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障害者を深く知ろうと、実践し始めたのはこのブログを始めてから。http://neo-activism.blogspot.com/2007/10/blog-post_07.htmlhttp://neo-activism.blogspot.com/2008/02/blog-post_8488.html侑志との出会いに始まり、光のレールが引いてあるかのように導かれ、今や週一度の晴れる屋勤務に進歩しています。いい波が来ています~~~さてさて、そんなきっかけを与えてくれた侑志ですが、高校四年(定時制なので)になり、そろそろ高校を卒業した後の身の振り方を考えねばなりません。親御さんとしてみれば、我が子を普通の会社に入れたいのは切なる願い。しかし侑志の場合、読み書きができない。意思疎通はできますが、時に会話のキャッチボールがうまく行かない。下肢の不自由…この条件では今の障害者雇用制度をもってしても、なかなか就職を望むことは難しいようです。障害者と一口に言っても、様々ですからね。なるべく業務に支障のない人たちから採用されてしまうのが現状です。侑志のお母さんがいろいろ心配をしているとニックさんから聞いたので、ここは、晴れる屋でしょ!と思いつき、誘ってみました。最近は何でも晴れる屋に結び付けてしまう私です。自分が運営しているわけではないのに、こういうときに自信を持って勧めてしまいます。今日、私、ニックさん、侑志、侑志母、4人で“幸福の昼時”からお邪魔しました。侑志は最初恥ずかしがっていましたが、メンバーの雰囲気、シホちゃんのリードにより徐々に打ち解けていきました。ろうそくを一緒に作り、お母さんもゆっくりと手を動かす作業なら、侑志にもできると確認しました。何よりもメンバーが生き生きしているその雰囲気。一階が道路から丸見えで、開かれていること。駄菓子屋に子供が買いに来て、メンバーが地域社会に近いということ…そんな晴れる屋を見学して、侑志は楽しみ、お母さんは安堵を感じたようです。侑志が楽しい人生を過してほしい。それを願うのみです。
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本日は田中マイコが書きます。昨年10月の私の誕生日に、Jさん&Sちゃんからお花の鉢植えをいただきました。なんという名前の花かは知りませんが、あざやかなピンク色の花が3つ咲いていました。ずいぶん長く花が咲き続けるので秋のうちに、自宅の庭に地植えをしておきました。冬が始まる頃でしょうか、枯れた花の辺りから種らしきものを発見!その頃も、違う芽が出て花が1つ咲いていました。寒くなり、きれいなピンク色が見られなくなりました。さすがにもう終わりかな・・・と思って1週間。新しい芽からひっそりと、最初の頃よりは薄いピンク色の花が1つ咲きました。そして春。去年の春にTさんからいただいた紫陽花から暖かい日差しに応えるように生命力あふれる芽が息吹き出しました。本当に、開いていく音が聞こえるほど若々しい葉が目覚めていくのがわかり、感動的でした。Jさん&Sちゃんからの名のわからないピンクの花はいただいたときの何倍も花が咲き、華やかに庭の一角を彩ってくれました。よく見ると、傍に植えておいた種からも親と同じ形の小さな葉が芽吹いています。そして今。まさに花盛り!
花の命は短いと言いますが、ほぼ一年間、その彩りとしぶとさ(?)で私たちを楽しませてくれました。自然の力、植物の力。改めて、Jさん、Sちゃんありがとう。
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梅雨があけ、強烈な陽の光を邪魔するものは去りました。陽光の勢いは増し、地に染み込んだ大量の雨露が、ムンムンと音を立てて蒸発し、体にまとい、浸透し、体幹を保つ力のスジのようなものを溶かしていきます。ダラダラなあなた!水を飲みすぎると余計だれますよ!さてさて、名古屋場所…一言で言うと、つまらない。気候同様ダラダラしていていて見る気にならない。まず、4勝4敗、3勝5敗、5勝3敗がその多くを占め、全体としてしまりがない。ワクワクしないのです。おいおい、もっと魅せてよ!力士がパッとしないばかりか、NHKにも物言いをつけたい。ダラダラ見せていないで、抑揚をつけてほしい。相撲テレビが面白い!と感じさせるような工夫をしてもいいのでは?惰性を感じてしまいます。そんな中、今場所で一つ分かったことは、場所前の私の予想がいつも見事に外れることです。白鵬はいいのですが、前頭筆頭の若ノ鵬は全敗ですよ!前回も前頭筆頭を推したのですが、最初から黒星を積み上げていく有様でした。前頭筆頭は前場所の勢いが良かった力士が座る位置。しかし、そこに座るとハナから大関、横綱と対戦させられます。ん~、すなわち難しい位置なんですね。逆から見ると、この位置に座り、大関クラスを倒していくと上にあがれる可能性が一気に膨らむということでしょう。安馬の体が一回り大きくなりました。後ろから見る後背筋、三角筋、僧帽筋…ぶくっと膨れ上がっています。頼もしい!ここからどんでん返しがあるのでしょうか。暑さを吹き飛ばすような風が吹いてほしい。ブログランキング クリックお願いします
