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この人生で私たちが求めているのは 人生を理解することや、私たち自身を 理解するということではない。 私たちが求めているのは、自分の中 にある生き生きと感じられるものと、 宇宙全体につながっているように思わ れる、より大きな生の感覚とが響き合う 感覚を、自分の内側に発見することな のだ。 ジョセフ・キャンベル
M氏と僕は好奇心に突き動かされ、
ゆっくりと街を探検しました。
鋭利な視線を全身に受けつつ・・・
ある小道では、
こわもての男が門番のように椅子に座っていました。
何だろう?
遠巻きにのぞいてみると、
数件の店で競馬のノミが公然と行われていたのです!
何なんだここは!?
すでに不思議の国のアリス状態・・・
(ここに可愛さは登場人物にも背景にもありませんがw)
日曜日の昼下がり。
ギャンブルと酒が見事に溶けあい、
産出された熱は一帯をバリアのように包み込んでいました。
いきなり入り込む勇気はないまま、
しばらく見入っていました。
しかし明らかに空気の違う目立つ二人が、
じっとしている訳にもいかず、すぐにその場を離れました。
街の中央に近付くと、
さらに重厚感のある雰囲気が感じ取れます。
食べ物の屋台かな?と思いきや、
それはサイコロで偶数奇数を当てるノミ屋台でした。
中央では60歳過ぎの男女が5,6人が、
焚き火を囲んで、酒盛りをしています。
地面に無造作に倒れている紙パックの日本酒、数本。
日本酒の発酵臭と、ゴミの発酵臭が
見事に二重奏を奏でている。
近づくと鋭い一瞥。
警戒心が、遠慮もなくよそ者に刃を向ける。
海外ならいざ知らず。
ここは紛れもなく日本、横浜・・・
一体どうなってんだ。
独立国家か!?
ここだけのルール、
ここだけの秘密・・・
そこは横浜寿町。
日本では山谷、釜ヶ崎と並び
三大寄せ場の一つだと後で知りました。
それ以来、
吸い寄せられたかのように、
寿町に行くようになりました。
それまで自分の世界にはなかったものが、
実はしっかりと存在していた。
教科書にも載っていないし、学校でも習わなかった。
表面の明るい部分だけが
まるで社会全体だと教えられていたのです。
小さかった頃、ホームレスを好奇の目で見ていると、
「見てはいけません!」
と慌てて言われました。
皆が一斉に中流階級になろうとしていた頃、
まるで目に留めるとそうなってしまうかのように
避けられていたのです。
もちろんここの人達はホームレスではありません。
しかし、見られてはいけないとばかりに、
この地区にかたまって存在していました。
高度成長期、バブル期を経て
寿町も世の中と一緒に年を取りました。
しかし新陳代謝が起こらないまま、
街の風景もある時期から止まっていたのです。
人も物も丸ごと風化していく。
何十年分という塵が溜まり、
淀んだ匂いは低層を這っていました。
ドヤ街の住人はまるで世の中に置いていかれたかのよう。
何度か通っているうちに、
積極的に酒盛りに混ざって話を聞いたり、
時にはノミ屋台でサイコロをしたりするようになりました。
しかし常に緊張感がありました。
この街で異質者への不信感はそう簡単に解けるものではない。
ある日、
寿町の住人達の労働や福祉を守ろうと
支援活動をしている男性に出会いました。
彼に連れられて、アルコール中毒患者の更正施設
〝アルク〟を見学したり、
精神的に行き場を失った人達が
立ち寄ることができる教会を訪問させてもらったりして、
さらに日の当たらない世界を知ることとなりました。
ほぼ行政の管理下になかったこの街で、
人に道を踏み外させることはさぞ容易だったことでしょう。
博打、覚せい剤、アルコール。
身を滅ぼすのにこれ等ほど簡単で危ないものはない。
誘惑の甘い水に誘われ、
どれほどの人達がここで身を滅ぼしていったのだろうか。
濃密な物語が、人知れず埋まっているに違いない。
