skip to main |
skip to sidebar
人生のおよそ四分の一から三分の一をしめる睡眠。これだけ占めれば生きるための一つの仕事と言えるでしょう。その仕事の効果として、・脳と体を休ませて疲労回復させる・細胞損傷を修復させる という作用があります。子どもの場合は身体の成長促進に作用します。まさに「寝る子は育つ」ですね。この疲労回復について。まず睡眠時の動作として「寝返り」があります。ずっと同じ姿勢は体に良くないというのと、その日に作った体の歪みを矯正していると考えられます。右に左に体をひねって、歪んだ部分を自ずと治していきます。そして夢最近読んだ心理学の夢分析によると、新しい経験が自我の中に取り入れられ、意識体系の中に組み入れられたとしても、なおそれを深いレベルへと基礎づけるために夢見ることが必要だと言っています。夢とは意識(自我)がないところで進む物語だから、生きることにおいて何ら関係がないとは言えません。むしろ、昼間の出来事を意識的に知ったとしても、全体の把握には至っておらず、夢を見ることによって、昼間得た出来事の回路を深くにつないでいくのです。つまり、起きていても、寝ていても、自分全体を生きていると言えるのです。文がかたくなりましたね。言いたいことはですね、寝るのと起きているのは相補的な作用をしているということなのです。それで全体なのだと。これまでは起きている時に重点が置かれてきましたが、今後は睡眠にも気をつけていきたいところです。良い睡眠は良い明日を創る。良い睡眠を得るためにいろいろ実践してみます。
稲作始まっています。ピースシードの荒井さんのご指導の下、今年は仲間と田んぼを持つことになりました。(第1回の様子はこちら)次回は耕運機を入れ、水を張るという作業になります。3月1日(日)千葉県香取市の現地に8時半に集合!参加したい方、詳細をお伝えしますのでご連絡ください。kokoro-no-tsuki@road.ocn.ne.jp「米」という日本人である限り切っても切り離せない存在をより親しみを持って接する機会です。今後、特に「田植え」「草取り」「稲刈」の際は僕たちらしく、賑やかに作業をしようと計画しています。そしてシメに「収穫祭」で、太陽や水、空気、宇宙すべてに感謝をしながら宴を催すことができればと思います。土に触れ、天を感じ、仲間と過ごす。ぜひ皆様ご参加ください。
本日は田中マイコが書きます。4、5か月前になりますが、「逆ダイエット」を掲げました。細々と続けていたのですが、見事?体重は46~47kgをキープするようになりました。最近は「痩せた」と言われることもなくなりましたし、私自身、身体の変化を感じます。ここで反省会。筋トレ ・・・ほぼ毎日やっていますが、 数値化はできていませんでした。。。食事量 ・・・お弁当箱は買い替えて、米は意識して多く摂取。 食事内容はあまり変わらず、肉<魚、野菜を多く を心がけています。 でも肉を食べた方がいいのでしょうか?サイズ ・・・体重はプラス2kg アンダーバスト、ウエストなど体幹はプラス1cm程度
太ももプラス1cm弱 (随時測っていなかったので、当時と現在の差)顔トレ ・・・3日に1回くらい?気づいたときに。。。水泳 ・・・昨年は泳いでいたのですが、 1月からは行ってません。。。(イボ治療中のため)こう見ていくと健康的に太った、というより、脂肪がついただけかも?秋頃よりは身体の調子はいいのですが。もう少し筋肉をつけることを重点に置こうと思います。その目的で、というわけではなかったのですが、プールに行けないので体がなまっていると感じていて、あと毎朝散歩をしているおばあちゃんに触発されたため、この前の土日の朝、ジョギングをしました!最初は寒さに負けそうでしたが、勢いがついてくるといつもとは違うスピードの風の音、感触が心地よく思考も普段の半分くらいになり走りに集中していることを感じます。30分くらい走り、十分汗ばんできた頃。初日だし、たぶんここ最近の運動量だと筋肉痛もひどくなりそうだから、そろそろ帰ろう・・・と思い、自宅方向へ向かいました。そのつもりでした・・・が、行けども行けども見知らぬ住宅街・・・・・・迷った?電柱の住所表示を見ると相当遠い町。(あとで調べたら5駅も離れていました)しばらく歩きましたが(トレーニング風に)見当もつかず、観念して交番で帰り道を教えてもらいました。すっかり汗もひくし、靴ずれもするし。逆ダイエットより、まず方向音痴を直した方がいいのかも。。。2日目は、自宅を中心に8の字で走りました(情けない)。脚だけでなく、わき腹や腕も筋肉痛になるんですね!筋肉痛になることは密かに嬉しいです。今日イボ治療をしたため痛くて数日は走れませんが、地元を研究しつつ、めげずにまた走ります。迷わなければ爽快です。