今年もSense of wonder に出店させてもらいます。http://s-o-w.jp/今年で二回目。二回目にして二日間のイベント。友人コバが立ち上げた、野外フェス。立ち上がる瞬間から時を共有させてもらっているので、成長する過程が見られるのは、とても刺激になります。勢いある人が近くにいるのは嬉しいことですね。どこまでこの勢いが膨らんでいくのか、楽しみです。9月13日(土)、14日(日)山中湖交流プラザきらら是非遊びに来てください。二週間前、そのコバが晴れる屋に遊びに来ました。晴れる屋で最近始めたロウソク作り。コバにどのようなものができるのか実演をしてもらいました。以前作っていただけあって手際が良く、とても参考になりました。ありがとう。そして晴れる屋マジック。コバもこの晴れる屋の良性のエネルギーにぶっ飛ばされたようです。私の狙いが的中して、とても満足!http://homeostasist.blogspot.com/2008/07/blog-post.html



皆さんも是非、晴れる屋に遊びに来てください。
新しい世界観が開けますよ!
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喫緊にパラダイムシフト(発想の転換)しなければならない一つに、“孤立した個、細分化されたコミュニティーがどう新しい形で全体と繋がるか”があります。さて、どうするか?
まずは最初に掲げた問題定義、大きく同じなのに細部で異を唱える、ここから見てみましょう。周囲を否定することによって自分の個性を浮き立たせると言いました。しかし、すでに生まれた時点で個性(霊性のこと)は備わっているので、
わざわざ声高にアイデンティティーの確立などと叫ばなくてよいのです。 すでに違うから、それ以上違いを言う必要はありません。むしろ視点を変えて、「何が一緒なのか?」を探すことで、個から全体へ繋がる発想の転換が行われます。これを私は公約数探しと呼びます。例えば音楽好きという単位では一緒。明日の世界を憂うという単位では一緒。日本人という単位では一緒。アジア人、哺乳類、人間、 動物、生物、あるもの、そして!太陽所属!まぁまぁ、大きく一緒じゃないですか~。国、人種、宗教を超える大前提、太陽所属は等しく同じです。だからといって、違いを言うな、ということではありません。
次世代に残す、よりよい世界を創造するための議論で異論は出るでしょう。
それは戦わせましょう。
相手を尊重すれば必ずいい結果が生まれます。
否定の個性とは質が異なります。
ここでは、霊性がまま、ありのまま生きる。そして公約数探しが必要だと提案します。霊性がまま、ありのまま生きる、これをどう体得するかは、今私が行っている晴れる屋を見学すればすぐに解が得られるはずです。http://neo-activism.blogspot.com/2008/06/blog-post_2180.html今まで、彼らの存在が遠くに避けられていたのは、“実は普通とされた社会が病んでいた”という、この現状の問題を解決するために温存されていたかのよう。ありのままに生きる姿を彼らに学びましょう。これは便利がため分けすぎてしまったことを元に戻す作業です。直線的で融通の利かない時間の使い方を見直すいい機会でもあります。地域活動も大切な全体へ繋がる試み。核家族という最小単位が問題を軽減させるには、新しい地域活動のあり方が必要となります。遠い親戚より近くの他人。近い人同士で助け合いをしないと。!和するhttp://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_28.htmlボランティアとは言いません。助け合いのようなものを「和する」としました。強制は無理ですが、積極的に参加できるシステムを作っていくのが大事でしょう。今ここにシステムを作り上げる案はありません。今後考えていきましょう。そして、今日本が抱える社会保障費の問題もこのシステムを導入することにより解決の道が開けるはずです。次回、和することがどうして社会保障費問題の解決の道なのか続けてみます。
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前回からの続き…それを、「アイデンティティーの確立」
なんて意識すると、
人と違うことをしなければならない。
私は私、などとなり、
細部に於いて異を唱え、
自分の立ち位置を確立することになるのです。
これを否定の個性と言いましょうか。
自分の居心地いい場、コミュニティーを見つけると、
周囲をぐるりと否定し、否定の海に浮かぶ小さな島を作ってしまいます。
現代社会に於いて我良しが増え、様々な問題が起こっているのは
誤った個性の確立を目指してしまったことにあるのだと思うのです。
同様に時代の要請として、 コミュニティーの最小化が起きていきます。
大家族が核家族へと縮小し、
細かくカテゴライズされた趣味的コミュニティーに居場所を求めたりするようになっています。
個をはじめとして、これら最小単位が行き場を見失っている。
世の中は全てが網の目で繋がっていて孤立した生物、存在はありえないのですが
現代科学が幅を利かせて自然と人間を分離し、
あたかも支配が可能だと錯覚したことがさらに最小単位を孤立させてしまった。
科学とは分けることですから、まさにコミュニティーが細分化されることを指します。
大病院行けばわかりますよね。
以前は内科、外科、整形外科など大きく分類されていたものが最近は腎臓科、肝臓科など最小単位の科にふるいわけされます。
「俺、全体を診てよ!」
こう叫びたくなるのは私だけではありませんよね?