それは十年以上前のこと。穏やかな日曜日の午後、あてもなく伊勢崎町近辺をドライブしていました。幼馴染M氏と何でもない昔話に興じていると、
ふと、道を外れてしまったことに気付きました。そのまま軌道修正しないまま走らせていると、急に街の風景が一変したのです。何だ、ここは!まるで〝昭和の混乱″とでも言えるような地区に紛れ込んでしまった。時間が全く動いていない。
無数に散らばっているゴミ。ツンと鼻につく強烈な臭い。腐臭、体臭、酒、排水・・・風で洗われずに堆積しているあらゆる生活臭。しかし、昔どこかで嗅いだような懐かしさだ・・・上空を見ると、建物それぞれの部屋から出ている電線が直接本体につないである。電線が行き交い、空中に不規則な網目を縫っている。
車がボヤにでもあったのか、焼けただれ、見事にその混乱した風景に溶け合い、存在が忘れられているかのよう。 キラッ。何か鋭利なモノが刺さるのを感じた。さっと振り向くと、ここの住人だろうか、何人かの、こちらを見る視線がやけに厳しい。早く出て行けと言わんばかりだ。
白髪の男性が路上に倒れていた。その手にはしっかりとワンカップが握られている。白昼堂々の酔いどれ。一般的には不自然なその倒れ方は、ここではさほどのことではないのだろうか、誰も関心を向けない。
そこはまるで地図上にないアジアの一国。外観はビルに囲まれて、何気ない街の一風景だけど、一歩入ると、目隠しされていたかのように、もう一つの街がある。一体何が起こっているのだろうか?それまでの人生で全然知らなかった世界がまさにここにある。好奇心に満ちあふれていた僕等は、車を降りて目で確かめるしか選択はありませんでした。排除という不穏な空気を感じましたが、それどころではありません。早く知りたい、何が起きているのか知りたい・・・
伊勢佐木町ブルースが流行ったのは1968年のことだから、僕はまだ地球には存在しません。この曲のイントロは、今の時代からみればかなりインパクトあります。「ア~ン、ア~ン」ちょっと、直球過ぎ!僕にはドリフでの加と茶が思い出されますwさておき、曲調はブルースとは思えず、すこし演歌のようにも聞こえます。詩の内容が港町、横浜伊勢佐木町で展開する男と女の濃密な色恋物語・ブルースとなっている訳です。港町横浜開港150周年です。日米修好通商条約で鎖国が解かれ、海外との貿易が始まりました。これまでは洋学、洋モノの輸入は長崎出島と決まっていて制限があったのですが、開港して以来、横浜、神戸などから文明がどっと押し寄せてきました。以来、横浜は洋文化の発信源となったのです。それも昨今、飛行機でモノが運搬され、インターネットで海外の情報がやり取りされるようになり、その面影は消えていきつつあるように思います。そんな港町横浜の繁華街が、伊勢佐木町になります。横浜関外今の支庁周辺などは関所となっていて、そこから海までを関内(馬車道など奇麗どころ)、外側、つまり伊勢佐木町のある方を関外と呼んでいました。物流が盛んになり、荷下ろしなど、港で働く多くの人手が必要となりました。さらに戦後、高度成長と重なり、港で働く人、建設現場で働く人、多くの人々が各地から流れ込んできました。そんな時代背景を包み込み、伊勢佐木町では濃密な男と女の物語が浮いては消え、消えては沸き上がり、ブルースを創っていったのです。それでも伊勢佐木町での物語は日本的ヒットを生むくらいだから、まだ華やかな方。実は港町横浜が産んだ真のブルースは伊勢佐木町にはなかった。それは寿町にあったのです。人目に触れないよう、隠れていたのか、隠されていたのか・・・