新国立美術館で開催されている加山又造展へ行ってきました。やはり、偉大なる芸術家は共通するものを追い求めているんだなとつくづく感じました。画家、詩人、哲人、歌人…物や事象をグッと見つめ、その中に潜む究極の形を追い求めようと、覆っているベールを心の皮むきで何枚もはがし、真綿の本質をむき出しにします。そのむき出た種を口に含み、噛み砕き、自分のフィルターを通して表現する。もちろんそこには先人から受け継いだ、一見普遍的な本質の型もあります。人はその型に収まろうとするのですが、そうすると大切なことを忘れてしまいます。無常観つまり時間は常に進んでいて、たとえ強固な型であっても、少しずつ更新されていくということなのです。偉大なる芸術家たちはその型にはまらず、むしろ飲み込んで、新しく更新された境地にジャンプしようジャンプしようと苦悩するのです。その過程が作品となる・・・加山又造展は3月2日まで。皆さんもぜひ足を運んでみてください。
陰極まれば陽に転ず(逆もあります)つまりマイナスで一杯になったら必ずプラスに反転するという意味です。たとえば夏至、冬至。この時を境にマイナス、もしくはプラスに反転します。自然界の法則が陰陽の波を交互に繰り返しているのですから、この世の全てが波の法則に乗っているといってもいいでしょう。人生山あり谷あり。人生観においてはある程度の谷は織り込んでいるようです。しかし一つ、是が非でも「谷は許さん!」としているものがあります。それは経済活動。常に右肩上がりでないと、まるで死んでしまいそうな勢いです。「まあ、まあ、今年は少しマイナスでした。 こんな時もありますよ」なんてこと言ったら、即クビ、経営者失格の厳しい世界。とにかく新しい技術、サービスを産みだし、特許を取り、高付加価値で売り出す。そこには一秒単位のし烈なスピード競争が待っている。時は金なり誰かに出し抜かれたら何千億、何兆の損失になってしまう!金が逃げて行く前にどんなことがあってもゲットするんだ!経営者はこう言います。それに技術者は応えようとします。栄誉に向けての強固なタッグ。さて、ここで大事なものが見落とされます。本当に世の中にとっていいモノなのか?今日の新聞にこんな記事が出ていました。サバがマグロを生む僕のネタ元の新聞ではないのですがおおよそこのような記事になっています。つまり発想は、今後ホンモノのマグロは漁獲高が減っていき、魚価が高くなっていく。それならば人工的にたくさん生産し、ホンモノより少し安く売れば多くの利益を上げることができる!これは以前書いたクローン牛の話ともかぶります。企業側のアナウンスは「多くの人に安く提供できれば・・・」というロジック。マグロ、牛、豚、高価なものは栄養価も高い。ただでさえ高カロリー摂取で成人病が増えているのに、より多くこれらを食卓に乗せるというのだろうか?クローン牛については生産過程でいまだ多くの奇形が生まれているというのに、健康に害がないと言い切れるのか?そこまでして食べる必要あるのかな~僕は昔の食卓のように、これら高価なものは、スペシャルな日にしか食べられなかった子供の頃の思い出になっていけばいいと思うのです。日本人はホンモノを食べて、海外に輸出すればいいでしょ、なんて考えだとしたら目も当てられませんね。しかもその新聞には、「精子と卵からマグロを作る」「ヤマメにニジマスの精子や卵を作らせる」「養殖ウナギにホルモンを投与して卵や精子を作らせる」と書いてありました。言葉の問題でしょうが、一流の経済紙において、ある種、神の領域に大いに踏み込んでしまう、生命を「作る」と堂々と載せられてしまうのも、事の軽さを物語っていると言えるでしょう。問題は倫理観です。(言っておいてあまりシックリいく言葉ではありませんが)上向きの経済活動を死守しなければならない、という固定概念をわきに置いて立ち止まり、本当に世の中にとっていいモノなのか?という問いをたて、僕らが本当に守るべきものを確認する時期が目の前に来ているのだと声を大にし言いたい。
あっ、富士サンだ!