最近の事件からも最小単位の限界が見られます。
家族(核家族)に居場所が見出せず、
ネットの小さなコミュニティーにも居場所がなくなる…
手持ちの逃げ場のカード(安心できるコミュニティー)がこれしかないのなら、
八方ふさがりに陥るのは容易なことかもしれません。
昔は駆け込み寺などがあったのでしょうが、現代、簡単には望めませんかね…
つまり、この最小単位は科学によって分けられ、
自分の立ち位置を確立するために細部で異を唱え、
孤立し、今まさに行き詰まりを感じています。
どう世界と繋がればいいのか分からなくなっている…
ここが問題。
喫緊にパラダイムシフト(発想の転換)しなければならない一つに、
“孤立した個、細分化されたコミュニティーがどう新しい形で全体と繋がるか”があります。 つづくブログランキング クリックお願いします
「生まれ来る子供達とその環境のために生きていく」・未来の子供達とその環境を常に考えている社会。・資源があることに感謝し、効率的に使う 循環型システムを率先して実践する社会。・個を尊重し合いながらも、関係の網の中に居ることを 自覚し、調和をはかる社会。(思いやり、愛)・皆が土に触れている社会。・楽しい社会。この考えの基、ミクシィに発足した村づくり妄想委員会。メンバーは28人となりました。http://mixi.jp/view_community.pl?id=3418382まだ村民になっていない方も、ぜひ参加してお力を貸してください。現在、じわじわと盛り上がっているトピックは食糧危機の話題から、・日本の食糧自給率を上げる・野草の目利きとなり、いざというときの足しにする・少ない食糧でも満足できる身体づくりをする・米食を見直すです。(かなり乱暴なまとめ方ですみません。ミクシィ参照よろしくお願いします。)皆さん多彩な情報と意見を持っていることがわかり、勉強になります。まだまだコメント募集中です。さてそんな中、6月8日に続き第2回村民会議を開催します。日時 7月27日(日) 16時から場所 Kazoo宅※食事の準備がありますので、参加の方は必ずご連絡ください。今回は、以上の話題の他、村の場所や在り方など話し合えればいいかと思いますが、参加されるメンバーの個性で有機的に・・・流動的に・・・思わぬ方向に話がいくのも楽しみにしております。ご参加お待ちしております。ブログランキング クリックお願いします
先日の和への一歩http://neo-activism.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.htmlの続きです。第二の大きく同じことなのに細部で異を唱えること。これを考えていきましょう。
過去日本では異を唱える時は集団によって行われていました。
あちらの国、こちらの国。
あちらの宗教、こちらの人種…
今でも諸問題は残っていますが、
そのように帰属している集団の中から、
輪の外に対しての排除、攻撃をし
優越感をもぎ取ろうとしていました。
戦争に負け、島国特有の全体性の牙を抜かれました。
当然の帰結でしょう。
若くして特攻隊で出陣し亡くなった方、
白兵戦でただ特攻を命じられ銃弾の壁となり亡くなった方…
いったいこの生は何だったのだろうか?
その問いすら許されなかった時代。
そんな無情な時代は変わります。
戦争は終わりましたが、
全体性は会社という単位で根強く残っていました。
終身雇用、年功序列がつい最近までありましたね。
会社という全体で世界に対峙し、有数の経済国となりました。
それによって私たちはいい暮らしができている。
そんな先人達に感謝。
十五年以上前にバブルが崩壊し、
その爆発したエネルギーは無数に散らばり、
個に矢となって飛んできました。
「そろそろ一本立ちしなさい」
時代の要請としてアイデンティティーの確立が叫ばれたのです。
個性を大切に!