本日は田中マイコが書きます。自分の意思や行動ではどうにもならないこと。ここ最近、そんな状況の渦中にいます。でも、そこから逃げ出すわけにもいかず訪れる大きな波の度に船酔いしています。自分のことであればなんらかのコントロールをして気分や考え方を変えることもできるのでしょうが、そうではないので、なかなか難しいです。そんな中でも笑顔や無邪気さ、温かい気持ちや言葉に触れるだけでふっと癒されることもあります。でも、結局は根本的な部分は解決せず。気分転換したい!と向かったのは、とある温泉施設。お目当てはアカスリです。ここ数年、1年に3、4回アカスリをしてもらっています。年末は必ず行きます。それまでに溜まったアカを落として新年に臨む。月並みですが・・・3ヵ月ぶりのアカスリの前に温泉の中でぼんやりしていると、心の平穏が、今、きっと私の中にいる。と思いました。それは、たまに気分が癒されるときとは違う、もっと強くて希望をまとったもの。今抱えている問題を思い出しても、明るく寛容に 向かうことができるような気さえしてくる変化の兆し。なんだかいい気分。そう思いながらアカスリのスペースに行きました。30分間、まな板の上の鯉の気分で擦られました。内容は異なりますが、普段は逆に、人の身体を触る立場なのでこういうひとときが贅沢に思えます。ゴシゴシ ゴシゴシ余談ですが、こちらのアカスリの内容は30分とは思えない作業量なのです。仰向け、横向き、うつ伏せ、仰向けと体の向きを変えながら全身を何度も擦ってくれて、しかも最後は髪も洗ってくれて顔にも美容液、さらには要所要所ツボ押しもしてくれるのです。私が施術する30分とは時間の流れ方が違う・・・いつも感心します。 どれだけのアカが落とされたでしょう。「はい、終わりです~」起き上がったときにはまさに一皮むけたような心地よさ。満足満足。そして冗談みたいですが、こころに積っていたアカまでこすってキレイに流してもらった気分になれたのです。自分ではどうしようもない問題。もちろん、100%そうではなく、私も何かは関係しているし、できることはあるだろうとはわかっていました。ただ自分の想像を超えた問題もありまいってしまって立ち往生していたのだと思います。なんだか平穏な気持ちを保ったまま波に乗れるような気がしてきました。逆らうのでもなく、飲まれるのでもなく。私の思いが変われば、何かが変わるかもしれない。我ながら単純ですが、アカスリ効果がこころにまで通じたようで。温泉のあたたかさも身体に染み渡りました。これも心身一如と言えるでしょうか?
ガチで自分の過去と対峙する。意識の奥底の引出しに仕舞っておいた、負の秘密・・・キツイ。心が折れそうになる。しかし、さらに助けを求める声がかすかに聞こえる。「ここだ~、ここだ~、出してくれ・・・」まだ出すのか?いや、本当は知っている。ふとした時に頻繁に顔を出してくる、力で奥底に仕舞おうとしていた、イヤな僕の過去・・・実は、本当にやってしまったことは奥底にない。表層にある。ただ、視界の端っこに包みをして置いてあるだけなのだ。だから内観しにきた。実はそれを視界の端っこで知っていた。この包みを開けないと・・・キツイ。なんてことなんだ。肩にかかる重圧で押しつぶされそうだ。自分が悪い。めちゃくちゃだ、どうかしてる・・・面前の屏風にモザイクがかかったように、視界が揺れた。視界が揺れ始めると、次に、意識に霧がかかってきた。おかしい。一瞬、夢かと思う。頭を振る。いや、リアルだ。再び屏風を見つめ、包みを開けようとする。すぐに意識と、幻想の間のような空間に潜り込む。しかし、なんだか気持ちいい。内観5日目。ひたすら単調な視界と向き合い、、自分の内面の旅をしていたことにより、いつのまにか意識の深層に入り込んでいたのです。僕は洗いざらい過去を吐き出しました。最初それはノドに指を突っ込み、無理やり嘔吐していたような気分でした。しかし、日に日に意識の深層に潜り込み、辛さが緩やかに感じてくるのです。次にそれは宇宙空間に息を吐きかけるように、やわらかく、軽くなっていきます。僕は感涙にむせました。その時、僕が生産してきた、辺縁に追いやっていた罪を自分に引き寄せ、寄り添うことができたのです。そっと自分の古い友人とハグするような・・・無視していたって始まらない。過去は消せるものじゃないから。それも自分の一部。