東名を下っていると、いつものように口にする言葉。青空に富士サンの純白が見事に映える。富士サンただの山の名前なのに、敬称のようにも耳に響きます。愛称とも言いましょうか。今日まで二泊三日で、知多半島~岐阜へ行ってきました。知多には奥さんのおばあちゃんに会いに行きました。御歳79歳。一人住まいですが、元気、元気。朝早く起きて、海岸を散歩することから一日が始まります。ただ歩くのではなくて、足の裏に魚の目ができれば、悪い歩き方を修正して自分で治し、最初と最後に坂道を入れ、筋力アップをはかったり、日々、少しずつでも進歩しようと頑張っています。僕等も朝、一緒に散歩しました。海岸を歩くのは目に効果があるような気がします。
そんなおばあちゃんは、行動の全て、言葉の全てに感謝が織り込まれていています。「ありがとう」普通に会話の中に登場してくるのですが、僕の言うそれとは、明らかに深みの違いを感じるのです。それは僕におごりの様な、深層に潜む心理が働いているからだと思うのです。若さもあるでしょう。森羅万象における一部だということをしっかりと体で分かっているかどうか。そこにおばあちゃんと僕との差があります。まだまだ修業が必要ですね。見習うところがたくさん。おばあちゃん、ありがとう!岐阜には友人宅へ遊びに行きました。16年前にサンフランシスコで出会い、一緒にデッドを追っかけた仲間です。年齢が10歳近く離れていたせいか、教わること、甘えることたくさんでした。お金がない旅男だったのでアメリカ、日本で一年以上居候させてもらいました。それだけ大きく受け入れてもらっていたということです。僕もこれから見習わないと!今回も相変わらずの歓待を受けて、心地いい時間を過ごさせてもらいました。このような人との出会いに、つくづく、自分の境遇が恵まれていることを感じます。岐阜は第二の故郷。ホント、良いところです。今回のショートトリップは、人から見習うべきところを知るというもので、とても有意義でした。
本日は田中マイコが書きます。意識と無意識そして人に伝わること今日、以前勤めていたサロンで知り合ったお客様をこころの月・乃木坂店で施術したときに言われました。「前のサロンのときと、タナカさん印象変わりました」前のサロンの私は、今と比べるときつい、テキパキした印象だったそう。このブログを読んでくださっている友人の中にはその印象はまさに私っぽいと思う方が多いかも・・・?ですが、とりあえずそのお客様から見ると変化があったようです。このお言葉はとても考えさせられました。以前のサロンは、同じ時間帯にスタッフが3人いました。私は施術をしながらでも「このお客様が終わったら30分空きがあるからその間に 洗濯して・・・隣で施術しているスタッフは仕度が遅いから フォローをして・・・あ、ホットタオルも補充しないと・・・」自分がどう動いたらスムーズに事が運ぶか考えていました。そして、同じタイプのスタッフと、そうでない(準備や片付けにあまり気がまわらないタイプの)スタッフと働くと大変だねーとたまに話してお互いをねぎらったりしていました。そのときの私は、そういう自分に疑問のかけらも持っていませんでした。性格の要素は大きいので、タイプの違う人にはたまにカリカリしてしまうけど、まぁ仕方ないかな、と。でも、施術中に過度に他のことを考えているということは、今その施術をうけてもらっている方から離れてしまっているということ。以前はそういう視点は持っていなかったです。でも紛れもなく、裏側が存在していたのです。こころの月・乃木坂店ではセラピストは私一人。美容室SCICSカスタマーズサロンのお客様を施術する機会が現在は多いです。一部屋の中で、ゆっくりお客様と向き合えます。これまでもいくつかのサロンで働いてきましたが、現在の場では、満足される度合いが不思議と高いのです。美容師・松宮さんの多大なお膳立てのおかげだと思っていましたが、そしてその要素は確かに大きいのですが、もしかしたら、私が前より施術に集中できているという要素もあるように今日気付かされました。私が変わったと言ったお客様への施術のフィーリングがとても良かったことも気づきの一助。その分、段取りが以前より悪いような気もしています。。。一長一短、その辺は修行です。