皆それぞれ違っていい。
これがややこしかった。
そもそも個性とは何だろうか?
個性とは、その人の魂そのものの性格、
つまり霊性をさすのだと私は考えるのです。
だから大切にするのは当然だし、
そもそも最初から違っているのです。
それを、「アイデンティティーの確立」なんて意識すると、
人と違うことをしなければならない。
私は私、などとなり、
細部に於いて違いを際立たせ、
自分の立ち位置を確立することになるのです。 つづく ブログランキング クリックお願いします
先月の出羽三山巡礼で私は生まれ変わったのではなく、もともと腹の底にあった生きる目標を顕在させただけのことでした。和を実現http://neo-activism.blogspot.com/2008/06/blog-post.htmlそれでいいのです。何も過去の自分が嫌だったわけでもありませんし、私の人生は過去の上に成り立っていて、それ抜きに未来を想像するなどできないのですから。和を実現するとは並大抵の作業ではありません。強く、ゆるぎない信念(和を実現させるという)を持ってコツコツと身の周りのことをこなしていくしか方法はないのではないかと思っています。やります!和を実現。新しい未来を切り開くため、人間がこれまでに陥っていた、二つのことに着目してみます。第一に意志・意見を暴力で訴えること。第二に大きく同じことなのに細部で異を唱えることです。 (逆もありえます)まずは第一の暴力が何の解決も導き出せないところはすでに歴史が証明しています。しかしながら、他の動物のような生存をかけた戦いまでもが全て無くなるとも思いません。動物ですもの。私は現実主義者であります。理想は求めますが、無理な発想はしません。ただ、その戦いを最小限に抑える努力が必要だと考えます。人間が動物であり、他の動物と違うところは、思考し、客観的に物事を見ることでしょうか。今、世の中が抱えている諸問題は、この思考、客観性が欲に支配されてしまい、我良しが増えたことに起因するのだと思うのです。ではどうすればいいだろう?思考を捨てて、動物になりきるのも一つかもしれないwそうすればサルのように共同意識が生まれ群れ、ボスを選ぶ戦いや、いい嫁を選ぶ戦い、群れを他の動物から守る戦いで済むのでしょう。これは明らかに非現実的ですね。やはり人間として与えられた知恵を生かす以外ないでしょう。最低でもサルの共同体よりも賢いところまで到達したいですね。現状、愚かな戦いばかりなのですから…・まずは余裕がほしい。 相手を許容し、違いがあって当然だというスタンス。・客観的に考えるとは、相手の立場に立つことにもなります。 すると思いやりが生まれるのではないでしょうか。・人に求めすぎない… あれだこれだ人に言っているのは 実は自分のことだったりします。・言葉を尽くす。 しゃべりすぎるのとイコールではありません。 心からきちんとしゃべるのです。あっ、コレ、自分に当てはまるではありませんか!暴力は決して好きではありませんが、よく見ると私自身ができているのか自信がありません。ということで、和を実現するための第一歩は私自身がこれまでの人間の陥ったワナから抜けだすため、上記を身につける実践をします。先は長い!第二は次回に。 ブログランキング クリックお願いします
早いものです。今年も折り返しました。最近、日々のルーティーンが惰性になってきたように感じます。http://neo-activism.blogspot.com/2008/03/blog-post_21.htmlそこでルーティーンの見直し、日々における大切なことを洗いなおします。プライオリティー(優先順位)の第一はやはり施術ですね。いい施術をしたい。今日ここにきて良かったと思わせるような、心の通った、身体が軽くなる施術。勉強は当然のこととして、それには自分の身体が調子がいいこと、心が落ちついていること、気の流れが整っていることが求められます。これまでのルーティーンでは8時に起きて、45分くらいで忙しくストレッチ、体操、気功をビシバシ片付けていく感じでした。余裕がない…これでは理想の施術をするには至らない。まずは不可視な都会時間に逆らい、自分の呼吸に合わせたゆったりとした時間を作り出します。朝七時起きにして、八時半まで1時間半かけて、呼吸に合わせた全身ストレッチ、お腹のマッサージ、腹筋、背筋、スクワット、そして気功をたっぷりします。ジンワリと手が温かくなるのを感じます。その後草むしりをして、土に触れます。気功と共に土に触れることにより、気の流れを整えます。一日のリズムを朝のこの時間に刻み込み、一日を充実させたい。何よりも納得のいく施術が今は大切です。しばらくはこの生活を続けてみます。ブログランキング クリックお願いします