存在を認め、一緒に成長していけばいい。その夜、夢を見ました。多摩川くらいの大きさの川で大の字になり、プカプカ浮いていました。嵐の後だったのでしょうか。流れは速く、とても濁っていました。しかし僕は流れていかない。気持ちいい。すると僕の背中の方、川の底から、タンス、イス、机、洋服、靴・・・生活にかかわる様々なものが浮き上がっては急流に飲み込まれ、瞬く間に下流に消えていったのです!痛快だ~。次の朝、再び内観していると、すぐにあの空間に潜り込みました。しかし意識は明るい。そこには過去を包み込み、前を見る僕がいました。霧が晴れ、視界が地平線の先をのぞこうとしたとき、ふと、自分が未来に向けて果たさねばならないこと、ミッションが舞い降りてきたのです。僕の脚は、もしかしたら過去の因果からこうなったのかもしれない。しかし、こうなったからできること、人生において自分がやるべきことが、内観によって示されたのでした。内観とても地味で、一歩を踏み出すのにエネルギーが必要となりますが、心のチューニングにはとてもお勧めです。
部屋の隅に屏風を立てて、四方を囲みます。(だいたい1.2メートル四方)そこに座布団を敷いて座ります。何だろう、この感覚・・・何か悪いことをして幽閉させられた気分。少し落ち着かない。目の前に屏風。上を見れば天井の木目。それ以外に見えるものは一切ない。1日15時間そんな状態。しかも、それを6日間やり続ける!これだけで何かが起こる気配・・・さて、幽閉されたところで内観は始まります。グイッと内側に入っていきます。内側と言っても、いきなり瞑想をするわけではなく、ただひたすら過去を思い出す作業。主に母親に対して1、世話になったこと2、して返したこと3、迷惑をかけたことこの3項目を例えば幼稚園の時、小学校1年生から3年生まで~と短い年代に区切って、ただ、屏風の中で思い出すだけなのです。2時間くらいすると、面接者が来て、その思い出したことを言うんですね。いわゆる告白のようなものです。それを永遠と繰り返します。この3項目、見ていただければわかると思いますが、2番目の「して返したこと」なんて、よっぽど若いころからできた人でなければ、そんなに多くないはずなのです。必然、迷惑をかけたことが多くなってきます。そんな過去の記憶、忘れてるよ。初めはそう思っていました。しかし、出るわ出るわ。まるで脳内の引出しに後生大事にしまっていたかのよう。そう、ここが内観の大切なところなのかもしれない。過去、自分が人や何かに対して迷惑をかけたこと。誰かに怒られれば明確に覚えていることが多い。しかし、うまく立ち回って咎められなかったり、迷惑を被ったのにその人が消却してくれたりすると、そんなことは忘れてしまう・・・意識の表層では確かに忘れていました。しかし、期間を細かく区切って内観していると、そんな過去の記憶がよみがえってくるのです。自分ではその時、悪いと感じていた。だからたとえその状況から逃れたとしても、記憶の隅にはしっかりと残っている。まるで、いつか清算しろよ!と遠くでいつまでも叫んでいるかのよう。これを引出しから取り出し、面接者に伝えていく。過去の自分の悪行・・・これを掘り下げることは自分で自分を鞭打つようなもの。それはとても辛い作業でした。「なんて、ダメなやつなんだ! だから脚がこうなってしまった」薄暗い中、目の前の屏風に向かい、他人の気持ちをないがしろにした自分の過去をひたすら見つめ、どうにかしたい気持ちで充ち溢れ、もどかしく、悩ましく、発狂したく、頭をかきむしり、「悪かった、ゴメン・・・」とひたすら謝るのでした。