施術を受けてくださるお客様への気持ちは同じはずでした。それは意識。その意識の奥に、環境や周囲の人からの影響によって変化していた無意識がある。小さな波、大きな波。それがまた私の言葉・動作となり、生き物のように不規則に人をとらえる。そしてそれがまたその人の無意識に潜り込んでいく。意識の上では変わったつもりはなくても、少し前を振り返ると、変化した意識が見える。良い波をつくれるように。そうしたら、和から和が生まれる。そんな気がします。そんな「集中した」パーソナルな施術を受けたい方は乃木坂店へお立ち寄りください。2月から、ほぼ常駐することになりました!(火曜日定休)ご予約・お問い合わせはkokoro@scics.jp今日からフェイシャルマッサージの練習も開始しました!モニター募集中です。ご希望の方はメールください。
最近気になるダイエット法に快食療法というものがあります。新聞にここの先生のコラムが毎週載っていて、共感することがたくさんありました。いろいろ検索すると、何と、成功率97.7%!!!かなり驚異的ではありませんか!この療法の特徴は、(1)お腹がすいてから食べる(2)好きなものを満足するまで食べる(3)たとえ健康に悪いものでも好きなら食べる(4)自分の好きな味付けで食べる(5)楽しく食べる(6)食べ過ぎたとの罪悪感を持たないこと他にも運動をイヤイヤしない、夕食を中心に快食する・・・などがあります。詳しい内容はどこにも記載されていないので、それをどう実践していくのかは、このクリニックに行かないと知れないのでしょう。この療法が新しいなと思うのは、人はなぜ太ってしまうのか、という視点から発展しているところ。もちろん飽食の時代という歴然とした事実はあります。これが太らせているというのは当然の話ですが、食べ過ぎてしまうという、一種の病が現代には存在するのです。食べ過ぎるという病の、その病原となっているのがストレス。現代人は、ただ存在するだけで多くの意識下、無意識下のストレスに晒されます。都会なら尚更。この中々見えにくい敵は脳に攻撃を仕掛けてきます。普通、人はこの攻撃を意識して処理するわけではありません。脳が何とかやりくりしているのです。しかし脳もその戦いに疲れてしまいます。これを癒すのは満足感。手っ取り早くそれを得ることができるのは好きな食べ物。それで食べる。また食べる。さらに食べる・・・ストレスにさらされている人が太っていくのにはこのような条件によります。もちろん普通に食べたいという生理的欲求もあります。ですから、これまでのダイエットのように、ストレスで過食しているのに、そのストレスを強引に抑えて減食するのは、二重、三重のストレスがかかるということなのです!これでは長続きしないし、リバウンドという言葉がこれだけ世の中にのさばっているのも頷けます。この脳の疲労を癒しつつ、痩せて行く・・・ここにこれからのダイエットがあるように感じます。分刻みのスケジュールを組まない、過剰な情報で脳を疲れさせないよう“情報断食”をする、仕事を引きずったままにせず、オン・オフの切り替えをする、というのも効果を生むそうです。この療法の回し者ではありませんが、かなり面白そう。そうは言ってもやり方の詳細を知らないので、かなり無責任で申し訳ないのですが、どなたか試してもらえません?w
ウンチの話です。一本で出ると気持ちいいですよね。直球をバットの芯で捉えたような痛快さ。思えば高校生の頃から柔らか目でした。外出の途中で下すこともしばしば。お腹が強くないのだと思い込んでいました。しかし、最近はよく一本が出ます。毎日ではないのですが、とても嬉しい。目で確認して、「腸の形のまんま!」とフムフム感心しています。なぜだろうか…一つに食生活が変わったということが挙げられます。だいぶ肉食が減り、野菜を多めに食べる習慣になりました。長期的におなかの調子が良くなってきたのだと思います。ファスティング(プチ断食)これも断食あとは何日か連続して一本になります。ここは目に見える変化がある。先日、知人の鍼師さんとそのことについて話しました。その人も柔らか系らしいのですが、大学生の時、合宿に行くと毎日一本道だったと言います。しかし、食べ物はいい加減で、毎日酒を飲み、BBQをし、とても健康的ではなかったようです。