止められがちだ。それは問題の原因の正確な所在や問題への適切な対処法の発見の障害にもなりかねない。
少年犯罪に顕著である。このことに対し、犯罪をもっぱら「心の問題」として提示してしまうことで、問題の社会性が隠ぺいされてしまうことを警戒する人も少なくない。
社会的諸問題が個人的なものとして現れる以上、カウンセリングやセラピーといった対処法が流布するのもこのことと無縁ではない。とはいえ、「心の問題」に隠された社会的次元が見失われ、個人の負担が増すばかりである・・・~
実に示唆深い話です。
個人に降りかかる諸問題に敢然と立ち向かわなくてはならない。
それが自由に対しての責任であり、人権、
個性、自立を得ようとする者の立場である・・・
西欧の独立した、
契約による社会は自己責任を重んじます。
それゆえに自由があるとばかりに。
宇野さんの話にあるように、
それが単に個の問題なら対処の幅は狭まることでしょう。
ただ、難しいのはそこに社会の問題が
複雑に絡み合っているということです。
社会的問題が個に降りかかってくる以上、
一つ問題が過ぎ去っても、
またじわじわと問題が蓄積されてくるということになっていきます。
そう、ここに、個だけにアプローチする
心理療法の限界があるのではないでしょうか?
今後、心理療法の発展は個の問題と、
同時並行で社会的問題へも働きかけるような方向性が
求められると思います。
まさに全体性心理療法!
かっこいいな~
で、そんな方向性がすでに表れているんですね。
家族療法、グループセラピーなどは
個だけで見ていくのではなく、
小さなグループでセッションをしていきます。
アーノルド・ミンデル「紛争の心理学」
はワールドワークという
実際の紛争を調停していくための方法として、
ミンデル独自の心理療法的アプローチで、
個から全体への対話法を生みだしています。
今ある自分の環境(生まれ、社会的地位、
金銭的に恵まれている、多勢側にいる等)を自覚して、
同じように相手を知ることにより、
何を抑圧し、何に抑圧されているのかを知っていく対話法です。
ミンデルの思想の背景に
タオイズムがふんだんに織り込まれているので、
その視点からも全体性に通じるものがあります。是非一読を!
しかし、そんな動きも、
まだまだ雪の下に芽が出始めたという程度でしょう。
重要なのは全ての施術家、心理療法家、
ヒーラー、セラピストと呼ばれる人たちが、
個を見るのではなく、
社会の問題も少しずつ解決していこうという
意志なのではないでしょうか?
そう感じるこの頃です。

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