哲学・・・聞くだけで、ちょっと遠慮したくなる。「生きる」という人間のもっとも大きな課題の思考過程を言葉にするものだから、言葉が難解になり、途中で訳分からなくなっていきます。「あ~、メンドクセ!」「そんなに難しく考えなくてもいいでしょ」いくつか著名な哲学者の本を読みましたが、最後の方はあきらめモードになってしまいます。しかし!僕はこの哲学することを万人に勧めたい。なぜならば、僕でも哲学することができるからです。大胆に言ってしまえば、哲学者が何を言いたいかは問題ではないのです。哲学するとは、その哲学の仕方を知れば誰でもできるし、本来した方がいいものなのです。哲学は懐が深いですよ。なぜならば哲学者の言うことが全員違うから・・・これが何を意味するかといいますと、哲学に完全な答えなどなく、自分の世界観、宇宙観を自由にのべることができるということ。これだけでも誰にでもできるではありあせんか!しかし当然ですが鉄則はあります。完全な正解がないだけに、常にバージョンアップする必要があるということ。その時、「これだ!」と真理をつかんだ思っても次の瞬間から色あせていき、古ぼけていくからです。これはパソコンの製品化と一緒ですね。常にOSは完ぺきが無く、時と共にバージョンアップが迫られます。これだけを基礎に置いておけば、あとはそんなに難しいことではありません。外界から得る知識は日々増えていきます。現実を見つめ、経験的、科学的にそれを解釈して、これまでの自分の真理に漬けこみます。それは微々たるものかもしれませんが、思考するアイテムが増えることによって、これまでの自分の真理が変化するのも当然のこと。一通り考えたあとは、マンガのように頭の中で電球がピカリとつく、つまり、直観が作用し、自分の新しい真理が発見できるのです。これが哲学するということ。宗教と比較してみましょう。哲学は真綿の真理がむき出しになり、常に批判にさらされていて、間違えていたらすぐにでも変える必要に迫られています。しかし宗教は真綿の真理が鉄の壁に覆われ、そこに小さな穴が一つだけ開いています。そこから入れば真綿の真理を享受することができる。しかし、ほとんどの場合、間違えていることを前提としません。ん~、良い宗教に巡り合えればいいですが、それでも個々では宗教とは別に哲学した方がいいかな、そう思います。哲学者のようにならなくても、各々が経験、知識をもとに哲学することは可能です。むしろ哲学することこそ健全な生きる姿勢なのだと思うのです。
そもそも心理療法とは何でしょうか?痛みという観点から説明すると分かりやすいと思います。身体のどこかに痛みがあると、そこを和らげるための処置が施されます。外科、整形外科、麻酔、薬、鍼等、様々な方法で対処していきます。しかし痛みは身体だけでなく、心にもありました。これに気づいたのは、ここ100年くらいのこと。なぜなら、ある意味心の痛みは鈍感だからです。あと、生活に余裕ができてきたという背景もあります。少々の心の痛みは我慢することができるのですが、それが溜まりに溜まって飽和状態になると、自律神経や身体の変調、思考の執着など、気づくと、自分では制御できないところまで来てしまうのです。そんな心の痛みを和らげる試みが心理療法なのです。*あくまでも、この説明は分かりやすくしたもので、 僕のスタンスは、 心と身体を別々に分けるものではありませんし、 心だけでなく魂の奥深くまで癒すことを目的とします。その心理療法なのですが、大別して二つに分けることができるでしょう。一つは、心理テスト、認知療法、NLP(神経言語プログラミング) 、アサーション、等に代表される、客観的に自分を見直し、行きすぎてしまった心のクセを見直していく方法。これは常に意識を顕在に置き、冷静に自分を見るやり方。もう一つは、催眠療法、自律訓練法、フォーカシング等、何らかの方法で自分の深い意識に触れ、そこに自分にとって気持ちのいい生き方を語りかけたり、そこからヒントをもらったり、過去のトラウマを引き出したりして、芯に触れていく方法。これは一つ目と違い、潜在意識なので明確ではないことが多いです。あやふやだけど大切な部分に触れることができる・・・しかし催眠療法、退行療法、前世療法など最近流行っていますが、少し危うい部分があるな~と思うことがあります。過去の自分を知って、前向きになれるのでしたらいいのです。