つまり、都会から離れると一本になった。精神的なものも大きく関わっているということですね。都会で受ける日々のストレスにより、自律神経がアンバランスをきたし柔らか系になったのだと。一本を得るには、自律神経が安定していることが重要だということです。しかし、自律神経の安定を求めようにもメモリとかで見たりできず図りにくいので難しいですね。ただ、いろいろ試してその結果一本であれば、これをやると精神が落ち着くんだな~という指標になります。僕の場合は、食べ物を変化させることによって、一本になり、自律神経が安定することに繋がりました。もちろん日々の気功、呼吸法など、自律神経を安定させる訓練をしているのでその結果も反映しているのだと思います。皆さんも、ただ大をして流すのではなく、自分の心身の健康をはかるためチェックしてみましょう。
お米僕を形作っている大切な要素で、これだけ長いお付き合いをさせてもらいながらも、色、形、味以外、全然知らなかった。そんな反省から去年は米を知ろうと、田植え、稲刈り を体験させてもらいました。ものを単純に判断するでなく、そのものの成り立ちを深く知ることにより、自分と、そのものがかなり接近し、親密さが生まれます。普段身近にあるものこそ、漠然と眺めるでなく、関係性を深めていくことが大切かなと思うのです。去年はあいさつ程度のお付き合いになったのですが、今年はより深く、お米さんを知ろうと、一年を通して米作りをすることとなりました。何より、土を足で握る感覚が忘れられない。それが体に良いのですよ!足が鍛えられるばかりか、バランスをとるため脳が働き、貯まり過ぎた生体電流がアースされ、体がデトックスされていきます。都会で疲れている皆さん、田んぼに入って米作りましょ。疲労回復には間違いありません。さて、一年を通しての作業で最初にやるのが基礎作り。水を畑一面に張っても、どこからも漏れないようにまずは畦(あぜ)の修復をします。雨、ザリガニ、モグラ、さまざまな外的要因により崩れたり、穴が開いている。それらを土で盛って、上から踏みつけたり、タコと呼ばれる切り株で上から叩きつけたりして、補強をしていきます。これだけの作業なのに、皆もくもくとやっています。自分たちの田んぼの基礎を作っているという感覚が、共有されたのだと感じました。そして土。土には人間の本能を呼び覚ますような匂いとも、色とも、感触とも言い難いエッセンスが練りこまれています。土に触れると、楽しくて無心になってしまうのですよ。これは子供の頃の土ダンゴ遊びにも共通するような気がしてならない。さてさて、畦がしっかりと形になってきました。これで基礎が作られたので、次回、水路を直し、一面に水を張る作業になります。楽しみです。皆さんもよかったら参加してみてくださいね~。ノリさんありがとうございます!
崩れた所の土を掘り、畦に盛ります。
タコで叩きます。これが重い!
谷あいの畑で環境がとてもいい。場が落ち着きます。
本日は田中マイコが書きます。右足の親指の真ん中に長い間角質があったのですがウオノメかなぁと思い、たまに角質取りで削っていました。でもなかなか治らないので、先日皮膚科で診てもらいました。おじいちゃん先生は一目見て「イボですね~」イボはウィルスを伴うそうです。通常、外に出っ張るものですが、たまたま足の裏なので押されて皮膚の中に逆に入り込んでしまったと。そもそも長く放っておいたことがいけないのですが前にも同じようなものが同じ場所にできたとき、いつしかなくなったので油断してました!今回気になって病院に行った一番の理由はその場所「親指の真ん中」は、中国式足裏の反射区で「脳下垂体」にあたるから!です。脳下垂体・・・さまざまなホルモンの分泌を司る働きをしています。副腎皮質刺激ホルモン、甲状腺刺激ホルモン、プロラクチン、性腺刺激ホルモン、成長ホルモン、抗利尿ホルモン・・・体の不調が足の反射区に表れることはご承知かもしれませんが、足の状態(外反母趾や角質など)から内臓機能に影響を与えるということも否めません。というわけでこれは早く治さないと!早速治療です。4、5回通い、液体窒素を含ませた綿球でイボを冷凍します。ドライアイスを患部に当てるイメージでしょうか。