しかし、過去や前世が悪かったから現状こうなった、と理由づけし、そのせいにして問題が終わってしまうことが多いような気がします。これは解決には向かわないですよね。自分の奥底に触れることは大切だと思います。大切なのはこれからどうしていくかということ。そこに解を求めていきたい。で、内観療法なのですが、後者にあたる、意識の奥深くに触れていく方法を取ります。やり方がかなり独特で、僕が色々試した意識の奥底にトリップする方法としては、かなりディープなところに連れて行かれます。そして、その独特な方法で連れて行かれた先で得たものは、抽象的でぼやけていたけれども、「ストン」と肩の荷が下りるように心身が軽くなったことを実感したのでした。
日本で生まれた心理療法で有名なものが二つあります。森田療法と内観療法どちらも日本発祥だけあり、西洋で生まれた心理療法のように優しく、そーっとアプローチするやり方ではなく、どちらかと言うと修行に近い方法をとります。それはそれで、耐え忍ぶことを美徳としていた日本人には合っていると思います。ガッツで治すみたいな・・・今回はそのうちの一つ、内観療法について書きます。5年ほど前に内観療法を体験したときのことです。それは、4年以上の終わりの見えない入院生活からどうにか抜け出し、脚の障害者として社会に復帰しようという時でした。はじめの一歩。以前の僕ではない。新しいキャラで、新しい人生を切り開いていかなければならない。そんな気負いがありました。特に大けが、大病を患うとそういう思考回路になるようです。因果応報。今、僕がこんなになってしまったのは、過去の行いが悪かったから・・・僕は過去を悔みました。人に対する僕の悪行・・・自然に対する不敬・・・社会に対する侮蔑・・・僕が悪かったからこうなった。自分を徹底的に責めました。今のままではいけない。変わらなきゃ・・・当時すでに整体の学校に通っていて、進むべき道は見つかっていたのですが、いま一つ自分が新しい路に立ち、歩んでいる実感が湧かなかったのです。どうしても過去の自分の犯した過ちに対して折り合いがつきませんでした。過去をどうにかしたい・・・しかし、過去は変えることはできない・・・そんな考えが脳内を逡巡していたとき、学校の心理の授業で、内観療法の存在を知ったのです。その瞬間「これだ!」と閃き、すぐに手続きをして内観療法を受けることとなったのです。過去は変えることができないけど、その捉え方を変えることはできる。内観療法のそんな可能性を直感したのでした。
先日、晴れる屋に遊びに行ったとき、晴れる屋の畑担当のメンバーたちが自分たちのつくった野菜を卸すために友人が経営する日本橋のレストランに営業に行くと聞き付けました。それはゼヒ立ち会わなければ!と仕事の合間に日本橋へ向かいました。晴れる屋メンバーが営業に行ったお店はSTOVE
私は一足先にお店に着きましたが満席!少しだけ待って、ランチのパスタをいただきました。サラダにパンにドリンクもついて1000円。大ぶりなナスの入った濃厚なトマトソース。量もたっぷり。美味しい!食べ終わる頃、晴れる屋メンバーがやって来ました。八王子で作業しているときより少しハイテンション。野菜の営業ではあるけれど、STOVEのランチを食べに来たという目的もあるから!?
でもやっぱり独自の間は顕在で思い思いに話すメンバーと一緒にいると本当にこころ癒されるひとときを過ごせるのです。豪華なランチをいただいた後、本題の営業。じゃがいも、ゴーヤ、なす、ししとう・・・農薬は使っていません。去年より野菜が大きくて豊作のようです。
皆の営業の甲斐あって見事、契約成立です!晴れる屋のブログ
http://hareruyahareruya.blog99.fc2.com/育てた野菜をお客様に食べてもらえるなんて喜ばしいですね。こういう輪がどんどん広がっていけばいいなぁと思います。晴れる屋&STOVE、皆さんも行ってみてくださいねー