「はーい、動かないでねー」じゅぅぅぅぅぅじゅぅぅぅぅぅぅぅぅイタイ。イタイです・・・ジンジンします。1回の治療は5分もかからないのですが、2日間くらいは親指に鋭い痛みが残ります。週に1回通い、今日で3回目の治療が終わりました。そこで気づいたのですが、右足親指の直径1センチにも満たない患部があるだけで、歩き方が全く異なります。意識していないだけで、親指でしっかり地面を蹴る行為があったのだと。そしてそれができにくい今、どうしても左足重心になり右足の小指側で体を支えていることを感じます。そしてその代償だと思うのですが、この半月で左首から肩が凝りやすくなりました。バランスが崩れると思わぬところに現れるのだなぁと妙に感心します。これも身体のホリスティック。右足親指を放置していたことを謝り、労りつつ治ったら体全体のバランスを見直してみようと思いました。
ムスヒ祈りをこめて結んでいます。
最近は7分づきではなく、玄米モードなので玄米お結びとなっています。ただ、玄米となると白米と違って表面に粘りがなく、グッと結ばないと食べる時にパラパラこぼれてしまいます。真ん中に具を入れると、さらに崩れやすく食べるのに一苦労します。それに普通のお結びのサイズだと飽きてしまう。玄米はゆっくりかんで食べるものなので、持ったお結び一つがいつまでも終わらないと、食べながら「終わらないな~」と感じてしまう・・・これでは食を楽しんでいない。玄米お結びを楽しむために考えました。まずは大きさ。普通の市販のお結びの二回りくらい小さくします。具。崩れるので真ん中には入れません。おかかのように最初に混ぜて結びます。最近はプレーンも気に入っています。おしんこを別に持っていくとかなり美味しい。もちろんおかずと一緒もいい。玄米お結び、そしてその他のお結び、レシピがあれば教えてください。簡単にできるもので美味しかったら大歓迎!!!
スキンにしてかれこれ三ヶ月以上が経ちます。毎朝ピカピカに剃り立て、少しでも世の中を明るくするよう務めています。電車に乗ると、よくチラ見されていて、気配を感じて目をやると、光より速く目線を切られます。結構眩しく感じているようですねwさて、街中で人に道を聞かれるくらいになろうと目標を立てたのですが、一向に声すら掛かりません。まだ、まだ修業が足りない。注目はされているに違いないので、あとはどう聞く気にさせるかです。「この人が私の聞きたい答えを握っている!」と思わせるような・・・この三ヶ月で気づいたのですが、スキン人口はかなり少ない。かなりレアですよ。三、四日で一人いればいい方。海外はスキン事情が違いますね。白人ならば、パンク、思想的に危ない人、ゲイ。黒人ならばバスケットボールの選手。アジア人ならばお坊さん・・・結構います。しかしスキンにしているお坊さん達を、日本の街中でお目にかかることはそう無いですね。だから必然とスキン人口はレアになっていく。これまではバリカンで三ミリだったので、気にしなかったのですが、スキンにしてから、遠目に見えるあの光は本当にスキンかどうか、すれ違いざまにチェックを入れています。大概がバリカンの一番短いやつ。その差は大きい。別に優越感などさらさら無いはずなのに、「あまい」と呟いている僕がいます。しかし、たまにあるのです。煌々と放つ光が近付いてくることに輝きを増し、すれ違いざま光の増幅が起こり、×2どころか2乗になって、その場をライトアップすることが。お互いチラリと確認します。「スキンだな」歳を重ね、初対面でも自分のフィールドに近いかどうかだいたい分かるようになってきました。しかし、これまでに確認したスキンズはどれも公約数が人、男、スキン・・・これ以上に共通した何かが見つかりそうにないのです。背広、アキバ風、ジャージ・・・みんないったい何者?もし、スキンクラブなるものを作って集まったとしたら、異種格闘技のように、各々、全然違う分野に存在している人たちになるでしょう。そこで思いました。スキンは各々の世界で単独で生きているのだと。スキンは群れないのだと。スキンお互いの交流はすれ違いざま。場に電流を生み、光を放つ。ほんの少し相手の存在を知り、そして都会の人ごみに紛れていく。きっと、振り向けばすぐに見つけられるに違いない。だけどしない。それがスキンの在り方・・・